八重桜の巫女

櫛田こころ

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「た……鷹明たかあきら……様」


 本当に……一生懸命に走ってこられた。わたくし達の前に来られると、軽く咳き込まれていらっしゃったが……わたくしに、気遣う権利などない。

 わたくしは……この方から逃げてきたのだから。


「…………ぁ……はあ、やはり……こちらでしたか」


 しかし、鷹明様は……ちっとも怒っていらっしゃらなくて。息が整うと、お顔には微笑みしかありませんでした。


「ったく。来るの遅いぞ? お前さんらがこの里で育ったからって、女より遅くてどーすんだ?」

「…………面目ない」

「逃げ出すくらいにさせんなら、まだまだだな?」


 ほら、と月夜つくよ様が……わたくしの背を軽く叩かれた。勢いで軽くふらついたところに……鷹明様がわたくしの手を掴んだ。

 もう逃がさないと言うように。


「……た、たか!」

咲夜さくや姫……私では、貴女のお側にいてはいけないのでしょうか?」


 笑みは消え、とても真剣なお顔になられた。

 わたくしは思わず、息を飲んでしまったが……どう答えを返していいのだろうか。

 月夜様がいらっしゃる前で、答えを紡げばいい?

 そのような、盟約に近い言葉を簡単に紡いでいい?

 幼き頃から……共に手を取り合い、数年前からやっと舞を奉納出来る間柄になったとは言え。

 その間柄が心地よいだけではなく?

 わたくしの……都合の良い夢ではなく?

 誠に……わたくしのことを?

 言葉を紡げずにいると……鷹明様は、掴んだままのわたくしの手を少し強く握られた。


「……鷹明……様?」

「幼き頃から……姫を想う気持ちは変わりありません。月夜の前で、誓わせてください。私の妹背いもせは唯一人……貴女だけです」

「そ……それは、なりません!!」


 太政だじょう大臣の嫡男でいらっしゃる鷹明様が……世継ぎなどを求められることが多くなる。その妻が……仮にわたくしひとりだけでは追いつかないでしょう。側室なども多く迎えなければいけない立場。

 お気持ちはともかく、公家くげとしては……そうであってはいけない。

 しかし……鷹明様はゆっくりと首を横に振られた。


「良いのです。私は……貴女だけを愛しく想っております」


 その真剣な眼差しで見つめられると……こちらまで、胸の奥が熱くなっていく気がした。

 受け入れていいのか。

 これまでの想いを、溢れさせていいものか。

 すると、頭が軽く叩かれた。鷹明様の手ではない。


「『神』の前で誓ったんだ。お前さんも、それなりに答えていいんだぜ?」


 月夜様に振り返れば……とても良い笑顔でいらっしゃいました。たしかに……鷹明様はわたくしの前だけでなく、月夜様と言う神の前で誓いの言葉を口にしてしまった。

 それは、神が縁切りをしなくては……簡単になかったことに出来ない。なのに、月夜様にはそれをされる気がまったくない。

 わたくしは……どうしたいのだろうか。

 ここまで、真摯な想いを無駄にしたい?


(……いいえ。それは……出来ない)


 わたくしとて、幼き頃から……ずっとずっと……今も強く手を握ってくださる方を想っていたのだから!


「……鷹明様」

「……はい」


 ほんの少し、握られる手の力が強くなった。

 鷹明様は、まだ不安でいらっしゃるのだろう……わたくしがどのように返答をするのかを。

 月夜様からは、わたくしの今を告げられていないから……。


「…………先程は、不躾なことをしてしまいましたが。……お受けします」

「! 姫……!」

「きゃっ!?」


 月夜様の前だと言うのに……鷹明様は余程嬉しかったのか、わたくしを抱き込まれた。離れようにも、手だけの時以上に強い力で……少し苦しかったが、わたくしも嬉しかった。

 わたくしも……この方の唯一人になれるのなら。


「ほーいほい? いちゃつくのはいいが、『俺』の前だぜ?」

「!!?」

「す、すまない!!」

「まあ。縁結んでも、子が出来るまでは……奉納は頼むぞ、お前さんら?」

「はい!」

「ああ」


 せっかくだから……と、格好は格好だったが、誓いの意味も込めて。

 わたくしは舞を。

 鷹明様は笛の音を……月夜様に捧げることにした。

 とこしえに……わたくし達は繋ぐことを心にも誓って。
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