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第35話

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 3年前。
 私が中1、お兄ちゃんが中2だった頃。
 小学校までの内気な自分を変えたくて私は自分をプロデュースすることにした。

 中学デビューは成功し、私はすぐ友達を作る事が出来た。
 特に、染谷恵美――――めぐとはすぐ仲良くなれた。


 それから間もないある日、私はある先輩から声を掛けられた。

「ねぇ。キミ、佐藤柚希ちゃんだよね?」
「そうですけど」
「俺、3年の田中。結構有名だと思うんだけど」
「名前は聞いたことありますけど……何か用ですか?」
「突然だけどさ、俺と付き合ってくれない?」
「すみません。私、そういうの苦手で」
「大丈夫。俺、そういうの慣れてるから」

 唐突に腕を取られたので、私は力づくで振り払った。

「やめてください!」 
「はは、ゴメンゴメン。なら諦めるよ。今日はね」

 そう言って田中先輩は悪びれた様子もなく去っていった。


 それ以降、田中先輩は何度も私に絡んできた。
 まがいなりにも校内随一の人気者からのアプローチに、誰もが私に注目した。
 正直いい気分だった。

 学年内でも目立っていたギャルグループの中心――柏木菜々はそんな私に目を付けた。


 ある日の休み時間にめぐと談笑していると、唐突に菜々が割り込んできた。

「おい佐藤。お前、田中先輩に色目使ってんだろ」
「私、そんな事してない」

 菜々が苦手だった私は、その場しのぎに悲し気な顔をして俯いた。
 めぐはそんな私を疑いもせずに庇ってくれた。
 
「柏木さん、ゆずはそんな子じゃないよ」
「どうだか。あまり調子に乗んなよ、佐藤」

 そう吐き捨てると菜々は自分のクラスに戻っていった。
 菜々は田中先輩の事が好きだったらしいけど、そんな事は気にも留めなかった。

 それ以来、私は注目と嫉妬の日々の中を過ごした。
 私にとって気の休まる場所は家で家族と過ごす時くらいだった。 

「柚希、お前の事、2年でも話題になってるぞ」
「そうなの?」
「可愛いだの付き合いたいだの騒いでるよ」
「ふふ、可愛い妹が人気になったから嬉しい?」
「俺はただ、柚希が心配なんだよ」
「大丈夫だよ。それにもし私が変な男に捕まってもお兄ちゃんがいるから」

 私はお兄ちゃんを心底頼りにしていた。
 小さい頃から今でもずっと、困った時はすぐに助けてくれる。

「助けてくれる……よね?」
「当り前だろ」
「よかった♪ 私、お兄ちゃんが自慢できるような妹になるからね」
「あ、あぁ」

 お兄ちゃんは少し浮かない顔をしたように見えた。 
 気にかけてくれるのは嬉しいけど、ちょっと心配しすぎな気がする。
 もう、お兄ちゃんは過保護なんだから。

 
 だけどある日、お兄ちゃんの心配が的中した。
 学校帰りにまた田中先輩が絡んできた。

「なぁいいじゃん。佐藤、俺と付き合えよ」
「何度も言ってますけど、先輩とは付き合えません」
「はぁ……じゃあもういいや。おい、お前ら」

 田中先輩が合図を送ると、物陰から数人の上級生の男子が現れた。

「マジでこの子貰っていいのかよ」
「あーいいよもう。俺に全然懐かねーし」

 それを聞いた途端、上級生達は|挙(こぞ)って私の身体に手を伸ばしてきた。

「ちょっと、何するんですか! やめて下さい!」
「おい、暴れんなよ」
「やめて! やめ……きゃ!」

 私は突き放した拍子に足がもつれて倒れてしまった。
 直後、足に鈍い痛みが走った。

「大丈夫かぁ? 手、貸してやるよ。へへ」
「やだ……来ないで……」


 助けて。


 お兄ちゃん。


「柚希!」

 唐突に聞こえた声に振り向くと、息を切らしたお兄ちゃんが立っていた。

「お前! 柚希に何した!?」
「な、何だコイツ……うわ!」

 お兄ちゃんの勢いに圧倒され、田中先輩はよろめきその場に倒れた。 
 その瞬間、ゴツリと鈍い音が響いた。 

「はぁ、はぁ、俺の妹に、手を出すな!」
「テメェ何してくれてんだ! あぁ!?」
「待て、田中が動かねぇ……血が出てるぞ!」
「おいウソだろ?」
「こいつやべぇよ、逃げるぞ!」

 田中先輩を担ぐと、上級生達は雲の子を散らすように去っていった。

 
 足を捻った私をお兄ちゃんは私をおんぶしてくれた。
 1人で歩けない程じゃなかった。
 けど、気が滅入っていた私はお兄ちゃんに甘えた。

「こうしてると幼稚園の頃に戻ったみたい」
「柚希はよく泣いてたもんな」
「うん。それでいつもお兄ちゃんが庇ってくれた」
「俺は兄貴だからな」

 背中越しにお兄ちゃんが大きく見えた。
 瞬間、さっきまでの光景が頭をよぎった。

「大丈夫かな、田中先輩」
「……ほっとけよ。あんな奴」
「でも、血出てた。もし、あのまま死んじゃったら……」
「…………」
「私、怖い……」
「大丈夫、大丈夫だから、な? ほら、もうすぐ家着くぞ」


 玄関のドアを開けるとお父さんとお母さんが立っていた。
 黙り込んでいた私達に、2人は心配そうな顔で口を開いた。

「学校から電話があった。こっちに来なさい」
「2人とも何があったか詳しく話してくれる?」

 私は、お兄ちゃんが相手を押し倒した事は伏せ、全てを話した。
 正直に話せばお兄ちゃんが責められる。
 それが怖かった。 

「つまり、田中君の所為で柚希が足を挫いた、という事だな?」
「そうなんだよ! アイツが柚希を――」
「田中君に、怪我はさせてないんだな?」
「それは……」
「ともかく今から病院へ行く。田中君のご両親もいらっしゃるみたいだからな。お前達も来なさい」

 足早にリビングを出たお父さんに続き私達も家を出た。
 病院に向かう車の中、会話らしいものは何一つなかった。 

 
 病院に着くと田中先輩のご両親が出迎えてくれた。
 私とお兄ちゃんは田中先輩のお母さんに連れられて病室まで向かった。

 ベッドには包帯を巻かれた田中先輩が横たわっていた。
 痛々しいその姿を前に、不安が重くのしかかってきた。

「先輩……」
「大丈夫よ。息子はただ眠ってるだけだから。あなたは足、大丈夫?」
「はい、ありがとうございます」
「良かった。こんなに可愛いお嬢さんに何かあったらいけないものね」

 そう言っておばさんは一足先に部屋を出ていった。
 
「大きな怪我じゃなくて良かった。ね、お兄ちゃん」 
「…………」
「お兄ちゃん?」
「ん? あぁ……」

 お兄ちゃんは終始呆然とした様子で、ただずっとベッドの横で立ち尽くしていた。
 

 ロビーに戻ると親同士が話し合いをしていた。
 というよりは、田中先輩のご両親が叱責しているようにも見えた。

「佐藤さん。息子の友人は『ただ喋ってただけなのに急に友也君が殴ってきた』と言っているんです」
「ですからそれはまだハッキリとは――」
「仰りたい事はわかります。そちらの娘さんにも怪我をさせてしまったようですし。ですが、ウチの息子はまだ眠ったままなんです」
「…………」
「正直、ウチは事を大きくしたくありません。なので今後一切、お互いのためにも、佐藤さんとは関わらないつもりです。わかって頂けますか?」
「はい……大変ご迷惑をおかけしました」

 お父さん達はひたすらに、田中さんの言葉に対し頭を下げていた。
 結局、この件は示談という形に収まった。


 家に着くと突然、お父さんがお兄ちゃんを殴りつけた。

「この、バカ息子が!」

 ガン!
 ガシャァン! 

「いい年して正義のヒーローになったつもりか!?」
「ちが……俺はただ柚希を……」
「痛いか? その何倍もの痛みをお前は田中君とご家族に与えたんだぞ!」
「…………」
「もう2度と暴力を振らないと約束しろ。わかったな!」
「……ッ!」
 
 お兄ちゃんはカバンも持たずにリビングを飛び出し2階へ駆け上がっていった。

「友也!」
「放っておけ」 
「あなた……」
「お前も友也に甘すぎだ。それと柚希、今後友也とは関わるな」
「……うん」

 その後の夕食もお兄ちゃんが部屋から出てくる事はなかった。


 食事が終わるとお母さんがお兄ちゃんのカバンを渡してきた。

「柚希。悪いんだけど、お兄ちゃんに渡してきてくれるかしら」
「でも、お父さんが」
「大丈夫。お父さん、今お風呂入ってるから」
「わかった」


 私は二階へ上がり、お兄ちゃんの部屋をノックした。

「私だよ、お兄ちゃん。入るよ?」

 暗い部屋の中でお兄ちゃんはベッドに横たわっていた。

「ケガ、痛くない?」
「…………」
「お腹空いてない? 今日の晩御飯、唐揚げだったよ?」
「…………」
「カバン、ここに置いとくね」

 何を言ってもお兄ちゃんは微動だにしなかった。
 もうそれ以上、言葉が出なかった。
 黙って部屋を去ろうとした時、

「柚希、ごめんな」

 お兄ちゃんはそう呟いた。

「俺が勝手な事しなければよかったんだよな」
「で、でも! 私は嬉しかったよ。だから――」
「お前ひとり嬉しくっても、そうじゃない人がもっといるだろ!」
「っ!!」

 私は言葉に詰まった。

「わかっただろ? 放っておいてくれ。俺が関わったら柚希に……皆に迷惑が掛かる」

 その言葉は弱々しく、だけど私を突き放すように感じた。

 悲しくて、辛くて、喉が締め付けられるように苦しくなった。
 『そんなことないよ』って、そう言わなくちゃ。
 言わなくちゃいけないのに――――

「お兄ちゃんの、バカ!」

 私は背を向け部屋を飛び出した。

 
 いつしか皆が私を悲劇のヒロインのように扱うようになった。
 けどお兄ちゃんは極悪人のように罵倒され、陰口を叩かれた。
 お兄ちゃんも私も、学校ではお互いを避けていた。
 正直どう接すればいいかわからなかった。
 でもそれ以上に、一種の快感が私を染めていった。

 自己顕示欲を満たす快感に。
 

 私が3年生になった頃には、2人きりの時に話す程度にはなっていた。
 そしてある日、お兄ちゃんが買い物に誘ってきた。

「え? 買い出しって、近所のスーパー?」
「あぁ」
「何で私まで?」
「母さんに頼まれた。たまには兄妹で行ってこいって」
「お母さん、気を遣ってくれたのかな……お母さんとは話してるの?」
「たまにな」
「そっかぁ」

 お父さんとは相変わらずみたいだった。
 それでも少しずつ、元通りになってきている気がした。

 
 次の日、いつものグループで談笑していると

「なぁ佐藤。あんたの兄貴って佐藤友也だろ?」

 と、菜々達ギャルグループが会話に入ってきた。
 徐々に周囲がざわつき始めた。

「へ? あの佐藤友也……先輩が兄貴?」
「柏木~ウソつくなよ。全然似てないっての」
「悪いけど、アタシ昨日見ちゃったんだよね~。あ、写真見る?」

 そう言うと菜々は得意げにスマホ画面を見せびらかした。

「え、マジじゃん! やばくね?」
「あはは! だよね~。ウチらもビックリしちゃって~」
「つかあんなキモヲタと兄妹とか死んでもイヤなんだけど~」

 見られてたなんて迂闊だった。
 私は何も言い返せず、ただただ恥ずかしさと悔しさで一杯だった。
 
「いい加減にしろよ!」

 不意にクラスメイトの武田くんが立ち上がり菜々達を睨みつけた。

「佐藤が何か悪い事したか?」
「それは……」 
「文句があるなら兄貴をいじらずに、佐藤に直接言うべきだと思う」
「あーまじウザ。いこいこ」 

 叱咤されて消沈したギャル達を連れて、菜々は教室を出ていった。


 3年の実質的なリーダーである武田くんのお陰で、兄妹という事を口にする人はいなくなった。
 それでも私の気が晴れることはなかった。
 お兄ちゃんをバカにする奴も、言い返せなかった自分も許せなかった。

 いつまでもこのままじゃいられない。
 私が全部変えなくちゃ。


 そして卒業式の日。
 私はプロデュース計画を実行した。
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