ぼくらのおわはじ

三澄 みそこ

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第二章 失はれし思ひ出

034.救世主

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 雑草のように引き抜かれ、宙を舞う街路樹。割れる地面からボロボロと剥がれ落ちる舗装タイル。折れる街頭、千切れる電線。人々の悲鳴と、興奮した野次。

 混沌の中心にいるのは、崩壊と形成を繰り返す肉塊だ。ぶくぶく、どろどろと、腕から足が生え、その足からまた別の腕が生成され、収集のつかなくなった怪物。顔は最早、肉に埋もれて確認できなくなっていた。


 そんな惨状に果敢に立ち向かう、一人の男性の姿があった。

「やめてっ僕もう若くないんだから! 落ち着いて! おちっ落ち着いてったら!」

 というより、必死に逃げ回っていた。汗で、ゆるりとウェーブする短めの茶髪が額にはり付き、ずり落ちる眼鏡を何度もかけ直している。

 しかし、情けない発言や表情とは対照的に、彼の動きからは余裕が感じられた。怪物が無差別に振り回す異形化した四肢を、ひょいひょいと軽やかに躱し続けている。しかもわざとなのか、時折怪物の巨体を飛び越えるように攻撃を避けたりして、注意を自分に引き付けている。

 その甲斐あって、破壊の被害は未だ駅前の広場のみに留まっていた。


 風圧がゴウと吠えるほど猛スピードで、巨大化した人間の足が振り下ろされる。男性は暑そうにネクタイを緩めながら、余裕の宙返りでいなした。野次馬たちから歓声が上がった。


 しかし、足が地面に激突すると、砂埃とともに割れたタイルが周囲に飛び散った。

「おっと」

 大きな破片はまるで隕石のように、野次馬たちの方へと飛んでいく。今度は悲鳴が上がった。男性は僅かに冷や汗をかいた。


 その瞬間、辺りの湿度が急に上昇した。


 かと思えば、野次馬たちの眼前に、滝のような大量の水が降り注いだ。飛び散った破片は堪らず地面へと叩き落される。状況が飲み込めず、野次馬たちが咄嗟に頭上を見上げると、そこには___虹がかかっていた。

 プリズムの向こうに、さながら天使の如くふわりふわりと浮く、全身黒尽くめの人影がある。黒髪を乱雑にひとつに束ねた、その人の顔はよく見えない。片目をも覆う、ペストマスクを身に着けているからだ。

「…エド、カッコつけンのは勝手だが、周囲への被害を考慮しろ」

 マスクの下から聞こえたくぐもった声は、怪しげな見た目に反して若々しい。努めて低く唸るように発声しているようだが、高校生くらいの青年だとわかる。

「コクウくん! ごめんごめん、ウッカリしてたよ! 来てくれて助かった」

 たはー、と破顔する眼鏡の男性と、それに対してぶっきらぼうに接する青年。



 彼らはいったい何者なのか? きっと大衆の誰もが同じことを考えていたはずだ。



「じゃあ、僕がもう少しオーディエンスから離れたスペースへ引き付けるから」

「そこを俺が叩く」


 ごく短い確認がなされ、男性と青年___エド、そしてコクウはそれぞれ、地上と空中から同時に飛び出した。


 エドは怪物の前に躍り出ると、ニコッと笑って手を振ってみせる。怪物の身体から、彼を突き刺すように腕が生えるが、くるりと身を翻して避ける。そのまま煽るようなステップで、怪物が自身を追うように仕向ける。

 思惑通り、怪物はエドの方へと猛スピードで這った。まるで、羽化に失敗した芋虫のようだった。


「今だよ!」


 エドが空に向かって声を上げた。


「花の一部なる我が渇き癒し、桜花御神オウカノミカミの名の下に天下を正す。花よ、天下の手向けよ、我に力を与えたまえ___」


 青空の下、青年の声が響き渡る。


 怪物の頭上に、水で出来た槍が無数に生み出される。


篠突しのつき!』


 鋭い水圧が、弾丸の如く怪物に次々と突き刺さっていく。怪物の巨体は堪らずバランスを崩し、地響きと共に地面へと倒れ伏した。


 怪物は、動かなくなった。


 砂埃が収まると、野次馬たちから拍手喝采が起こった。



「あの二人すげぇ! あの訳分からん化け物相手に軽々と!」

「警察とかじゃないよね、一般市民? ボランティア?」

「カッコよかったよ~兄ちゃんたち~!」



 口々に発せられる賛辞に、エドは眼鏡をかけ直しながら、爽やかに微笑んでみせた。コクウは、ペストマスク越しに「ふん」と鼻を鳴らす。

「呑気なこった、魔法使い共が…」

「まあ、ね」

 二人の会話は、歓声に紛れて誰に届くこともなかった。



 エドが肉塊に向き直る。

「さ、彼を回収しないとね。顔が割れると今後に響く」

「はっ、こんな奴、ここで始末しちまえばいいものを」

「駄目だよ、彼も一応永久手向花の一員なんだから。かの方は、僕たち信者を等しく気にかけてらっしゃるんだ。勝手なことは出来ないさ。…みんなわかってることだ」

 一拍置いたのは、僅かな不満の表れだった。

「だからこそ第壱枚様も、彼の捜索命令を出したんだよ」

 コクウを年長者らしく宥めながらも、エドは内心納得がいかない思いをしていた。


 永久手向花…自分達は、魔法を憎み、反魔法を掲げ、新たな力•魔導によって世界を変えんとする新興宗教。唯一神は桜花御神、その人間化身を教祖として活動する集団だ。


 かの方は言った。「魔法は、人類の身には余る力だ」と。

「使用することは、災いをもたらすことに繫がる」と。


 だというのに、目の前で無様に転がるこの人物は、教団の本拠点に身を置きながら、文字通り四六時中魔法を使用して、自分の姿形を偽って生活している。

 まあ、こんな姿になるまで無茶をさせてしまったのは自分なのだが、ほんの少しの反省は、正義感によって上書きされた。


 問い糾したかった。この組織を愛する信者として。

(君は何故、憎いはずの魔法を使い続ける?)


 道理に適っていないと思う。だからやめさせたい。

 しかし、それは出過ぎた真似というもの。敬愛するかの方__人間化身・ヤゲン様が、教団に身を置くことを許している以上、尊ばねばならない。

 気分を切り替えるように、エドは努めて明るい声色を作った。

「先に第壱枚様に、見つかったって連絡してくるよ。さーてと、どうやって運ぼうかな」

「………あぁ?」

 ふいにコクウが瞠目した。ペストマスクに隠れて目元しか見えないが、そうしていると年相応の子どもらしい表情をしていると感じる。

「ん、どうしたの」

「……気絶してンじゃねぇのか、コイツ。何でまだ魔法が切れてねぇ____」



 次の瞬間、コクウの細身な身体が宙を舞った。


 何が起こったのかわからなかった。だって、この肉塊は今しがた鎮めたはずだ。その先入観がコンマ数秒、行動を遅らせた。


 _____ゴシャッ。


 怪物の身体から、弓のように瞬間的に、再び腕が生成されたのだ。勢いよく発射されたそれは、コクウの身体を強く弾き飛ばした。嫌な音がして、鮮血が散った。

「コクウくん!!!!!!!!」

「チィッ…………この蛮族がァ!!!!」

 血塗れの頭を振りかぶって、コクウが叫んだ。彼も柔ではない。しかし、相手は人外だ。

『渡さない、わたさない、ワタさないワタサナイワタサナイワタサナイ』

 どこから出しているのか判断がつかない声がする。口がいくつもあるのだろうか、中には超音波のような耳障りな声も混じっていて、頭が痛くなる。

「こンのッ………『篠つ____」

Look out避けろ!!!!」

 咄嗟にエドが叫ぶも、遅かった。

 反撃しようとしたコクウだが、そのために突き出した腕が怪物に捕まった。カビが侵食するように次々と指が生え、絡み付いていく。空中ではまともに身動きがとれない。それを好機と見てか、怪物がコクウの身体をその溢れる肉でブクブクと覆い始めた。

『ワタサナイ、ワタサナイよ、あいつは、オレのもの』

「さっきから何なンだよ此奴ッッ!! 気色悪りぃこと口走りやがって…!」

「コクウくん当たったらごめんねッ! 『牆壁しょうへき』!!」

 絶えず増殖し続ける怪物の四肢を貫くように、地面が変形する。しかし、地面が押し負けた。質量を増す肉塊に突き当たって、先に土が割れるのだ。コクウの顔が青褪める。

「なん、待っ、窒息す」

「コクウくん_____!!!!」

 最早、成す術無しかに思えた。


(こんな、教理に従わない、人間ですらなくなった、化け物に)


 エドの脳裏に甦ったのは、薄暗い手術室の光景。

 運ばれてきた、小さな患者。

 あのときも、そう。


(僕たちが、何をしたっていうんだ)


 懸命に生きていただけなのに。

 また、奪われるのか。







火坑かきょう


 ____ドォォォン………………!!!!


 突如怪物が、煉獄へと吸い込まれていった。


火鍼ひばり


 ____ザン!

 次いで、肉の焼き切れる音がして、怪物に囚われていたコクウが腕ごと切り離された。母体を離れた肉塊がボロボロと崩れ落ち、視界が晴れる。

 彼を抱え、絶望を切り裂くかの如く現れたのは、袴に身を包んだ、武士のような出で立ちの女性。

 驚くばかりのコクウに代わり、エドが泣きそうになりながら小さく叫んだ。

「第壱枚様ぁッ…………!」

「下がりなさい。あとは私が」

 彼女は腰まで伸びるポニーテールを手で払いつつ、軽やかに着地する。そしてコクウをエドに預けると、直ぐ様飛び出す。

 煮え滾る穴に落とされてもなお、炎を纏って這い出そうとする怪物のもとへ、彼女は躊躇なく飛び込んだ。

『ワタサナイ、あいつ、オレの』

「黙れ」


 ミチミチミチッ!


 彼女はなんと、何重にも折り重なった肉塊の中へと、迷わず自身の腕を突っ込んだ。

「私の声が聞こえるな? 今私が貴様のどこを触っているかわかるか。肋の下、魔臓だ。鎮まれ、さもなくば貴様の大事な大事なここに穴を空けてやる」

『渡さ、ワタサナ』


「___鎮まれ!!!!!!!!」


 怒鳴り、があっと、右腕に熱を込めた。怪物が悲鳴とも似つかない鳴き声をあげ、萎んでいく。



 勝負は僅か数秒でついた。


 地面に空いた穴が塞がっていき、やがて現れたのは、澄ました顔でまた別の誰かを抱える第壱枚だった。見ると、彼女が着ていた羽織を頭から被せられている。まさか死んだのかと一瞬疑ったが、彼女の腕の中で、肩で息をしているのがわかった。

 その様子を見て、エドはへなへなとその場に座り込み、コクウは素早く跪く。

「ごめんね第壱枚様、怪我人なのに…安静にと言ったのは僕なのに」

「だッ第壱枚ッ、御手を煩わせてしまい申し訳ありません! 俺が油断しなければこんなことには!」

「……………」

 第壱枚は、焦げた服の裾や返り血を気にするでもなく、頭を下げる二人に目線を合わせ、僅かに微笑んだ。


「教徒が無事で何よりです」




 _____その一部始終は、野次馬のひとりによって動画に収められていた。

 人道を外れた相手に、鮮やかに力を振るい立ち向かう彼らの勇姿は、SNSを通じて瞬く間に拡散されていくこととなる。


 彼らは世間に認知される。救世主として。


 彼らは永久手向花。世界を変えようと活動する新興宗教団体。その負の面を知っている人物はごく僅か。




 少年は、未だ知らない。



 自分が対峙している相手の大きさを、力を。
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