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第66話 幕間13 セシリア
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『君からの手紙がこれほどまでに心に響くのを、君は知らないだろう。
夜が来るたびに、月を見上げながら君と過ごした日々を思う。もう手が届くことがないのかと打ちのめされるのを繰り返し、それでも君と一緒にいた時に感じていた穏やかな日々を望んでしまう自分が愚かだとも解っている。
せめて、君だけは自由に羽ばたく鳥であって欲しい。いつだって私の心は君と共にある。
息子の件も、嬉しく思う。あの子に関わる時間が充分ではなかったとはいえ、大切な私の息子だ。あの子が望むなら、あの子が本当に愛する人を見つけたというのなら、その結婚に反対する理由など一つもない。
私ができることは何でもするし、できれば婚姻の儀式の時には立ち合いたい。君たちが王都に戻ってきてくれたらと願うが、無理強いはしない。その代わり、レジーナやその他の土地で行う場合は呼んでもらいたい。
恋をするのは無駄だという連中もいるが、私はそうは思わない。たとえ王族の一員とはいえ、可能であれば』
――長いのよ。
わたしはムカついて、思わずそこで手紙を投げ出したくなった。夫であるラザール・アディーエルソンからの手紙は、時間がない時にはあまり読みたくないタイプのものだ。相変わらずあの人の言葉は装飾過多。
無駄な文章を省いてしまえば、つまりは手紙が嬉しかった、ミカエルの結婚式には呼べ、そういうことね。
しかし、長ったらしい手紙の最後の方には、少しだけ気になる記述があった。
『こちらからの近況というか、問題を一つ報告しておこう。
第二王子が何故か、情緒不安定になっている。あれがミカエルに対して無駄に対抗心を抱いているのは昔からだが、呪いを受けて精霊魔法が使えなくなったという話をどこからか聞いたらしく、慰めに行きたいとこぼしていたようだ。もちろん、慰めというのは口実だろう。
王城から抜け出して遊び回っていることも多いため、騎士団に入れて心身ともに鍛えてもらっているのだが、忍耐力という言葉を知らぬ子だから何かしでかすのではないかと懸念している。
万が一だが、君たちのところに行くようであれば、また連絡が欲しい。あれが問題を起こす前に連れ戻しにいくつもりだ。
それより、いつの間に君は聖獣を手懐けたのだろうか。聖獣であれば、手紙のやり取りも他の人間には気づかれずに行えると思う。驚いたが、相変わらずだとも笑ってしまった。いつだって君は私を笑顔にしてくれる。我が太陽であり月。我が半身であり比翼の鳥』
――最後が暑苦しい。
とはいえ、第二王子ね、とわたしは思う。
ワインによって酔いが回ってきているせいか、彼の顔がどんなものだったか思い出せない。まあ、会ったのは随分と昔のことだし、今はすっかり大人でしょうけど。
王妃によって厳しく育てられた第一王子ディオン、甘やかされた第二王子リュカ。
ディオンはミカエルに対して無視を貫き、リュカはミカエルを馬鹿にしたような言葉を投げることが多かった。
しかし、どちらも陛下の血を受け継いで、顔立ちはラザールにそっくりなのよね。つまり、ミカエルにも似ているということだ。
それがムカつく。
「あ、それで結局、記憶って戻ったんですか?」
美形さんがふと思いついたようにそう訊いてきて、わたしはそっと顔を上げた。ちょっと酔いすぎたせいで、顔が熱い。そろそろ水を飲むべきね、と店員さんを呼んで持ってきてもらう。
冷たい水が美味しい、と思いながら喉を鳴らし、ところで何の話をしていたっけ、と思い出す。ああ、記憶ね、記憶。
「残念ながら、ラザールの記憶は戻らなかったのよ。治療魔術も、精霊魔術も、怪我を治すことはできても記憶までは無理だったみたい」
そう。
記憶喪失の人って、記憶が戻ると――失っていた時間の時のことを忘れてしまうこともあるって聞いたことがある。いっそのこと、それだったらよかったのに。
わたしのこともミカエルのことも忘れて、王妃様と王子様のところに戻ってくれたら一番平和だったのかもしれない。
彼は唯一の王位継承者となってしまったから、城に戻ることしか許されていなかった。わたしは別に、結婚なんかしなくてもよかったと思う。ミカエルが一緒だったら、それでよかった。ギルドで稼いだ金で女と子供くらい充分生活していける。
それでも、ラザールがわたしと一緒にいることを選んだからこじれてしまった。王妃様はいるんだから、わたしは側妃。それが許されないのなら、王位などいらないと言い出した彼。
王妃様は可哀そうに、と思う。
あの人は間違いなく、ラザールのことを好きだったんだろう。政略結婚だとはいえ、一緒に暮らしてきて子供を二人も産んだ。そこには確かに愛に似た感情があったんだろう。
おかげで、嫌がらせは散々された。
こっちは平民だから仕方ないとはいえ、なかなか刺激的な毎日だった。
まあ、もう二度とごめんだけど。
「あ、お帰り」
「お帰りにゃ」
そこに美形さんと猫の子の声が響いて、わたしはのろのろと顔を上げる。店の入り口から、ミカエルがアキラちゃんの手を引きながら入ってくるのが見えた。
アキラちゃん、凄く気まずそう。
そして馬鹿息子、嬉しそうに彼女の手を握っている。よく頑張ったと言いたい。まあ、せいぜい手をつなぐくらいよね、うちの息子は見た目によらず奥手だから。でも、かなりの進歩だ。
「もう帰る」
息子の手を振り払って、テーブルに一直線に駆け寄ってきたアキラちゃんは必死の形相で言う。「心の安寧が欲しい。帰る、帰ろう、今すぐ帰ろう」
「……何があったの」
美形さんが目を細めながら訊くと、それに応えたのは我が息子ミカエル。
「ほぼ泣き落としで手をつないでもらいました」
そして無駄に自慢げ。台詞は全く格好よくないけど。
「俺は、俺は」
アキラちゃんが猫の子の手をがっしと掴み、泣きそうになりつつ変なことを言う。「お腹空いたから頭が働かない。だから頼む、お前が必要だ」
「解ったにゃ」
「わたしも混ざる」
「お前はいらーん!」
噛みつくように言い返したアキラちゃんは、美形さんの膝の上にいた猫獣人を抱きしめてぐりぐりと頭を幼女にこすり付けていた。大丈夫かしら。
まあ、結構騒いでしまったので、さすがにお客さんたちの視線を引いたらしい。わたしたちは椅子から立ち上がり、勘定を済ませると離宮に戻ることにした。
ちょっと足元はふらつくけれど、大通りからそれて路地裏に入ったところで精霊魔法を発動。あっという間にレジーナの離宮の門の前。
いい感じの酔いだわー、と無駄にその場でくるくる回って見せると、アルトが呆れたようにわたしを支えようとしてくれた。いいわね、真面目青年。もっと頑張れ!
しかし。
「……何故?」
ミカエルが怪訝そうな声を上げて、我々全員が足をとめる。
真っ暗な門の前ではあったけれど、人間が近づくとランプの明かりがつくように魔道具が設置されている。そのオレンジ色の光の下で、人影があるのが解った。
「いいご身分だな。こんな時間まで遊び回ってるとは」
腕を組み、不満げな声を上げた青年。
オレンジ色に染まった金色の髪と、整った顔立ち。あの人は第二王子を騎士団に入れたとか何とかいっていたけど、体つきがひょろひょろしているせいで、全く成果が見られない。剣なんか振り回せないでしょ、っていう体型。
ミカエルよりも目尻が下がっているせいで、優しく見えるのにその目に浮かんだ敵意のようなものがそれを裏切る。
第二王子、リュカ。
「やだあ、本当に来ちゃったの?」
わたしが思わずそう声を上げると、ミカエルが咎めるようにこちらを見たのが解った。秘密にしていたわけじゃないわよ? 後で言うつもりだったんだから。
城を抜け出すどころか、まさかこんなところまで来るなんてわたしもラザールも思わないじゃない?
っていうか、何のためにここまで来たのよ? 呪いにかかったことを慰めるためなんて言わないわよね? 馬鹿にするためかしら。
「ミカエル。いい加減、アクセリナ・ノルディンを開放しろ」
リュカはそう言ったけれど、わたしとしては意味が解らず首を傾げるばかりだ。アクセリナ・ノルディンって誰よ?
夜が来るたびに、月を見上げながら君と過ごした日々を思う。もう手が届くことがないのかと打ちのめされるのを繰り返し、それでも君と一緒にいた時に感じていた穏やかな日々を望んでしまう自分が愚かだとも解っている。
せめて、君だけは自由に羽ばたく鳥であって欲しい。いつだって私の心は君と共にある。
息子の件も、嬉しく思う。あの子に関わる時間が充分ではなかったとはいえ、大切な私の息子だ。あの子が望むなら、あの子が本当に愛する人を見つけたというのなら、その結婚に反対する理由など一つもない。
私ができることは何でもするし、できれば婚姻の儀式の時には立ち合いたい。君たちが王都に戻ってきてくれたらと願うが、無理強いはしない。その代わり、レジーナやその他の土地で行う場合は呼んでもらいたい。
恋をするのは無駄だという連中もいるが、私はそうは思わない。たとえ王族の一員とはいえ、可能であれば』
――長いのよ。
わたしはムカついて、思わずそこで手紙を投げ出したくなった。夫であるラザール・アディーエルソンからの手紙は、時間がない時にはあまり読みたくないタイプのものだ。相変わらずあの人の言葉は装飾過多。
無駄な文章を省いてしまえば、つまりは手紙が嬉しかった、ミカエルの結婚式には呼べ、そういうことね。
しかし、長ったらしい手紙の最後の方には、少しだけ気になる記述があった。
『こちらからの近況というか、問題を一つ報告しておこう。
第二王子が何故か、情緒不安定になっている。あれがミカエルに対して無駄に対抗心を抱いているのは昔からだが、呪いを受けて精霊魔法が使えなくなったという話をどこからか聞いたらしく、慰めに行きたいとこぼしていたようだ。もちろん、慰めというのは口実だろう。
王城から抜け出して遊び回っていることも多いため、騎士団に入れて心身ともに鍛えてもらっているのだが、忍耐力という言葉を知らぬ子だから何かしでかすのではないかと懸念している。
万が一だが、君たちのところに行くようであれば、また連絡が欲しい。あれが問題を起こす前に連れ戻しにいくつもりだ。
それより、いつの間に君は聖獣を手懐けたのだろうか。聖獣であれば、手紙のやり取りも他の人間には気づかれずに行えると思う。驚いたが、相変わらずだとも笑ってしまった。いつだって君は私を笑顔にしてくれる。我が太陽であり月。我が半身であり比翼の鳥』
――最後が暑苦しい。
とはいえ、第二王子ね、とわたしは思う。
ワインによって酔いが回ってきているせいか、彼の顔がどんなものだったか思い出せない。まあ、会ったのは随分と昔のことだし、今はすっかり大人でしょうけど。
王妃によって厳しく育てられた第一王子ディオン、甘やかされた第二王子リュカ。
ディオンはミカエルに対して無視を貫き、リュカはミカエルを馬鹿にしたような言葉を投げることが多かった。
しかし、どちらも陛下の血を受け継いで、顔立ちはラザールにそっくりなのよね。つまり、ミカエルにも似ているということだ。
それがムカつく。
「あ、それで結局、記憶って戻ったんですか?」
美形さんがふと思いついたようにそう訊いてきて、わたしはそっと顔を上げた。ちょっと酔いすぎたせいで、顔が熱い。そろそろ水を飲むべきね、と店員さんを呼んで持ってきてもらう。
冷たい水が美味しい、と思いながら喉を鳴らし、ところで何の話をしていたっけ、と思い出す。ああ、記憶ね、記憶。
「残念ながら、ラザールの記憶は戻らなかったのよ。治療魔術も、精霊魔術も、怪我を治すことはできても記憶までは無理だったみたい」
そう。
記憶喪失の人って、記憶が戻ると――失っていた時間の時のことを忘れてしまうこともあるって聞いたことがある。いっそのこと、それだったらよかったのに。
わたしのこともミカエルのことも忘れて、王妃様と王子様のところに戻ってくれたら一番平和だったのかもしれない。
彼は唯一の王位継承者となってしまったから、城に戻ることしか許されていなかった。わたしは別に、結婚なんかしなくてもよかったと思う。ミカエルが一緒だったら、それでよかった。ギルドで稼いだ金で女と子供くらい充分生活していける。
それでも、ラザールがわたしと一緒にいることを選んだからこじれてしまった。王妃様はいるんだから、わたしは側妃。それが許されないのなら、王位などいらないと言い出した彼。
王妃様は可哀そうに、と思う。
あの人は間違いなく、ラザールのことを好きだったんだろう。政略結婚だとはいえ、一緒に暮らしてきて子供を二人も産んだ。そこには確かに愛に似た感情があったんだろう。
おかげで、嫌がらせは散々された。
こっちは平民だから仕方ないとはいえ、なかなか刺激的な毎日だった。
まあ、もう二度とごめんだけど。
「あ、お帰り」
「お帰りにゃ」
そこに美形さんと猫の子の声が響いて、わたしはのろのろと顔を上げる。店の入り口から、ミカエルがアキラちゃんの手を引きながら入ってくるのが見えた。
アキラちゃん、凄く気まずそう。
そして馬鹿息子、嬉しそうに彼女の手を握っている。よく頑張ったと言いたい。まあ、せいぜい手をつなぐくらいよね、うちの息子は見た目によらず奥手だから。でも、かなりの進歩だ。
「もう帰る」
息子の手を振り払って、テーブルに一直線に駆け寄ってきたアキラちゃんは必死の形相で言う。「心の安寧が欲しい。帰る、帰ろう、今すぐ帰ろう」
「……何があったの」
美形さんが目を細めながら訊くと、それに応えたのは我が息子ミカエル。
「ほぼ泣き落としで手をつないでもらいました」
そして無駄に自慢げ。台詞は全く格好よくないけど。
「俺は、俺は」
アキラちゃんが猫の子の手をがっしと掴み、泣きそうになりつつ変なことを言う。「お腹空いたから頭が働かない。だから頼む、お前が必要だ」
「解ったにゃ」
「わたしも混ざる」
「お前はいらーん!」
噛みつくように言い返したアキラちゃんは、美形さんの膝の上にいた猫獣人を抱きしめてぐりぐりと頭を幼女にこすり付けていた。大丈夫かしら。
まあ、結構騒いでしまったので、さすがにお客さんたちの視線を引いたらしい。わたしたちは椅子から立ち上がり、勘定を済ませると離宮に戻ることにした。
ちょっと足元はふらつくけれど、大通りからそれて路地裏に入ったところで精霊魔法を発動。あっという間にレジーナの離宮の門の前。
いい感じの酔いだわー、と無駄にその場でくるくる回って見せると、アルトが呆れたようにわたしを支えようとしてくれた。いいわね、真面目青年。もっと頑張れ!
しかし。
「……何故?」
ミカエルが怪訝そうな声を上げて、我々全員が足をとめる。
真っ暗な門の前ではあったけれど、人間が近づくとランプの明かりがつくように魔道具が設置されている。そのオレンジ色の光の下で、人影があるのが解った。
「いいご身分だな。こんな時間まで遊び回ってるとは」
腕を組み、不満げな声を上げた青年。
オレンジ色に染まった金色の髪と、整った顔立ち。あの人は第二王子を騎士団に入れたとか何とかいっていたけど、体つきがひょろひょろしているせいで、全く成果が見られない。剣なんか振り回せないでしょ、っていう体型。
ミカエルよりも目尻が下がっているせいで、優しく見えるのにその目に浮かんだ敵意のようなものがそれを裏切る。
第二王子、リュカ。
「やだあ、本当に来ちゃったの?」
わたしが思わずそう声を上げると、ミカエルが咎めるようにこちらを見たのが解った。秘密にしていたわけじゃないわよ? 後で言うつもりだったんだから。
城を抜け出すどころか、まさかこんなところまで来るなんてわたしもラザールも思わないじゃない?
っていうか、何のためにここまで来たのよ? 呪いにかかったことを慰めるためなんて言わないわよね? 馬鹿にするためかしら。
「ミカエル。いい加減、アクセリナ・ノルディンを開放しろ」
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