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16、侍女のキティさん

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「ふわぁぁ、いい朝ですね。おはようございます、ご主人様」

明るく朝の挨拶をすると、ご主人様は目を赤くしながら無言で起き上がった。なぜか私に嫌味を言う元気すらないよう。

(……もしかして眠れなかったのでしょうか? あぁ、それにしても朝一番でも不気味な屋敷なのですね。爽やかさなんてみじんもありません)

朝が来たことはわかるのに、どんよりとしていて鳥のさえずりすら聞こえてこない。風も吹いていないのか苔のついた木々の葉は、文字通りハの字に重く垂れたまま。

暗くて重苦しい空気に息が詰まりそうだ。

私はぼんやりとしているご主人様を放っておいて自分の支度をすることにする。こういう状態のご主人様はそっとしておかないと、とばっちりを受けることを良く知っているからだ。

衝立に体を隠して着替えを済ませると、向こうからご主人様の恨みがましい声が聞こえる。

「エマ、お前は……よく眠れたようだな」

「あ、はいっ! お陰様でぐっすりと!」

ご主人様の声に明るく答えると、彼はむすっとした顔で衝立の後ろに歩いてきた。寝起きで髪が跳ねているが、それすらも絵になっていてアンニュイな感じが素敵だ。薄めのガウンがまた格好良さを増強させる。

(うぉぉぉ、相変わらず顔だけはいいですね。性格は相変わらず残念ですけど)

そんなことを思っていると、また首を掴まれていきなりキスをされた。

「……んっ!」

もう何度目なのだろう。諦めてされるがままになっていると、何か熱いものが唇を割って中に入ってきた。

(ひぃっ! 何なんでしょう! ど、毒でも飲まされたのでしょうか?!!)

でもすぐにそれがご主人様の舌だとわかる。

(ど、どうして舌なんか口の中に入れるのでしょうかぁ! はっ! もしかして昨晩きちんと歯を磨いたかチェックしているとか??? えっと昨日は羊のチーズは食べていないはずですけれど)

口内に差し込まれた舌は目まぐるしくうごめき、私の唾液を伴ってくちゅくちゅと音を立てる。なぜだか腰の下の方がむず痒くなって私は両足を擦り付けた。

「ん……んんっーーはぁっ……」

ようやく唇を離された時には酸欠状態。涙目に涎を垂らして短い息を繰り返す。そんな私の顔をじっと見つめると、ご主人様は唇の端についた涎を舌でなめとった。

私の頬を撫でていくビロードのような感触。するとご主人様は顔を耳まで真っ赤にしてこうおっしゃった。

「お前のせいでよく眠れなかった。これは罰だからな。今日からは俺が眠ってからお前が寝るんだ。わかったな!」

よほど怒っているようだ。というか最近のご主人様はよく怒っているような気がする。

「も、申し訳ありませんっ!」

私はとにかく謝っておいてからその場を逃げるようにして部屋から出て行った。心臓がこれまでにないほどドキドキして止まらない。

(だ、駄目です。もう少し落ち着いてからリアムさんのところに行きましょう)

そうしてしばらく深呼吸してからリアムさんを探す。朝一番に通いの侍女が来ると聞いていたので、丁度お手伝いをしようと思っていた。

軋む廊下をこわごわと歩いてようやくキッチンにたどり着くと、すでに人がいて朝食の用意をしていた。おそらく侍女のキティさんだろうと予想をつける。

キティさんは朝食の支度と屋敷の掃除を主に任されていて、リアムさんは夕食とシャーロット様の身の回りの世話が仕事なのだと昨日聞いた。

「リアムさんからエマさんはお客様と同じ扱いでといわれてますので、手伝いは結構です。それに一人で十分ですから」

私の申し出はキティさんにあっさり断られてしまった。がっくりと肩を落とす。

彼女は生真面目な感じの中年女性で、あまり愛想は良くなく表情を変えない。編み上げた茶髪にメイド帽をかぶっていて、いかにもベテランの侍女だ。

でも頭の半分を覆ってしまうタイプのそれはかなり昔のスタイル。私もそうだがエマーソン伯爵家ではみな、小さなレースの飾りをつけている。最近のメイドスタイルはそんなものだ。

(……珍しいですね。もしかしてすごーくお年寄りの頭の固いご主人様に仕えていた経験でもあるのでしょうか?)

そこで私は気が付いた。そういえば彼女はリアムさん以外に屋敷の鍵を持っている唯一の人物。もしかして幽霊の正体に気が付いているかもしれない。

私はひとしきり世間話をふったあとで、さりげなく質問をしてみた。

「あの……ぅ。キティさんはご主人様がここに来た理由は知ってますよね。どう思っているんですか? あの……幽霊の呪いって本当にあると思いますか?」

するとこれまで私の話を話半分に聞いていた彼女が、突然何かにとりつかれたように手を止めて私を見た。その顔には恐怖がありありと映っている。

彼女のその姿があまりにも恐ろしすぎて、私は両手を広げてもういいというように振った。

「ひぃっ! あ、あぁ。も、もう結構ですぅ」

「――あなた、本当のことが知りたいのですか?」

世間話にも短い言葉を返していただけなのに、急に食いつくように話をする。何だか声色も変わったようだ。お腹に響いてくるような低くておどろおどろしい声。

「い、いえ。ですからもう……ひっ!」

キティさんは濡れた手を拭きもせずに、私の手首を掴んで引き寄せた。その力は女性とは思えないほど強い。

彼女が目を大きく見開いたので白目の部分が瞳の大きさよりも多くなっている。

彼女の皺の陰と薄暗い部屋の雰囲気が相成って、見た目の恐怖が最高潮になった。私は口をパクパクさせて固まる。

「――ここだけの話ですが、呪いは確かにあります。お嬢様はこの世に生を受けた時からあの方に呪われているのです。あなたも自分のご主人様が大切なら、早くここから去ることです。呪いはお嬢様を殺すことではなく苦しみながら生かすことなのですから。逆らえばただではすみませんよ」

ぞっとする話し方にお化けのような彼女の姿。

(ほ、本物の――お、お、お化けがでたぁぁぁぁぁ!)
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