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覚
第1話 琵琶奏者
しおりを挟む名古屋中区にある栄駅から程近いところにある錦町。繁華街にある歓楽街として有名な通称錦三とも呼ばれている夜の町。
東京の歌舞伎町とはまた違った趣があるが、広小路町特有の、碁盤の目のようなきっちりした敷地内には大小様々な店がひしめき合っている。
そんな、広小路の中に。通り過ぎて目にも止まりにくいビルの端の端。その通路を通り、角を曲がって曲がって辿り着いた場所には。
あやかし達がひきめしあう、『界隈』と呼ばれている空間に行き着くだろう。そして、その界隈の一角には猫と人間が合わさったようなあやかしが営む。
小料理屋『楽庵』と呼ばれる小さな店が存在しているのだった。
年の暮れ。
ヒトは騒がし、暮れの仕事や明けの準備にと忙しない。クリスマスツリーやモニュメントを大忙しで片付け、すぐに年明けの装いで街を埋め尽くしていく。
その忙しなさが面白おかしくもあり、ヒトでいない『あやかし』達も先の大戦以降から真似をするようになり……ヒトと同じように界隈を賑わせることとなり、幾数十年。
とあるあやかしが、クリスマスのイルミネーションイベントに使っていた舞台に呼ばれ、ぬらりひょんの大将とは違う催し物を披露していた。
【鳴り響きー
踊れー、や踊りゃんせー
はやせー、はやりゃんせー
鳴き唄よ、はや歌えー
我はー、主の祖じゃせー】
掻き鳴らすは手入れの行き届いた琵琶。
その造型もだが、彫られている刻印も美しくかなりの価値があると見受けられる。だが、そのあやかしから奪おうとは誰も思わない。彼しか奏でる事が出来ない、至高の琵琶だ。触れることすら危ういのに。
やがて、演奏が終わった後。長い間胡座の姿勢でいたのに、彼は難なく立ち上がり客席のあやかし等に向かって頭を垂れた。
そしてそのまま、錦の界隈に向かい、ある店に足を運んでいく。
(だいぶ遅いですが、予約はしていますし)
行き先はひとつ。錦の角の角を曲がった雑居ビルの一階。細く狭い店構えだが、店主の手がける料理は天下一品に等しい。指南を受けた料理人が、この界隈でも指折りの……大陸出身の料理人だからだ。そちらの店にも行かないわけではないが、こちらの料理人に今日は用があった。
到着すれば、芳しい和風出汁の香りが鼻をくすぐる。この香りを求めていた。今日は留守を頼んだ妻には申し訳ないが、今日だけはここに来たかったからだ。
扉を開けると、遅い時間のせいか客は他にいなかった。
「いらっしゃいませ」
白い毛並み、薄青の涼しげな瞳。
肉球のない猫の手に、料理人らしい紺色の装い。
久しく見ていなかったが、相変わらずのようだ。しかしながら、どことなく上機嫌であるように見える。それを今日は確かめに来たのだ。
「……お邪魔しますね?」
「はい。琵琶はお預かりしましょうか?」
「お願いします」
カウンターの向こうからやってきて、持っていた琵琶を受け取ってもらい……誰もいない座敷席にと丁寧に置いてくれた。その後に、大将である火坑から熱いおしぼりを受け取った。
「ご注文はいかが致しましょうか? 覚の御大?」
「ふふ、その呼び方はくすぐったいですね? ですが、ひとまず冷えていたので熱燗を」
「かしこまりました」
意識すれば、相手の表層意識を読み取り、相手を惑わすあやかし。
だが、現世では必要以上にその能力を使わないただの雅楽奏者でしかないのだ。
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