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第17話 マチルダの馬鹿

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「そっか……」
 カオルが安堵の息を吐き、少しだけ泣きそうな顔で笑う。それは俺が今までも何度か目にしてきた表情だ。
 そして、俺たち以外の人間には滅多に見せない顔でもあった。
 カオルには言ったことがないけれど、俺はカオルの強さを凄いと思っている。
 カオルは決して、いい環境で育ってきたとは言えない。むしろ、過酷な生活の中で生きてきた。だから、彼にとっては笑顔が武器だった。他人に取り入ることも、生きるための術だった。
 俺がカオルの立場だったらどうだったろうとか、昔はよく考えたんだ。そして、きっと俺だったらブチ切れていただろうと苦々しく思う。前の俺だったら、抵抗することが、相手を攻撃することが強いと思い込んでいたから。

 自分の考えに沈みそうな自分に気が付き、唇を噛んで顔を上げる。すると、こちらの表情を観察しているクリスタと目が合った。
 余計なことを考えている場合じゃない。時間は有限なのだし、俺は別のことを訊くためにここにきたはずだ。
「それで、いくつか質問があるのですが教えてもらえますか?」
 そう気を取り直して訊くと、彼女はテーブルに頬杖をついたまま微笑んだ。
「ええ、どうぞ」
「この世界は現実ですか?」
「あら、まずはそこから、ね?」
 くすくすと笑う彼女の目には、先ほどまであった不思議な光はない。「そうね、この世界はわたしたちにとって現実。あなたも薄々感じていたんでしょう?」
「そうですね。とてもゲームとは思えないと思っていました」
「あなたたちが住んでいた世界も現実、わたしたちが住んでいるこの世界も現実。その中間が、今、あなたたちがいる不思議な世界」
 そこでクリスタの目にまた『あの』輝きが灯る。
 おそらく、俺の頭の中を読んだかのように彼女は続けた。
「ほとんど、あなたの考えていることが当たりなのよ」

 俺が眉間に皺を寄せると、彼女はさらに笑みを強めた。
「この世界にやってきた人たちは、あなたたちが最初じゃないって解ってるわよね。わたしも説明がこれが初めてじゃない。だから、手っ取り早く結論から言うと……あなたたち、今のところは帰る手段がないわよ」
「今のところは?」
「難しいところはわたしもどう説明したらいいのか解らないけど。でも、あなたたちだってすぐに元の世界に戻りたいなんて思わないでしょう? そういう人間だけがこちら側に来るもの。そのせいで、色々と別の問題も出てきているけど」
「別の問題ですか?」
「そう。マチルダの馬鹿が人を見る目がない、という問題」
「馬鹿……」
 そこで、俺は首を傾げた。
 マチルダという存在が、あの街を作った。だから俺は、神様なんだと思っていたんだ。神様が造った箱庭、それが俺たちが住んでいるマチルダ・シティ。
 神様が、邪神を倒すようにと呼んだのが俺たちなんだろう? 戦っても死なない存在。
 そういうことだと思っていたんだが。

「そうね、それだけはあなたの思い違いね」
 クリスタは焼き菓子を食べつつ、ふと俺から目をそらした。「あれが神様なら、こんなことにはならなかった。あなたたちに解るように言うとしたら、マチルダというのは魔王なのよ。魔族を統率する王」
「魔王?」
「強いけど、ただそれだけ。以前は魔族領を統治する存在だったけど、今は随分と弱体化したわ。きっかけは、この世界に穢れが広がるのを防ごうとしたからなんだけどね」

 随分と色々説明してもらったが、簡単にまとめるとこういうことだ。

 昔、こちら側の世界は人間が治める大地と、魔族が治める大地があった。
 マチルダはその魔族の王。
 魔族というのは、知性の高い存在。つまり、吸血鬼も魔人も獣人もこの枠。
 魔物というのは、言葉は発せないもののそれなりに知性のある存在。以前は魔族が魔物を配下として統率していたらしいが、現在ほぼ魔族は絶滅済み。魔物だけがこの世界で暴れ回っている。

 昔は、魔族が大地から湧き出る穢れたものを排除し、この世界を安定させていたんだという。
 穢れを放置すれば、魔族や魔物を取り込み、恐ろしい存在へと変えてしまう。あらゆるものを無差別に攻撃し、屠るものへと。この世界にいる生物、植物全てを覆いつくす穢れとなるまで、それは続くらしい。
 最後に待っているのは生きとし生けるものの全滅。

 マチルダは穢れと戦っていたが、人間側から見れば邪神による穢れも魔物も、似たり寄ったりだった。
 いつしか人間は、魔物を敵と認識し、人間に敵対心を持たぬ魔族さえも次々と狩られていったらしい。
 その結果、単純に穢れを排除するものが減った。
 当然ながら、穢れは魔物を取り込み、邪神に近いものとして勢力を伸ばしているのが現在の状況なのだという。

「マチルダの馬鹿は人間に対して甘かったのね。気づいた時には手遅れだったの。人間は力をつけすぎていて、色々と不運が重なってね、負けちゃったのよ」
「負けちゃった?」
 俺もサクラもカオルも、怪訝そうな顔をしただろう。
 クリスタは肩を竦め、唇を歪めた。
「そう。人間の魔術師たちにね、この世界から排除された」
「排除?」
「魔力のぶつかり合いで、魔王は死んだと思われているけど、実際には人族の魔術師による攻撃で、うっかりあなたたちの世界に飛ばされたわけ」
「えっ」

 それは……何と言うか。
 逆・異世界転移。

「マチルダも焦るわよね? 気が付いたら全く別の世界。そこは、魔力なんて概念が存在しない世界だったの。帰り道も見つけられず、途方に暮れたらしいけどね。一応、彼女には魔力がそちら側でも使えたし、馬鹿は馬鹿なりに頑張ったんじゃない? あの馬鹿、あなたたちの世界で『ゲーム会社』? とかいうのを作ったの」
「えっ」
「そこに新しく、閉ざされた世界を作った。マチルダの残された魔力をそこに注ぎ込んで、その世界に住む住人を呼び込んだ。つまり、あなたたちね」

 えっ、しか言えない。
 元の世界におけるマチルダ・シティ・オンラインそのものが、そういうこと?

「住人が増えれば増えるほど、彼女は魔力を集めることができた。新しい小さな世界は、マチルダのための魔力収集の魔道具、みたいな感じかしら。集めた魔力で、一時的にこちらの世界への道を作ることができた。そこにね、優秀な能力持ちの戦士を呼び込もうとしたの」

 ああ、なるほど。
 俺もサクラもカオルも、理解したと思う。
 つまり、それが俺たちのような存在なんだ、と。

「戦っても死なない戦士。これは単純に凄いと思うわよ? 魔族と同じ能力を持った戦士たちの中から、その世界から逃げてしまいたいと考えている者たちを選んで、こちらに引っ張り込んだのね。安定した生活と、穢れを排除するという娯楽を与えた状態で」
「娯楽ですか」
 俺は少しだけ首を傾げて見せる。
 少なくとも、娯楽というには敷居が高い気がする。
「血の気の多い人たちだったら、喜んで遊ぶんじゃないかしら」
「うーん……」
「そうかもね」
「俺は自分のホームでごろ寝してる方が幸せだと思うけど、にゃ」

「ほらね」
 クリスタはただ静かに笑う。「結構、こちらの世界での生活、楽しめるでしょう? あなたたちは好きにしていいのよ。好き勝手に生きても、誰も文句を言わない。そうでしょう?」

 確かに、そうかもしれないけど。
 合意の上で連れてこられたわけじゃないしな、と不満はある。
 そんな俺の頭の中を読んだように、クリスタは楽しそうに続けた。
「でもね、過去に何度も『扉』は開いているの。マチルダがこちらの世界とあちらの世界を行ったり来たりしているから、それは間違いないと思うわ。だからあなたたちが元の世界に帰りたいなら、それまで待てばいいじゃない? ただし、マチルダの馬鹿を掴まえて、帰りたいという意思表示をしなきゃいけないだろうけど」
「では……その、マチルダ様とやらはどこに行けば会えますかね」
 俺が低く唸りつつ訊くと、あっさりとクリスタは両手を上に上げた。お手上げポーズというのは、全世界、異世界とも同じなのだろうか。
「穢れと戦い続けていれば、いつか会えるかもしれないわよ? あの馬鹿、色々なところの様子を見て回っていて、一か所に留まらないみたいだし」
「馬鹿……」
 俺はため息をつく。
 でも、色々悩んでいるのは俺だけのようで、サクラもカオルも、酷く落ち着いていた。この二人はこっちの世界で生きていくことに抵抗はないんだろうか、と思う。そりゃ確かに、俺だって――。

 元の世界に戻っても、うんざりする光景を見ることになるだけだと思うけれども。
 それでも、あの世界で生きていくことを捨てるには、決意というものが足らない。
 便利で、平和な世界。
 決して、嫌いではなかった。

「まあ、どこかでマチルダの馬鹿と会うことがあったら、たまにはわたしのところに寄るように伝えてちょうだい」
 そこで、クリスタは会話が終わりと言いたげに俺たちの前からお茶のカップを片づけた。
「そう言えば、あなたとマチルダ様とやらの関係は一体……?」
 俺がふと彼女にそう訊くと、クリスタは苦々し気に鼻を鳴らした。
「わたしは『魔女』。つまり、人間と魔族の間に生まれた存在なの。人間の統治する場所では生きていけず、魔族としても大した力はない。だから、こうして人間から離れた場所で生きてる。人間はわたしのような存在を忌み嫌うわりには、必要な時には力を貸せと言ってくるし、もう最悪」
「え、ああ、なるほど」
「マチルダもそう。人間を避けて暮らしているわたしに、あの馬鹿は言ったのよ。異世界からやってきた新しい住人に、道しるべを与えてくれないか、と。マチルダもマチルダで、酷い話だと思わない? わたしはただ、平穏な生活が欲しかったのに」
「え、あ、すみません」
 何故か俺はそう謝ってしまう。
 いや、何となく。

 クリスタは椅子から立ち上がり、俺たちを見下ろしたまま何か考え込んでいたようだった。
 そして、そっとその表情を和らげる。

「まあ、ある意味、退屈はしないのかもね。マチルダは人を見る目がないから、色々と問題児をここに送り込んでくることが多かったけど。でも、あなたたちは『まとも』だわ」
「え?」
「二度とここに来るな! と思えた奴らもいたけど、あなたたちなら別にいいわ。見ていても退屈しないし、わたしにも害はないし。それにまた、お菓子を差し入れしてくれる? 美味しかったわ」
「……作ってくれた人に相談してみます」
 俺が苦笑すると、クリスタも笑った。
 そして、ふとその瞳にまた煌めく光が生まれて。
 多分、何らかの未来を見たんだろう、と思う。

「……ええと、秋良くん?」
「はい?」
「まあ……うん、頑張って」
「え、何がですか」
「女の子として生きていくのも、悪くはないわよ?」
「おい」

 ――一体、何を『見た』!?
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