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第一章 出立
第39話 黄金の希望、鮮血の絶望
しおりを挟む「フィーリっ!!」
フィーリとレトが視線の先に立っている。幻覚が見え始めたとか恐怖で頭がおかしくなったとかではなく、確実に存在している。
どれだけ目を凝らしても見間違いではなかった。
あぁ、フィーリだ……。
どうして此処へ……でも来てくれたおかげで助かった……!
「チッ! お前はオリジンと一緒に居た女か!」
来訪者の姿を見て舌打ちするロギニ。想定外の事に苛立ちを溢す奴の前に、フィーリ達が立ちはだかる。
英雄のような堂々とした立ち姿。ネメオスライアーを前にしても一切怯まない様相は、冷え切った心胆を温めてくれた。
「キュー……!」
フィーリの足元では、レトが興奮している。ロギニに対して漲らせてるようだ。
あの剣幕は……俺に向けたものとは違う。何か思うところがあったのか?
「つまんねえな。邪魔しやがってよぉ……」
「ねえ、アンタ何者? どうしてモンスターと一緒に居るの? モンスターに指示してシンジを襲うなんて、どういうつもりなの?」
「さあな。なんで答える必要があるんだ?」
変わり映えした外見の人物に、フィーリもまた似たような質問を放つ。
平静だが、ロギニのような人物にモンスターを嗾けて襲ってる状況はフィーリにも異様に見えたはずだ。
「教える気は無いんだね。でも……シンジを傷付けるなら容赦はしないよ。アンタらまとめて片付けてあげる」
これまでに無い変わった状況でも、やる事は変わらない。
脅威に震える弱者を守り、害与える存在を討つ。たったそれだけ。
「おお怖えー怖えー。こいつパラメーターが高いんだったな」
睨みを効かすフィーリに、ロギニはわざとらしく怖がる振りをする。その仕草は見栄を張ってるように見えた。
あの言動……フィーリのパラメーターは確認済みか。
一筋いかない相手なのは知ってるだろうが、それでもロギニは気味の悪いニヤケ面を崩さない。背後にあのモンスターが居たからだ。
「だが……コイツに勝てるかな?」
ロギニの言葉に応じるようにネメオスライアーが起き上がる。静かな唸り声が空気を緊迫に震わせた。
下がるロギニの代わりに迫るグズグズ眸の凶面。アレがまた襲い掛かるのかと思うと、ぞっと寒気を覚えてしまう。
「フィーリっ! 無理だ。アイツ、あの男のせいで強くなってんだ! 勝てる相手じゃないっ!」
「見れば分かるよ。でも此処でどうにかしなくちゃシンジの命が危ない」
「っ……!」
衝動的に張り上げた警告に、フィーリは冷静に、研ぎ澄まされた雰囲気で返す。
まともに勝てる相手ではない事は既にフィーリも悟っていた。
でも、勝ち目が薄くても彼女は戦う。まともに戦えず戦意すら喪失した俺を生き残らせる為に。
巨躯を誇る獅子の妖獣を、青瞳が見据える。
蒼い瞳は一片の汚れが無いように、一片の迷いも恐怖も含んではいなかった。
盾を構えた金糸は討伐者の域を越え、誰かを救う為の――守護者の顔つきになっていた。
「フィーリ……」
何となく、フィーリがあれほどの高いパラメーターを持ち、優秀な討伐者として名声を馳せるだけでなく諸人に慕われてる理由が分かった気がした。
フィーリは、気高い勇気を持った――傑女だ。
パキン、と盾に備え付けられた一対の刃が回転する。
剣刃と化したそれは、意志の具現だ。
「レト、正念場だよ。気を引き締めて掛からないと」
「キュッ」
小さな相棒に気を張らせ、己の体格の何倍もある脅威と向かい合う。
臆さず、フィーリは突撃した。
『グルルアアアアァァァァ――ッ!!』
フィーリとレトと、ネメオスライアーが戦う。互いに命を賭け、相手の命を打ち取ろうと力を振り放つ。
ネメオスライアーは脚払いや噛み付きなど無骨な動きでフィーリを一気に仕留めようとする。対してフィーリは無駄のない動きで体力を温存し、的確に、そして時に大胆にダメージを与える。
戦況は五分五分といったところ。ネメオスライアーは両目が見えなくなっているが、視覚以外の感覚を上手く使ってるのか互角に戦ってみせている。
あの太い前脚に叩かれるか、それとも爪に切り裂かれるか、はたまた牙にかぶり付かれるか。フィーリはどの脅威も躱し、或いは盾で防いだ。
「すげえ……」
固唾を吞み、処理しきれない程の軌跡を、傍らで目に焼き付ける。
これが人と猛獣の、本気の死闘……。
体格の何回りも大きいモンスターを相手にして戦う彼女の背中は、かつて人間が弱かった時代に居た存在達と命の奪い合いをしてきた先人そのものだ。
気合の声を上げ、得物を振るう。それはまさしく鬨を上げ吶喊する者の姿を彷彿とさせる。
一つの神話ともいえる展開が今そこで繰り広げられていた。
そうして戦闘の跡と黒い血飛沫ばかりが激しさを物語る中――豪快な一閃が戦況を変化させた。
纏わり付くレトによって生まれた隙を突き、フィーリがネメオスライアーの片脚を断ち切ってみせたのだ。
『グルアアアアァァァァァァァァ――――ッッッ!!!!』
損傷の痛みを表すような雄叫びが耳朶を響かせる。
それでもネメオスライアーは雨のように血を滴らせ、三本脚となりながらも巨体に詰まった残りの力を振り絞るように暴れる。だが――
「ルクシャー!!」
シャイニングとは違ったモーションを取った光の魔術が、獅子面に炸裂する。
脚を失い思うように動けないネメオスライアーを前に、フィーリはなんと詠唱を唱えたのだ。
前線での詠唱は危険な行為。魔術による攻撃は後方で行うのが通常だ。
あれはスキル『詠唱短縮』の効果とレトのサポートがあってこそ繰り出せた巧みな戦術だ。
「はあぁ――っ!!」
魔術攻撃の直後、退いたネメオスライアーの懐にフィーリが迫る――!!
『グルァアアアアァァァァゥゥ……!!』
舞うような斬撃。ヤツの喉元が回転斬りで薙がれた。
黒い血が豪快に撒き散り、周囲を染めていく。
「なっ!? んだと……!?」
樹を圧し折り力尽きる巨体。その姿を疑視したのは俺もロギニも同じらしい。
危険度の高く、しかもロギニによって強化されたモンスターを倒してみせた光景は、瞼を限界まで剥かせるのに十分だった。
ネメオスライアーは倒れ、残ったのはフィーリとレト。勝利の確信が希望を滲み出させてくれた。
感動、感激、感心。
凄まじい活躍に、それらが入り混じって安堵の声が漏れる。
「はぁ……はぁ……っ」
フィーリの息が……上がっている。手練れであってもネメオスライアーとの戦いは厳しかったらしい。
だが流石はプロというべきか息を整え、次の行動に移る。
ネメオスライアーが息絶えてるかどうか確かめ、死体に成り果てたと分かると――剣先をロギニに向けた。
「どうする? 大人しく捕まった方が身の為だと思うけど?」
「ふん、調子に乗るんじゃねーよ」
強化したネメオスライアーを倒され不満を飛ばすロギニだが、「敗けた」という感情は微塵も浮いていない。そこが妙に引っ掛かった。
白旗を上げないロギニの所へ一歩、フィーリの足が動く――――その時、
彼女の背後で、倒したはずのネメオスライアーが突然起き上がった。
「あ……危ないっ!!」
「っ――!!」
いち早く気づき知らせるもフィーリが気付いた時は既に遅く、長剣のような牙が喰らい付いた。
「くあ……っ!!」
数々のモンスターの攻撃を防いできたシールドソードが、ネメオスライアーに噛み砕かれる。頑強でフィーリを守護し続けてきた盾が、いとも容易くクズ鉄に変えられた。
「フィーリ……!!」
時がゆっくりと流れているように見えた。
フィーリの左腕がまるで手品みたいに消えていて、腕の代わりに……そこから赤い液体が迸る。
それが何であるか思考が答えを得ない。いや……得ないのではなく拒否している。既に解っていたからこそ拒否したのだ。
赤い液体は、血だった。
フィーリの左腕は、得物と一緒にあの凶牙に噛み潰されてしまったのだ。
「あ……あ…………!」
巡り行く場所を失い、断面から噴き上げる鮮血。フィーリも俺も状況を受け入れる事が出来なかった。
腕を失ったフィーリはやがて力無く傾き、ドサリと地面を打つ。
伏臥した姿はほんの少しも動かない。まるで壊れて捨てられた人形だ。
「キュウッ! キュウッ!!」
レトが吠える。だが、フィーリが意識を取り戻す様子はない。
一切反応が無い状態が続くにつれ何もかもが狂ってくる。
眩暈がする。息も苦しい。呼吸の仕方を忘れてしまいそうだ。
「嘘だ……」
深紅の水溜りがフィーリを中心に版図を拡げる。
この状況が冗談だったら良い事か。あの流れている血は幻か何かで、腕も何ともなくて無事だったり……。
だから……お願いだ。
起き上がってくれ。無事だって言ってくれ。元気な姿を見せてくれ。
何事もっ……無かったって言ってくれ……!
「フィーリィィィィィィィィ――――――――ッ!!!!」
信じる事の出来ない現実は、夢や虚構ではないと尚も突き付ける。
絶望に慄く叫喚は、運命の分かれ道を誘った。
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