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02 声に値段をつけるのは、だれ?
しおりを挟むたった一音。
それだけで、全てを奪われた気がした。
(くそっ。なに、なんなんだよ、あのトサカ女っ)
メチャクチャすぎるでしょ。意味分かんない。
初対面の俺の顔見ていきなり泣き始めるし、狂ったようにギター弾き始めるし。
あのコアラみたいに能天気そうな顔とか、俺の銀髪に喧嘩売ってるみたいなピンクの頭とか、いちいち腹立つけどそんなことはどうでもいい。
何より腹が立つのは、その音楽に一瞬でもレニがそこにいるって、錯覚してしまったこと。アイツ本人に腹が立ったっていうより、自分の耳が信じられなくて、意味が分からなかった。
(……いや、やっぱりアイツ本人もムカつく)
見たこともない、ちんちくりんのガキだった。まあ、ガキの俺が言えたことじゃないけど、こんな場所にギター持って立ってることが信じられないくらいに小っさくて。
(俺より年下?それでスタジオ・ミュージシャンとか、冗談でしょ……)
でも、そういう存在があることは確かだ。というより、割と身近にそういう例があるから、俺にとっては大して珍しい話でもない、はず。認めたくはないけど、実力は下手な大人よりあった。そんなの、ワンフレーズ聞いただけで分かる。
確かに、命がけで音楽やってきたヤツの出す音だった。それは分かってるのに、どうにもポッと出のヤツに『私の方がLeniのこと分かってる』みたいに土足で踏み荒らされた気がしてムシャクシャして。
(とにかく、社長だ。今更バンドとか、冗談じゃないし)
エレベーターに乗り込んで、最上階のボタンを乱暴に押す。辿り着いた社長室前は、いつものように秘書の花岡さんが淡々とパソコンのキーボードを叩いていた。
「社長に御用ですか?」
「うん。いま、空いてる?」
「はい。ルカさんがいらっしゃるはずなので、この時間は予定を空けておけと」
これだから、俺はあの人のことが嫌いだ。
それが顔に出ていたのか、花岡さんは無表情のまま肩を竦めた。
「お会いになりますか?」
「……うん、お願い」
頷いて、花岡さんが内線を繋ぐ。
「社長。ルカさんがいらしてます」
『はいはい、通しちゃってね』
いつものようにヘラヘラした声が返ってきて、相変わらず狐か化け猫みたいな人間やってるのかと溜め息を吐きそうになる。
花岡さんに会釈して、廊下を少し歩く。勝手知ったる社長室のドアがすぐそこに見えているけど、ここに上がって来た時の新鮮な戦意はとうの昔に喪失してた。
(このドア、本気で開けたくない……)
そう思いながら、諦めてドアをノックした。
『入ってまーす。ああ、それだとトイレだよね。開いてまーす』
反応したら、負けだ。ふざけた返事をガン無視して中に入る。
(うわ、相変わらず妖怪)
別にモデルになれるような美男ってわけじゃない。それなのに、化粧とウィッグと照明効果でごまかしてる俺と違って、その男は座ってるだけで『カリスマ性』とかいう公害にも等しいキラキラをまき散らしてた。これがウチの事務所の社長なんだ……残念ながら。
何が妖怪って、それが出会った時から何一つ『変わらない』ところだと思う。俺が社長と出会ったのって小学生でデビューした時だから、四・五年は経ってるはずなんだけど。
いつも通りスラリと長い脚を組んで、ゆったりと社長椅子に腰掛けていた社長は、にっこりと胡散臭い笑顔を浮かべた。
「久し振りだね、ルカ君」
「……ご無沙汰してます」
やっぱり、何度会ってもこの人は苦手だ。いつもこんな感じで身構えるっていうか、いまいち調子が出なくて。
「それで、今日は何の用かな?」
俺は顔をひきつらせそうになるのを堪えながら、できるだけ淡々と返した。
「分かってるからこの時間空けてたんですよね……どういうことですか」
「どういうこと、とは?」
社長は肩をすくめると、あろうことかポケットから携帯を取り出して、何やらポチポチとやり始めた。
「っ、こっちは真面目に聞いてるんです。俺はレニの作った曲以外で歌わない。ずっと、それでやってきたはずです。約束と違う……これは、契約違反だ」
社長は俺の言葉を聞いているのかいないのか、しばらく携帯をポチポチいじっていたけど、やがてポイっとデスクの上に放り投げて溜め息を吐いた。
「それなら言わせてもらうけど、先に約束を破ったのは君だよね。ルカ君」
「っ……」
「君をむやみに傷つけたいわけではないから、分かり切っていることを一々言わせないで欲しいんだが、ウチは慈善事業でやってるんじゃない。いつまでも売れないタレントを遊ばせておけるような優しさは、持ち合わせてなくてね」
軽い調子で言ってのけられた言葉に、俺は何一つ反論ができなかった。静寂。静寂。静寂。
この人のいる空間では考えられないような無音が、耳をふさぎたくなるくらいに痛くて。
そんな痛みで閉じた世界を、切り裂くみたいに内線が鳴った。
「はいはい?」
『社長、今しがた……』
電話の向こうから、困惑したような花岡さんの声が聞こえてくる。
「あー、うん。分かってるから大丈夫だよ。僕がメールを送ったんだ」
ヒラヒラと長い指が、ピアノでも弾くみたいに空中を踊る。
「君は仕事に戻ってくれていいよ」
『承知致しました』
少しの間(たぶん花岡さんが律儀に頭を下げてたんだろう)のあと、プツリと電話は切れた。
「……今のは?」
俺の声に、社長はヘラリと笑ってみせた。その顔が、一番キライだ。
「ごめんごめん、すぐ来ると思うからさ」
「……はい?」
確かに社長の言葉の意味は、イヤでもすぐに分かった。
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