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12、幽霊屋敷の内部

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「お嬢様のもとに戻ったときには、壁から紋章はすべて消えていました。そこにはまるで何も書かれていなかったように……」

「ふーん。じゃあ、貴女は目の前で紋章が消えていくのを見たのですね。シャーロット様」

「あの……私もキティも直接見たわけではありませんわ。私、怖くてうずくまって泣いていたんです。キティはそんな私にずっと声をかけてくれていましたから。そうしてリアムが階段を上がってくる音がして顔を上げた時には、それはもう消えてなくなっていたんです」

ご主人様は静かに彼女の話を聞いた後、部屋の中の様子を事細かに見ている。衣裳棚やら化粧台。服をかけるための衝立など、しばらく観察していたが最後にため息をついて顔を横に振る。

「ここには特に手掛かりになるようなものは特にないようだね」

その言葉に私の全身は震えあがった。心のどこかでご主人様よりも恐ろしいものは他にないと、高をくくっていたのかもしれない。

(やっぱり幽霊の方がご主人様よりも数倍怖いですぅ! ひぃぃぃぃ)

すると背中がうすら寒くなったので飛び上がって驚いたら、ご主人様が背後に立っていたらしい。間の悪いことに私の頭で顎を撃ったらしくて、低いうめき声をあげた。

「うぐっ!」

「も、申し訳ありません。リチャード様っ!」

かなり痛かったはずなのに、外面全開のご主人様は優雅に笑って許してくれた。ご主人様の仕返しが怖くてドキドキしたので、そのあとは幽霊の怖さを忘れることができた。

植木鉢が落とされた玄関とか一通り見せていただいた後、私たちはダイニングルームで夕食をいただくことになった。準備の間、私はお部屋でご主人様の荷物を整理することにする。

ご主人様のお部屋はとても広いが、日当たりはやっぱりよくない。

しかも照明がこの時代にいまだに蝋燭なので、アンティークの家具と寒色の壁の色が相まって、いつ幽霊が出てきてもおかしくない雰囲気だ。風で炎が揺れるたびに、不気味な館は更に不気味になる。

私はあまり音をたてないようにそっと床を歩くのだが、ご主人様はそんなことお構いなし。ギシギシ豪快に音を鳴らしながら歩いていくので恐怖が煽られてしまう。

衣裳棚に服や小物を整理してしまっていると、背後から大きく床の軋む音が近づいてくる。分かっていても怖いもので私は青ざめながら振り返った。

すると薄暗い廊下の陰から仏頂面をしたご主人様が現れる。もうご主人様が怖いのか幽霊が怖いのか自分でもわからなくなった。

「ひぃぃぃ。ご、ご主人様。もっとお静かに歩いてくださいませんか」

私は震えながら衣裳棚の扉を締める。

するとご主人様が私の目の前に立たれたので、頭をあげて彼の顔を見た。悔しいけれど相変わらず整ったお顔だ。切れ長のエメラルドグリーンの瞳が私を捉えてドキリと心臓が跳ねる。

そうして旦那様は私の鼻先にご自分の顔を近づけた。ほんの数ミリで顔が当たりそうだ。

(きゃぁぁぁ! 近いですぅ! 怖いいいぃぃ)

「エマ――お前、ヒッグスに優しくされても舞い上がるんじゃないぞ。あいつは若い女には誰にでもああだからな」

(はて、どういうことでしょう。あぁ、ご自分の友人が私なんかを気にかけたから気に食わないのですね)

「そ、そ、そうですね、ヒッグス様は誰にでもお優しいですから。本当に誰からも好かれる方でいらっしゃいますね」

更にムッとされたようだ。ご主人様の美しい切れ長の目が細められる。

(ご主人様の言うことを肯定しただけに過ぎないのに、どうして怒るのでしょうか???)

するとご主人様は自分の首のタイを外すと、それで私の目を隠した。もともと暗い部屋が更に真っ暗になって何も見えなくなる。

「ご、ご主人様ぁ????」

「勝手に自分でとるなよ。取ったら減給だからな」

そんな声とともにギシリギシリとご主人様が遠ざかっていく足音が聞こえる。

「えっ? でも何も見えませんけれども。お仕事の続きができませんが……あの、ご主人様。そこにいらっしゃいますよね」

返事が返ってこないまま、扉の閉まる音が聞こえた。そうして何も聞こえなくなった。

完璧な静寂があたりを包む。

不安になって手を伸ばすが、掴むのは空気ばかり。体を縮こまらせて恐る恐る振り向いてみるが、やはりどこにも人がいる気配はない。蓄積された恐怖が、栓が外れたように一気にあふれ出てくる。

「ご、ご主人様ぁぁぁ…… リチャード様ぁぁぁ!」

足を一歩踏み出すとギシリと床が音を立て、自分のせいだと分かっているのだが大きな悲鳴を上げた。

「ひゃぁっ!」

(ひ、ひ、ひ、酷いですぅ、私のせいでお屋敷にくることになったからって、こんな嫌がらせをするだなんて!)

「お願いします、ご主人様ぁ! そこにいらっしゃるんですよね。返事をしてください! リチャード様ぁ、リチャード様ぁ! ふぇぇ」

ついに半泣きになったとき、背後からいきなり誰かに抱きつかれた。

(ひぐっ! これって幽霊でしょうか! まさかシャーロット様と私を間違えて……とか? あぁ、そんな! マーシア様の怨霊に取りつかれて死ぬんですね、私……)

「っ!!!」

あまりの恐怖に声も出せない。死を覚悟したとき、ご主人様の声が耳元で聞こえてその腕が彼のものだったと知った。

「エマ。お前を助けてやれるのはリチャード・エマーソン、この俺だけだ。ヒッグスじゃない。お前の心と体に叩き込んでおけ」

「ご、ご主人様ぁ」

私のせいでお屋敷に来させられたのがよほど嫌だったのか、痛いほどに腕を締め付ける。しかも頭をぎゅうぎゅうに押しつけてくるので、ご主人様の顎が首に当たって痛い。

「……っ、……エマ」

そうして憎々しいといわんばかりに、感情のこもった声で私の名を呼ぶ。

しばらくして目隠しを外してくれたのだが、その時見たご主人様の頬は真っ赤になっていた。まだ怒りが収まらないのだろうか。私と目を合わせないようにもしている。

なのに私が目を逸らすと、その視線を追いかけてくるように見つめるのだ。なんだかすごく居心地が悪い。勇気を振り絞って目を合わせたままにすると、ご主人様はほんの少しだけ口角を上げた。

いつもこうだ。私が泣いたから喜んだのだろう。なんだか寂しい気持ちになるのはなぜなのだろう。

そんな時、扉をノックする音が聞こえる。ヒッグス様がご自分の支度が終わったのでご主人様の部屋に来たらしい。

「君の部屋を見てみたくて。へぇ、こんな感じなんだ。僕の部屋と正反対の間取りだな。あ、エマちゃん。さっきからずいぶん怖がってたけど大丈夫か?」

「ヒッグス様。あぁ、私。何かお手伝いできることはないかリアムさんに聞いてきますので、失礼いたします!」

私は大きくお辞儀をして、ご主人様の顔も見ず部屋を後にした。

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