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1巻
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しおりを挟む第一章 女嫌い公爵との出会い
「本当ですか? お父様! 私、王城の夜会に招待されているのですね!」
「ああ……昨日、招待状が届いた。一か月後に開催されるとのことだ。今度の夜会には、十八歳から二十四歳までの未婚の貴族令嬢が国中から招待されたらしい。もしかしたらジュリアも、玉の輿にのれるかもしれないな」
満面の笑みを浮かべて喜ぶ彼女の名前は、ジュリア・ヘルミアータ。
今回の夜会の招待客リストにぎりぎりで名を連ねたことに、彼女は胸を撫でおろした。
いま、ジュリアは二十四歳だが、あと一か月半後には二十五歳の誕生日を迎えてしまう。
この国の結婚適齢期は、十代後半から二十代前半。婚期を逃しそうなジュリアにとって、この夜会は結婚相手を見つけるための、最後のチャンスだ。
ヘルミアータ子爵家は王都から遠く離れた地を治める、弱小貴族。王城の夜会に招待されることはまずない。こんな機会でもなければ、ジュリアは王城になど一生足を踏み入れることはなかっただろう。
「でも、お父様。どうして突然、大きな夜会を開催することになったのでしょう?」
「なんでも、マーカス・アシュバートン公爵様の結婚相手を探すためだそうだ」
――マーカス・アシュバートン公爵。
現在二十九歳の彼は眉目秀麗かつ文武両道で、ジュリアが暮らすボッシュ王国の英雄とまで呼ばれている。
両親を事故で亡くし、若くして公爵位を継いだ彼は、国から騎士の称号を与えられるほどに剣の腕が立つそうだ。それだけでなく、戦争時には軍師のような役割を果たして王国を勝利に導いたという。
そのように有名なアシュバートン公爵だが、何故か滅多に公の場に姿を現さないため、直接彼を目にした人は少ない。
それなのに、彼の噂は常に社交界を騒がせていた。内容はほとんど女性関係。今度の相手は年若い未亡人だとか、どこかの劇場の女優だとか。
浮名を流し続ける彼に、いい加減身元の確かな令嬢と結婚し身を固めて欲しいと、国王陛下が今回の夜会を特別に開催することにしたらしい。
(公爵様なら、わざわざ夜会なんて開かなくても、本気で結婚相手を探せば勝手に群がってくるでしょうに……いくらイケメン公爵様でも、私は女たらしの男性なんか絶対にいやですわ)
そう思って、ジュリアは思わず顔をしかめた。
「公爵様には興味がありませんけれども……きっと王城ならたくさんの男性がいるはずです。こんな辺境地では出会いなんてありませんし、私ももう二十四歳です。今回の夜会で、絶対に婿を見つけてきます」
ジュリアはアメジスト色の瞳に力を込めて父を見た。黄色のタフタのドレスが、さらに彼女の生命力を際立たせている。
ヘルミアータ子爵領はボッシュ王国の端に位置しており、森に囲まれている地域だ。牧羊や酪農、畜産業は盛んだが、土地が貧しく作物はあまり育たない。そのため、子爵家は貴族とは名ばかりの質素な暮らしをしていた。
そのうえ、ジュリアは子爵家の一人娘。爵位は男子しか継げないため、父が亡くなってしまったら貴族の称号さえも王国に返還しなくてはいけなくなる。悠長なことは言っていられない。
「婿を連れて帰ってくることにこだわる必要はないわ。子爵家のことは心配しないで。相手は公爵様でもいいのよ? ジュリアはとても綺麗ですもの、公爵様の目に留まるかもしれないわ」
ジュリアの母が言うと、父であるヘルミアータ子爵もそれに同意する。
「そうだよ、ジュリア。なんでも公爵は、天を流れる星のような輝く黄金の髪に、深海の色を落とし込んだような青緑の瞳を持った美丈夫らしい。ジュリアにぴったりじゃないか」
まさか二人とも、本気でジュリアが公爵に見初められるとでも思っているのだろうか。
ジュリアは両親の言葉を聞いて、首を横に振った。
「公爵様が頭を下げて頼んできても、絶対に結婚はしませんわ。それに私みたいな弱小貴族令嬢など、最初から相手にしないでしょう」
胸を張って自信たっぷりに言いきるジュリアを見て、子爵はため息をついた。そして彼女の頭からつま先までを眺め、さも残念そうに語る。
「母から受け継いだ黄金色の巻き髪に、アメジストよりも輝いている紫の瞳。陶器のように透きとおった白い肌は人形のようだ。お前の素材は悪くはないはずなんだ……素材は……ただ、口さえきかなければ、いい縁談もあったに違いないんだ」
そんなことは言われなくても分かっている。ジュリアは気まずそうに父から目を逸らした。
もう少しで二十五歳になるというのに、男性の影すらない。父が嘆くのも当然だ。
(それもこれも、自分に嘘がつけない私の性格を受け入れてくれる男性が、この世にいないからですわ。どの男性も、従順な妻を求めるのですもの。私は、ありのままの自分を受け入れてくれる男性と結婚したいのです)
これまでに、ジュリアには三人の婚約者がいた。その全員とうまくいかなかったために、現在はこのような状況なのだが。
最初の婚約者は、ヘルミアータ領の商家の息子だった。しかし、彼は複数の恋人がいるにもかかわらず、爵位を求めてジュリアと結婚しようとしていた。
(……ですから、公の場でそれを赤裸々に暴露してやっただけですわ。その時に騙されていた女性を全員呼んでおきましたけれど、彼女たちに袋叩きにされたのは彼の責任で、私のせいではありませんもの)
次の男性は騎士の称号を持っていた。とても気遣いのできる落ち着いた男性でジュリアも気に入っていたのだが、実は男性しか愛せない人だった。
彼とは何度かキスをしたが、ジュリアには一ミリもその気にならなかったらしい。
なのに、いつも子爵家に来るパン屋の息子には、話をしただけでも顔を真っ赤にしていた。結局彼はそのパン屋の息子の手を取り、ジュリアのもとから去っていった。幸せそうな彼の背中を、いまでも覚えている。
(私が彼に真実の愛を気づかせて、恋人との仲を取り持ってあげたから、彼は幸せになったのです。礼を言われてもいいくらいですわ)
三番目の婚約者は大きな町の文官だったが、なんと闇取引をする商人と組んで金を稼いでいた。ジュリアがその不正を暴くと、彼は逆上して彼女をこの世から始末しようとした。
(間一髪で逃れられました。あの事件の解決は、私のお手柄だったと思います。あの時私が彼らの悪事に気がつかなければ、小麦の値段が高騰して、去年の冬にはたくさんの餓死者が出ていましたわ。……でも、結局どの男性も私の運命の人じゃなかったってことですわね。ふぅ……)
小さくため息をつくと、ジュリアは気を取り直して顔を上げる。父と母が、百面相をしているジュリアを心配そうに見ていた。
「ジュリア……。ヘルミアータ領から王城までは、馬車で三日はかかる。夜会で知り合った人たちと交流するには少々不便だろう。王都で暮らす遠い親戚のブルボン伯爵に、夜会の期間中、お前を滞在させてもらえるよう頼んでおいた。……くれぐれも問題は起こさないように、おとなしくしていてくれよ」
父の含みのある言葉に、ジュリアは心の中で怒りを燃やす。
(おとなしくですって⁉ 私が何をするというのでしょうか!)
けれど父を安心させるため、心とは裏腹にジュリアは満面の笑みを浮かべた。
「大丈夫ですわ、お父様、お母様。必ずヘルミアータに婿を連れて帰ってきます。楽しみに待っていてくださいませ」
――そして、夜会の日が迫ってきた。
ジュリアはいま、侍女のハンナと一緒に乗合い馬車で王都に向かっている。二人の他に七人の乗客がのっていて、馬車は満員の状態。
王都に到着するまでの三日間、町の宿に寄りつつ一緒に王都まで旅をする人たちだ。
ジュリアは目を輝かせながら、隣に座るハンナに小さな声で話しかけた。
「ああ、楽しみですわ。王都に行ったら新しい出会いがあると思うの。私だけを愛してくれて、婿に来てくれる男性が絶対にいます。そうは思わない? ハンナ」
ハンナは一つにまとめた茶色の髪を揺らして、切れ長の目をジュリアに向けた。
もう三十歳になる彼女は、結婚して子どもがいてもおかしくはない。けれど彼女は、ジュリアが結婚するまではその気にはなれないと、独身を貫いている。
落ち着いた雰囲気を持つハンナは、ジュリアにとっていつも一緒にいてくれる姉のような存在だ。
そんな彼女が笑いながら、小さな声で返す。
「そうですね、お嬢様。きっと素晴らしい出会いがあるはずですわ」
ガタガタと揺れる馬車の中、ハンナとそんな会話を交わしつつ旅を続けて、二日目。
馬が疲れてしまったようで、少しの時間休憩をとることになった。馬車をふたたび動かすまで、みんなはそれぞれ芝生の上で休んだり煙草を吸ったりしている。
ハンナは買い物があると町に行ってしまったので、ジュリアは一人、物思いにふけった。
ジュリアの趣味は色々な人を観察すること。移動の間、ずっと周りの人を観察していた。
馬車には乗客の安全を守るための護衛がのっている。そういう仕事に就くのは、元兵士だと相場が決まっていた。護衛の右腕にある刺青の模様で、王国の元第三師団の兵士だったことも分かった。
他の乗客は夫婦と子ども二人の家族、年若いカップルに、少しあとで一人でのり込んできた男性。
家族は仕事の都合で王都に移り住むようだ。カップルは結婚前の内緒の旅行をしている。会話を聞いている限り、面白い話題はなさそうだった。
ジュリアは向かい側に座っている一人の男性をじっくり見る。ジュリアは彼に興味を持っていた。彼は観察すればするほど謎が深まる存在だ。
(筋肉のつき方からして、戦いが専門の仕事をしているのだと思いますわ。指にある剣だこもそれを証明していますわね。でも、彼にはそれが両手にあります。通常の兵士に双剣使いは認められていない……としたら、かなり特殊な仕事に就いているということですわ。面白いですわね)
暗殺者かもしれないと、不穏な考えが頭をよぎったがすぐに打ち消す。
簡単に人を疑うのはよくない。ジュリアはもう少し男の観察を続けてみる。
流れるような黒髪に、何を考えているのか分からない漆黒の瞳。着ている服はいかにも普通の旅人といった質素なもの。
それらがますます男の怪しさを引き立たせるが、正体を掴む決め手がない。
男がジュリアの探るような視線に気がついたようだ。じろりとジュリアを見て、低い声を出した。
「お前、いつも俺を見ているな……何を考えている」
(あまりに観察に没頭していたから、不自然な視線でばれてしまったのですわ。どうしましょう。狭い馬車の中、逃げ場はありませんし)
他のみんなは休憩から戻らないため、ジュリアは男と馬車の中に二人きりだ。
「――なんでもありませんわ」
できるだけ平静を装って、足を組んで座る男に向かって答える。わざと目を逸らしているのに、男は射抜くようにジュリアを見据えていた。心臓がドキドキと音を立てはじめる。
「俺を見ていただろう……」
「気のせいですわ」
「何を考えていた?」
ジュリアは内心震えていたけれど、持ち前の気の強さから毅然と男に言い返す。
「よろしいのですか? 私の考えを全て言ってしまっても」
すると男は目を見張った。侍女を連れている育ちのよさそうな令嬢が、急に挑発的な言い方をしてきたので驚いたのだろう。
彼は口角を少し上げて、実に興味深いとばかりに口を開く。
「ああ……構わない。言ってみろ」
男の反応に、ジュリアは驚いた。いままで彼女が関わってきた男性は、彼女が口答えするといやそうな顔をした。それなのに、この男はそんなジュリアを楽しんでいるようだ。
彼女は、正体も分からない男に好感を抱いた。
「……私、あなたを見て、職業を推測してみましたの。いまその答えが出ましたわ」
「ほう……面白いな。俺の職業か……」
「はじめは暗殺者かと思いましたの。でも暗殺者は、乗合い馬車で居合わせただけの女性に話しかけたりしません。怪しい者は、確認する前に殺してしまうでしょうから。そうしたら、あとは一つしかありませんわ」
「――それは、なんだ?」
「我が王国の間諜職ですわね。だとすれば、おそらく騎士の称号も持っておられるのでしょう。歩かれる時に、体の重心が帯剣する左側に微妙にずれていますわ。騎士の剣は剣士の剣と違ってかなり重いですから、癖が残っていらっしゃるのね。それと現在は双剣使いですわよね。そのマントの下にでも短剣を忍ばせていらっしゃるのでしょう? こんな暖かい日なのにマントを脱がないなんて、不自然すぎますもの」
男はジュリアの指摘に目を丸くして驚いた。そして、顎に手をあてて感心したようにジュリアを見る。
「面白いな、お前。名前はなんだ? 俺を見ただけで正体を見破った人間は初めてだ」
ジュリアは心を躍らせた。自分の推測があたったことと、面白いと褒められたことに。
男性からは、彼女が口を開く度に生意気だと言われてきた。自分を認めてもらったのは初めての経験だ。
(私の言ったことにいやな顔をしないなんて、素敵な男性ですわ。彼は婿になってくださらないでしょうか。あぁ、結婚はされているのかしら? 指輪はしていませんが、職務中ならば外しているでしょうし……)
彼の名前を知りたい欲求に勝てない。ジュリアは浮かれる気持ちを抑えて慎重に話す。
「私の名前をお聞きになりたいなら、ご自分が先に名乗るのが、貴族としての礼儀ではありませんか? 紳士の作法は充分に心得ているようですけれども?」
彼が貴族だという推測には、確信がある。男は普通の旅人を装っているが、食事する時などのほんの少しの動作に育ちのよさが隠しきれていなかった。
男は満面の笑みで、楽しそうに語りはじめる。
「ははっ! そこまで分かるとは、俺より優秀な間諜になれる。俺の名はマリウスだ。貴族の末席に身を置いていたこともあったが、いまは王国の情報室で働いている」
「あら、すぐお認めになるとは思ってもみませんでしたわ」
ジュリアがからかうように言うと、男――マリウスはニヤリと笑った。どう考えても偽名を使っており、素性も嘘のものだろう。
それでも、この男との会話はとても楽しい。彼はジュリアがでしゃばることを咎めない。しかも優秀な間諜になれるだなんて、最上級の褒め言葉だ。
マリウスも楽しくて堪らないというような目でジュリアを見る。
「お前が敵でなくてよかったよ。王都になんの用なんだ? 見たところ、どこかの令嬢なんだろう?」
「私は王都に、婿を探しに行くのですわ。ありのままの私がいいって言ってくれる人を見つけるのです。男性はみな、おとなしくて従順で、か弱い女性ばかりを選ぶのです。世の中って不公平ですわ」
頬を膨らませたジュリアを、男は優しい瞳で見た。
「たしかに普通の男じゃあ、お前をのりこなせそうにないな。その洞察力はどこで身につけたんだ?」
ジュリアはしばらく考えてから、その質問に答える。
「さあ……人に興味があるというのはありますわね。ですから、あなたがこの馬車にのり込んでからすぐに、あとをつけてくる男が三人いるのも知っていますわよ」
「ちょっと待て! どういうことだ⁉」
急にマリウスの目つきが鋭くなる。優秀であろう彼なら、すでに気がついているものだとばかり思っていた。
圧倒されるほどの迫力を放つマリウスに、ジュリアは背筋を正して向き直った。
「ご存じなかったのですか? 昨日の昼ごろからつかず離れず、この馬車を馬でつけてきていますわ。変装していますけど、グルスク人でしょう。骨格で分かります」
グルスク人は亡国の民。様々な国に入り込み、財産を盗んでいく残虐非道な民族だ。
彼らは年月をかけ、計画的にターゲットにする国を選んでいる。目的のためには手段を選ばず、内部に取り入り、国を滅ぼしていく。そのため、彼らは各国に恐れられているのだ。
もしかしたら、グルスク人はこの王国の財産を狙っているのかもしれない。
「見たところ、三人とも追跡には慣れていそうですわね。かなりの手練れかもしれません。あなたはお一人で大丈夫なのですか?」
ジュリアがそう続けると、マリウスは険しい顔で大きく舌打ちをした。
「俺としたことが気づかなかった! 俺はここで降りる。お前に迷惑をかけるわけにいかないからな。ところで、お前、名前はなんていうんだ? まだ聞いてなかった」
マリウスは馬車の降り口に足をかけながら振り向いた。彼の精悍な顔つきは、とても生命力に溢れていて、思わず心臓が跳ねる。
「ジュリアですわ。煙玉に気をつけたほうがいいです。グルスク人のお家芸ですもの」
彼らは古くから薬術に優れているらしい。戦いの際には様々な薬や毒を用いた煙玉を使うと、ジュリアは本を読んで知っていた。
間諜職に就いている彼ならばすでに知っているだろうが、どうしても心配になった。
マリウスは満面の笑みを浮かべる。
「忠告感謝するよ……次会えたら必ず礼をする。じゃあなジュリア。王都で変な男に引っかかるなよ」
そう言い残すと、マリウスはどこかに消えていく。ジュリアはすぐに席を立って馬車の外を見るが、さっきまでそこにいた男の姿はなかった。
彼が遠くに行ってしまったと思うと、胸の奥がツキンと痛みを放つ。
(マリウス様はあの男たちと対決するおつもりなのかしら、それとも逃げているのかしら? 心配ですわ……本当に素敵な方でしたもの。あんなに楽しくお話しできた男性は、彼が初めてです)
彼が去っていったほうをしばらく眺めていると、ハンナが買い物から戻ってきた。ジュリアは何事もなかったように振る舞う。
それから、馬車はマリウス抜きで旅を続けることになった。ジュリアも彼のことは誰にも話さないことにした。諜報活動をしているということは、彼を知る者が少ないほうがいいだろうと判断したからだ。
(マリウス様……また王都で会えないでしょうか)
ジュリアは切ない思いを抱えながらも、旅を続けた。
その後、馬車は何事もなく王都に着いた。
馬車が王都の門を抜けた瞬間、その街並みにジュリアは感動する。何度王都に来ても、心を奪われてしまう。
「あぁ、またここに来られたのですわ……なんて素敵なの!」
王都には、ヘルミアータ領では見たことのないような高い建物が隙間なく立ち並び、通りを歩く人々も活気に満ちている。
ここに来る機会は滅多にないが、その独特な雰囲気がジュリアは大好きだった。
王都の広場に馬車が停められる。そこにはすでにブルボン伯爵家の迎えが来ていた。ハンナと一緒に伯爵家へ連れて行ってもらう。
ブルボン伯爵家は広大な領地を所有しており、王都にある屋敷はかなりの大きさだ。廊下に置いてある調度品は全て高級な品。使用人も多い。ヘルミアータ子爵家のアットホームな雰囲気とは、大違いだ。
(さすがは、裕福なブルボン伯爵家ですわ)
まずは当主に挨拶をするが、伯爵はジュリアのことにあまり関心がないようだ。あっさりとした歓迎の言葉だけで、すぐに仕事に戻っていった。
辺境地に住む弱小貴族の遠い親戚の扱いなど、そんなものなのだろう。幼い頃に数回会ったことがあるだけで、ほとんど関わりはない。
ジュリアとハンナが用意された客間に向かおうとすると、艶やかな美人が現れた。ブルボン家の令嬢、イザベルだ。彼女も今回の夜会に参加するそうだ。
子どもの頃に一緒に遊んだ記憶はあるが、ジュリアは彼女が少し苦手だった。彼女は自信満々で、常に自分が中心にいないと気が済まない性格なのだ。
「ごきげんよう、イザベル様。お久しぶりですわね」
ジュリアはそう挨拶したが、イザベルは目すら合わせようとしない。
「貧乏子爵家のジュリア。本当に憐れね」
イザベルはそう嫌味を言い残して去っていった。性格の悪さはいまでも健在のようだ。けれど、伯爵家にお世話になっている身としては言い返すわけにもいかない。
ジュリアはぐっと堪えて、客間に入った。そして、そこにある鏡を見てため息をつく。
たしかにイザベルは美しく、グラマー。ジュリアの容姿では敵わないと思った。
(夜会にはもっと綺麗なご令嬢もたくさんいらっしゃるでしょう……でも、私も負けていられません。絶対に王都で婿を見つけて帰りますわ)
ジュリアは持ってきたドレスに目を走らせる。
夜会のために特別に新調したドレスは、両親がかなり無理をして用意してくれたらしい。
その期待に応えたい。ハンナも早く結婚させてあげないと、嫁きおくれてしまうだろう。
そんなことを考えていると、頭の中にマリウスの顔が浮かんできた。
(でも……もし……もしもマリウス様に会えたら嬉しいですわ。彼ならそのままの私を認めてくれそうですもの。彼も貴族のようですし、夜会に参加しないかしら)
彼のことを考えると、何故だか胸の奥が温かくなってくる。
ジュリアは春めいた予感を感じて、そうっと胸に手をあてた。
ジュリアがブルボン伯爵家に滞在してから、数日。
イザベルはすれ違う度、ジュリアに嫌味を言ってくる。それをひたすら耐える毎日だ。
けれど、何故かイザベルは王都中の令嬢が集まるお茶会にジュリアを呼んでくれた。
ただの気まぐれか、彼女の権威をジュリアに示すためかは分からないが、色々と勉強にはなった。
どうやら王都の令嬢のネットワークを仕切っているのが、イザベルと彼女の友人のミュリエルらしい。ミュリエルは美人で、イザベルととても仲がいい。
お茶会には数回呼ばれたが、ジュリアが何かを言うとけんかになりかねないので、全てただ微笑んでやり過ごした。
――そして、伯爵家に来てから二週間が経ち、待ちに待った夜会の日がやってきた。
同行する伯爵夫妻に次いで、イザベルが馬車にのり込んでくる。彼女は豪華なドレスに身を包み、薔薇の香りをまとっていた。身につけている宝石類はジュリアが見たこともないくらい大きい。
イザベルはジュリアの向かい側に座ると、彼女をじろじろ見てから安心したように息を吐いた。
「ジュリア、アシュバートン公爵様のことは諦めたほうがいいですわよ。彼はわたくしを見たらすぐに、わたくしの魅力に夢中になるに違いないわ」
彼女は大きな胸を見せつけて、肉厚な赤い唇でそう語る。そんな彼女に、ジュリアは微笑む。
公爵のことは、はじめからどうでもいい。でも、イザベルの機嫌を損ねるのはよくないので、ジュリアは精一杯のお世辞を述べた。
「イザベル様ほど魅力的な方なら、どんな男性も放っておかないはずですわ。アシュバートン公爵様は私にはもったいないお方。ですから私は他の男性との出会いを探します」
「そう。そのほうが賢明ね……」
イザベルは満足したように笑った。
夜会に参加している女性は、みんな公爵が目当てなのだろう。けれどもジュリアは違う。
馬車の窓から景色を見ながら、ジュリアはマリウスのことを思い出していた。
(マリウス様がいればいいのだけれど、そんなことを言ってはいられないわ。王城の夜会に参加できるのはこれが最後かもしれないもの。それに会えたとしても、マリウス様が独身だとは限らない。だったらさっさと諦めて、婿になってくれそうないい男性を見つけないと……)
今夜のドレスは、ジュリアの紫色の目に合わせた薄い紫色。アクセサリーも濃い紫のアメジストで統一している。外見は文句のつけようのないレディに仕上がっているはずだ。
それからしばらく馬車に揺られ、ついに王城に着いた。その全貌を見て、ジュリアは目を輝かせた。
彼女は、王都には何度か来たことがあったが、王城は見たことがなかったのだ。
一つの町がすっぽりはまってしまうのではないかと思うほどに大きな建物。豪華な外壁の装飾が蝋燭の灯りで浮かび上がり、幻想的な雰囲気を醸し出している。王城の前では数えきれないほどの馬車が行き交い、今夜の夜会の規模が窺えた。
馬車から降りたあと、ジュリアたちは何十分もかけて、やっと城内の大広間に辿り着く。
高い天井には繊細なシャンデリアがいくつも吊るされて、大理石の床に宝石のような輝きを落としていた。
そこには、とても多くの女性が集まっていた。それも、ジュリアよりも年若い令嬢ばかり。彼女たちの熱気に気圧される。
(みんなアシュバートン公爵様の結婚相手候補なのですか⁉ 公爵様が彼女たちの顔を見るだけで夜会が終わってしまいそうです)
イザベルは、すぐにでもアシュバートン公爵に会いに行きたそうだ。ライバルになりそうな令嬢を目線で牽制しながら、父親のブルボン伯爵をせっついている。
人目もはばからず公爵の名を何度も大声で呼ぶ娘を、伯爵がうんざりした顔をして窘めた。
「イザベル、アシュバートン公爵様はまだ王城に到着していないようだよ。もう少し落ち着きなさい」
「お父様、これだけの令嬢が来ているのよ。少しでも早く目に留めていただかないと、すぐに他の令嬢にとられてしまうかもしれないわ。出会いは早い者勝ちですもの」
唇を尖らせながらイザベルが反論する。ジュリアはそんな彼女を他人事のように眺めた。
(こんなに人数が多いのならば、たしかにそうかもしれませんわね。でも私には関係ないですもの。絶対に私の運命の男性を見つけて、一緒に領地に帰ります!)
ジュリアは両親に用意してもらったドレスを握りしめると、気合いを入れた。
周囲を見回すと、感じのよさそうな青年があちこちにいる。急に緊張してきたので、ジュリアは先に化粧室に向かった。
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