ぼくらのおわはじ

三澄 みそこ

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第一章 少年、開花す

003.生きてさえいれば

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 心臓をひと突き、あるいは、突然南国から雪国に連れてこられ、凍った川に突き落とされたかのような衝撃。ルーラは、何が起こったのか理解できずにいた。サホの言葉が、脳内に木霊している。


 使えない。

 魔法が使えない。


 数秒か、もしかしたら数分経ったかもしれない。全身から血の気が引いた。皮膚にぴりりと電流が走るような感覚を覚え、指先が冷たくなっていく。どくん、どくん、と心拍がうるさいのに、まるで生きた心地がしない。

 震える口で、ルーラは辛うじて言葉を発する。

「な、なんで、それを」

「んー?」

 しかし、サホは笑みを浮かべて首を傾げるばかりである。ふと、彼女が視線を下げる。見ているのは、ルーラが強く押さえつけているわき腹だった。

「痣になっちゃうよ」

「う、うるさい。だって、だって……」

 ルーラが口調を強めても、サホは笑顔を崩さない。彼女は徐にルーラの前に立ち塞がると、ただ一言「見て」と呟く。


 そして、唐突に服の裾をたくしあげた。


 服の下から現れたのは、丁度わき腹の位置にある、大きな横傷だった。縫合の跡はミミズが這ったように皮膚が盛り上がっており、白い肌と合わさって何とも毒々しく、歪であった。

 ルーラはぎょっとして傷を凝視し、それからサホの顔色を伺った。醜い肌を露にした少女の顔には、相変わらず笑顔が貼り付いている。

「癖なんだね、押さえるの。、そこに無いんでしょ? 私もなんだ。やっぱり似てるよ、私たち」

 ルーラは息を呑んだ。



 この世界における魔法、もとい魔力とは、体力と同様肉体に依存する。

 炭水化物や脂質をエネルギー源とする体力に対し、魔力は「魔臓」と呼ばれる臓器が作り出す物質をエネルギーに変え、様々な形で消費する。この物質の性質と、その消費のされ方に大きな個人差があるために、魔法の種類は人口に比例し多岐にわたる。詳しい原理は未だ解明されていない。


 そして、ルーラには先天的に、この魔臓が備わっていなかった。すなわち、魔法が使えないということ。

 魔法使いと書いて人間と読むこの現代において、それは人間でないのと同じことだ。魔法こそがこの世界の全てで、世界は魔法使いたちによって構成されている。そんななかで、魔法が使えない自分は異物も同然。誰も自分のことなど理解できない。ルーラはずっとそう思っていた。


 しかし、どうだろう。目の前の少女も魔法が使えないのだという。サホは服をもとに戻した。

「これが学校で浮いてた理由。小児がんだったの。摘出しないと他の臓器にまで転移するからって言われちゃって、それでもう、取るしかなくて」

 淡々と話すサホに、ルーラは何と声をかけたらいいのかわからなかった。

 生まれつき魔法が使えないルーラにとって、それはある意味当然のことだった。一度も魔法を使えたことがないのだから、未練もない。しかしサホは違う。かつては魔法使いだったのに、それが突然失われたのだ。しかも、自分ではどうにもできない、外的要因によって。

「辛いよね、魔法使えないって。わかるよ」

 そんな彼女が言う共感の言葉は、重みが違った。

「…ごめん、さっき乱暴な言い方した…」

「気にしてないよ。私を魔法使いだと思ってたからでしょ? 実際、あいつらに私たちの気持ちなんて絶対わからない」

 サホはルーラに背を向けると、空を見上げた。

「この世界は、魔法使いのために出来てる。魔法が使えること前提に何もかも作られてて、そうじゃない人のことはこれっぽっちも考えてない。私たちみたいな少数派のことなんて、いちいち気にしてられない。意見も人格も、無視」

「無視……」

「そう。そして無視しておきながら、人の役に立ちなさいとか、功績を残しなさいとか求めてくる。魔法使いのための世界で、魔力を持たずに生きてるってだけでハンデなのに、そんなの押し付けられても無理に決まってるじゃん。それで出来ないと、馬鹿にして、冷笑して……なんて自分勝手で、強欲なんだろう」

 サホの表情は見えない。しかし語尾の震えが、彼女がこれまで受けてきた扱いと、それにより味わった苦痛を物語っていた。

 ふいに、サホがくるりとルーラの方へ向き直る。

「ねぇ、ルーラにもなかった? そうやって無視されたこと」

 尋ねられて、ルーラが真っ先に思い当たったのは、ばつが悪そうに飛び退いたラヴィンの姿だった。あのとき、ルーラもサホと全く同じことを考えて、口に出していた。

「…あぁ、ある。あいつに俺の気持ちなんて…わからない」

 胸が締め付けられる思いがして、ルーラの語尾も強まった。

「だよね。誰に何と言われようと、私たちは、生きてさえいればそれで合格なんだよ」

 何気なく選ばれたその語彙に、ルーラはピクリと反応する。

「…生きてさえいれば?」

「うん。生きてさえいれば、それ以上はいいの。無理な努力なんてしても辛いだけ。…でね! ここからが本題なんだけど」

 突然、サホがぱんっと手を叩いた。驚くルーラにぐっと顔を近付けると、彼女は満面の笑みでこう言った。

「同じ考えをもってる人が、いっぱい集まってるサークルがあるんだ! 私もそこに入ってるんだけどね、この考えを世界に広めるために、毎日色んな活動をしてるの。楽しいよ! ルーラも来ない?」

 意外な話の展開に、ルーラは目を瞬かせた。

「活動? ビラ配りとか?」

「んー、やってる人もいるけど、ルーラなら多分もっと大掛かりな活動を任せられると思うよ? 魔力がないって、私たちのところだと長所なんだ。似たような境遇の人たちが集まるから居心地がいいし、何よりみんな絶対ルーラのこと歓迎してくれるよ。ていうか、会いたがってるお方がいるの」

「えっ俺に…?!」

「そう。私、ルーラのことがずっと心配でさ。実は相談してたんだよね、そのお方に。そしたら是非会ってみたいって仰られて。ほんとにすごいお方なんだよ。魔法使いじゃない私たちのために、魔法の代わりかそれ以上に効果をもたらす、新しい力を授けてくださるの」

「新しい力…? 魔法じゃ、ないのか?」

「ふふ、今はここまで。着いてきたら、もっとたくさん教えてあげるよ」
 
 口の前に指を立て、いたずらっぽく笑うサホ。その表情があまりに楽しそうで、ルーラは俄然興味が湧いてきた。

 こんなにも特定の物事に惹かれるというのは、初めての経験である。自分と似たような境遇に置かれている、まだ見ぬ仲間たち。明確な目標。どれも今までの人生では縁のなかったものばかりだ。また、新しい力とやらも気になった。魔法以上の効果をもたらすとは、どういうことだろう。

 着いていく、と口に出そうとして、喉につっかえた。

 興味はあるが、知らない世界に自ら飛び込んでいくというのは、思っていた以上に勇気がいる。変革はギャンブルだ。必ずしも良い方へ転ぶとは限らない。そのサークルで上手くやっていける保証はないし、歓迎してくれるというのがどこまで世辞なのか判断もつかない。いきなり訪ねて、迷惑にならないだろうか。


 ここまでが理性的な理由だ。


(何でだろう。何か、怖い)

 今の話のどこに恐怖を見出だしたのか、自分でも全くわからない。でも何故か、足がすくむ。着いて行ってはいけないような気がしてならないのである。


 決めかねている様子のルーラを、サホは不思議そうに見つめていた。

「…何で迷うの。一緒に行こうよ」

 ワントーン低い声でルーラを誘うと、彼女は手を差し出す。その手を見ていると、雑念がすうっと消えていく心地がした。

「私たち、仲間なんだから」

 この手を取るだけ。簡単なことだ。


 サホの顔を見る。口角が上がっている。笑顔だ。
 目。影のせいで真っ黒に見える。

 恐怖なんて感じない。


「…うん、一緒に___」

 ルーラが手を伸ばした、その瞬間。


 その手が、別の手に掴まれる感触があった。


 そのまま後ろに引っ張られ、ぐわんと、ルーラの体が傾いた。驚きバランスを崩す。このままでは、背後の命鼓手向の幹に激突してしまう。

 しかし、ぶつかる直前にルーラは強烈な眠気に襲われた。瞼が重いと思う間もなく、視界がブラックアウトする。音が遠のく。

(だ、れ…………)

 サホの手を取らなければ。しかし体に力が入らず、思うように動かせない。

 誰かに後ろから抱き止められた。暖かくて力強くて、そしてどこか懐かしかった。



 ルーラの意識は、そこで途切れた。
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