ぼくらのおわはじ

三澄 みそこ

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第二章 失はれし思ひ出

022.カルト

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 よく晴れた朝。並んで歩道を歩く女子高生の集団、うち一人が歩道脇の大きな建築物を指さした。

「この建物って何なの? 寺?」

「え、でも『何とか寺』って看板なくない?」

「普通に一軒家なんじゃないの、どっかのお金持ちのさ」

「だとしたらめ~っちゃ豪邸! これから毎日この横通って通学するんだぁ、何か恐れ多い」

「何でよ」

 笑いが起こり、彼女らのこの建物への興味はそこで途切れた。その後はみんなで同じクラスになりたいだとか、部活動は何に入るだとか、明るく瑞々しい話題へと移っていった。


 数年前から都市開発が進められ、すっかり整備された駅周辺の景色の中で、その建物は一際異彩を放っていた。さながら明治時代に見られた豪邸、あるいは寺。その一区角だけがタイムスリップしてしまったかのような、厳かな雰囲気があった。


 いったい、ここは何なのか。入り口を進んだ奥の広間に、その答えはある。


 そこでは、和服のようなローブを身に纏った人々が座禅を組み、目を瞑って一斉に念仏を唱えていた。その数、総勢100人弱。恐ろしさすら感じるこの異様な光景こそが、この建物の使用方法であり、そしてこの組織の実態のひとつであった。


 ここは俗に言うカルト宗教、その本拠地なのである。


 さて、彼ら教団員たちを統べるかのように、前方の小さな舞台の上で、一人で座禅を組んでいる女性がいる。頭上で束ねてもなお腰ほどまで伸びる、濃い焦げ茶の髪の毛。女性にしてはがっしりとした体付き。彼女は、ここでは「第壱枚」と呼ばれる、教団の幹部の一人であった。

 背筋をすらりと伸ばし目を瞑る様は、ただそれだけで優美だと感じられるが、彼女の首元には包帯が巻かれており、そこにじんわりと血が滲んでいる。下には、生々しい縫い傷が残されているのだ。魔法を交えた最先端医療を用いれば、完治に一晩とかからない程度の傷だが、この状態でかれこれ数日が経過していた。

 痛々しいことこの上ないが、彼女自身はそんな傷は物ともせず、別のことに思考を巡らせていた。大切な祈祷の時間__ここでは「花見」と呼ばれるもの__の最中だが、どうにも今日は集中できなかった。


(あの日のことが、思い出せない)


 それは、ずっと探し求めていた“神童”を見つけた、あの夜のこと。

 穢らわしき魔臓を持たずして生まれてきた、この上なく神聖な存在。灯台下暗しとはまさにこのこと、この命鼓の町に住んでいると情報が入ったとき、どれほど驚愕し、そして歓喜したことか。


 そして____神託は、自分に下った。


 神に託される。第壱枚たる自分を始め、入信者ならば誰もが敬愛してやまない“かの方”は、この自分を指名してくれた。「神童を保護せよ」と。天にも昇る心地だった。

(…それなのに)

 思わず眉間にシワが寄る。


 神託は確かに自分に下った。そう、自分下ったのだ。


 ふいに、ピリリと嫌な予感がした。彼女は薄っすらと目を開け、広間の後方を盗み見た。

「…………ッ!!」

 敬虔なる信者達が皆念仏を唱えている中から、光が漏れていた。座禅ではなく、ただの胡座。背中を丸め、手元を忙しなく動かしている。

(あの、花見の最中に携帯を……!)

 彼女が睨み付けた先には、黒髪に鳶色の垂れ目をしたがいた。しかし、彼女はそれが仮の姿であると知っている。

 この神聖な教団に偽りの姿を持ち込む不誠実さ、そしてそれが少女の姿という趣味の悪さ、更に儀式の最中に他事をする倫理観の無さもそうだが、何よりも、彼女が気に食わないのは。


 ____俺も行きたいんだけど。


 “かの方”が、あの男の希望をあっさり認めたこと。あの男にも、神託をお与えになったということである。この任務は二人で遂行しなければならなかったのだ。

 何故、あんな男にも自分と同等の栄光が与えられたのか。いや、本当はわかっているのだ。何故ならあの男は___考えかけて、ギュッと目を瞑りなおした。吐き気が込み上げそうになったからだ。


 ともかく、神託は絶対。彼女は渋々、自分が巫女を務める神社へ神童を誘導させる仕事をあの男に任せた。にも拘らずあの男は、神童を呼び出すまでは良かったものの、自分が持ち場を離れられない巫女舞の最中にそれを行い、あまつさえ勝手に神童に接触した。そして神童は体調を崩し、保護は失敗に終わった。

(そうだ、奴は作戦の域を出た。私はそれを制したまで)

 彼女は信者の何人かに林檎飴を渡し、あの男が姿を借りている少女の付近に差し向けた。予想通り、少女らは祭りの日付を勘違いして神社に様子を見に来た。そして神童と鉢合わせ、彼はあの男の意地汚い思惑に気付くことができた。


 そこから、だ。


 耳の奥に、薄っすらと消防車や救急車のサイレンの音が残っている。しかし何でそんなものが残っているのか、そのあと自分はどうしたのか、そしてこの首の傷はなんなのか、全く思い出せないのである。ただ、気が付くと自分は医務室のベッドに寝かされていて、教団の専属医から絶対安静と告げられたのだった。

 覚えがない期間は、空白というよりも黒く塗り潰されているような感覚だった。何かが起こったのは確か。しかし、どんなに目を凝らしても見えない。

(訳を知っているとしたら、やはりあの男か)

 再び後方を睨む。彼はまだスマホをいじっていた。舌打ちしたいのを必死で堪え、冷静を装って再び目を瞑る。今不必要に音を立てては、他の信者の邪魔になる。

 あれ以降のあの男の動向も把握していない。この傷について、あの男は絶対に何か知っている。「どっかで転んだんじゃねぇの」などという説明が真実なわけがない。あの男の全てが信用ならない。


 そのとき突然、バタン、という音とともに、急に後方が騒がしくなった。何事かと顔をあげると、信者達が不安そうに目配せをし合っている。そして、先程まで見えていた丸まった背中がなかった。

 彼女はすくっと立ち上がり、静かに後方へと近付く。信者がそれに気が付き、頭を垂れた。

「良いです、顔をあげなさい。説明を」

「第壱枚様………その、これ」

 信者が指差した先では、両腕で丸めた身体を抑えつけるようにして、あの男が倒れていた。髪は乱れ、呼吸は荒く、四肢が僅かに震えている。見るからに顔色も悪く、額には脂汗が滲んでいた。





 彼女は、短く溜め息を吐き、その男を見下ろしたまま信者に指示を出す。

「……私が医務室へ運びます。貴方たちは花見を続けなさい」

「はい…」

「雑念の一切を追い出し、ただ生きることに集中するのです。生きてさえいればと、それだけを強く考えなさい。さすればいずれ、貴方の魂から貪欲で穢らわしい魔法の気は抜け、魔導士に転生できる。そして、教祖様の作る新世界で生き永らえることができるのです。良いですね?」

 信者が再び頭を垂れたのを見届けると、彼女は先に障子を開け、倒れた男の背中と膝の裏に腕を回した。そして持ち上げようとして、止まる。小柄な少女の見た目に対し、元の成人男性の体重を有したままだったので、少しばかり驚いてしまったのだ。彼女は腕を抜いて、男を乱雑に背負った。その身体は発熱していた。彼女は唇を噛んだ。


 障子を肘で閉めて、広間をあとにする。中庭に面した縁側は、春の暖かな日差しに満たされていた。塀の向こうから少女達の笑い声がする。

 そのとき、垂れ下がった男の手から、ごとりとスマホが落ちた。メッセージアプリの画面が見えた。

「う………スマホ…………」

 背中で男が呻き声をあげる。彼女は先程我慢した分、大きな舌打ちをした。

「黙れ。花見の最中に触るなど言語道断だ。そんなに気になって仕方がないのなら、私がここで踏み潰して割って差し上げようか」

「やめろよ野蛮人。………あーあ」

 少しだけ男が体を起こした。そして余裕綽々といった風に笑う。


「昔のお前は、もっと純粋で優しくて、可愛かったのにな」


 男の言葉に、彼女は何も言い返さなかった。男もその発言を最後に静かになった。暫く廊下を進むと、大きな薬棚のある四畳半に辿り着いた。布団にそっと、少女の姿をした男を寝かせる。閉じられた瞼の上で、借り物の睫毛が震えていた。



 _____意識を失ったと思われたその男が、人目を盗んで脱走したと連絡が入るのは、この数時間後のことであった。
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