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第一章 出立

第24話 無月の告白

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「うぅ……」

 チーン、と鐘の音が鳴りそうな薄暗い夕刻の道。満身創痍となった俺は、フィーリに支えられる形で――どこへ向かってるのか知らないが――クエスト案内所を後にした。

 俺はあのトリオとの喧嘩にあっさり負けてしまった。
 それは惨いくらいに刻まれた傷の跡が物語っている。

 懐に入ったところまでは良かったが、即顔面にパンチを送られノックアウト。その後、フィーリと見張りの人が止めるまでボッコボコにされた。

 身体中が痛い。口の中で鉄分の味が広がってる……。

「シンジって、バカなの? アホなの? 怪我人なのに喧嘩フッかけてさあ」
「キュー、キュー」
「うっ……」

 聞くも痛い辛辣な言葉が、傷と痣だらけの身――自業自得だからと、フィーリは治癒の魔術を施すのを断っている――に容赦なく突き刺さる。レトも「そうだそうだ」と言ってる気がする。

 調子こいて喧嘩するんじゃなかった。殴られて、蹴られて、踏まれて、すごい怖かったぞ……慣れない事はするもんじゃないな。

「キュッキュッキュッキュッ」

 ていうかレト笑ってるだろ!? なんだよその鳴き声ぇ!?

「シンジが負けるの、目に見えてた。明らかに弱そうだし、瀕死のエッジボア相手にチキってたし」
「あ、はい……」
「自分より強いモンスター倒したからって自信付いたの? 勘違いしないで」
「はい……」
「自惚れは良くないよ。過ぎた自信は自滅を――」

 もうやめて! とっくにライフポントはゼロよ!

「自分から喧嘩売って……一人で勝てると思ったの?」
「勝て……ないな。今思うと」

 おかしい……強化ブーストが掛かってたと思ったんだけどな。エッジボアはモンスターだから仕方ないとして、ただの人間相手に負けるとかテンプレ的にあり得ない話だ。
 強化ブーストが掛かってなかったのか、それともアイツらが単に強かっただけなのか?

「じゃあ、なんであんな事したの?」

 何故――と、怪訝そうに理由を尋ねてくる。
 問い掛ける彼女の意図がおかしく思えた。

「なんでって……フィーリはムカつかないのか? アイツらはお前をカタウデって呼んだ上に嘲笑ったんだぜ? あんなの……黙っていられるか」

 蔑み、せせら笑う男達の姿。あの光景を思い出すだけで傷付いた身体に熱が宿ってくる。
 
「もう忘れた? 言ったでしょ。腕の事は気にしてないって」
「だけど……!」

 対してフィーリは異常なくらいに淡白だった。
 真に受けちゃダメ、と彼女は念を押す。それでもあの出来事を捨て切れずにいた。

 あまりに酷な言葉を吐き浴びせられて、一番腹立たしく思ってるのはフィーリのはずなのにどうして気にしないで居られるのか理解できなかった。
 わからない……けれど、同時に彼女の芯の強さ、、、、というものを見せつけられた気がした。

「次はあんな事しないで。私は大丈夫だから。いい?」
「……わ、わかったよ。もうしないって」

 蒼い瞳が、横から厳しく見据える。これ以上腕の事で迷惑を掛けまいと負い目を持ったからか、結局は頷いてしまう。
 クエスト案内所での愚行は二度としないと誓うと、彼女は――よしっ、と相好を崩した。

 石畳を踏み弾く音と微かな人声が、頼りなくも響く……。
 腫れて狭い視界に映るフィーリはあれから何も言わず、夜の帳が下りた空をずっと仰いでいる。彼女なりに何か思う事があったようだ。

「…………ありがとね、シンジ」

 夕闇に冷めゆく空気を振るわせる儚いが聞こえた気がしたが、それは肌を撫でる風に乗って行った。



「――ここが、私達の住んでる家」

 夜闇の深まった道に足を止め、フィーリが言う。
 目の前には、周囲の民家と変わらぬ一軒家が建っていた。

「これが……」
 
 家は大きくないが、フィーリのような若い女の人が持つには少々リッチな気もする。
 額の少ないクエストをよくやってると言うが、あのトリオと張り合ってるんだからフィーリも優秀な討伐者で家を持つ程の金はあるのかも……。

「せっかく来たんだからさ、今日は泊まっていきなよ」
「えっ! マジで!?」

 面喰らい、本当に泊まってもいいのか聞くと、フィーリは快く顎を縦に振ってくれた。
 所持金があるし宿屋に泊まる手もあったが、金銭を得る手段に乏しい今の状態ではすぐに無一文になってしまう。
 寝泊まりする場所は重要だし、どうしようかと頭の片隅で心配してたから彼女の誘いは大変有難い。

 だが、それはそれで問題が有る。若い女が同世代の男を家に連れてきて、家族に勘違いされないだろうか?
 しかも連れてきた男は、ボコボコの身の全身キズ人間。何があったのか――と、大いに不安を抱くこと間違い無しだ。宿泊を断られる可能性だってある。

「ただいまー」

 有難さと不安が入り混じる俺とは逆に、フィーリはそんな事は微塵も考えてないのか、あっさりと戸を開け放った。

「フィーリちゃん、レトちゃん、おかえりー」

 奥から、丸っこい体型の女性が姿を見せ、ぱあっと顔を輝かせる。
 あの人はフィーリの母親か? それにしちゃ似てないが……。

「今日は遅かったのね。リンヴィーちゃんが心、配……きゃあぁぁぁぁっ! なにそのお化けえぇ!?」

 帰宅したフィーリ達を迎えるが、俺を見るなり悲鳴を上げ尻餅をついてしまった。
 人の顔見てお化け呼ばわりとは失礼だな、このおばさん。ちょっと傷付いたぞ。

「お化けじゃないよ、メアさん。この子はシンジ。遠い所から旅してきたんだって」
「そ、そうなの……?」
「うん。それで雨風を凌げる所に困っててね、奥の空いてる部屋使わせてもいいかな? 私がちゃんと責任持つから。シンジが悪い事しないようレトがいつも見張ってくれるし」
「ファッ!?」

 げげぇっ! こいつが四六時中監視するのかよ! それはちょ……はっ!

「キュオォ……ッ」

 いやあぁぁぁぁ! こいつ悪い顔してるうぅぅぅぅ! 「仕方ないから見張ってやるが、イジメ覚悟しとけよ?」的な顔ォ!

「ちょっ、待――」
「キュッ!」
「おぶぁ!?」

 異議を唱える前に、ふさふさした闇が視界全面を襲う。レトが跳び、顔面にしがみ付いてきたからだ。
 ま、前が見えねえ! というか無駄に毛が気持ち良いな!

「ほら、レトも任せてって張り切ってる」
違うひがふっ!」

 違うぞフィーリ! それ翻訳間違えてるから!

「そこまで言うなら、い、良いよ……」

 レトを剥がす前に、ドキッともしない同居生活が勝手に約束されてしまった。
 マジかよ……。

「どうかした?」
「いや、なんでもない……」

 常に見張られるのはちょっと嫌だが、うーむ……贅沢な宿屋暮らしはともかく、野宿するよりはマシだからなあ。
 泊まっていいとフィーリが言ってくれたんだ。せっかくの厚意に甘んじて受け入れよう。

「シンジ、この人はメアさん。私に住む部屋を貸してくれてる優しい人なの」

 まだ地面に尻スタンプしたままの女性を、フィーリが紹介してくれた。
 似てないと思ったらそういう事か。ということはフィーリは居候か。実家を離れて暮らしてんのかな?

「ほら、挨拶は?」
「あ、ああっ、シンジです。今日はお世話になります。どうも……」

 お世話になるメアさんに頭を下げながらも、脳裏はある事を過らせている。

 フィーリは……何処の生まれで、家族はどうしているのか、と。



「そういえばさっき言いかけた話何だったの? リンヴィーに何かあったの?」
「リンヴィーちゃんね、急に遠出する事になったのよ。それで行く前にフィーリちゃんに会いたくて挨拶に来たの」
「へえーっ、遠出かあ」
「しばらく帰れないって言ってたわ。タイミングが悪かったわねえ」
「どこへ行くんだろ? お土産期待しちゃおうかな」

 家の中は、強く燐光する石――ソーラダイトと言う。太陽光に当てると光を蓄えるんだそう――を照明に、良い匂いが漂っていた。

「ご飯作り過ぎちゃったから、シンジちゃんが来てくれて良かったわ」
「シンジちゃん?」

 最初は不審がっていたメアさんだったが、今はホームステイ先の母親みたいに温かく迎えてくれている。俺をお化けなんて呼んでたけど、悪い人じゃなさそうだ。

「シンジちゃんは男の子だから多く盛っておいたわ。いっぱい食べてね」

 目の前に、メアさんの作った料理が配られる。スライスしたパンと野菜のスープみたいだが美味そうだ。トールキンに来てまだ何も食べてないからより美味しそうに見える。

「いただきま――」
「はい、ちょーっと待った」

 異世界に来て初めての料理を口にしようとした時、フィーリの手が遮った。

「え……なに?」
「その前にお祈りしないと」
「?」

 お祈り……? 何を祈るんだ?

 お預けを喰らわせてきたフィーリは、静かに目を瞑る。彼女の隣に座ったばかりのメアさんも両手を組んで同様に目を閉じた。

 まだ状況が呑み込めない。今から何が始まるんだ……?

「――天におられるソール様。今日こんにちの食事に貴方の祝福あれ。
 貴方の照らす光は糧となり、我が心と血肉になります。
 貴方の深い慈しみに感謝し、このお恵みをいただきます」

 あっ、お祈りって食前の祈りの事かあ。そういうの見たことあるある。
 確かフィーリはソール教に入信してるって聞いたな。ソール教の信者は食事の前に祈りをするのか。

 光は確かに大事な要素だが、食事の度に感謝されるとは……ソールめ、創世主の俺を差し置いて信心深い信者を持ってやがる。

「女神ソールの御名に誓って。光よ、まことにルーメン
光よ、まことにルーメン

 最後に短い言葉を唱え合うと、二人は親指を動かす。その仕草は字を書いてるように見えた。

「さっ、ご飯を食べて明日に備えましょう」

 食前の祈りが終わったらしく、メアさんがにっこりと微笑む。
 三人と一匹で囲む食卓は、すっかり一人で食べる毎日に慣れていた自分には却って新鮮だった。
 そのせいか、メアさんが作ってくれた料理は俺が作るのよりも何十倍も美味かった。



 貸し与えられた部屋は俺の部屋よりも狭かったが、居候の身としては十分それで良かった。

 俺は用意されたベッドの上でごろり。見張りのレトも床で休んでいる。
 枕元の近くにある小さな窓の外には、わずかに灯りの点った街の姿が広がっていて、その上を黒い天井が占めていた。

 月は……見えない。マーニは今頃どうしてるかな……。

「はぁ……」

 長かった一日目がようやく終わる……。

 俺の異世界冒険譚の一日目は、絶好調とは言えなかった。
 空から落ちて、モンスターに襲われて、チンピラにボコられて……散々な目に遭った。
 
 決して悪い事ばかりじゃないけど……助けられて、街に案内してもらって、お金を貰って、住む部屋も与えられて……借りを作ってばかりだ。
 本来なら俺はチート能力を使って、女の子や困った人を助けて皆から頼られる人になっているはずなんだ。

(このままじゃ、ダメだな……)

 動かなければ、と。
 何か俺に出来る事をやって、フィーリ達に恩を返したい。俺の力で報いたい。

 でも、返す手段が頭に浮かばなくてもどかしく……時間がただ過ぎていく。


 そんな時――コツ、コツ、コツ、と。
 ドアをノックする音が訪れた。

『シンジ、起きてる?』

 向こうに佇む気配の主は、フィーリだ。

「フィーリ?」

 時刻は夜に入ってから何時間も経っている。こんな夜更けに何の用だ……?
 何事かと首を傾げつつドアを開けると、部屋着の姿のフィーリが顔を覗かせた。

「あっ、よかった。まだ寝てなくて」
「――っ」
「? どうしたの? 固まってさ」
「な、何でもない……っ。気のせいだ」

 正直、動揺している。フィーリが部屋を尋ねて来たのもあるけど、何よりは彼女の格好だ。
 昼間と違って今着ているものは生地が薄めで身体のラインがよく出ている。鎖骨や胸元は、より露出して色っぽい。

「あのさ、少し話してもいいかな?」
「あ、ああ……」

 胸の鼓動が早い。こんな姿の女が部屋に入ってきたら……どうにかなっちまいそうだ!

「キャウッ!」
「あだぁーっ!」

 よこしま思考ものをレトに察知され、尻を噛まれてしまった……。


 ――――で、


「「…………」」

 ベッドの上で隣同士。俺達二人は静かに腰掛けていた。
 広くない一人分のスペースは、もう一人追加された事で密度が上昇。お互いの肩は今にも触れそうなくらい距離を詰めている。

 部屋の中はほぼ無音。衣擦れとレトの欠伸する声しか出ていない。

 そんな妙な状況の中、俺は……僕は……私は……面接をやってる時の、きれえぇ~ぃな姿勢のままカチンコチンに固まっていた。

 な……なんだ!? なんなんだ、この雰囲気は……!?

 まるで付き合ってる男女カップルのようではあーりませんか!? まさかこういうイベントが来るとか全然予想出来なかったぞ!
 夢のまた夢と思っていたムードの突然な来訪に、興奮がエマージェンシーだ!
 
 コンディションレッド発令! コンディションレッド発令! パイロットは搭乗機にて待機せよ!

 違う! そうじゃなくて、ど、どどどうする!? 俺はどうすればいい!?
 今まで一人暮らしだったし、普段ろくに人と会話してないからこういう時どんな話をすれば良いのかわからないっ!
 しかも相手は同世代の女! 異性! ひっじょおぉぉぉーに気まずいっ!

 隣を見れば、ソーラダイトの弱まった蓄光が、稲穂のような金糸を、きめ細かい肌を、瑞々しい唇を、艶めかしく映している。フィーリってこんなエロかったか……!?

 この状況はヤバい! 「押し倒せ」とか「ヤッちまえよ」って遠慮のないコメントがたくさん流れてくるぞ……!

「ベッドの使い心地はどう?」
「べべべベッドォ!?」

 ベッドでななななナニをどどどどどうする気だ!?

「……?」
「あっ、あぁ! はいはい、心地ね! 大丈夫! ふっかふか! レトの毛なんかカスなくらい良いよぉ!」
「キュッ!」
「いででででっ!」

 今度は足を噛まれたぁ……!
 痛いが、空気に耐えられないこの時は逆に良いかもしれない。先に言っておくが俺はマゾじゃないぞ。

「だ、大丈夫? さっきから顔が赤いけど……」

 妙に落ち着きの無い言動に訝しいものを感じているフィーリ。意外とこういう空気には鈍感なのかもしれない。
 鈍くて幸いだが、それが彼女の恋愛対象タイプに入ってないように思えて少し悲しい。対等な男性としては見られてなくて、弟のような存在に見えてるのかもしれん……。

「大丈夫さっ。そ、そういえば月が出てないなぁー。かなり暗いなー。あはは、はは……」

 異性とのコミュ力の低さのせいで慣れない空気を変える為、適当に思いついた話題を口にする。あーもー、やべーよ死にてーよ。逃げた~い……。

「月……あぁ、月なんて出てないよ。ずっと前から」
「へ?」

 適当に振った話題から返ってきたそれは、ただ苦手だった空気をあっという間に変える。

 月が出ていない……? ずっと、だって……?

「シンジが言ってるのって、夜になると出てくる大きな星の事でしょ? それなら何十年も前から出てないから。私も街のお爺ちゃんやお婆ちゃんしか話を聞いた事がないなー」
「へ、へえ、そうなのか……」
「【月隠し】って言ってね。当時は凄い騒ぎだったらしいよ。天変地異の前触れとも言われてたんだって」

 へえボタ●が現存するなら、二十回押したくなる新事実だ。
 何十年も月が……これを起こせる者はマーニの他にいない。あいつは何処で何をしてるんだ……?

「ところでさ――」
「ぅわ……っ! な、なにっ?」

 マーニの安否を気にしていた時、すぐ隣から澄んだ声音が耳朶を撫でてきた。
 油断を晒していた分、声が情けなく上擦ってしまう。

 ところで、とは何だ? 次は何を聞くんだ……?

「私の右腕――――触ってみる?」
「!?」

 月の一切出ていない闇夜の下、フィーリの唇から漏れ出たその言葉は再び驚愕を誘ってくれた。

 右腕……を……!?

 思考が混乱を起こしている。その意味に理解が遅れるほどに。
 やっと反応できたのは、どのくらいの時間が過ぎた頃だろう。フィーリの様子からするとあまり経ってないようだ。

「さ、触ってみるって……急に、どゆこと?」
「シンジにこの腕がどーんな感じか確かめてもらおうと思ってね。どう?」

 動揺から抜け出ていない俺とは対照的に彼女は淡々と語り、件の右腕を前に出してきた。

「ぁ…………」

 手は無く……肘の辺りで丸くなったすがたが、ソーラダイトの薄い光で結んでいる。

 視線を逸らしたかった。痛々しいその腕をいつまでも目に入れたくはなかった。
 けれど、そうするとフィーリが悲しみそうで、焼き付かせる他の手段が容易く閃くはずもない。

「こんなの……本当は無理をしてるんじゃないか? 辛いなら無理に見せなくてもいいんだぞ?」
「無理なんてしてないよ。シンジだから良いと思ってる」

 圧さえ感じる状況に耐えかねて、いつまでも右腕を見せたくはないだろうと思って聞いてみたが、彼女はきっぱりと返す。

(俺だから……?)

 気になる事はあったが、ほら――と、フィーリがなおも右腕を近付ける。
 拒否は……できず。拒める者がいたら、そいつは人間としてどうかしてる。

「じゃ、じゃあ……」

 とうとう観念し、彼女の右腕に触れてみることとなった。
 手を伸ばし、恐る恐る……けれど、フィーリの心を傷付けないよう出来るだけ自然に振る舞いながら触れた。

 指を這わせ、右腕の具合を確かめる。
 腕限定とはいえ、女の子の身体をまともに触ったのは初めてだ……。
 肌がすべすべしている。筋肉の発達した左腕と違って柔らかい。

 手汗は出てないよな? 汗ばんで嫌がられたりはしてないよな……?

「指先でちょこちょこしてないで手の平でしっかり触りなよ。肩の近くじゃなくてもっと先も」
「は、はひっ、わかりまひた……」

 キモい言い方になってる自分に羞恥を覚え、でも気を取り直して腕の先端の部分、、、、、を触ってみる。
 
 こ、これが……隻腕の人の腕の……先……。
 在るはずの部位ものが無いのはちょっと痛々しいけど……不思議な感覚だ。

「ん……」

 わっ、今の声エッロい……!

「ご、ごめんっ、痛かったか?」
「痛くないよ。くすぐったかっただけ」

 艶めかしい息に反射的に手を離したが……「続けて」と、彼女は手を離すのを良しとしなかった。

 それから……結局。ぎこちない手つきは最後まで改善できないまま、手触りタイムは終わった。
 触られて実は気持ち悪がっているのではないか? と思ったが、余計な心配だったようだ。

「……この腕ね、生まれた時からこうだったんだ」

 フィーリは自身の右腕に蒼い視線を落とし、やがて腕の経緯を明かしてくれた。

 隻腕は生まれつきか……事故で失くしたんじゃないんだ……。


「私ね――――実は孤児なの」


 フィーリが、孤児――?

「孤児って……え……じゃ、じゃあ、フィーリの親は……お前を……?」

 それは衝撃的と例えるには十分過ぎて面食らってしまう。
 返す言葉もたどたどしく、綺麗に繋がらない。

「シンジの思ってる通りで合ってるよ。すぐに捨てられちゃったみたい。育てたく……ないよね。腕が片方しか無い子供なんて……」

 遠い目で、フィーリは天井を仰ぐ。
 その時の……青空を映した瞳が、悲しげに見えた気がした。

(違……う……)

 音にならない声が、否定を主張する。

 何らかの障害を抱えても愛情を注ぐ人間だっている。
 そんな事はない、と言いたかったけど……それが余計に思えて、口に出す勇気が出なかった。

「育った孤児院ではね、腕の事でいつも不気味がられた。よく苛められたりもした。悲しく悔しくて……私は世界を憎んだ。こんな身体にしたを恨んだ」

 声が……わずかに震えている。

「神様って酷いと思わない? 私をこんな姿にしてさ」
「…………」
「でも……もしかしたら何も悪くないのかも。実は私の前世がどうしようもない悪人だったりして……なーんてね」

 フィーリの怨嗟は重く、当然の悲憤慷慨だ。
 その感情の向かうあいてが自分である故に、途轍もない重圧を感じる。

「ある日ね、苛めっ子に仕返しをしてやったの。やり過ぎてね、もう自分に居場所は無いと思って出て行った。それからは――」
「何でもやった?」
「うん……生きる為にね。盗みや暴力とか」
「まさか、人殺しも……?」
「さすがに殺しまでは……相手が死んでいなければの話だけど」

 憧憬さえ抱いていたフィーリのイメージが、音を上げてひび割れていく。知らなかった方が良かったという後悔も何処かに存在してるらしい。

 自分を助けてくれて、モンスターを討ち破る強さがあって、街の人達と信頼を築いて、こんなにも……金糸の似合う爽やかな相貌なのに、金糸の無垢さが似合わないほど彼女の過去が悲惨に思えた。

 フィーリが、そんな事を……っ。

 現在いまの彼女を見ても、そんな姿は想像できない。
 生きる為に罪を重ねて……何もかもが正反対だったフィーリの過去は、自堕落に生き続けた現実世界に居た頃これまでの俺ともひどく違っていた。

「私が十六歳の頃だったかなー」

 重苦しいフィーリの回想も、やがて転機が訪れる。フィーリがソール教の教会の近くを通った時の出来事らしい。

「ソール様の偶像を見てたらムカムカしてきて、石を思いっきり投げつけてやったんだ」

 鼻に当たってもげちゃってさあ……と、当時の記憶を面白げに語るが、目は笑っていない。

「そしたらさ、夢の中にソール様が現れて……」
「ソールにっ……ソール様に会ったのか!?」
「うん、信じられないだろうけどね。で、ソール様にこっぴどく怒られちゃったの。石を投げるなんて罰当たりな事はするもんじゃないなあ」

 ただの夢かも、とフィーリはその可能性も捨て切れないようだ。
 だからフィーリは尋ねる。

「この話、シンジは嘘って思わないの?」
「んー、嘘付いてるようには見えないかな……」

 神様、、に会ったなんて話、普通じゃ信じる方が難しい。けど創世主オリジンの俺には、彼女の話が嘘じゃないと思えた。

「そっか……ありがと」

 ソールがフィーリに……あいつは真面目な性格だからなぁ。フィーリの行為が目に余って……でも大精神がたった一人の為にわざわざ来るか? 自分の偶像に石を投げ当てられたのがよっぽど許せなかったのか?

「それからは足を洗ってぱぱぱーっと真人間になったの。かなり苦労したけどね」
「大変、だったんだな……」
「あったりまえじゃん。苦労したって今言ったばかりでしょ? 人が自分を変えるのって楽な事じゃあないんだから」
「うっ……はい……」

 ニヤつき、フィーリが指で頬を突いてくる。上手く言い返せない今はこうしてくれる方が空気的に有難い。

「……だから、ね」

 けれど、それも長くは続かず。沈黙を挟んで――フィーリは告げた。

「私は――――本当は、皆に慕われるような人間じゃないんだ。尽くしてるのは傷付けるだけだった人生を償う為、全ては自分の罪を贖う為に動いてるの」

 夜の静けさが手伝ったのか、月の無い夜空を見上げる彼女の懺悔が奇妙にも深く、浸透するように響いた。
 はからずも目の当たりにしてしまったフィーリの意外な一面。灯光あかりのように心強かったはずの存在は――本当は頼りなく、実に脆弱なものであると思い知らされた。

「…………」

 だんだんと伏せがちになった目は、何も答えられない事を証明している。そもそもこんな、、、自分が他人の過去きずに何をしてやれるのか?

 触れるのが怖く……だが、その代わりという程でもないが、聞きたい事はあった。

「フィーリは……なんで俺にその話を……?」
「さあ。でもどうしてかシンジには知って欲しかったんだ。私のこと」

 あまり理由になってない気がする。普通、今日会ったばかりの男に自分の身の内話を……それも聞くに心苦しい過去を打ち明けたくなるか……?

 なんだか、腑に落ちないな。別の意図があるように感じてしまう。そうする意味があるのか? と問われれば答えられないが。

「シンジは……明日からどうするの?」
「明日から、かぁ。特に予定は……無いかな」

 一応あるにはあるんだが、どうしたらいいかわからない。「大きな戦争は起こってない」ってフィーリの証言があるんじゃ目指す当てが無い。
 せめて大精神のいずれかに会えば助かるんだが……。

「そうなんだ。じゃあさ、しばらくこの家に居なよ」
「ここに居続けてもいいのか?」
「シンジの居たいだけ居ても良いよ。メアさんには既に話してあるから」

 異世界に来たばかりの俺を泊めてくれるだけでなく、この家に居続けてもいいとは……。
 何かお返しを……と、さっき考えていたばかりに申し訳なく、そしてこそばゆい温かさが込み上げる。

「悪いな。何から何まで……」
「気にしないで。私がそうしたかっただけだから。たーだーしっ、この家に居る間はちゃんと働いてもらうから。クエスト報酬で稼ぐとか、メアさんのお手伝いでも良いよ」
「わかったよ。それくらいお安い御用だ」

 食事や住む部屋を提供してくれたんだ。労働や手伝いくらいやってやろう。

「それじゃあ、もう遅いから……」

 話したい事を全て出し切ったのか、ベッドに下していた腰を上げるフィーリ。
 あっという間だった。内容が内容なだけに何時間も過ぎたような気がする。

 自分の部屋へ戻ろうとするフィーリだったが、出ていく直前、その身が止まる。
 視線が合った。

「おやすみ、シンジ」
「ああ、おやすみ」

 最後にそれだけを交わし、フィーリはふっと笑顔を見せて部屋を出て行った。
 足音が遠のき、無言の静けさが舞い戻る。

「…………」

 俺はもう一度ベッドに身を預け、静かに自分の手を見つめる。この手には、隻腕に触れたあの感覚が今も残っていた。

 ――私は世界を憎んだ。こんな身体にしたを恨んだ。

 フィーリの告げた言葉が、明かしてくれた過去と共に残留し、反響している。

 世界を憎み、を恨んで……。

 苦しみ……でも……それでも前を向いて生きている人間がいるのに、俺は……トールキンの管理をソール達に任せっきりにして、最後は放棄した。
 凄まじい彼女の過去と比べて、己が情けなく見える。この世界では偉大であるべき存在じぶんが矮小に見えてしまう。

「神様失格だな……」

 呟きは、ソーラダイトの消えそうな光みたく頼りなく、夜闇へ溶けていく。
 もう考えるのは止めにして、そろそろ寝ようと寝返った時、床でうつ伏せていたレトが片耳を立てているのを見た。
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 ヴァランタイン帝国の片田舎ダウスター領に最下階位の平民の次男として生まれたリクト。  しかし、両親は悩んだ。次男であるリクトには成人しても継ぐ土地がない。  このままではこの子の未来は暗いものになってしまうだろう。  そう思った両親は幼少の頃よりリクトにを鍛え上げる事にした。  父は家の蔵にあったボロボロの指南書を元に剣術を、母は露店に売っていた怪しげな魔導書を元に魔法を教えた。    それから10年の時が経ち、リクトは成人となる15歳を迎えた。  両親の危惧した通り、継ぐ土地のないリクトは食い扶持を稼ぐために、地元の領軍に入隊試験を受けると、両親譲りの剣術と魔法のおかげで最下階級の二等兵として無事に入隊する事ができた。  軍と言っても、のどかな田舎の軍。  リクトは退役するまで地元でのんびり過ごそうと考えていたが、入隊2日目の朝に隣領との戦争が勃発してしまう。  おまけに上官から剣の腕を妬まれて、単独任務を任されてしまった。  その任務の最中、リクトは平民に対する貴族の専横を目の当たりにする。  生まれながらの体制に甘える貴族社会に嫌気が差したリクトは軍人として出世して貴族の専横に対抗する力を得ようと立身出世の道を歩むのだった。    剣と魔法のファンタジー世界で軍人という異色作品をお楽しみください。

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こう7
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