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烏天狗
第1話 待ち合わせ
しおりを挟む名古屋中区にある栄駅から程近いところにある錦町。繁華街にある歓楽街として有名な通称錦三とも呼ばれている夜の町。
東京の歌舞伎町とはまた違った趣があるが、広小路町特有の、碁盤の目のようなきっちりした敷地内には大小様々な店がひしめき合っている。
そんな、広小路の中に。通り過ぎて目にも止まりにくいビルの端の端。その通路を通り、角を曲がって曲がって辿り着いた場所には。
あやかし達がひきめしあう、『界隈』と呼ばれている空間に行き着くだろう。そして、その界隈の一角には猫と人間が合わさったようなあやかしが営む。
小料理屋『楽庵』と呼ばれる小さな店が存在しているのだった。
八月に入り、だいたい二週間が経った今日。
湖沼美兎、新人のデザイナー見習いは。本日は休日で、しかもいつもの出勤でのヘアメイクよりも気合を入れていた。
昨夜も少々お高いフェイスパックで保湿もしたし、朝も念入りにお手入れしてからメイクに取りかかった。大学時代に彼氏がいた時ですら、ここまで頑張っただろうか。否、違うかもしれない。
わずか二年程度なのに、もう忘れてしまっている。それくらい、今の美兎はあの猫人に夢中なのだ。そのお相手は人間ではなくていわゆる妖怪。
だけど、美兎は惹かれてしまったと気づいてからずっと避けてしまうくらい悩んだのだ。自分は不釣り合い、種族の違いなどなど。
けれど、種族違いでも恋に恋した気持ちは抑えようがなかった。結果、そのお相手である火坑からも想われているとわかり、お付き合いすることになったのである。
が、普段の仕事とのすれ違いから、なかなかデートすら出来なかった。それを今日、火坑が叶えてくれる。だから、メイクアップに気合が入るのも仕方がない。
「ふふ。うふふ! よーし、行こうっと!」
時間は迫っていないが、余裕をもって錦に向かうのに……美兎は地下鉄を使って栄を目指した。東京や大阪程ではないだろうが、名古屋の地下鉄も改修工事があったりでそこそこ入り組んでいるので、降りる駅ひとつ間違えたら大変なのだ。
とにかく、LIMEではエスコートするからプランは任せて欲しいとしか告げられていないので、美兎は美兎で火坑のために誕生日プレゼントを選んできた。そう、火坑の今の誕生日は夏なのである。
もちろん忘れずに、お出かけ用のバックとは別におしゃれな紙袋に入れてある。準備は万全だ。
待ち合わせは楽庵に来てくれと連絡があったので、地下道から上がり、昼の錦の裏通りを歩いていると。あと少しで楽庵に着く手前で座敷童子の真穂と会った。
「気合十分じゃない? 頑張るのよ?」
「うん!……今日も守護についてくれるの?」
「まさか。恋人同士のデートまでご一緒するわけにいかないでしょ? ちょっとした激励」
子供の姿なので、美兎の腰くらいまでしかないが。彼女は軽く美兎の腰を叩いてから、いってらっしゃいと見送ってくれた。
だから、美兎も行ってきますと言ってから真穂に手を振った。
真穂に守護についてもらってから、ひとりで楽庵に行くのは少し久しぶりだ。まだ一年も前のことなのに、随分と前のように思える。
けれど、その前より今の方がずっと楽しい。雪女の花菜や百目鬼の珠洲らとも知り合うきっかけが出来て、真穂以外のあやかしとも友達になれたのだから。
「あ、美兎さん」
「おはようございます、火坑さん!」
楽庵の前では、既に火坑が待ってくれていた。何度か目にした、洋服での猫人の出立ち。いつも時以上に、よそ行き用にめかし込んでいたのだ。
それを見ると……ああ、本当にこの人とお付き合いしているんだ、と実感するのだった。
「お早いですね?」
「火坑さんも」
隣に立つと、改めて思うが美兎の方が彼の頭二つ近く身長が低い。バランスがとも思うが、美兎は人間の成人女性にしては高い方なのに。火坑の方が大きいのだ。多分だが、180cm近く。親代わりである霊夢よりは低いが……こうやって並んで立つ機会がなかったので、あまり気づかなかったのだろう。
火坑は美兎が来てから、ずっとニコニコと笑っていたが。美兎が隣に立ってから笑顔を消して、肉球のない猫手で自分の頭を撫でたのだった。
「写し度、移し度、映し度。我が身を映せ」
呪文か何かを唱え出すと、猫耳の方からちりちりと光が出てきて上から下に移動していく。
そして、猫の頭から人間のような黒い髪が出てきた。……つまり、人間である香取響也に変身していくのだ。
「今日は人間界にも行きますからね?」
さ、行きますよ。と、手を取られたのだが。本当に猫の手ではなく人間の皮膚を感じ取れた。手を繋ぐのは、火坑が初めてではないのにすごく胸が熱くなってきた。
「えと。今日はどこに行くんですか?」
「まずは、人間界。美兎さんには申し訳ないですが、地下鉄に乗って名古屋港に行きましょう」
「名古屋港ですか!」
「はい。一緒に地下鉄に乗りたかったので」
「迷惑じゃないです!」
ひとりじゃなく、二人で電車に乗れるのだから。きっと、絶対楽しいに違いない。
だから、美兎は嬉しくなって彼の手をギュッと握り返すのだった。
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