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07 バラバラの五線譜を抱き締めて ⑨
しおりを挟む「あの言葉に、ウソはない。今でも、変わらずそう思ってる……いや、もうずっと、ウツミは俺にとってかけがえのない音だと思ってる」
『じゃあ、アスカは?』
唐突に切り込まれたその言葉に、呼吸が止まった。
『アイツの音は、ルカにとって……かけがえのない音じゃ、なかった?』
ああ、そうか。
そんなに、カンタンなことだったんだ。ただ、自分に認めてやるだけで、よかった。
大切なものは、たった一つじゃなくても、いいんだってことを。
「……解決した」
『それは、よかった』
心なしか弾んだ声が電話の向こうから聞こえてきて、意外とウツミって分かりやすいよなと、つられて少し笑ってしまった。
「ありがと、ウツミ。なんか、バカみたいな遠回りしてた」
『バカみたいな悩みなんて、ない。きっと、全部に意味がある……いつか、そう思えたらいい』
ウツミの言う通り、今この瞬間に交わしている会話そのものにも、きっと意味があるんだろう。
「それじゃあ、まずは一つ、きっちり解決してくる。そう言えば、いまどこ?」
『この時間は、いつも同じ。事務所のレッスンルーム……誰も来ないから、退屈してた』
「まさかお前、毎日いたのっ?」
『……ん』
当然、とでも言うような声で返されて、俺はますますウツミの意外な一面を見た気がして、ちょっと思考が追いつかなかった。
『……俺は、とっくの昔に救われてる。だからもう、揺るがない。俺は、人を救えないけど……いつでも、ここにいる。だから、帰る場所は絶対にある。安心していい』
ポツポツと紡がれた言葉に、胸が熱くなるのを感じた。背中を預けられるって、こういうことなのかもしれない。
「分かった。待ってて」
『ん、待ってる』
沈黙した電話を握りしめて、俺は歩き出した。もう、迷いはない。
成すべきことを、成せ。帰りを待ってくれている、大切な人がいるから。
元来た道をまっすぐに戻って、ドアを開けると、悠々とした笑みでマサムネが出迎えた。
「もう、待ちくたびれちゃったわ」
「……あなたはもう、待たなくていい」
「えっ……?」
何を言っているのか分からないという表情を見下ろしながら、俺はやっぱり自分が冷たい人間であることを自覚した。いざ決断したら、この人を切り捨てることに何の躊躇いもなかった。
「あなたの音は、いらない」
端的な俺の言葉に、彼女の頬が怒りで紅くなるどころか青くなった。
「それは、どういうことかしら……?」
それでも冷静さを取り繕った言葉に、俺は首を横に振った。
「言葉通りの意味。あなたは俺のバンドに必要ないから、帰って。返事を待たせたのは、ごめん。まあ、社長のオーケー出てたわけじゃないから、正式な話でもないし良いでしょ」
「っ、私を選ばない意味が分からない!私は『Masamune』名義で顔出しするから、こっちのネームも使えるし……あなた達にとってデメリットなんて何もないでしょ?あの実績も何もない、私ほどの実力もない女の子より、ずっと価値があるっ」
ヒステリックに叫ぶ彼女が、少しだけ悲しかった。
この人の音楽を測る基準は世界にとっての『価値』なんだろう。それは間違ったことじゃない、というよりむしろ正しい。だけど、それはきっと永遠に俺と分かり合えないことの、証明みたいなものでもあった。
「確かにあなたのギターは素晴らしいと思う。日本の音楽史には、間違いなく残ると思う。でも俺が必要としてるのは、神様じゃないんだ。カンペキに完成した音は、要らない。俺は、どこまでも人間のアイツを選ぶよ……アスカは、代替可能なパーツなんかじゃないから」
俺が見失おうとしていたもの。俺が目指していた、信じていた、音楽。
それは世界に理解される音楽なんて大それたものじゃなくて、もっとずっと個人的でちっぽけなもので。それでも俺にとっては、かけがえのない音。
「そんな、ことで?」
意味が分からないと、途方にくれたような顔で立ち尽くす彼女に、俺は丁寧に言葉を紡いだ。
「俺にとっては、何よりも大事なことだから……だから、ごめん。さよなら」
そうして背を向けた俺に、ポツリと、呟くような問いが投げられた。
「どうして、神様じゃ、ダメなのよ……」
そんなの、決まってる。
「Leniが、どこまでも人間だったから」
*
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