ぼくらのおわはじ

三澄 みそこ

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第一章 少年、開花す

006.死体よりよほど

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 ルーラは唖然として町を見渡した。とても信じられないが、命鼓手向の下で気を失ったあの時、どうやらタイムスリップを果たしてしまったらしい。


 そうとわかると、判断できる要素はいくつも転がっていたことに気が付く。

 思えば男性は袴を身に付けているし、スマホを知らなかったことなんてかなりわかりやすい。インターネットに繋がらないのも当然である。祭りの日時がずれているのも納得した。つまりは、開催前の日にやってきたというわけだ。随分伝統ある祭りだったことを、ルーラは初めて知った。またあの男性は、一週間後に祭りを控える神社で、自殺を図っていたようである。無神経なのか、はたまた祭りや神社に何か怨みがあるのか。御神木があんなに小さいのだって、100年もあればきっとどうにかなるに違いない。

 情報の濁流に頭が痛くなりそうだった。そしてルーラの中に、今自分にとって最も身近な問題が浮上した。

「…これ、どうやって元の時代に帰ればいいんだ?!」

 ことの重大さに血の気が引いたそのとき、後ろからざっ、ざっと足音が近付いてきた。

「ようやく理解したか。お前さんは未来の命鼓から来たわけだ、通りで妙な格好をしていると思った。そんな服、最近流行りの洋装でも見かけないしな」

「そんなこと思ってたんですか…」

 背後にやってきた男性に、ルーラはげんなりとして言った。続けて、ふと思い出したことを口にする。

「そうだ、念のため聞きますけど、俺を寝かせたのってあなたじゃないですよね…?」

「誰がそんなことするか。俺は桜の下でずっと首を吊っていた」

 男性はルーラの問いをぴしゃりと撥ね付けた。ルーラも尋ねたことを後悔した。目の前のこの男性が、丁寧に座布団を用意してくれるような人物には到底思えなかったからである。

「しっかしまぁルーラよ、お前さん本当に鈍いな! 時間旅行なんて大層なことをしでかしたのなら、普通すぐ異変に気が付くだろうに」

「いや、俺だって、さすがに何か違うとは思ってましたよ」

「違うと思っても、それ以上に探求しなければ、それは気付いていないのと同じことだ。ルーラ、お前さんは、頭が空っぽの、馬鹿だ」

 男性は語句を区切って強調しながら、自身の頭を指でこんこん、と小突いてみせた。

 酷い言われようである。ルーラは咄嗟に反論しようとしたが、浮かんだ言葉全てが喉に引っ掛かった。

 何にも気が付かなかったのは事実だ。男性は正しいことを言っている。ここで反論などしたところで、それはただの言い訳にしかならない。そうなれば余計に惨めになる。


『私たちは、生きてさえいればそれで合格なんだよ』


 そのときふいに、サホの声が耳の奥に甦った。

(生きてさえ、いれば……)

 ルーラは体の力を抜いた。そして、ぽつりと呟く。

「…俺は、合格なんだ」

「は?」

「頭が空っぽの馬鹿でも何でもいい。それでも生きてるから。生きてさえいれば、それでいいんだ」

 心が軽くなっていくのを感じた。あの少女は、なんて素晴らしい考え方をもたらしてくれたのか。生きていること、それは何にも代えがたい。それを満たしている時点で、魔法使いではない自分は合格なのだと、惨めに思う必要なんてないのだと教えてもらったではないか。

 そして、何にも代えがたい、生きることを放棄しようとしている者の言うことなんて聞くに値しない。ルーラはそう思い直すと、男性を白い目で一瞥した。突然態度を変えたルーラに、男性が僅かにたじろぐ。

「な、何だお前さん急に、生きてさえいればだの何だのと…」

「大切なことを思い出したんです。もう、不必要に傷付いたり、悩んだりしなくていいって」

「は?」

 ルーラの心情は、これまでにないほど穏やかだった。タイムスリップなど、そうとわかったところでどうしろというのだろう。こんなこと初めてなのだから、考えたところで解決策を閃くとも思えない。ならば考えろと言う方が無理というものだ。無理な努力はしなくていい。生きてさえいればそれでいいのだから。思い返せば、サホに出会う前からずっとそうしてきたではないか。

 黙ってしまったルーラに、男性が話しかけてくる。

「おいルーラ、帰る方法を探さなくていいのか」

「あぁ、まぁ、探しますよ。いずれ」

「いずれって…お前さん、自分のことだろう。先程までの危機感はどこへ行ったんだ」

「だって、タイムスリップなんて突拍子もないこと、考えたところで無駄じゃないですか」

「無駄だと? 考えなければ一向に前へは進めないぞ、ルーラ! おい、聞いているのか?!」

(あぁ、うるさいな……)

 ルーラは逃げるように男性の横を通り過ぎた。彼はまだ何か喚いているようだが、それが気にならないほどに何だか眠かった。とりあえず、もう一度社務所に戻ろうと思った。

(どうせこの人も魔法使いなんだろ。俺の気持ち、考えなんてわかるはずないんだ。理解しようとしない奴には、俺も理解を示さなくていい)

 男性の声が、意識の外へ遠ざかっていく。

 そういえば、自分は名乗ったのにまだ彼の名前を知らない。死にたい理由も聞いていないし、そもそも何者なのかもわからない。謎ばがりだが、全てがどうでも良かった。生きてさえいればいいのだから、余計なことは知らなくていい。

 きっと今まで、力が入りすぎていたのだろう。生きることは案外簡単だった。これからもこうやって生きていける。



「___お前さんは、死体よりよほど死んでいるな」



 色濃く侮蔑の滲んだ声色が、ルーラの聴覚を貫いた。

 ルーラは足を止めた。そして、ゆっくりと振り返る。男性が、まるで同情の余地のない死刑囚を見るかのような目で、ルーラを睨み付けていた。殺気すら帯びているように思える。体の底からぞわぞわと恐怖が沸き上がってくるのを感じ、それに蓋をするようにルーラは笑顔を浮かべようとした。

「…死、んでる? 俺が?」

 しかし、できなかった。頬がまるで凍り付いてしまったように動かない。

「あぁ。今のお前さんは、死体と同じか、それ以下だ」

「どういう、意味?」

 声が震えた。男性はルーラの問いには答えず、鼻を鳴らした。そして、意地悪そうに口角を吊り上げてみせた。

「知りたいのか、この言葉の意味を。しかし、考えたところで無駄なんじゃなかったのか?」

 言葉を失うルーラを見て、男性は更に顔を歪める。

「自分で言っていたじゃあないか、馬鹿でいいと。良かったなぁ、今のお前さんは、十二分に救いようのない馬鹿だ。そうやって外界から目を背け、何も見ず何も考えず。さぞ楽なことだろうなぁ、全く羨ましい」

「………違う、俺は楽をするつもりなんか」

「何が違うんだ、えぇ? この頭空っぽの大馬鹿者、現状に甘え、改善を怠るろくでなしが! 全部お前さんのことだ、俺は間違ったことを言っているか?!」

 凄まじい剣幕で男性に迫られたルーラは、恐怖でピクリとも動けなくなっていた。相手が反論してこないと悟るや否や、男性は興醒めしたようにすっとルーラから視線を外した。

「ともかく、これ以上見ず知らずの小僧に親切にする義理もない。別にお前さんが帰れなかったとしても、俺には微塵も関係はないのだしな。あぁ、水を差されてしまった。とっとと死のう」

 そう言うと男性は、すたすたとルーラの横を通り過ぎていく。

(何がそんなに、逆鱗に触れたんだ…?)

 男性を呼び止めたい。しかし、そんなことをしてはまた嘲笑われてしまう。

(わからない…死体より死んでるって何だ…?!)

 考えたい。しかし、それも発言と矛盾してしまう。何もできない。まるで小さく固い殻の中にいるようだ。そして、その殻を破るため行動をすることすら許されない。

 なんて苦しい。なんて辛い。

 何も見えない。出来ない。わからない。



(____これが、『生きてさえいれば』?)



 身体中が、まるで殴られたように熱い。視界が霞んで、足元がおぼつかなくなり、頭が重くなった。

 やがて、ぐらりとルーラは倒れた。
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