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05 それでも、歌い続けるということ
しおりを挟む「―――ぁ、ぃ―――っ、くっ」
(嘘、でしょ)
眼の前の光景が、信じられなかった。
爪先まで真っ白な指が、痕の残りそうなほどに喉をかきむしる。
「―――――っぁぁ、ぃゃ」
いつでも、あの透き通った歌声は、当たり前のように天高く響くのだと信じていた。
信じられない。信じたくない。それでもこれが、どうしようもない現実だ。
歌い方を忘れた天使が、そこにいた。
*
いつもは音に溢れているはずのその部屋が、痛いくらいに静かだった。
「静か、ですね」
「……ん」
「練習、します?」
「あきた」
「……ですよね」
私とウツミさんの二人きり。この人は決して無視することはなくて、必ず返事はしてくれるし、むしろ優しい人なんだと知るまで時間はかからなかった。
ウツミさんは、言葉の隙間に埋め込まれた感情で語る。表情は変わらないけど、たったの二週間で割と何を考えているのか分かるようになってきてる。それだけ、ウツミさんは正直だし、わかりやすかった。なに考えてるか分からない雄弁な誰かさんより、正直に言えばずっと気楽な相手だと思う。誰かは言わないけど!
でも、この沈黙は、寂しい。ただ淡々と、積み上げられてきた寂しさだけが、ここにある。
「スガさん、忙しそうですね」
今日は、予定があるからと帰ってしまった。ただ、こんな時だからここに居てほしかった。
「……俺達はべつに、いつも一緒じゃない。この二週間、そうだった」
分かってる。私達は、仲良しこよし集団じゃない。
それでも、この二週間の熱量が、まだこの部屋に残っている気がして。ただ、悲しい。
「私、この二週間楽しかったんです」
「………」
二週間後までに仕上げる。そう言った次の日には、もうみんな全ての曲に目を通してきていた。別に約束してたわけじゃないのに、マネージャーさんが夕方から貸し切ってくれていた、事務所のレッスンルームに気付いたらみんな集まっていて。
大抵は通信制高校のウツミさんが(仕事がなければ)先に来ていて、たった一人でもひたすらに正確なリズムを刻み続けてて。高校が終わってすぐに駆けつける私がその音にかぶせていく。夜が近くなる頃には仕事終わりのスガさんとルカがバラバラとやってきて、夜遅くまで全員で練習。
本当に音楽漬け……LeniとRukaの音楽だけに浸り切った毎日で、少しずつ理想の音に近付いていく感覚を全員で共有している感じが気持ちよくて。
「ウツミさんは、知ってたんですか」
「……話には、聞いてた」
目を閉じて、呟くような声が落ちていく。
あの光景が、目に焼き付いて離れない。ブースの中で、音の消えた世界で、歌い方どころか呼吸の仕方も忘れてもがき苦しむルカの横顔を。
『やめて……もうやめて、ルカっ!』
ブースに届くマイクを奪ってそう叫んだ瞬間、糸の切れたマリオネットみたく崩れ落ちていく小さな身体に、手を伸ばしても届かなくて。
ガラス越しの悪夢が、消えてくれない。
「……アスカ」
そっと名前を呼ばれて、不意に現実へと引き戻された。
「ルカは強がりだから、絶対『大丈夫』だって、言う。一人で解決するのが、アイツのやり方」
「そう、ですね」
きっと、そうやって全てを一人で解決してきたんだろう。そうしなきゃ、いけなかったから。背中を預けられる人が、誰もいなかったから。きっと、強くなるしかなかった。
「でも、自分で自分に言う『大丈夫』は、ダメだ……それくらい、俺にでも、分かるから」
「っ……」
ウツミさんと初めて二人で交わした会話が、頭の奥で響く。
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