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第114話 幕間26 魔王アンリエット
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「修繕班ー!」
わたしの背後で、聞きなれた叫びが上がった。ずっとわたしと一緒にいてくれる翼を持たぬ竜族の男、セブランだ。
修繕班と呼ばれる者たちも慣れたもので、セブランの要請にわらわらと集まってきて、壊れた壁を魔術であっという間に直していく。これもいつものことだが、修繕を重ねるたびに以前よりも強固なものを作り上げてくれる。
うむ、いつ見ても素晴らしい出来であーる!
「あの、魔王様? もうちょっと前を見てくださいね? もうここは人間の領地なんですから」
セブランが神経質そうな動きで銀縁眼鏡を指先で持ち上げる。深いため息をつく彼を見上げて、わたしはにしし、と笑う。そんなわたしを見下ろした彼は、むむう、と低く唸った。
わたしがこの世界に命を与えられた時、初めて目にしたのはこの男だった。
今よりずっと若く――というより幼く、彼の父親である男の指示でわたしの友人としてあてがわれたのだと聞く。だから、わたしの誕生の場に立ち会ったんだとか。
「えーと、初めまして」
口ごもりながらも必死にそう言った彼は、今から比べると随分と純粋で可愛らしかった。彼は幼いわたしを目の前にしてどう接していいか解らず、途方に暮れていた。
「あなた誰? わたしは……」
そしてわたしも、自分の役目を知らなかった。生まれながらにして名前――アンリエットという名前を持ち、自分が彼よりも上の存在であると直感したものの、それ以上のことは解らない。
つまり、新しい魔王として何をしたらいいのか、である。
だから、セブランの父親はわたしに教えてくれた。これからわたしがなすべきことは何か、そして前の魔王マチルダの右腕が彼であったように、わたしの右腕としてセブランを育てるのだと息巻いていた。
マチルダがこの世界から消えた理由は、本当につまらないものだった。
人間の権力闘争に負けたのだ。
人間は平和というぬるま湯の中で、自分の役目を忘れてしまったらしい。魔族を殺し、魔族領を滅ぼすことで大地の穢れも消えると考えた。
その結果がこれである。
マチルダはこの世界から『飛ばされた』。別の世界に行ってしまった魔王は、もうこちらの世界の魔王としての力を失った。
だから、魔族領に新しい魔王が必要となったわけだ。
そうして生まれたのがわたしだったが、残念ながら前の魔王よりもずっと魔力が弱かった。もしかしたら、マチルダが完全に消滅していればわたしも強大な魔力を得たのかもしれないが、彼女はまだ存在している。
そう、彼女は唐突にわたしの目の前に現われた。
随分と弱体化して元の魔王の姿を取れなくなった、人間の姿で。
ただその頃には、セブランの父親は寿命を迎え、この世を去った後だった。だから、マチルダは彼に会うことができなかったことを悔しがった。「もっとわたしが早く力を得ていれば」と何度聞いたことか。
「えー、でもマチルダがいるなら別にわたしが魔王じゃなくてもいいんじゃない? みんな、マチルダを助けてくれるよ? 一緒に戦お?」
昔、わたしが魔王城の応接室のソファで足をぶらぶらさせながら言った時、目の前に立ったマチルダが困ったように笑って見せた。
「残念ながら、わたしはずっとこちらの世界にはいられない。向こうの世界で魔力がある程度たまったら、こちらに渡ってこられるけど、界を渡るっていうのはとんでもなく魔力を消費するの」
彼女はそう言いながら、長い髪の毛に指先を絡めた。
マチルダは美しい黒髪をしているが、その毛先は白く変色している。
「多分、これはわたしの魔力の量を示しているんだと思う。こちらの世界にいればいるほど、白い部分が増える。これが魔力を失っていく証拠なのかしら。これが全て真っ白になったら、わたしは完全に消滅するのかも」
「えー」
「だから、適当なところでわたしは向こう側に戻らなくてはいけない。だから、あなたがやらなきゃいけないの。わたしの後継者であるあなたが、このロキシールと人間の領地を守るのよ」
「んー」
正直なところ、人間を守る意味があるのか解らない。元々はロキシールに対して侵略しようとした敵だ。
でも、それがわたしの役目ならやらなきゃいけないんだろう。
人間から恐れられ、忌み嫌われたとしても。
「私が一緒にいます。どんな時も一緒に戦い、死ねと言われたら迷いなくこの命を捧げます」
セブランはそう言ってわたしの前に膝をついたが、勝手に捧げられても困る。わたしのただ一人の友人。ずっと死ぬまで一緒にいてもらわねば困るのだ。
「わたしもできる限り、手伝うから」
マチルダはそう言って微笑む。
向こう側――別の世界から戦士を呼び出して、手伝ってもらうとか言う。
無茶苦茶だと思ったが、まあ、マチルダは楽しそうだからいいだろう。
そう。
どうせなら楽しんだ方がいい。
人間と争うのとか、面倒だし厭だ。
わたしは元々、魔王城に引きこもってごろごろしたい質なのだ。だったら、厭なことは先に片づけてしまった方がいい。そして、早く帰って寝る。
そしてそれは簡単にできるはずなのだ。
だって、わたしの傍には信頼できる者たちがいるから。
だから大丈夫、何とかなるなる、頑張ろう!
「我が名はアンリエット!」
わたしは右手を高く上げて叫ぶ。
まあ、背伸びをしても指先はセブランの肩にも届かないのだが。
「魔族領の王、アンリエットであーる!」
そう叫びながら、遠巻きにこちらを見る人間たちを見回した。
邪神を倒すために、と呼ばれてやってきたフォルシウスという名の街。誰もが戦々恐々とした様子で、我々魔族の軍を見つめていた。
わたしの頭上には、翼を持つ魔物たちが飛び交っている。その数は数千、火を吹くドラゴンも、雷を落とすドラゴンもいる。
翼を持たぬ竜族も、人間の街から追い出されてきた獣人たちもいる。ただ他の魔物と違うのは、彼らは言語を話し、知恵も理性も持つということだ。意味もなく他者を襲うこともない。
これが、わたしが大切にしてきた魔族領の民。
わたしのために戦ってくれる、仲間たち。
「人間よ、刮目せよ! 我々魔族は、穢れを持つ邪悪なるものを狩る存在! 魔族を、そして人間を守るために存在するものであーる!」
「あらやだ、格好いい!」
背後でマチルダが両手をぱちぱちと叩いているのが聞こえる。セブランは必死になってそれを遮ろうとしていた。
「やめてください、うちの魔王はおだてると何でもしてしまうんですから!」
「いいじゃなーい。楽しそうで」
「他人事みたいに言わないでくーだーさーいー」
歯をむき出して言っているであろうセブランの顔は、見なくても想像できる。うむ、可愛いやつめ。後でお前の尻尾を撫でてやろう。
「あの、それどころじゃなくて、神殿に」
そう口を挟んできたのは、わたしたちをここに連れてきたシロという名の獣人だ。これもなかなかの美丈夫。後で尻尾を撫でさせてもらおう。
「どういうことだ」
「何? 何なの?」
遠くから人間たちのざわめきが聞こえる。
最初は恐怖で身体を強張らせていた彼らだったが、我々がフォルシウスを攻撃するわけではないことに気づいたのか、それぞれ困惑の色を深めていた。
そうしているうちに、遠くから――フォルシウスの街の中央にある神殿から地鳴りのようなものがじわじわと伝わってきた。
「地震!?」
人間たちが驚いて建物から飛び出てくる。その地鳴りはどんどん激しくなり、一瞬遅れてあらゆる建物が揺れた。古い建物には亀裂が入り、その石の壁がばらばらと崩れ始めると一気に悲鳴が広がった。
「落ち着くとよい、人間たちよ!」
わたしは地面を軽く蹴り、宙に浮かんで叫んだ。「この人間の街で、穢れがあふれ出そうとしている!」
「穢れ?」
「どういうことだ」
ざわめく彼らを上から見下ろすことの心地よさは何とも言えない。絶壁と呼べる自分の胸を張り、さらに続けた。
「我々はその穢れを退治するためにやってきた! 我々魔族の者がお前たちを守り、お前たちを安全な場所まで退避させる!」
「信用できるか!」
人間の男が遠くから叫ぶと、それは他の人間にも伝染した。それぞれが色々と叫ぶため、何を言っているのか解らなくなる。それでも、彼らがわたしの言葉に納得していないのは一目瞭然だ。
しかし。
「何だあれ……」
一人の人間が、神殿の方を見たまま固まった。
地震は収まったから人間たちにも心の余裕ができたようだ。それでも、遠くに見える神殿が大きく崩れているのが見えると新しい混乱が生まれた。
「神殿が」
「何だあれ」
「魔物……?」
人間たちの視線の先にあるのは、崩れた神殿から這い出てきた化け物だ。
我々魔族と違い、知能あるものとは思えぬ姿。肉の塊。おぞましさを形にすると、ああなるといういい例。
それが、奇妙な足を動かしながら神殿の外へ出てこようとしているのだ。
誰が最初に悲鳴を上げたのかは解らない。
皆が恐慌に駆られて逃げ出そうとするのを、わたしはまた大きな声を上げて押しとどめた。
「我々はあれを倒すためにやってきた! 人間よ、今だけでいい、我々の指示に従って安全な場所に退避せよ!」
「本当に倒してくれるのか」
誰かが問いかける。
だから、わたしは胸を叩いて頷く。
「約束する! 我々は強い! あんなの、ちょちょいのちょいで倒してやるぞー!」
「ほらまた付けあがった」
セブランが小さく呟いたが、わたしの耳はそれを聞き逃したりはしないのだ。そっとそちらに視線を落とすと、彼は呆れかえった様子で肩を竦めている。
「そういうところが可愛いって知ってるくせにー」
と唇を尖らせると、セブランの目が完全に冷え切った。あ、そろそろまずいかな?
わたしはもう一度人間たちに目をやると、可愛らしく小首を傾げて見せる。
「上手く退治できたら、お土産としてお菓子ちょーだい?」
「は?」
「え?」
「魔王様ー!」
「うるさいセブラン、そろそろ行くぞ!」
こんなわたしたちの様子を、肩を震わせて笑っているマチルダが見守る。
そして、シロという獣人が途方に暮れている。
でもわたしは気にしない。気にしないのだ!
わたしの背後で、聞きなれた叫びが上がった。ずっとわたしと一緒にいてくれる翼を持たぬ竜族の男、セブランだ。
修繕班と呼ばれる者たちも慣れたもので、セブランの要請にわらわらと集まってきて、壊れた壁を魔術であっという間に直していく。これもいつものことだが、修繕を重ねるたびに以前よりも強固なものを作り上げてくれる。
うむ、いつ見ても素晴らしい出来であーる!
「あの、魔王様? もうちょっと前を見てくださいね? もうここは人間の領地なんですから」
セブランが神経質そうな動きで銀縁眼鏡を指先で持ち上げる。深いため息をつく彼を見上げて、わたしはにしし、と笑う。そんなわたしを見下ろした彼は、むむう、と低く唸った。
わたしがこの世界に命を与えられた時、初めて目にしたのはこの男だった。
今よりずっと若く――というより幼く、彼の父親である男の指示でわたしの友人としてあてがわれたのだと聞く。だから、わたしの誕生の場に立ち会ったんだとか。
「えーと、初めまして」
口ごもりながらも必死にそう言った彼は、今から比べると随分と純粋で可愛らしかった。彼は幼いわたしを目の前にしてどう接していいか解らず、途方に暮れていた。
「あなた誰? わたしは……」
そしてわたしも、自分の役目を知らなかった。生まれながらにして名前――アンリエットという名前を持ち、自分が彼よりも上の存在であると直感したものの、それ以上のことは解らない。
つまり、新しい魔王として何をしたらいいのか、である。
だから、セブランの父親はわたしに教えてくれた。これからわたしがなすべきことは何か、そして前の魔王マチルダの右腕が彼であったように、わたしの右腕としてセブランを育てるのだと息巻いていた。
マチルダがこの世界から消えた理由は、本当につまらないものだった。
人間の権力闘争に負けたのだ。
人間は平和というぬるま湯の中で、自分の役目を忘れてしまったらしい。魔族を殺し、魔族領を滅ぼすことで大地の穢れも消えると考えた。
その結果がこれである。
マチルダはこの世界から『飛ばされた』。別の世界に行ってしまった魔王は、もうこちらの世界の魔王としての力を失った。
だから、魔族領に新しい魔王が必要となったわけだ。
そうして生まれたのがわたしだったが、残念ながら前の魔王よりもずっと魔力が弱かった。もしかしたら、マチルダが完全に消滅していればわたしも強大な魔力を得たのかもしれないが、彼女はまだ存在している。
そう、彼女は唐突にわたしの目の前に現われた。
随分と弱体化して元の魔王の姿を取れなくなった、人間の姿で。
ただその頃には、セブランの父親は寿命を迎え、この世を去った後だった。だから、マチルダは彼に会うことができなかったことを悔しがった。「もっとわたしが早く力を得ていれば」と何度聞いたことか。
「えー、でもマチルダがいるなら別にわたしが魔王じゃなくてもいいんじゃない? みんな、マチルダを助けてくれるよ? 一緒に戦お?」
昔、わたしが魔王城の応接室のソファで足をぶらぶらさせながら言った時、目の前に立ったマチルダが困ったように笑って見せた。
「残念ながら、わたしはずっとこちらの世界にはいられない。向こうの世界で魔力がある程度たまったら、こちらに渡ってこられるけど、界を渡るっていうのはとんでもなく魔力を消費するの」
彼女はそう言いながら、長い髪の毛に指先を絡めた。
マチルダは美しい黒髪をしているが、その毛先は白く変色している。
「多分、これはわたしの魔力の量を示しているんだと思う。こちらの世界にいればいるほど、白い部分が増える。これが魔力を失っていく証拠なのかしら。これが全て真っ白になったら、わたしは完全に消滅するのかも」
「えー」
「だから、適当なところでわたしは向こう側に戻らなくてはいけない。だから、あなたがやらなきゃいけないの。わたしの後継者であるあなたが、このロキシールと人間の領地を守るのよ」
「んー」
正直なところ、人間を守る意味があるのか解らない。元々はロキシールに対して侵略しようとした敵だ。
でも、それがわたしの役目ならやらなきゃいけないんだろう。
人間から恐れられ、忌み嫌われたとしても。
「私が一緒にいます。どんな時も一緒に戦い、死ねと言われたら迷いなくこの命を捧げます」
セブランはそう言ってわたしの前に膝をついたが、勝手に捧げられても困る。わたしのただ一人の友人。ずっと死ぬまで一緒にいてもらわねば困るのだ。
「わたしもできる限り、手伝うから」
マチルダはそう言って微笑む。
向こう側――別の世界から戦士を呼び出して、手伝ってもらうとか言う。
無茶苦茶だと思ったが、まあ、マチルダは楽しそうだからいいだろう。
そう。
どうせなら楽しんだ方がいい。
人間と争うのとか、面倒だし厭だ。
わたしは元々、魔王城に引きこもってごろごろしたい質なのだ。だったら、厭なことは先に片づけてしまった方がいい。そして、早く帰って寝る。
そしてそれは簡単にできるはずなのだ。
だって、わたしの傍には信頼できる者たちがいるから。
だから大丈夫、何とかなるなる、頑張ろう!
「我が名はアンリエット!」
わたしは右手を高く上げて叫ぶ。
まあ、背伸びをしても指先はセブランの肩にも届かないのだが。
「魔族領の王、アンリエットであーる!」
そう叫びながら、遠巻きにこちらを見る人間たちを見回した。
邪神を倒すために、と呼ばれてやってきたフォルシウスという名の街。誰もが戦々恐々とした様子で、我々魔族の軍を見つめていた。
わたしの頭上には、翼を持つ魔物たちが飛び交っている。その数は数千、火を吹くドラゴンも、雷を落とすドラゴンもいる。
翼を持たぬ竜族も、人間の街から追い出されてきた獣人たちもいる。ただ他の魔物と違うのは、彼らは言語を話し、知恵も理性も持つということだ。意味もなく他者を襲うこともない。
これが、わたしが大切にしてきた魔族領の民。
わたしのために戦ってくれる、仲間たち。
「人間よ、刮目せよ! 我々魔族は、穢れを持つ邪悪なるものを狩る存在! 魔族を、そして人間を守るために存在するものであーる!」
「あらやだ、格好いい!」
背後でマチルダが両手をぱちぱちと叩いているのが聞こえる。セブランは必死になってそれを遮ろうとしていた。
「やめてください、うちの魔王はおだてると何でもしてしまうんですから!」
「いいじゃなーい。楽しそうで」
「他人事みたいに言わないでくーだーさーいー」
歯をむき出して言っているであろうセブランの顔は、見なくても想像できる。うむ、可愛いやつめ。後でお前の尻尾を撫でてやろう。
「あの、それどころじゃなくて、神殿に」
そう口を挟んできたのは、わたしたちをここに連れてきたシロという名の獣人だ。これもなかなかの美丈夫。後で尻尾を撫でさせてもらおう。
「どういうことだ」
「何? 何なの?」
遠くから人間たちのざわめきが聞こえる。
最初は恐怖で身体を強張らせていた彼らだったが、我々がフォルシウスを攻撃するわけではないことに気づいたのか、それぞれ困惑の色を深めていた。
そうしているうちに、遠くから――フォルシウスの街の中央にある神殿から地鳴りのようなものがじわじわと伝わってきた。
「地震!?」
人間たちが驚いて建物から飛び出てくる。その地鳴りはどんどん激しくなり、一瞬遅れてあらゆる建物が揺れた。古い建物には亀裂が入り、その石の壁がばらばらと崩れ始めると一気に悲鳴が広がった。
「落ち着くとよい、人間たちよ!」
わたしは地面を軽く蹴り、宙に浮かんで叫んだ。「この人間の街で、穢れがあふれ出そうとしている!」
「穢れ?」
「どういうことだ」
ざわめく彼らを上から見下ろすことの心地よさは何とも言えない。絶壁と呼べる自分の胸を張り、さらに続けた。
「我々はその穢れを退治するためにやってきた! 我々魔族の者がお前たちを守り、お前たちを安全な場所まで退避させる!」
「信用できるか!」
人間の男が遠くから叫ぶと、それは他の人間にも伝染した。それぞれが色々と叫ぶため、何を言っているのか解らなくなる。それでも、彼らがわたしの言葉に納得していないのは一目瞭然だ。
しかし。
「何だあれ……」
一人の人間が、神殿の方を見たまま固まった。
地震は収まったから人間たちにも心の余裕ができたようだ。それでも、遠くに見える神殿が大きく崩れているのが見えると新しい混乱が生まれた。
「神殿が」
「何だあれ」
「魔物……?」
人間たちの視線の先にあるのは、崩れた神殿から這い出てきた化け物だ。
我々魔族と違い、知能あるものとは思えぬ姿。肉の塊。おぞましさを形にすると、ああなるといういい例。
それが、奇妙な足を動かしながら神殿の外へ出てこようとしているのだ。
誰が最初に悲鳴を上げたのかは解らない。
皆が恐慌に駆られて逃げ出そうとするのを、わたしはまた大きな声を上げて押しとどめた。
「我々はあれを倒すためにやってきた! 人間よ、今だけでいい、我々の指示に従って安全な場所に退避せよ!」
「本当に倒してくれるのか」
誰かが問いかける。
だから、わたしは胸を叩いて頷く。
「約束する! 我々は強い! あんなの、ちょちょいのちょいで倒してやるぞー!」
「ほらまた付けあがった」
セブランが小さく呟いたが、わたしの耳はそれを聞き逃したりはしないのだ。そっとそちらに視線を落とすと、彼は呆れかえった様子で肩を竦めている。
「そういうところが可愛いって知ってるくせにー」
と唇を尖らせると、セブランの目が完全に冷え切った。あ、そろそろまずいかな?
わたしはもう一度人間たちに目をやると、可愛らしく小首を傾げて見せる。
「上手く退治できたら、お土産としてお菓子ちょーだい?」
「は?」
「え?」
「魔王様ー!」
「うるさいセブラン、そろそろ行くぞ!」
こんなわたしたちの様子を、肩を震わせて笑っているマチルダが見守る。
そして、シロという獣人が途方に暮れている。
でもわたしは気にしない。気にしないのだ!
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