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第三章 水の街
第91話 婚礼の前夜
しおりを挟む今宵、とトゥールは言った。
「おでかけ? どこに?」
「聞かないほうがいい。場合によっては面倒な事に巻き込んじまうから」
「ふうん……ああ、そういうことね。いいお年頃だものね。夜道は気を付けるのよ」
フィンチには詳しいことを言わず、暗くなりだした頃合いにアトリエを後に。前もってトゥールが向かうようにと言われた指定場所へ向かう。
そこには一台の馬車が待機していた。
「まさか、これが……?」
「こっちじゃ」
「えっ、あっ、えっ? お前、トゥールか?」
最初はロリっ娘と認識できなかった。
何故なら、ドアから身を出したトゥールの格好は、昼間の時の衣装とは変わっていた。
薔薇の花びらをそのまま服にしたような赤紫のドレスが、鎖骨の下から足元まで伸びている。
髪型はしっかりと結い、唇にルージュを丁寧に塗り込んでいる。ちっこい体格、外見からは幼さが完全に抜け、印象が丸っきり一回転した。
「ほへぇー。一瞬誰かと思ったよ」
「はわわ、とっても綺麗ですねえ。お人形さんみたいです」
「似合うじゃろ? もっと褒めてええんじゃぞ」
テレサの感想のとおり、すっげえ綺麗。背丈は子供なのに、今のトゥールは大人っぽい。あまりの変わりぶりに見とれてしまった。
「うーん、馬子にも衣装とはこの事か」
「なにか言ったかの?」
「いいや、なんでもありませーん。で、良いおべべ着て、おめかしもして何のパーティーに行くんだ? フィオーレの家に行くんじゃないのか?」
「そ・れ・はぁ、行ってからのお楽しみじゃ♪」
「「お楽しみ?」」
なんだ、お楽しみって。教えてくれないのか。
言わないのはモヤモヤするが、それでもいいか。俺達としては貴族街に入れてくれるだけで有難い。パーティーでもなんでも付き合ってあげましょ。
「お主らは、これから我の付き添いじゃ。従者として振る舞うんじゃぞ」
「従者ぁ?」
突飛なことを言い出したトゥールは、これからの展開に理解が追いつかない俺達を背にして馬車へ戻る。そして、
「ほれ、お主らの分の服を用意しておいたぞ」
キャビンから衣服を取り出し、各々に渡してきた。
見た感じはどちらも寸分なく同じ物で、妙に可愛らしいデザインだ。
「なんだ、こりゃ?」
「遠慮なく着るがいい。靴も用意してある。寸法には自信がないので自分らで調整するがいい」
「これを着るんですか? どうしてです?」
「貴族街に中に入るんじゃ。変装しないと怪しまれるじゃろ」
「だから着ろってか……観念するしかねえ。ん?」
折り畳まれている服を広げて、初めて全体が晒される。
こ、この服は──
「なーんで女物なんだよ」
進行する馬車の中で文句を垂れる。それは身に付けている衣服が原因だ。
用意された服は女物だった。
これから向かう場所には、これを着ていく必要があるらしい。
女物の服はスキルで性別を変えりゃ済む話だが……なーんか納得いかないんだよなあ。化粧もしっかりと施されたし。
「お主の潜入技術の高さを見込んでの作戦じゃ。存外に……ぶふっ、よう似合っとるぞ」
対面、腰掛けているトゥールが時折視線を逸らす。
似合ってるとか言っておいて笑いやがって……。
「ま、構わないけどさ。こっちのほうが何かと都合がいいし、多少は我慢してやる。それにテレサの可愛い姿が見れて目が幸せだあ」
テレサもまたトゥールから渡された服に腕を通している。
初めて着た服に緊張が解れないでいてソワソワしている様子。姿勢を正して座っている様は、ソワソワよりカチコチの領域だ。
話の中心が自分に来ると、テレサの身がぴくりと面白く反射した。
「そ、そうですか? こういう服はあまり慣れないのですが、似合っているでしょうか?」
「もう最高に似合ってるぜ。バッチシだぜ」
「じゃのう。素がええからの」
「わ、はわ……っ」
似合ってると褒めると、さっきまで不安な眼差しだったテレサは照れ臭さそうになって手で顔を覆うも、最終的には笑ってみせてくれた。
ウン、カワイイデス。
「お主の姿を見ると、フィオーレの娘の家に潜り込んだ時のことを思い出すのう」
「トゥールさんはフィオーレのお家に入った時に一緒にいたんですよね? 話は伺っています」
「正確には札を通して接触したのじゃが、そういうことになるの。あの時は楽しませてもらったぞ」
「楽しませてもらった?」
話に引っかかることがあったようで、テレサが食いつく。
「お家に入るだけの事なのに楽しむことが起きたのですか?」
「聞いておらんのか? シンジがな、フィオーレの娘と部屋で……おぉっと。これ以上は我の口では言えぬなあ」
途中でトゥールは閉口、しかし閉ざした口からはククッと笑いが零れる。これから起きる寸劇を期待して。
「……シンジさん?」
さっと空気が冷える。発生源は隣席。
イヤに背筋をぞっとさせる声だ。くる~りと首がこっちを見るテレサが怖い。
こ、これは怒っている……まだ内容を知っていないというのに、テレサは冷ややかに睨んでいた。
「は、はい、なんでしょう?」
「私の知らない事があるみたいですね。教えてくれませんか?」
「ナンノコトデス?」
「単刀直入に聞きます。フィオーレさんに何をしたんです?」
「ナンニモシテマセンヨ?」
「嘘ですね。シンジさんは嘘をついています。そうですよね?」
あっああぁ~。顔が近い、息が当たる、耳がくすぐったい。でも凄く怖いぃぃぃぃ。
パーティ外の人間であっても有罪と言わんばかりの理不尽な圧が迫っている。どう誤魔化しても無駄だ。
ち、違うんだ。あれは事故であって何もしていないんだ! 責められるような事は無いっ!
「シンジのモノマネをやりまーす」
「へ?」
剣難に落ちた場にトゥールが入る。
しかし、助けは来ず、代わりに余興が始まった。
「『くそうっ、スケベなボデーしやがって。俺がドの付く真人間だから何もしないでいることに感謝するんだだな。我慢できなかったらお前は嫁になれないどころか人前には出られないほど嬲りに嬲ってやったものを……!!』」
「うぐっ!?」
素晴らしい演技ぶりで、ロザリーヌの自室で漏らしてしまった本音を余すところなく語ってみせた。
さらに──
「へへへっ! この女ぁ良いカラダしてんよお! ぐへへへっ!! 俺の女にしてやるぜえ!!」
「余計なもん足すんじゃねえぇぇぇぇ!!」
言っていない事を、さも言ったように追加して誤解を生み出していく。状況はどんどん悪い方へ傾いた。
「なんです、今のは? フィオーレさんとの事に関係があるんですか? 答えてください」
「関係ねえよっ! 言ってねえから!」
否定するも、テレサのほうは虚言を信じている。この事態を収拾させに取り掛かるが、「否」とトゥールが異議を唱えた。
「それは違うぞシンジぃ。前半は本当じゃ。それだけは嘘偽り無くシンジの口から出たぞ」
「あうっ」
ひ、否定できない……。
ヤバい。テレサの怒気がぐんぐんと増している。返答次第では殺されかねないぞ。
「本当、なんですか?」
質問がとても重い。どんと凄まじいプレッシャーを感じる。
は、早く答えねば……だけど、どうする!?
「……黙秘の権利を主張します」
「なぁにが黙秘ですかっ! 却下します! 正直にっ! 全て洗いざらい言ってくださーいっ!!」
「ぐえぇぇぇぇ、顔を引っ張らないどぅえぇぇぇぇ」
「やれやれ、若いっていいもんじゃなあ」
ニヨニヨとうざったく見守るトゥール。テレサに折檻されている矢先、馬車が少し揺れた。
進行が止まっている。窓の外を見ると、ちょうどあの貴族街の入口の門に止まっていた。
来たな……。
例によって門番が迎え、御者とやり取り。しかし、ごく短い手間で門番は戻り、馬車が進行を再開した。
「あれぇ?」
あまりにあっさりとしていて、後方に流れゆく門を見やる。
要した時間はカップ麺を作る時間よりも少なかった。門番に不審がられることも一切なかった。昼は頑なに通してくれなかったのに、あっという間に過ぎてしまった。
「本当に通れた……」
「じゃろ? 我は貴族じゃからな。当然のことなんじゃ」
「えっ!?」
さらっと普通に言い出すトゥール。だが、それは驚くに匹敵する新事実だ。
引かれたように対面の席のちっこい小娘を見やる。注目の的となったロリっ娘はルージュの塗られた唇に笑みをのせた。
「トゥールさんが……!?」
「貴族だと?」
「そうじゃぞ」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに肯定する。あっけらかんに言うせいで、彼女の言う事がまだ信じられなかった。
「こーんなに綺麗な我を見て分からんか? お主らに助けをくれてやったのも我の持ち前の権力ってことじゃ」
トゥールが貴族……マジかよ……。
「えぇ、まさかなぁ。いや、でも、そういうことになるのか」
馬車を用意できたのも、簡単に門を通れたのも納得がいく。
おめかしした姿が手伝って、彼女が本当に貴族なんだと受け止めたが、どこか気品が感じられない。この矛盾は何だ?
「我だけではないぞ。あの娘の温情もあってこそじゃ」
「娘?」
関連する記憶がフラッシュバックする。腕を切り落とせと恐ろしいことを言い放つ女の子とのやり取りを思い出した。
「お前と一緒にいた、あのむすっとした女の子か? 親戚と言ってたな。あいつも貴族なのか? お前と違って怖いくらいに威厳があったが」
「本当にただの親戚なんじゃ。気にはしなさんな。あのお年頃の娘に興味があるのなら止めはせんがの」
「いけませんよ。あのぐらいの女の子に良くない事をするのは」
「いやいや、しないって」
言わないか。気になるなあ。
親戚でありながら姫と呼び、丁重に接する……ただの親戚とは思えない。あの子も高い身分なんだろうが、いったい何者なのやら。
「結局、お前は何者なんだ? ただのロリっ娘じゃないな」
「知りたいか? 知りたいじゃろ? 我には分かる。この小さい身体に大人の魅了が詰まった我の正体が」
「あ、結構です。知らなくていいです。なんかムカつくんで」
「ずこーっ!」
なんだよ、ずこーって。漫画みたいなリアクションだな。
「我の秘密が知りとうないとは漢の恥めっ。今ならほっぺにチュッチュしてやるぞ」
「チュッチュとか子供かよ。いらねえ」
「なんと! その先が欲しいと!? 我にいったいナニを求めているんじゃ!」
「やめてくれ。それ以上続けると命が失くなりそうだ」
炎の勢いを増し、恐ろしい眼光を宿すテレサによってな。
「──お? ほれ、もうすぐ着くぞ」
わちゃわちゃとした会話が続くうちに新しい展開が訪れた。
馬車が止まり、行き先に到着。窓の外は夜と光に彩られた庭園があった。
そこに何人もの人がいる。奥には大きな建物があって、何かが行われているようだった。
雰囲気が全然違う。そこら中に立っている誰もが装飾の派手な服を着ている。あの場にいる人達は殆どが貴族なのだろう。
でもなんだ、この賑やかさは? あそこに居る奴らは何をしている?
「ここがフィオーレの屋敷か?」
「否。ここはフィオーレの屋敷ではない。宴の会場じゃよ」
「おいおい、屋敷じゃないのかよ。宴なんか行く気は無いぞ」
「静かにしておけ。お主は我の従者として付き添うのじゃ。さあ、しっかり役に徹するんじゃ」
役に徹しろと言われても……こういう場所に来るのは初めてだしなぁ。
「具体的にはどうすりゃいいんだ?」
「常に我の後ろに立ち、お行儀よく。以上じゃ」
「アドバイスが普通だあ」
それだけかよ。もう不安で胸がいっぱいだ。
「さあ、行くぞ」
手にした扇をぴしっと開き、トゥールが先頭を歩く。建物のある方向に向かって。
変装しているといっても緊張するなあ。だけど気を引き締めて掛からないと。
「……は、はえー」
エントランスに入った瞬間、未知なる世界の風が吹く。館の中は、それこそ身分の低い俺達にとっては異世界のような空間だった。
「なんじゃこりゃあ……」
「凄いです。どこを見てもキラキラしてます」
「ジロジロ見るでない。我の品位が損なわれるではないか」
縁の無い文化に衝撃的で口が開いたままになる。
目が痛いくらいにソーラダイトが煌めき、床を踏む音すら気持ちいい。
通路を過ぎ、大きな扉を越えた先にはホールが。広い空間には、大勢の人が談笑を交わしていた。
ま、眩しい。何もかもが綺麗に映えている。
ホールにいる人間の殆どが本物の貴族。彼らがいるだけで華やかさが何重にも増し、俺たち庶民が居てもいいのか気後れしてしまう。
「そろそろ教えてくれないか? これは一体何を催しているんだ?」
「ここは舞踏会や晩餐会に使われる場所じゃ。今は明日に婚儀を行う新郎新婦を祝う会場になっているじゃよ」
「ご結婚の?」
「会場、だって?」
メインは明日。これはパーティーじゃなくて結婚前夜祭というのが正しいか。
前夜だというのに、わざわざこんな建物借りてパーティーを開くとは、貴族というものはやはりパーティーが好きなんだなあ。
「おいおい、そんな場所に連れてってどうする? 俺らも一緒にお祝いしろって? 付き合っていられないって」
「新婦はあのフィオーレの娘じゃ」
「ええっ?」
「ロザリーヌか? パーティーって、あいつのお祝いかよ」
「フィオーレの娘はココルでの悪事が明かされた後、父親の怒りを買い、嫁ぐことになった。じゃが悪行は既に広まっている。罪を犯した娘を貰いたい物好きはいなかった。一人を除いてな」
「それがロザリーヌの結婚相手か」
「バルガーネという男が嫁に貰うとでた。そして、あの男こそが新郎のバルガーネじゃよ」
細指の指した方向に誘われ、その先を見やる。そこに新郎となる男がいた。
「うっ、わあ……」
第一印象を見て、自然に出た感想がそれだ。
生え際の後退した髪型、チョビ髭の添えたでっぷり顔、縦より横が広めの肥満体型。
衣装や飾りは立派だが、ただそれだけ。貴族らしい威厳さは感じられない。豚に真珠という言葉の似合う男だ。
あれがロザリーヌと結婚する相手か……。
「うーん、気持ち悪い」
「いけませんよ。失礼ですっ」
「いやあ、つい……」
ぴしゃりと注意される。だが、思わずその言葉が出るくらい不快だ。ロザリーヌが結婚を嫌がるのも無理はない。
「バルガーネ・スィンフ・ディセント。バルガーネ家の当主であり、ミーミル議会の末席。四十代前半じゃ」
「うそっ、あの見た目で?」
とても四十前半は見えない老け顔だ。サバ読んでるんじゃないのか。
「奴はもともと貴族ではなかったのじゃ。ただの一般人が貴族入りしたんじゃよ。爵位を手に入れる前も財産はそれなりには持っていたが、怪しいもんじゃな?」
「爵位を頂くなんて、凄いお方なんですね」
「さあて、どうかのう」
眉を傾けて、貴族界入りした男に対してトゥールは何とも言えない評価を下した。
ふむ、平民からの成り上がり貴族か。
名家の令嬢が自分の家より下のランクの成り上がり貴族に嫁ぐ。あり得ない話でもないが、好きでもない男に嫁ぐのは不本意だろうな。
「ヤツにしてみれば絶頂じゃろうな。罪を犯したにしろ、バルガーネにしてみれば貴族の血を後代に残すことができる。新婦は美人じゃしの」
「サクセスストーリー作ってんじゃねえか。羨まし……くないけど」
「──おや、キミは……!」
ホールにいた誰かの声。驚きを含んだそれは他の誰でもなく、俺達に向けられていた。
この口振り……知り合いらしいが、トゥール以外に貴族の知り合いなんて……。
「やあ、こんばんは」
「げげっ」
「貴方は……」
「フランヴェオさ。またキミに会えるとは嬉しいな」
やって来たのは、ロザリーヌの兄貴だ。
いた。貴族の知り合いいましたわー。悪い方面での知り合いがいたわー。
出たな……この歯の浮く喋り方をする優男に遭遇する可能性を考慮したが、実現してしまったな。スキルで女に変身しておいてよかった。
性転換してることもあり、当然ながらフランヴェオは俺に気付いてない。テレサと違って初めて会った相手としかみていないだろう。
それらトゥールも同じ。なのでフランヴェオが真っ先に話しかけているのはテレサのみだ。
「無事だったんだね。その様子だと大事は遭わなかったようだ。あの男はどうしたんだい?」
「へ?」
「ロジーに不逞を働き、キミを攫っていった男だよ。キミを連れて逃げた後はどうしたんだい?」
「その件はその……忘れてください。私は何も気にしていませんので」
「そうかい? いや、キミが無事ならそれでいいんだ。酷い目に遭ったら、僕の炎であの男を焦がさないと気が済まないからね」
まあ、残念ながら焦がしたい相手はすぐそこにいるんですけどね。スキルを解いたら、おお怖や怖や。
「あの──」
「おお、これは失礼した。僕としたことが良くないな」
仮初の主のトゥールが声を掛けると、フランヴェオは放置したことを謝り、対面した。
「初めまして。僕はフィオーレ家の次男、フィオーレ・リロノ・フランヴェオさ。ミーミル騎士団に客員魔術士として所属している」
げっ、騎士団にいるだって?
マズい……フランヴェオめ、この前の仕打ちを騎士団にチクってんじゃないだろうな?
「その他には父上の政務と土地の管理、農場の運営も手伝っている。今夜は結婚を控えた妹のお祝いにお時間を費やしてくれて感謝しているよ。かよわきレディよ、お名前を聞かせてもらえるかな?」
「自己紹介、光栄に存じますわ」
「え?」
声色、喋り方が急に一変し、傍で見ていた俺は目を丸くさせた。
「私は──マグノリオンの娘、マグノリオン・シャウラ・ヘクセニア・トゥルプレでございます」
と、トゥールは微笑みを保ったまま挨拶をした。
さっきまでとは明らかに違う、上品さを感じさせる声色と言葉遣いで挨拶をする。俺もテレサも、あまりに変わったご主人に呆然となった。
「ま、ま、マグノリオン!? 娘!? まさか……」
「当主である父の代理としてはるばる王都から参上致しました。この度は妹君の婚姻、めでたく申し上げます」
お、お前誰ぇ……っ
「それはそれは……マグノリオン殿に足を運んでもらえて光栄です。此度は素晴らしい夜会をお過ごしください」
えーと、たしか……マグノリオン・シャウラ、ヘクなんとかトゥルプレだったか。
フルネームを初めて聞いたが、彼女の自己紹介にはフランヴェオも驚きを隠せないでいる。それくらい家が有名なのか?
「お気遣い感謝致しますわ。私はこれから新郎に挨拶に行きますので」
「伴を連れていかないのかい?」
「ご挨拶は私だけで構いませんわ。二人とも、失礼のないように」
「は、はいっ」
従者を残し、トゥールが単独でバルガーネに向かう。四人でやり取りしていたこの場は一人抜けて三人となる。
見送りを終えると、フランヴェオがテレサに向き直った。
「キミがマグノリオン家に奉公しているとは意外だよ」
「わ、私はお嬢様のお付きをしているだけで日は浅いんです。家のことはよく知らなくて……」
「そうかい? 妙な話だが……お仕事にまだ慣れていないみたいだから日が浅いのは本当のようだね」
「あ、はい……」
「そちらのキミもテレーゼ嬢と同じなのかな?」
「え? おれっ、じゃなくて、私ですか?」
「初めて見た顔だ。キミのお名前も聞かせてもらいたいな」
「あ、わわわ私は……あ、エルトゥールですっ」
「素晴らしいっ!」
「へっ⁉」
「大いに素敵な名だ。名は存在を表すと言うけど、見た目通りの良い名前だよ」
マジかよ。名前だけで大絶賛じゃねーか。
「背丈も高くて良い。顔をよく見せてくれ」
「わ、近っ……」
「おぉ、美しい顔だ。どうしてなのかな。キミを見ていると心がざわつく。こんなに騒ぐのはお見合い以来だ」
あ、あれ? フランヴェオの様子がおかしい。これは……?
「しかし、これは良くない。そうとも。華は一輪でいい。だから自制しよう」
「は、はい?」
「僕は既に婚約者がいるんだ」
肌が粟立った。
きっ……めええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!
どういう事だよ。なんでそこで頬を染めるんだよ。気持ち悪くて怖気が走るだろうが。
あーあ、美男子のくせに残念だ。兄妹揃ってとても残念だ。
「あ、あの、伺わせてもらいたいのですが、マグノリオンとはどのような家なのですか?」
見かねたテレサがナイスな行動。話を切るようにして質問を投げる。
マグノリオンか……フランヴェオが驚くぐらい名誉ある家らしいな。どんな家なんだ?
「おや、知らないのかい? マグノリオン家はヘリオスフィア王に仕え、王宮に勤めている政務官だ。魔術の腕も長けている。僕らフィオーレ家よりも格上と言っても差し支えないよ」
「フィオーレよりも……!」
王宮の……つまり貴族の中でも上ってことだ。
マジかよ。あのロリっ娘、かなり凄い家の出身なのか。そんな高貴な家の奴に俺は何度も何度も失礼なことを……。
「まさかマグノリオン家当主に子女がいたとはね」
「どういう意味です?」
「マグノリオン殿は老年の域だ。そのうえ奥様は亡くなられていると聞いている。ご家族の話は一切聞いたことがない」
聞いたことがない。それは単純に存在を知らなかったと言える。
しかし、これは簡単に結論が出るものじゃないようだ。
「嘘をついているのでしょうか?」
「いや、それは違うよ。ドレスに備え付けられていた紋章は偽物に見えなかった」
「では……養子ということでしょうか?」
「そうかしれない。憶測だから断言はできないがね」
「養子……」
自然と、今は此処にいない一人に思考を集中させていた。
よく考えたら俺はトゥールをよくは知らない。たった数回の遭遇で知った気になっていた。
もしトゥールがマグノリオン当主とは血の繋がりの無い奴なら、養子であるのなら。
気になる。養子になるまでどう生きてきたのか、どういう経緯でマグノリオンに拾われてきたのか、前の家族はどうなっているのかと。
あの言動だってそうだ。なんだか闇を感じる。ああ見えて実は厭世的になっているんじゃないだろうか?
出身が明るみになったことで見る目が変わったが、それもまた一転しそうだ。
「庶子であれば、まだしも……養子では嫡子にはなれない。それが爵位を賜りし家の原則。何があっても、どんなに優秀であっても。だから聞かなかったのかもね」
「──戻りましたわ」
話を続けているうちに、噂の中心のトゥールが戻ってきた。
「早かったね」
「お忙しいようでしたので手短に済ませましたわ」
「そうかな? 忙しくは見えないが……」
何があったのかトゥールは行く前よりも機嫌が悪い。俺の背中に回ると、ぼそりと呟いた。
「バルガーネめ、我を飢えたケダモノの目で見よった。あれはもう視姦じゃ。女を食い物とするシンジのようじゃ」
「違うっ!!」
「どうかしたのかい?」
「いえ、なんでもありません。ところでフランヴェオ殿、妹君の所在はどちらに?」
「む? ロジーのことはバルガーネ殿から聞いたのでは?」
「訊きそびれてしまいましたわ。おほほ」
「ロジーは控室に籠もり続けているよ。調子が良くないんだ。時間が経てば来てくれるだろうさ」
まあ、とトゥールが新婦の身を案じる。というよりは気の毒そうな同調だ。
これはもう深刻なマリッジブルーに罹ってんな。他の貴族と比べて不快感漂うあの男と結婚するんだから無理もねえか。
「新婦への御挨拶が済んでいませんの。こちらからお会いに行ってもよろしくて?」
「構わないよ。どうかロジーを元気づけてやってくれ。部屋はあっちだ」
「さあ、行きますわよ」
「あ、はっ」
ロザリーヌに会いに行こうと、トゥールはニコッと笑顔を送って場を離れる。フランヴェオの爽やかな笑顔を背中に、俺達もご主人の後を追ってホールを後にした。
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