ぼくらのおわはじ

三澄 みそこ

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第一章 少年、開花す

004.桜の下にて、邂逅

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 爽やかな藺草いぐさと、ほのかな石油の香り。そして下から伝う涼しい空気に、ルーラは優しく起こされた。


 真っ先に視界に入ったのは、橙色に淡く照らされた天井であった。薄暗い部屋の中、ルーラはしばらくぼうっとしたまま寝転がっていた。

(………え、部屋の中?)

 ルーラは我に帰り、慌てて上半身を起こす。そこで驚いた。信じられないほど体が軽いのだ。その軽い体でひょいと立ち上がると、辺りをキョロキョロと見回す。

 八畳間だ。低めの天井からは古びたランプが吊るされている。砂壁の手前に置いてある立派な箪笥は、一番下の段が微妙に閉まっていない。中を覗くと、上質そうな紫色の座布団が何枚か収まっていた。ふと、先程自分がいた場所を振り返り見てみると、同じ座布団が三枚、畳の上に縦に並べて敷かれていた。ルーラはここに寝かされていたのだ。親切に敷物まで用意して。


 誰がこんなことを。


 ルーラはここへ来る直前、サホと話していた。彼女の誘いを受けようとした瞬間、突然後ろから誰かに腕を引かれたところまでは覚えている。その後急に眠気に襲われ、目を覚ますと見覚えのない和室にいた。

 字面だけ見れば、完全に誘拐である。しかし、拘束などは一切されていない。どこか怪我をしているわけでもなく、それどころか体調はすこぶる良好だ。わざわざ座布団を敷いてくれていたのもそうだが、害意が全く感じられない。それが逆に不気味だった。姿も見ていないうちから考えるのもどうかと思うが、犯人の目的も依然として不明だ。

 さらに不可解な点として、ルーラは命鼓手向を背にして座っていたことが挙げられる。杉の木と並ぶ体躯を誇るあの巨桜と自分との間に、人が入れる隙間があったとは考え難い。どうやって後ろから腕を引いたのか。


 ともかく、箪笥と座布団くらいしかないこの部屋の中にずっといても仕方がない。すぐ隣にあった障子をすす、と開けると、その先はやけに細長い板間になっていた。正面の壁には大きな格子窓と、備え付けのカウンターテーブル。そして椅子が二脚。何かの施設のようだが、全くもって思い当たるものがなかった。しかしながら窓があるので、中からそっと外の様子を伺う。

(あれ? ここって)

 そこから見えた景色に既視感を覚え、ルーラは思いきって格子窓を開け放った。

 その先に広がっていたのは、年に一度は歩いた参道に、あまりの水の冷たさに初詣の度に手が痛くなった手水所ちょうずどころ。そして、巫女舞が行われていた拝殿。ルーラは拍子抜けして、ほうっと息を吐いた。

「なんだ、ここ命鼓神社だったのか」

 そういえばこの細長い板間は、おみくじを引いた社務所である。中に入ったことがなかったので、景色が結び付かなかった。誘拐などと大袈裟な想像を膨らませたのが馬鹿らしい。最初から移動などしていなかったのだ。


 しかし何故だろう。誰もいない。巫女も、客も、姿が見えない。桜祭りが行われているはずなのに、人気が全くないのである。まさか、祭りが終わるまで眠っていたのだろうか。不安に思い、ルーラはしんと静まり返る神社を見回した。すると、とんでもないことが判明してしまった。


 命鼓神社の御神木、命鼓手向がどこにも見当たらない。命鼓手向がどっしりと根を張っているはずの場所には、代わりにただの桜の木が1本、ぽつんと植わっているのみだったのである。


 本殿の倍はあるであろう高さの、太く黒々とした幹を構えていたあの巨桜は、見る影もない。ルーラには何が起きているのかわからなかった。突然桜が縮んだのか、あるいは眠っている間に植え替えられたのか。前者はありえないとして、後者もいささか無理がある。信じがたい光景に、ルーラは何度も目を擦った。


 そのとき、そのただの桜の下に、ルーラはやっとひとつの人影を見つけた。諸々あの人に尋ねるしかない。

 ルーラは自分の靴を見つけ出し__これも丁寧に靴箱に収納されていた__桜の元へ向かった。歩きだし、地面を踏みしめるのにも違和感が伴う。固い土の地面は、足をとられることもなくすいすいと進んでいける。いつもの神社はもう少し歩きづらかったような気がした。しかしそう考えたところで、ルーラははたと足を止めた。

(…何してるんだ、あの人)

 桜の木の下で、人影が微動だにしないことが気にかかったのである。両手を横にだらりと垂らし、直立不動。木の下ですることなんて花見くらいしか思い付かないが、そんな雰囲気ではなさそうだ。

 それにしても、随分と背が高い。花に隠れて顔が見えないほどだ。しかしよく見ると、踵が地面から離れている。背伸びをしているのだろうか____いや。



 ルーラは足早に人影へ近付いていく。気付いてはいけないことに気が付いてしまったような、ひどい胸騒ぎがした。しかし、足を止めることができなかった。最終的には小走りになって、息を切らしてそこへ辿り着いたとき、ルーラはどさりとその場に座り込んだ。


 その人影は、宙吊りになっていたのである。枝に結んだ縄に、首を通して。


 若草色の袴を着た、白髪の男性だった。四、五十代くらいだろうか。固く閉じられた瞼からは、自ら死を選ぶに至ったほどの生前の苦痛を含め、何も感じさせない。ただ無機質な人形がそこにあるだけ。また、彼の頭上で咲き誇る桜が、その光景から現実味を奪っていた。

 いや、そもそも本物だろうか。いっそ芸術的だとすら感じるその画に、ルーラがぼうっと見とれていた、そのときだった。



 なんと、男性の垂れ下がっていた腕が、何ということもないように突然持ち上がったのだ。



「____う、うわぁッ?!」

 ルーラは思わず叫び声をあげ、尻餅をついたまま後ずさった。


 男性は、首を絞めていた縄をほどき、ざっ、と着陸した。


 月光に晒されたのは、白銀色の短髪と、鋭く光る赤い瞳。男性はルーラと全く同じ色素を有していた。白髪ではなかったのだ。銀髪も赤眼も、極めて珍しいはずである。本物の人間だったこと、そしてまだ生きていたこともそうだが、何よりそれに驚いた。

 相手も同じことを考えたらしく、ルーラの姿を視認すると目を見開いた。両者はしばらく互いを見つめたまま固まっていた。

 先に沈黙を破ったのは、男性のほうであった。彼ははっと我に返ると、軽く頭を振った。そして、ルーラをギロリと睨み付け、不機嫌そうに「おい」と声をかけてきた。


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