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第二章 失はれし思ひ出
025.鳥も逃げ出す午前11時
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その妙に刺々しい視線に少々面食らい、ルーラが何も言えずにいると、ミリアは僅かに眉間にしわを寄せた。そして再び口を開く。
「何をしてるの、と聞いているのよ」
「べ、別に。スマホ見てただけ」
「それなら、どうしてこんな場所でコソコソと?」
「…何でもいいだろ。もう帰るからそこ退いて」
ルーラがそう言っても、ミリアはその場から動かない。かと思えば、腕を組んでゆっくりとこちらへと距離を詰めてきた。
「ねぇ。祭りのあったあの夜、私が救急車を呼ぶ前。神社で何があったの?」
ルーラは言葉に詰まった。
ミリアは、放火魔に追いかけられたルーラが、神社に逃げ込んだことを知っている。だから救急車を近くに呼んでくれたわけで、もっと言えばそれは、ルーラが放火魔に襲われて絶体絶命の危機に瀕していると予想したからこその行動だったはずだ。
それが実際に様子を見に来てみれば、男子二人が寝転がって笑っているだけ。危機感も何もない。あのときの彼女の表情を見るに、さぞ拍子抜けしたことだろう。いったい何があったのか、見当もつかなくて当然である。
しかしそれを教えるには、放火魔の正体、果ては魔導についてまで話さなくてはならない。迂闊に身内の不祥事をバラして、もし彼が告発などされてしまっては敵わないし、魔導に関しては今のところルーラにもさっぱり分からないので説明しようがない。
ルーラが内心唸っていると、ミリアの眉間にしわが寄った。
「いいから答えなさい。私だって暇じゃないの」
尋ねる立場でありながら、随分と高圧的な態度である。スピーチの練習のときは、指導者としてそういう風に振る舞っているのかと思っていたが、どうやらこれが彼女の通常運転らしい。思わずルーラは突っぱねた。
「嫌だよ。ていうか、何でそんなこと知りたいんだよ」
「貴方には関係ないでしょう。つべこべ言わず早く教えて。…それとも、こう尋ねたほうがいいかしら」
ミリアの瞳がぐっと細められた。さながら、獲物に狙いを定める鷹のように。
「件の放火魔……ラヴィン・フェリズを鎮めたのは、貴方なの? ルーラ・フェリズ」
「……!」
____がっつり知ってるじゃねえか!
要は一部始終を見られていたらしい。こうなればラヴィンの件については隠せないと、ルーラは開き直ってこう答えた。
「確かに、放火魔の正体はラヴィンだよ。でもアイツのせいじゃない。多分別の誰かに操られてたんだと思う。証拠に記憶がなかった。だからアイツは悪くない。あと、何が起きたのかは俺にもわからない」
彼は悪くないと念を押しつつ、無難な説明をする。しかしミリアは納得がいかない様子で、更に食い下がる。
「でも、あのとき突然雷雨になったじゃない。貴方が何かしたのではないの?」
目聡い。そしてしつこい。
(知りたいのは俺もだっつの)
いい加減面倒になってきて、ルーラはぶっきらぼうに答えた。
「運が良かっただけだろ。それとも何、あの天気は俺が変えたんじゃないかって? 有り得ないよ、だって俺、魔法が使えないんだから。生まれつき魔臓がないんだ」
ルーラが自身の脇腹を指差すと、ミリアが目を見開いた。まさか、魔法が使えないことをこんなにも簡単にカミングアウトする日が来ようとは、夢にも思わなかった。
「…これでわかっただろ。何が気に食わないのか知らないけど、俺は何もやってないから」
「……わけないでしょ」
「は?」
ミリアの横をすり抜けようとして、ルーラはその肩をがしっと掴まれた。
「そんなわけ、無いでしょ」
そしてギロリと、奥に炎が見えそうなほどの怒気を孕んだ瞳が、ルーラを捉えた。
二人の身長はそこまで変わらない。気持ちばかりルーラの方が高いだろうか。しかし、殺気立った瞳でこちらを睨み付けているせいか、ミリアの方がずっと大きな存在に思える。
「そんなわけ無いでしょ、どう考えても異常気象だったじゃない! 私見てたわよ、雷雲が神社上空を中心に発生してたところ。だから神社を目指して走ったのに、到着した頃には全て終わっていた! 消去法よ、貴方が何かしたに決まってる!」
「おい離せよ! だからお前に話せることなんてないんだって!」
「答えなさい! 百歩譲って魔法が使えないのは信じるとして、まだ何か隠しているでしょう?!」
「痛い痛い痛いっ力強くないか?! このっ…離せ!」
ルーラは腕を大きく振り回して、ミリアの手から逃れようとする。しかし勢いよく動かしすぎて、腕に体が持っていかれた。自分がこんなことでバランスを崩したことに驚いて、咄嗟に足で踏ん張るのも忘れてしまった。
(あ、転ぶ)
視界が斜めになったそのとき、ルーラの背中が大きな手に支えられた。
「大丈夫か、ルーラ」
後ろを見ると、僅かに不機嫌そうな表情をしたラヴィンが、三人分の荷物を背負って立っていた。
「…! ごめんラヴィン、待たせてたの忘れてた! 荷物ありがとう」
「おん、もう教室棟は施錠されたから。……で、何してんの、お前」
ラヴィンがミリアを、そして未だ掴まれたままのルーラの肩を見下ろしながら尋ねる。すると、ミリアはすっとルーラから手を離し、ラヴィンの肩にかけられたトートバッグを手に取った。
「…私も分までどうも」
そして淡々と礼を述べ、つかつかと、桜色の髪をなびかせて教室から出て行ってしまった。
空き教室が、嵐が過ぎた後のようにすっかり静かになってしまうと、ミリアの消えた出入り口を見つめたまま、ラヴィンが言う。
「よくわからんけど、過激なヤツだな。てかお前、こんなとこまで来て何してたんだ」
「あっそれはもう済んだ! 早く帰ろう」
スマホをしまい、リュックサックを背負い直したところでルーラは気が付く。ミリアが放火魔の正体を、本人に突き付けることなく帰っていったことに。
ルーラがラヴィンを庇ったことは察したはずである。先程の勢いなら、例えば「情報を渡さないと本人に言う」だとか、そういった脅しをかけてきてもおかしくなかっただろう。単に思いつかなかっただけなのか、それとも彼女の良心や倫理観からくるものだろうか。
才ある同級生、ミリア。目的と性格がいまいち測れない。
そして彼女と同じクラスだったことも思い出した。今後ずっとあの調子で目の敵にされ続けたら嫌だなと、ルーラは思った。
誰もいない廊下を、並んで歩く。
「そういやルーラ、部活何にするか決めた? 俺サッカーやめて陸上部入ろうと思っててさー」
「そうなのか。俺何も考えてなかったな」
「ルーラって中学の頃何部だったっけ?」
「えーと確か、速記部?」
「えっ何それ、そんな部あったっけ…何する部なの」
「さぁ…一度も行かなかったから知らない…」
「おい新入生代表」
履き慣れないスリッパが床を擦る音と、二人の話し声だけが校舎に響いている。昇降口に置かれた下駄箱の、優しい木の香りがする。
「なぁルーラ。お前の知り合いにさ、お前と髪と目の色が同じおっさんっている?」
話しながら靴を履いていると、唐突にラヴィンがそんなことを聞いてきた。何故急にそんなことを、と目を瞬かせるより早く、ルーラの脳裏にあの人の顔が蘇った。
(いや、ラヴィンはヤゲンさんのことは知らないはず…)
怪訝に思いながらも、ルーラは聞き返す。
「…何で?」
「あ、いや、知らないなら別にいいんだけど」
「なんだよ」
「…その」
ラヴィンが神妙な顔をして、頭を掻いた。
「桜祭りのときに俺を放火魔にしたの、その人かもしれなくて。何か知らないかなって」
思わず足を止めたルーラのリュックサックが、肩からずり落ちた。
「____その話もっと詳しく!!」
窓の外で囀っていた小鳥が、一斉にバサバサと飛び立っていった。
「何をしてるの、と聞いているのよ」
「べ、別に。スマホ見てただけ」
「それなら、どうしてこんな場所でコソコソと?」
「…何でもいいだろ。もう帰るからそこ退いて」
ルーラがそう言っても、ミリアはその場から動かない。かと思えば、腕を組んでゆっくりとこちらへと距離を詰めてきた。
「ねぇ。祭りのあったあの夜、私が救急車を呼ぶ前。神社で何があったの?」
ルーラは言葉に詰まった。
ミリアは、放火魔に追いかけられたルーラが、神社に逃げ込んだことを知っている。だから救急車を近くに呼んでくれたわけで、もっと言えばそれは、ルーラが放火魔に襲われて絶体絶命の危機に瀕していると予想したからこその行動だったはずだ。
それが実際に様子を見に来てみれば、男子二人が寝転がって笑っているだけ。危機感も何もない。あのときの彼女の表情を見るに、さぞ拍子抜けしたことだろう。いったい何があったのか、見当もつかなくて当然である。
しかしそれを教えるには、放火魔の正体、果ては魔導についてまで話さなくてはならない。迂闊に身内の不祥事をバラして、もし彼が告発などされてしまっては敵わないし、魔導に関しては今のところルーラにもさっぱり分からないので説明しようがない。
ルーラが内心唸っていると、ミリアの眉間にしわが寄った。
「いいから答えなさい。私だって暇じゃないの」
尋ねる立場でありながら、随分と高圧的な態度である。スピーチの練習のときは、指導者としてそういう風に振る舞っているのかと思っていたが、どうやらこれが彼女の通常運転らしい。思わずルーラは突っぱねた。
「嫌だよ。ていうか、何でそんなこと知りたいんだよ」
「貴方には関係ないでしょう。つべこべ言わず早く教えて。…それとも、こう尋ねたほうがいいかしら」
ミリアの瞳がぐっと細められた。さながら、獲物に狙いを定める鷹のように。
「件の放火魔……ラヴィン・フェリズを鎮めたのは、貴方なの? ルーラ・フェリズ」
「……!」
____がっつり知ってるじゃねえか!
要は一部始終を見られていたらしい。こうなればラヴィンの件については隠せないと、ルーラは開き直ってこう答えた。
「確かに、放火魔の正体はラヴィンだよ。でもアイツのせいじゃない。多分別の誰かに操られてたんだと思う。証拠に記憶がなかった。だからアイツは悪くない。あと、何が起きたのかは俺にもわからない」
彼は悪くないと念を押しつつ、無難な説明をする。しかしミリアは納得がいかない様子で、更に食い下がる。
「でも、あのとき突然雷雨になったじゃない。貴方が何かしたのではないの?」
目聡い。そしてしつこい。
(知りたいのは俺もだっつの)
いい加減面倒になってきて、ルーラはぶっきらぼうに答えた。
「運が良かっただけだろ。それとも何、あの天気は俺が変えたんじゃないかって? 有り得ないよ、だって俺、魔法が使えないんだから。生まれつき魔臓がないんだ」
ルーラが自身の脇腹を指差すと、ミリアが目を見開いた。まさか、魔法が使えないことをこんなにも簡単にカミングアウトする日が来ようとは、夢にも思わなかった。
「…これでわかっただろ。何が気に食わないのか知らないけど、俺は何もやってないから」
「……わけないでしょ」
「は?」
ミリアの横をすり抜けようとして、ルーラはその肩をがしっと掴まれた。
「そんなわけ、無いでしょ」
そしてギロリと、奥に炎が見えそうなほどの怒気を孕んだ瞳が、ルーラを捉えた。
二人の身長はそこまで変わらない。気持ちばかりルーラの方が高いだろうか。しかし、殺気立った瞳でこちらを睨み付けているせいか、ミリアの方がずっと大きな存在に思える。
「そんなわけ無いでしょ、どう考えても異常気象だったじゃない! 私見てたわよ、雷雲が神社上空を中心に発生してたところ。だから神社を目指して走ったのに、到着した頃には全て終わっていた! 消去法よ、貴方が何かしたに決まってる!」
「おい離せよ! だからお前に話せることなんてないんだって!」
「答えなさい! 百歩譲って魔法が使えないのは信じるとして、まだ何か隠しているでしょう?!」
「痛い痛い痛いっ力強くないか?! このっ…離せ!」
ルーラは腕を大きく振り回して、ミリアの手から逃れようとする。しかし勢いよく動かしすぎて、腕に体が持っていかれた。自分がこんなことでバランスを崩したことに驚いて、咄嗟に足で踏ん張るのも忘れてしまった。
(あ、転ぶ)
視界が斜めになったそのとき、ルーラの背中が大きな手に支えられた。
「大丈夫か、ルーラ」
後ろを見ると、僅かに不機嫌そうな表情をしたラヴィンが、三人分の荷物を背負って立っていた。
「…! ごめんラヴィン、待たせてたの忘れてた! 荷物ありがとう」
「おん、もう教室棟は施錠されたから。……で、何してんの、お前」
ラヴィンがミリアを、そして未だ掴まれたままのルーラの肩を見下ろしながら尋ねる。すると、ミリアはすっとルーラから手を離し、ラヴィンの肩にかけられたトートバッグを手に取った。
「…私も分までどうも」
そして淡々と礼を述べ、つかつかと、桜色の髪をなびかせて教室から出て行ってしまった。
空き教室が、嵐が過ぎた後のようにすっかり静かになってしまうと、ミリアの消えた出入り口を見つめたまま、ラヴィンが言う。
「よくわからんけど、過激なヤツだな。てかお前、こんなとこまで来て何してたんだ」
「あっそれはもう済んだ! 早く帰ろう」
スマホをしまい、リュックサックを背負い直したところでルーラは気が付く。ミリアが放火魔の正体を、本人に突き付けることなく帰っていったことに。
ルーラがラヴィンを庇ったことは察したはずである。先程の勢いなら、例えば「情報を渡さないと本人に言う」だとか、そういった脅しをかけてきてもおかしくなかっただろう。単に思いつかなかっただけなのか、それとも彼女の良心や倫理観からくるものだろうか。
才ある同級生、ミリア。目的と性格がいまいち測れない。
そして彼女と同じクラスだったことも思い出した。今後ずっとあの調子で目の敵にされ続けたら嫌だなと、ルーラは思った。
誰もいない廊下を、並んで歩く。
「そういやルーラ、部活何にするか決めた? 俺サッカーやめて陸上部入ろうと思っててさー」
「そうなのか。俺何も考えてなかったな」
「ルーラって中学の頃何部だったっけ?」
「えーと確か、速記部?」
「えっ何それ、そんな部あったっけ…何する部なの」
「さぁ…一度も行かなかったから知らない…」
「おい新入生代表」
履き慣れないスリッパが床を擦る音と、二人の話し声だけが校舎に響いている。昇降口に置かれた下駄箱の、優しい木の香りがする。
「なぁルーラ。お前の知り合いにさ、お前と髪と目の色が同じおっさんっている?」
話しながら靴を履いていると、唐突にラヴィンがそんなことを聞いてきた。何故急にそんなことを、と目を瞬かせるより早く、ルーラの脳裏にあの人の顔が蘇った。
(いや、ラヴィンはヤゲンさんのことは知らないはず…)
怪訝に思いながらも、ルーラは聞き返す。
「…何で?」
「あ、いや、知らないなら別にいいんだけど」
「なんだよ」
「…その」
ラヴィンが神妙な顔をして、頭を掻いた。
「桜祭りのときに俺を放火魔にしたの、その人かもしれなくて。何か知らないかなって」
思わず足を止めたルーラのリュックサックが、肩からずり落ちた。
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