23 / 43
05 それでも、歌い続けるということ ⑤
しおりを挟む「俺と社長との契約はシンプル。彼が事務所の社長であり続ける限り、俺はこの声を提供する。その代わり、最速のデビューと、使うミュージシャンを自分で選ぶ権利が俺に与えられた。その日からずっと俺は『Ruka』……でも、それももう、終わりかもね」
ずいぶん、長いこと喋っていた気がする。それでも、俺の人生の全てを語るのに、たったこれだけの時間で終わってしまうことが少しだけ寂しかった。
「それ、は……レニさんが、もういないから?」
黙って俺の話を聞いてくれていたアスカが、必死に言葉を探してることには気付いてた。なんというか、相変わらず憎めないコアラだよなと思う。子どもの時から音楽業界に入るなんて、俺とかスガさんみたいにスレてくのが普通だと思うんだけど。
俺は彼女の顔を見ながら、なんとなく詰まっていた呼吸がほどけるような気がした。小さく息を吐き出しながら、首を横に振る。
「レニが死んだから、っていうのはもちろんあるけど……それだって本当は二年前の話なんだよね。ずっと、社長ですら騙してた……『Leni』が当たり前に存在してるみたいに」
まぁ、あの人はレニがもういないことには気付いてるんだろうけど。
とにかく、そういうのとは関係ない、俺の問題。
「気付いてるでしょ。俺、一年前に声変わりしてるんだよ」
「っ……」
それはきっと、他でもない『Ruka』の声を愛してくれているアスカが、気付かないように目を背けていたはずの事実。
「幸か不幸か、あんまり声は低くなってないけど、中途半端に高い声のせいで往生際悪く『音楽』をやめられないんだよね。それでも、俺はもう、レニが愛してくれた俺じゃない」
音が、俺の中から一つずつ消えていく。どんどん喉が苦しくなって、高音が出なくなって。俺だけのものであったはずのレニの歌が、俺を拒んでいるようにすら感じた。
ああ、もうこれは『俺』のものじゃ、ないんだって。
「気付いた瞬間、声が出なくなった。一度も落としたことのないレコーディングの現場で、自分が『Ruka』だって自覚した瞬間に」
俺は歌わなくちゃ、いけないのに。レニが作って、俺が歌う。その約束を果たし続けるためなら、何でもすると誓った。誰に頭を下げても、踏みつけられても、誇りを、尊厳を傷付けられても。あの約束があったから、レニの歌があったから、俺は生き続けてこられた。
でも、これ以上歌い続ける理由が、どこにある?
『約束』は、失われた。二人で音楽を創ることは、もうできない。
「歌う理由はもうないはずなのに、それでも歌うことがやめられなくて……神様が俺にバツを与えるみたいに、それまでずっと来なかった変声期が来た。レニの音は、世界は、変わらずに美しいままで、俺だけが年を重ねて汚れちゃったよ」
淡々と喋っているはずが、声に皮肉が入り混じってしまったことに、アスカも気付いたのか肩がビクリと震えた。ああ、俺ってこんなに情けなくて卑屈な人間だったっけ?それでも、今これを吐き出さなければ、もう立ち続けることもできないような気がしていた。
「大好きだったはずのレニの歌が、もうどんな風に歌ってたのか思い出せない……レニはレニの愛してくれた俺の声のためだけに曲を紡いでた。レニの知っていた『Ruka』から『俺』が乖離してく。もう俺は『Ruka』でいる資格すらないのかもしれない」
「そんなっ」
「俺が嫌なんだっ!」
ほとんど悲鳴みたいな叫びが喉奥からほとばしって、アスカの声をかき消していった。
「こんな……こんな出来損ないの声に成り下がって、ただレニの音楽を汚してしまうだけのノイズになってしまったことを誰より自覚してるはずなのに。なのにっ、それでも『歌いたい』って思ってしまう自分自身が、許せないっ」
視界が、歪む。もう、涙なんてとうの昔に枯れてしまったと思っていたのに。
「歌いたい。歌えないっ。こんな汚い声、いらないっ。こんなの俺の声じゃない!返せよ、返してよ『Ruka』の声をっ。歌いたい。歌いたい、のにっ……」
誰にも言えなかった。歌いたいと、その一言を口にすることすら、自分に許せないでいた。
どれだけ歌いたくても、音がなければ歌えない。
そして俺は、たったひとつかけがえのない音を、永遠に失ってしまったんだ。
「っ、もっとずっと、歌っていたかった。レニの、音で」
「うん」
「痛い。苦しい。さびしい……どうして、もっとっ」
「ルカ」
その名前で、もう『俺』を呼ばないで。
どんどん自分が罪深い存在になっていく気がして、俺はもともと天使なんかじゃなかったんだと思い知らされるから。
アスカは、俺に一言の慰めも哀れみも嘘も告げなかった。ただ、ずっと黙って俺の話を聞いていて、そっと立ち上がったかと思うとレニの遺品の中から一つの楽譜を差し出した。
「これ、一曲だけ歌詞がないよね」
「それが、なに」
「私も聴いたことない曲……レニさんの、最後の楽譜でしょう」
「っ……」
そうだ。別に隠すことでもない……のに、俺は考えないようにしていた。その楽譜のことを忘れていたかった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
38
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる