SING!!

雪白楽

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06 この楽譜に、続きはないから ③

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 *

 ついさっきまで、ツアー初日のライブの熱狂の中にいたはずなのに、指先まで凍えそうなほどに重く冷たい空気が部屋を支配していた。

「なんや、アスカちゃん気付いてたん?」
「スガさんの『開かずの間』見ちゃったんです」

「……上にあがって来ちゃダメ言うたやん?あぁ、俺が寝てた時か。俺、眠りは浅い方やと思ってたんやけど。ごめんな、自業自得だわぁ」

 へらへらと笑うスガさんに、血管がドクリと脈打つのを感じる。ダメだ、この人相手に絶対アツくなるな。そもそもスガさんは一言も嘘を吐いたり、不誠実なことをしたわけじゃない。ただ、今まで必要じゃなかったから、言わなかっただけだ。

 時間を稼げ。ルカ達が方針を考える時間を……出来ることなら、引き止める時間を。

「『I-kis-0』って『Yosikiヨシキ』からYだけ抜いて後ろから読んでるんですよね」
「へえ、そこも気付いたん?そそ、お兄さんの洒落た言葉遊びってやつ」
「スガさん、自分の本名と関係ない名前は『自分』って感じしないって、言ってましたから」

 私の言葉に、一瞬だけ真顔になったスガさんは、怒ってるのか悲しいのか分からないような表情を浮かべた。

「……ヘンなとこ覚えとるな、本当」

 呟くように落とされた言葉は、変わってしまった『何か』を悼んでいるようにも見えて、それでもそれはスガさんに『変わらないでいて欲しい』と願う私の幻想でしかなかったのかもしれない。

「とにかく、分かってるんなら話が早いわ。もうな『I-kis-0』の作曲の方で忙しいねん。こっちの方に集中できなくて、中途半端な事するくらいやったら、さっぱりやめた方がお互いのためやなと思って。ツアー初日になんか言いたくなかったけど、こういうのは早い方がええやろ」

 淡々と言葉を並べるスガさんに、どうすればいいのか分からない。オロオロと助けを求めてルカの方を見れば、ルカは冷たい表情で黙り込んでいた。

「別に、好きにすればいい」
「ウツミさんっ?」

 私が信じられない思いで振り返ると、別にウツミさんは投げやりでも怒っているわけでもなく、ただ真剣にスガさんを見つめていた。

「ここは『Ruka』の音楽を演奏したい人間が、好きで集まってる場所。やりたいと思ってない人間を、ムリに引き止める必要、ない」
「っ……」

 ウツミさんの言葉に、スガさんの表情が少しだけ強張ったように感じた。それでも、何の言い訳も、人を傷付けるような言葉も口にすることなく、静かに彼は背を向けた。

「……どことの契約」

 それまで一言も喋らなかったルカが、温度のない声で問いかけた。

「契約の事なんて、ホイホイ喋るほどアホやない……少なくとも、もう的場まとば社長に世話んなることはないやろな。まあ、あの人もアッサリ手放してくれるつもりはないみたいやけど」

(いや、ホイホイ喋っちゃってますよ、スガさん……)

 とりあえず、すぐにスガさんが事務所を辞めてしまう心配はなさそうだ。書類の上でのつながりがあるなら、希望はいくらでもある……問題は、スガさんが本心ではどう思っているのか、だけ。

「今回のツアーは最後まで弾いて。それさえ終われば、文句は言わない」
「……そういう契約やから、仕事は最後までキッチリやらせてもらうで。んじゃ、今日はこれで」


 ガチャリ

 ただ、ドアの閉まる音が、こんなにも冷たく無機質に感じたのは初めてだった。

 さっきまでとは比べものにならない、完全な無音が部屋に満ちる。それぞれが、一人の欠けた空間から目を逸らそうとして、視線がなんとなく交わって。

「……帰ろう」

 静かにウツミさんが呟いて、私達はノロノロと帰り支度を始めた。自分の身体が、自分のものじゃないみたいな感じがした。

 ルカ達は、スガさんのことをどう思ったんだろう……そう自分に問いかけながら、答えは何となく分かっているような気がした。

 きっと、ウツミさんの言ったことが全てなんだ。それが、ミュージシャンとして『正しい』答えなんだってことは分かってる。分かっているけど……心は納得できるはずがなかった。それなのに、スガさんを引き止める言葉を何一つ持たない自分が、どうしようもなく悲しくて。

 それだけ彼の……『アイキス』の音楽が、人生をける理由としては十二分すぎるくらいにすごいものだって、知っていたから。クレジットに名前が載るだけのベーシストと、日本の音楽史に名前を残すかもしれない作曲家としての道と、天秤にかけたら選ぶべきなのがどっちか、なんて私にでも分かること。

 そんな音楽を捨てて欲しい、なんて、仮にもミュージシャンの端くれとして言えるはずもなかった。


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