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第二章 王子は魔女に恋い焦がれる
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古い石造りの広間には、床に藁が敷かれ、その上に熱に苦しむ人々が寝かされていた。
伝染病が流行した田舎では、よくある光景だった。看病にあたる人々は口と鼻を布で覆い、感染拡大の防止に努めている。人々が、できる限りの最善を尽くしている様子が見て取れた。
病に苦しむ人々は、女子供と老人が主で、その人数はざっと三十人ほどだ。そのなかに、先日会ったニコールの姿を見つけて、エレナは後悔に奥歯をきつく噛み締めた。
風邪だと思うという彼女の言葉を楽観せずに、現地まで足を運ぶべきだったかもしれない。だが、後悔しても仕方がない。
自分のやるべきことをやる。今するべきは後悔ではない。エレナは自身を厳しく律した。
横たわる人々は熱に苦しみ、腹痛を訴えている。そして、首には赤い発疹が四つ現れていた。
「四星病ね……」
ちょうど喉のあたりに横並びに四つ発疹が現れる特徴から、エレナは病を特定した。
四星病は、非常に感染力の弱い病気で、風邪に似た症状を引き起こす。首の四つの発疹が現れているあいだは熱と腹痛で苦しむが、命に関わるほどの病ではない。
むしろ、そんな四星病にかかってしまうほど、体力が低下していることが問題視されるくらいだった。
流行病のなかでは比較的危険とみなされていない四星病だが、他の病よりずっと困った点がある。
エレナは赤毛に指を突っ込み、乱暴に頭皮を掻きむしった。
(これだけの人数に、黒珠草を……)
四星病の特効薬の主原料である黒珠草は、高価な薬草である。
過酷な砂漠でしか育たない多肉植物で、黒珠草が採れる地域では雑草にも近い扱いをされているが、自生しない地域では運び込まれるまでの手間賃がかさみ、とんでもない高値で販売される。イスティヴァンナの市場でも売られているが、これだけの人数に薬を作るには、莫大な金がかかってしまう。
エレナはこの現実に、いつも皮肉を感じていしまう。
貧困病とまでいわれる四星病の特効薬が、病気で苦しむ彼らには到底手の出ない材料でしか作れない。
一部の富裕層がどこまでも富を吸い上げる社会のしくみや人間の欲深さに、エレナの心は冷え冷えとしていく。
(どうしたらいいの)
四星病はしつこく宿主のなかで生き続ける。
他の薬で騙し騙し熱や腹痛を抑えることはできるが、四星病の完治には、どうしても黒珠草から作られる薬が必要だった。
頭を搔き乱すエレナの隣では、ロイが不安げに眉を下げていた。
「四星病って、そんなにまずい病気だったりするのか?」
「いいえ、感染力はとても弱いの。薬を飲ませればすぐに治る。けど、薬の材料が、とても高価で──」
「いくらだ?」
呆然と言葉を詰まらせたエレナに、クロードがもう一度「いくらする?」と訊ねた。
「金貨二十枚では足りないか?」
金貨二十枚。
それだけあれば、確実にこの人たちを助けられる。
言葉もなく首を横に振ったエレナに、クロードは上着の内側から袋を取り出した。エレナの手が彼の大きな手に掴まり、袋が掌に載せられる。
「使ってくれ」
掌に乗せられた袋は、ずっしりと重い。
金貨二十枚とは、これほどに重いものなのか、と、エレナは袋から目が離せなくなってしまう。受け取ることが怖くなった。これを受け取って、いいのだろうか。
だが、これがあれば、今苦しんでいる人々を助けられる。反対に、これを突き返せば、彼らを本当の意味で助けることはできない。
こくりとエレナの喉が鳴った。
ゆっくりとクロードの顔を見上げれば、彼はいつになく真剣な眼差しでエレナを見つめていた。
彼の青い瞳は、いつもの軽薄で不誠実で悪戯な光はなく、優しげで、実直な心を映し出している。
裏があって金を渡しているのではない、恩を売りたいわけでもない。この人たちを救いたいのは自分も同じだ、と、クロードの瞳はエレナに訴えかけていた。
これまで接してきたなかではじめて、彼を信じていいと思えた。
知らぬ一面を見せたクロードに、エレナはしっかりと頷いた。
伝染病が流行した田舎では、よくある光景だった。看病にあたる人々は口と鼻を布で覆い、感染拡大の防止に努めている。人々が、できる限りの最善を尽くしている様子が見て取れた。
病に苦しむ人々は、女子供と老人が主で、その人数はざっと三十人ほどだ。そのなかに、先日会ったニコールの姿を見つけて、エレナは後悔に奥歯をきつく噛み締めた。
風邪だと思うという彼女の言葉を楽観せずに、現地まで足を運ぶべきだったかもしれない。だが、後悔しても仕方がない。
自分のやるべきことをやる。今するべきは後悔ではない。エレナは自身を厳しく律した。
横たわる人々は熱に苦しみ、腹痛を訴えている。そして、首には赤い発疹が四つ現れていた。
「四星病ね……」
ちょうど喉のあたりに横並びに四つ発疹が現れる特徴から、エレナは病を特定した。
四星病は、非常に感染力の弱い病気で、風邪に似た症状を引き起こす。首の四つの発疹が現れているあいだは熱と腹痛で苦しむが、命に関わるほどの病ではない。
むしろ、そんな四星病にかかってしまうほど、体力が低下していることが問題視されるくらいだった。
流行病のなかでは比較的危険とみなされていない四星病だが、他の病よりずっと困った点がある。
エレナは赤毛に指を突っ込み、乱暴に頭皮を掻きむしった。
(これだけの人数に、黒珠草を……)
四星病の特効薬の主原料である黒珠草は、高価な薬草である。
過酷な砂漠でしか育たない多肉植物で、黒珠草が採れる地域では雑草にも近い扱いをされているが、自生しない地域では運び込まれるまでの手間賃がかさみ、とんでもない高値で販売される。イスティヴァンナの市場でも売られているが、これだけの人数に薬を作るには、莫大な金がかかってしまう。
エレナはこの現実に、いつも皮肉を感じていしまう。
貧困病とまでいわれる四星病の特効薬が、病気で苦しむ彼らには到底手の出ない材料でしか作れない。
一部の富裕層がどこまでも富を吸い上げる社会のしくみや人間の欲深さに、エレナの心は冷え冷えとしていく。
(どうしたらいいの)
四星病はしつこく宿主のなかで生き続ける。
他の薬で騙し騙し熱や腹痛を抑えることはできるが、四星病の完治には、どうしても黒珠草から作られる薬が必要だった。
頭を搔き乱すエレナの隣では、ロイが不安げに眉を下げていた。
「四星病って、そんなにまずい病気だったりするのか?」
「いいえ、感染力はとても弱いの。薬を飲ませればすぐに治る。けど、薬の材料が、とても高価で──」
「いくらだ?」
呆然と言葉を詰まらせたエレナに、クロードがもう一度「いくらする?」と訊ねた。
「金貨二十枚では足りないか?」
金貨二十枚。
それだけあれば、確実にこの人たちを助けられる。
言葉もなく首を横に振ったエレナに、クロードは上着の内側から袋を取り出した。エレナの手が彼の大きな手に掴まり、袋が掌に載せられる。
「使ってくれ」
掌に乗せられた袋は、ずっしりと重い。
金貨二十枚とは、これほどに重いものなのか、と、エレナは袋から目が離せなくなってしまう。受け取ることが怖くなった。これを受け取って、いいのだろうか。
だが、これがあれば、今苦しんでいる人々を助けられる。反対に、これを突き返せば、彼らを本当の意味で助けることはできない。
こくりとエレナの喉が鳴った。
ゆっくりとクロードの顔を見上げれば、彼はいつになく真剣な眼差しでエレナを見つめていた。
彼の青い瞳は、いつもの軽薄で不誠実で悪戯な光はなく、優しげで、実直な心を映し出している。
裏があって金を渡しているのではない、恩を売りたいわけでもない。この人たちを救いたいのは自分も同じだ、と、クロードの瞳はエレナに訴えかけていた。
これまで接してきたなかではじめて、彼を信じていいと思えた。
知らぬ一面を見せたクロードに、エレナはしっかりと頷いた。
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