上 下
49 / 104
第一章 出立

第47話 羽ばたきの決意

しおりを挟む
 長い一晩が過ぎた。

 空は昨夜の雨が嘘みたいに雲一つ無い快晴だった。
 何もする気の起きない俺は、荷物――白い鳩の入った鳥籠と花と何かが入った荷袋だ――を持ったメアさんに連れられ後をただ歩いていく。

 街を出た先に辿り着いたそこは、ある女性が気に入っていた場所。
 憩いを身に受け、歌を歌い、そして……最期を迎えた地だ。

「あ……」

 クスノキの前には一つの墓標がある。
 墓には……フィーリの名が記されてあった。

 これは、フィーリの……。

 既にたくさんの花が置かれていた。
 この花たちはフィーリへの感謝。彼女に支えられ、頼ってきた者達からの信頼と敬愛の証だ。
 数々の花で分かる。彼女の葬式でどれだけの人が来てくれたのかを。

 こうして前に立っていると強く感じる。
 悪夢なんかじゃない。本当にフィーリは死んだんだ。

 早過ぎる死。突然に訪れてしまった死。
 不慮の死を被ったフィーリが地面の下で眠ってると思うと胸が締め付けられる。
 干からびてるはずだったのに、やるせない想いが氾濫を起こした。

「っ……ごめん……」

 脚が力を失い、弱々しく俯く。溢れる感情を抑えきれない。
 頬を温かいものが伝い落ち、草地を濡らす。

 どうしようもなく、ただ咽び泣く。
 こんなに誰かの為に泣いた事はない。他人の為にこれほどの涙を流したのは初めてだ。

 ましてや死を悼むなど……っ。

「フィーリちゃんはこの樹が好きだからねえ。お墓はここに建てようってお願いしたの」

 傍らでメアさんが労わるように語りかける。
 その優しさは、ぼろぼろと零れる涙は親しき者に対する当然の感情ものと言ってくれてるような気がした。

「……フィーリちゃんね、とっても綺麗な笑顔をしてたのよ。よっぽどシンジちゃんに看取られて嬉しかったのね」 
「っ……そんなはずは……」

 本当にそうだったのだろうか。

 フィーリが死んでからは一度も顔を見ていない。いや、見れなかったんだ。
 守れなかった命を、大切な者が息を引き取ったのを認めたくなくて……。

 看取られて嬉しかった事には懐疑的だ。実は苦しかったとか、どうしてこんな目に遭わなきゃいけないのかとか、そういった感情が渦巻いてたのでないか。

 今となってはもう確かめられない。
 確かめられないが、メアさんの言ってる事は受け入れ難い。

「俺は……何もしてやれなかった。葬式も出なかったし」
「だから連れて来たのよ。シンジちゃんにお別れを言って欲しくて。フィーリちゃんもきっと望んでるから」

 涙でくしゃくしゃになった顔を上げると、メアさんが笑顔で迎えた。
 大事な人の墓前であっても曇りのない表情だ。



『だからね……ありがとう。私に会ってくれて……』



 記憶からよみがえるフィーリの幻声。死の直前に呟いたそれは安堵があった。
 恐怖や苦痛に克っていて、希望みたいなものを含んでいた。

 ……きっと、メアさんの言葉は本当だ。
 でなきゃあの時の言葉は易々と言えないから。

「ちゃんと、お別れをしましょうね」

 晴れやかな表情に力付けられる。曇りなき優しさが疑心を取り払ってくれる。

 そうだ。フィーリに別れを告げなきゃ。
 哀惜だけでなく、「ありがとう」って感謝も伝えて。


 自分の手で花を置いた後、メアさんが鳥籠の扉を開けて欲しいと促す。
 どういう事か分からず、一応頼まれた通りに開ける。
 解放された鳩は空へ飛び立ち、小さく白い点となって青空の彼方に吸い込まれていった。

「白い鳩はソール様の使いと言われてるわ。亡くなった人の魂を乗せてソール様の元へ送ってもらうのよ」

 姿が消えるまで見届けたメアさんが白鳩を放した意味を話してくれた。
 ソール教の風習らしく、誰かが亡くなった時にはこれをやる。ソール教の風習ってことはパニティア中でやっているのだろう。

 生の終わった魂はソールの居る場所ソランジュではなくイザナグゥへ向かう事を俺は知っている。

 イザナグゥへ向かい、ソランジュに。

 ソールの元に収められたフィーリの魂は、来世はどんな人生を送るのか。
 考えても意味の無い事だが、より良いものになると信じたい。

「そうそう。フィーリちゃんね、貴方に渡したい物があったのよ」
「フィーリが……?」

 鳥籠と一緒に持ってきた荷袋の中から箱らしきものを取り出すメアさん。

「これ……」

 渡された箱を開ける。
 中に収められていたのは――ダガーだった。

 自分が購入したものに比べてやや小さくも凝った造形が素人目でも分かった。
 鏡のような白銀の刃をじっくりと注視する。側面を走る反射光は清流に映るそれと同じ。戦闘用の物でありながら芸術の域に入っている。

 しっかりと鍛え抜かれた姿に目を奪われてしまう。感嘆の息が出そうだ。

「あの子がね、シンジちゃんの為に用意してくれたの。詳しくはないけど、きっと高価な品ね」

 ダガーの傍には一枚の紙が添えられていた。
 手に取り、確認すると――


『宝の持ち腐れって言葉知ってる?
 シンジはそんな事しちゃダメだよ』


 手書きで短い文が書かれている。フィーリの直筆だ。
 なんとも彼女らしいメッセージ。見守ってくれてるような感覚が生まれ、暖かいものが湧いてくる。

「ほら、シンジちゃんが旅に出ると言ってた日があったでしょう?」

 リージュに来て翌日、確かに俺は言った。
 居なくなった大精神達のこと、マーニのこと、イザナグゥのこと……やるべき事があったからだ。

 だが旅に出るには実力が見合わないと判断し、旅に出てはならないとフィーリは真っ向から否定した。
 その後、俺がいない時にメアさんに話していたらしい。

 いつかリージュの外へ行く俺に何かしてあげたい、と。

 ひそかに動いていたんだ。いつか来る出発の時に備えて。

 今なら何となく分かる気がする。
 単独で討伐に赴いていたのはこれを用意する為でもあったんだ。

「それでね、フィーリちゃんのお部屋を片付けている時にこれが出てきたのよ」
「フィーリ……」

 俺なんかの為にここまで……。

 またも湿り気を帯びた目元を拭う。
 いつまでも落ち込んではいられないな……。

 これは持ち腐れにはしない。絶対に使いこなしてみせる。
 そして……俺も腐っているのはやめよう。

「そろそろ行くのね?」
「ああ、近いうちに必ず。いつまでもリージュに留まる事も出来ないし」
「寂しくなるわねえ。レトちゃんも居なくなっちゃったから。私も頑張らなくちゃね」
「あいつは……きっと帰ってくるはずさ……」

 実を言うとレトは家に居なかった。
 葬式の後に姿を消したようで、昨夜俺と会ったのが最後となっている。

 そのうち帰ってくるのかもしれないが、もしかしたらこのまま……。
 フィーリを喪ったレトはリージュを去り、新しい居場所を求めて旅立った可能性もあり得る。なんとなくではあるが。

 会えないと思ったら少しは寂しく感じるな。別れの挨拶をしておくつもりだったが、これじゃ無理か。
 もしどこかでまた会えたら帰るよう言っておこう。
 
 会えたら、な……。

 叶うか分からない、けれど叶って欲しくもある。
 そんな日に淡い期待を込め――再び墓標に立ち向かう。今度は毅然たる態度で。

「ありがとう、フィーリ」

 生き返ったような感覚が全身に巡っている。フィーリのおかげだ。

 涙はもう出し尽くした。
 たくさん悲しんだんだ。なら、それ以上に目一杯生きなきゃな。
 それが生き残っている者の義務だ。

 俺はまだ生きている。心が生きなきゃと言っている。
 生きてる限り自分の役目を果たす。まだ折れるつもりはない。

 近くリージュを去るが、さよならという言葉は敢えて言わないでおく。
 果てしない旅路の先に機会はあるのだから。

 いつか――また。

 全てが終わったらこの地を訪れよう。その時は今より強い自分になって。


「――行ってくるよ」


 墓標に向かって放った言葉は、長き道程を必ずや踏破してみせる誓い。
 約束じみた一時ひとときの別れを、胸の内に固めた決意と共に告げた。





《アイテム》
『シルバーダガー(強化レベル:2)』
 ・特殊な鉱石『オーリス』を加えて作られた銀のダガー。
  通常より攻撃力があり、耐久性が高い。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

魔境に捨てられたけどめげずに生きていきます

ツバキ
ファンタジー
貴族の子供として産まれた主人公、五歳の時の魔力属性検査で魔力属性が無属性だと判明したそれを知った父親は主人公を魔境へ捨ててしまう どんどん更新していきます。 ちょっと、恨み描写などがあるので、R15にしました。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

収納持ちのコレクターは、仲間と幸せに暮らしたい。~スキルがなくて追放された自称「か弱い女の子」の元辺境伯令嬢。実は無自覚チートで世界最強⁉~

SHEILA
ファンタジー
生まれた時から、両親に嫌われていた。 物心ついた時には、毎日両親から暴力を受けていた。 4年後に生まれた妹は、生まれた時から、両親に可愛がられた。 そして、物心ついた妹からも、虐めや暴力を受けるようになった。 現代日本では考えられないような環境で育った私は、ある日妹に殺され、<選択の間>に呼ばれた。 異世界の創造神に、地球の輪廻の輪に戻るか異世界に転生するかを選べると言われ、迷わず転生することを選んだ。 けれど、転生先でも両親に愛されることはなくて…… お読みいただきありがとうございます。 のんびり不定期更新です。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

悪役令嬢は蚊帳の外です。

豆狸
ファンタジー
「グローリア。ここにいるシャンデは隣国ツヴァイリングの王女だ。隣国国王の愛妾殿の娘として生まれたが、王妃によって攫われ我がシュティーア王国の貧民街に捨てられた。侯爵令嬢でなくなった貴様には、これまでのシャンデに対する暴言への不敬罪が……」 「いえ、違います」

処理中です...