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終わりとこれから

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愛の怪我のこともあるので、抜糸が終わるまでの一週間は王城のダグラスの部屋で過ごすことになった。

王族たちは帝王に『沈黙の魔法』をかけられて国に戻ったらしく、愛が聖女だと公言できる人はいなくなった。

アイが世話になった医者や侍女までも例外ではなかったらしく、なんだか悪いことをした気になる。愛が謝ると、侍女はにこやかに答えてくれた。

「気になさらないでください。私はアイ様のお世話ができただけでとても光栄ですから」

その言葉にホッとする。

最初の日をのぞいて、愛の世話は彼女ではなく他の侍女が行っている。もちろんその侍女たちは愛のことを辺境から来た妙な女だとの認識らしく、相変わらず陰口や嫌味が聞こえてくる。

でもそれも日常に戻ったような感じがして、なんだか安心してしまう。もともと崇め奉られるのには慣れていないのだ。

(よかった。誰も私が聖女だなんて知らないんだ)

帝王は『沈黙の魔法』で力を使いすぎたらしく、あの日から顔を合わせることはなかった。時々、カルラがこっそり部屋に顔を出してアイを驚かせる。

煙になって移動するため、ある程度形作られるまでは気が付かない。愛は他の人たちに見つからないようにするので必死だ。夜だけにしてくれと言い聞かせたら、カルラは悲しそうに目を伏せた。

あの夜から、愛はずっとダグラスに新宮 塔子のことを尋ねていた。彼女は今、帝国の牢獄で裁きを待っているのだという。

そうして今日、ようやくダグラスから塔子の処遇が決まったのだと聞いた。

異世界から来たということで、死刑には反対の意見が多く出たらしい。なので一生王城で幽閉すると決まったとダグラスは語った。愛は彼女のことを思って心を曇らせる。

(私が逮捕したせいで彼女は一生を狭い部屋で過ごすんだ……)

自分の責任なのかと悩むが、愛はすぐに顔を横に振って考えるのを辞めた。こういう問題には答えはないのだ。似たような葛藤は刑事になってすぐから愛を悩ませた。でもいつも結論はでない。

彼女の仕事は犯人を捕まえるだけ。人を裁くのは他の人の役割だ。そう割り切るしかない。

魔力や結界が全く効かない彼女は、王城の隅にある一番高い塔の最上階に閉じ込められていた。塔子の足には長い鎖のついた足輪までつけられている。物理的に拘束するしかできないからだろう。

「あら、日和佐 愛さん。どうしたの? 私のことが気になったのかしら」

彼女はまるで自宅に人が訪ねてきたかのような気軽な対応に驚く。しばらく会話をするが、塔子は自分の犯した罪にも自分の未来でさえ、さほど興味はなさそうだ。

独房にはたくさんの本が山積みになっていて、彼女が本を読むことに時間を費やしているのが見て分かった。

愛の傍では三人の警備兵がしっかりと塔子を見張っている。日本語で会話する塔子の言葉は、彼らには理解できないだろう。

「まだ文字が難しくて簡単には読めないけれど、かなり興味深いのよ。あなたのおかげで時間はたっぷりできたし、ここで学ぶのは悪くないわ」

ということは塔子は愛の血を飲んだのだ。そうして愛の体液は、同じ世界から来た塔子の病気も治した。

(私の体液が人を助けるんだ……しかもどんな病気でも治してしまう)

愛が複雑な顔をしていると、塔子がその肩に手をのせた。

「私のことより、あなたの方が心配よ。だってこれからあなたの血や肉を狙う者が出てくるわ。日本では人魚の肉を食べれば不老不死になれるって言い伝えがあったわね。なんにでも効く万能薬だなんて、なんて聖女の能力に相応しいのかしら」

確かにそうだ。帝王は聖女の治癒能力について、王族たちには語らなかった。恐らくそうなることを危惧したからに違いない。

(私の血や肉を食べようと、命がけで私の体を狙う人が出てくる……?)

背筋がぞくっとするが愛はその感情を抑えた。塔子に怯えていることを悟られたくない。それに愛の強い負の感情は魔獣を呼び寄せてしまうと帝王が言っていた。しかもその負の感情が強ければ強いほど、強大な力の魔獣を引き寄せるとも。

その時、愛は塔子が禁忌の言葉。『聖女』という言葉を使ったことにふと気が付く。

(そうか。帝王様の『沈黙の魔法』も塔子にはかけられないんだ……だから彼女をこんな場所に幽閉したのね)

「あの……あなたは元の世界に帰りたいとは思わないんですか?」

罪悪感に駆られた愛の質問に、塔子は笑顔で答える。それは憑き物が落ちたような爽やかなものだった。

「そうね、思わないわ。どこにいるかは大した問題じゃないもの。それより自分が何をするかの方がよっぽど大事。ふふ、刑事さん。あなたにだけいいことを教えてあげる。頭の中の腫瘍を取り除いてくれたお礼よ」

塔子はそういうと、愛の耳元で何かを囁く。

愛は驚きに目を見張り、そうしてその塔子の言葉はまるで呪文のように愛の脳裏に焼き付いた。

♢ ♢ ♢

「何か心配事でもあるのか? トーコに会ってから何かおかしいが」

アンカスター伯爵家に向かう馬車の中、ぼうっと考え事をしている愛にダグラスが問う。ハッと気が付いて愛は顔を上げた。

二頭の尻尾がイタチの馬がひく馬車の後ろを、ミリリアが飛んで追いかけてきている。

「な、なんでもない」

愛は笑ってごまかす。こんなことダグラスにはとても言えない。愛はじっくりと考え込む。

塔子はあの時愛にこういったのだ。

『私がこの世界に来た時の入り口が開いているみたいなの。爆発の影響なのかしら。ナーデンの本神殿の御神木のうろに入り口があるわ。もしあなたが元の世界に戻りたいなら帰れるわよ』

そんな穴がまだ開いているとしたら、ナーデンの神官が気づかないわけがない。それにそんな簡単に行き来できるのならば、すでに日本から何人か来ていてもよさそうだ。

(きっと彼女にからかわれただけ。そうに決まってる)

なのにどうしてこんなに気になるのだろう。愛はダグラスとこの世界で生きていくと決めたはずなのに。でももしかして元の世界に帰れるかもしれないと思うとどうしても考え込んでしまう。

「少しは育ったんじゃないか? 俺のおかげだな」

ダグラスがぼそりと漏らした一言に、愛はハッと気が付いた。隣に座るダグラスが愛の肩に手を回して反対側の手で乳房を揉んでいるのだ。

(もー! この男はこんな時にまでっ!)

愛はキッと睨みつけると、乳房を揉み続けているダグラスの手の甲をつねった。彼は小さな声を上げて手を離す。

「強制わいせつ罪で、六か月以上七年以下の懲役!」

「少しぐらいいいじゃないか、もう俺たちは結婚したも同然だろう」

愛はその言葉に顔を真っ赤にして反論する。

「正式には私たちはまだ赤の他人! それに強制わいせつ罪は恋人同士でも成立するの!」

「……アイにとって俺はまだ恋人どまりか……ふぅ。まあ少しは前進したと喜ぶべきなのかな。俺としては運命のつがいをようやく見つけたような気持ちなんだが。俺のほうが愛に惚れてるから仕方ないか」

ダグラスが真剣な顔で悩んでいる。

(う、運命のつがいって、そこまで考えてたの?!) 

愛は横目で彼を見た。相変わらず逞しい体に詰襟の騎士服が似合っている。つい二か月ほど前までは恋人もいなかったのに、こんな素敵な騎士団長と結婚できるなんて信じられない。

私も大好きだとダグラスに返したいが、恥ずかしくてどうしても口にできない。そのかわり、愛はそっぽを向いたまま、ダグラスの手の上にそっと自分の手を重ねた。

するとダグラスがふっと笑みを漏らした音が聞こえてくる。

彼が愛の手を握り返してくれたので、愛は照れながらもゆっくりとダグラスに視線を向ける。そうして彼を見た瞬間、心臓が大きく跳ねた。

(だ、駄目っ! 静まれ私の心臓っ!)

きっともう遅くて、ダグラスもそれを感じ取っているのだろう。

「はははっ!」

彼が嬉しそうに微笑むので、照れくささが倍増してして全身が熱くなり更に鼓動が激しくなる。

(あぁ、もうバカバカバカ! 私の心臓ったらどうしてこんなに節操がないの!)

するとダグラスは愛の頭をポンポンと撫でた。そうして愛情のこもった瞳で愛を見る。視線だけで全身を抱きしめられているよう。

「俺は分かってるから心配するな。お前が素直じゃないのは織り込み済みだ。俺も愛しているぞ、アイ」

「わ、私はあなたを愛しているなんて全然言ってない!!」

顔を真っ赤にしながら涙目で愛が言い返すが、ダグラスは更に幸せそうに笑った。



fin


いままで書いたところはこれでおしまいです。
これから愛は公には聖女としてではなく、ダグラスの婚約者として異世界で生きていきます。
現世界との交わりや開いたままの異世界との穴。
事情を知らない貴族や使用人などからの嫌がらせや、もう一人新しい刑事が異世界に来たり……完全人間体の魔獣が現れたりしますが、またそれは後日ということで。
塔子の存在も世界を混迷に陥れます。

ここまでお付き合いいただけてありがとうございます。ペコペコ
ではまた、次回作でお会いできることを楽しみにしています。

南 玲子

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感想 32

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みんなの感想(32件)

ちび
2019.12.09 ちび

完結お疲れ様でした!とても楽しませて頂きました♪
愛とダグラスが幸せになれて良かったです!
私としては帝王がやっぱり好きです。とても良いキャラでした!
なにやら、まだまだお話が続いていきそうな感じですねっ
ひとまず、素敵なお話をありがとうございました!

解除
lemon
2019.12.08 lemon

完結おめでとうございます。
あとがきからすると、また続きがあるかもしれないんですか?期待してしまいます。
私は帝王様が好みだったので大人な帝王様が読みたいですね。カッコいいだろうな。
楽しい時間をありがとうございました。
また、次作もしくは続編楽しみにしています。

解除
as
2019.12.08 as

完結お疲れ様でした。楽しく拝見させて頂きました。次回作も楽しみにしております。

南 玲子
2019.12.08 南 玲子

as様

ありがとうございます。
今度の次回作はもっと早く出せるように頑張りますね。
ペコペコ

解除

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