ぼくらのおわはじ

三澄 みそこ

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第二章 失はれし思ひ出

023.入学表彰式

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 実際の天気と用意されていた台詞が合っていて良かった、とどうでもいいことに安心しつつ、ルーラは暗記した通りに台詞を読み上げていく。


『穏やかな春のこの良き日に、私達256名は、命鼓高等学校の入学式を迎えることができました___』


 自分が発した声を、マイクが拾った音声が追いかけていく。体育館に響き渡る自分の声は、自分のものとは思えないほど朗々としていて、それに何とも奇妙な心地を覚えた。しかし、この数日間ひたすら台詞を叩き込み続けた口は、一人でにスラスラと言葉を紡いでくれるので、そんな動揺は他の一年生や教師たちには微塵も感じさせなかった。

『___この学び舎で、仲間とともに充実した学校生活を送ることを誓います。新入生代表、一年一組、ルーラ・フェリズ』

 やがて全ての台詞を読み終わり、舞台の上で一礼する。新品のキャメルのブレザーがごわごわとした。そして自分の席に戻ろうと振り返ったとき、思わず悲鳴をあげそうになった。当然ながら、体育館は満席。こんな中で自分は一人、舞台に立って台詞を読んだのかと、今更になって脂汗が出てきた。しかし出番は無事終わった。クラス席に戻る際、隣のクラスのラヴィンがこちらを見てにまにまと笑っているのが見えた。


 今日は、高校の入学式。命鼓高校の広々とした体育館に、所狭しと椅子が並べられ、全7クラスの新入生とその保護者たちが詰め込まれている。

 ルーラは改めて、生きてこの日を迎えられたことに安堵した。つい先日、とある事件に巻き込まれて危うく焼死しかけたのが嘘のようである。

 自分の席に落ち着くと、ルーラはブレザーのポケットにそっと触れた。そこには神社で手にした古びた御守りが忍ばせてある。あれ以来、何となく肌身離さず持ち歩いているのだ。

(結局何なんだろう、“魔導”って)

 巫女が、ルーラに対して「何故、今の貴方が」と呟いていた力。使えた理由は謎の男性・ヤゲンが授けてくれたからだが、あの驚き方からすると、もしかして正規の入手ルートではなかったのだろうか。


『続きまして、特別表彰に移ります』


 司会進行の声がして、意識が戻される。見上げる舞台に、一人の女子生徒が登壇した。

 さらさらと腰までのびる、桜色の長髪。大きな瞳は青空のように澄んでいて、その視線は一切ぶれることなく、真っ直ぐに前を見据えていた。

(流石だ…)

 ルーラは、自分も十二分に役割を全うできたと思っていた。しかしそれは、熱心な指導者の協力があったからに他ならず、そしてやはり指導者本人のオーラは別格だった。恐らく、慣れているのだろう。

 あの壇上の女子生徒は、この数日間、代表挨拶など初めて務めるルーラに教育を施した人物…そして、あの日神社に救急車を呼んだ人物だった。


 ミリアブロッサムと、入学説明会の日に再会した彼女は名乗った。そして、名簿に付いた丸印を見て固まるルーラに、こう言い放った。


「私の代役を務めるからには、半端な出来で挑んでもらっては困るわ。入学式当日まで、私が練習を見てあげるから、しっかりやりとげなさい」


 聞けば、この代表挨拶は元々彼女が務める予定だったという。しかし、彼女は別の表彰を受けることになった。そこで代役として抜擢されたのがルーラだったというわけだ。他にもっと適任はいなかったのかと異を唱える隙は与えられず、ルーラは春休み中練習に駆り出された。

 空き教室で行われたスピーチの特訓は、それはそれはスパルタだった。

「もっと胸を張りなさい、背筋も伸ばして」
「目線は前」
「歩くときに足を擦らない」
「腕は横」
「ボソボソ喋らない」
「だから目線は前!」

 鞭を振るわれているのではないかと錯覚するほど、と言っても過言ではないとルーラは信じている。しかしその甲斐あって、こういったものは全くの無経験だったルーラも、本番を何とか乗り越えることが出来た。

 そんなことを考えていると、校長がマイクで賞状を読み上げ始めた。そういえば、特別表彰とは何だろう。


『一年一組、ミリアブロッサム。貴殿は、件の放火魔事件において、市民の安全を守ることに多大な貢献をしたため、これを表彰する。命鼓警察署』


 体育館がざわついた。賞状を堂々たる態度で受け取った彼女は落ち着いた様子で体育館を見渡した。後ろから校長が説明を補足する。


『ミリアさんは、先日の事件が起こったコンビニエンスストアの付近に住んでいる方達に自ら避難を呼びかけ、誘導を手伝ったとのことで、警察より御礼状と賞状をこうして預かっておりました。皆さん、彼女に大きな拍手を』


 わっと体育館が沸いた。ルーラもぽかんと口を開け、まばらな拍手を送った。

(…そういえば、あの事件で出た怪我人は、消防士とコンビニの店員だけ…)

 同じクラスになった彼女は、背筋を美しく伸ばしたまま降壇し、クラス席へと近付いてきた。進行の都合上、名簿順に関係なく、とりあえず一番先頭の席に座るよう指示されていた二人は、そのまま隣り合う形になった。女子がすぐ隣に座るという状況に居心地の悪さを覚えたのは、神社で偽サホから勧誘を受けたことを思い出したからである。なお、本物のサホはラヴィンと同じクラス、二組のようだった。壇上から、彼女が大きく欠伸をするのが見えたのを覚えている。

 ちらりと、ミリアがルーラを見る。視線に気付き、ルーラも控えめに彼女を見やると、その口元が小さく動いた。


「60点」


 ルーラは思わずげんなりとして、何も言わずに少しだけ頭を下げた。

(そりゃあ、自分があそこまでできるなら、俺なんか中の中が良いところだろうな…)

 ルーラはこの高校での三年間、ずっと彼女には頭があがらないのだろうなと、まだ見ぬ高校生活をぼんやりと想像した。


(ああ、そうか、高校生)


 ふいに、ルーラは体育館の外を見た。

 桜は殆ど散っていて、新緑の芽が校庭に茂っていた。抜けるような青空に、澄んだ朝の空気。既に色々とあったが、それでもこんなに健やかな気持ちで人生の節目を迎えたことなんて、今まで一度もなかったはずだ。中学校の入学式はずっと気持ちが死んでいた記憶があるし、卒業式は一刻も早く帰りたいばかりだったように思う。


 しかし、そこまで考えて、気付く。

(…小学校はどうだったっけ?)

 入学式、卒業式、さらにはその間の学校生活の思い出。それが小学校はひとつも覚えていない。いや、何かしていたような気はする。しかし、黒く塗り潰されているかのように、どんなに目を凝らしても見えないのである。

(あれ、じゃあ、保育園は…就学前は…)

 さらに昔に遡ってみようとするが、それも同じだった。ここまでくると普通に覚えていないだけなのかもしれないが、ルーラは中学校入学以前の記憶を全く思い出せなくなっていた。そして、もうひとつ気が付いたことがあった。



 叔父夫婦の家にやってくる前、自分が誰とどうやって暮らしていたのかわからない。



 普通に考えれば、親だ。ルーラはラヴィンの従弟。ルーラの母親は、ラヴィンの父親の妹だ。しかし、それがどんな人だったのか思い出せなかった。父親もそうだ。ルーラは両親の姿をすっかり忘れていたのだった。

「何で…」

 式の最中だが、思わずぽつりと零してしまう。


『新入生、退場』


 司会の声に現実に引き戻された。いつの間にか、クラス席の前に受付を担当していた女性教師が立っていて、起立のジェスチャーをしていた。どうやら担任らしい。ルーラは慌てて立ち上がり、先頭となって担任教員の明るい茶髪のツインテールを追った。


 ぞろぞろと列を成し、体育館をあとにする。後ろを歩くミリアが、ルーラに耳打ちしてきた。

「歩くとき足が上がりきっていなかった。少しスリッパを床に擦っていたわ。気を抜くと猫背になってるし、あんなに言ったのにまだ視線が泳ぐときがあったし。だから差し引きして60点。これでも甘く付けたほうよ」

 何を急にと思ったが、先程零した疑問の言葉を誤解されたのだと、数秒経ってから理解した。判明した事実に感じた不安は、彼女へ再びげんなりすることで掻き消された。



 教室へと戻ってきたルーラ達は、選択授業や部活動の説明などを担任から受け、そして自己紹介をする運びとなった。
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