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「いち…に……うーん、あと二週間くらいか」

 自室のカレンダーを確認しながら俺は指折り数えて確認した。
 と言うのも、発情期がそろそろ来そうだからだ。三ヶ月に一回こんな物があるオメガは本当に煩わしい事この上無いが、仕方が無い。今の時代はオメガ用の薬の開発も進みある程度軽く抑えられる為、薬の強さによって仕事や学校を休む日数は調整出来る。
 俺はいつもやや強めの薬を飲んで二日程度で終わらせるのが常だが、今それとは別で体調改善の為に薬を飲んだり健康に気を使っているのに、強い発情抑制薬は併用して大丈夫なんだろうか。
 俺は気になったので、早速次の休みの日に予約している定期検診のついでに医師に聞いてみる事にした。のだが。



「駄目ですね」
「駄目ですか」
「抑制薬は体に負担が掛かるものですから。弱い物なら処方出来ますよ」
「弱い物って、発情期はどれくらいの日数になるんですかね」
「通常薬を飲まない状態で七日と言われていますが、まあせいぜい五日くらいの日数は見ておいて頂いた方が」
「五日…」
「強い薬に比べて効果も弱いです。いつもよりきつい発情期になる事は覚悟して、番の方に手伝って頂くのが一番良いと思いますよ」
「つ、番に…」

 五日となると結構な長さだ。俺はこの体がオメガと診断されてから常に強い薬を服用してきたので、そんな日数休んだ事が無い。しかも比較的軽くなる様に抑えてしまっているので、その弱い薬とやらでどの程度の発情期になってしまうのか分からず恐ろしくて堪らない。
 一旦はとりあえず医師の言う通り比較的弱い抑制薬とやらを処方してもらい、俺は帰路に付いた。
 家に帰ると休みの日なのでフェリックスがリビングで本を読んでいた。ただ座って本を読んでいるだけなのに妙に様になる男だなあと勝手に思いながら見ていると、フェリックスが顔を上げた。

「おかえり」
「ただいま」
「定期検診はどうだった」
「栄養状態とかは良くなってるって。まだ経過観察は必要らしいけど」
「だろうな。もう今日はゆっくりしていろ。夕食には起こす」
「ありがとう。あのさあ」
「何だ」
「……いや、なんでもない」

 訝しげにしているフェリックスを置いて、俺は逃げる様にリビングを後にした。廊下を歩き自室に入ると、ベッドに倒れ込んだ。

 言える気がしない…。次の発情期、いつもより重くなりそうだから一緒に過ごしてくんない?なんて誰が言えるだろうか。それは安直に言えば俺とセックスしよう、だ。
 無理すぎる、どう考えても無理だ。

 俺は常に強い発情抑制薬を服用してきたが、勿論フェリックスと結婚してこの五年間もそれは変わらずだった。最初の一回だけ番になる為に首筋を噛んでもらう必要があり、セックス紛いの事はした事がある。しかしあの時は俺もフェリックスも義務でしかなく医師に相談の上一番強い薬を服用していた事もあり、さっと事を済ませれば終わってしまうような夜だった。
 それ以降の発情期は俺はこの家に帰らず、オメガの発情期専門に扱う隔離施設に一人で出向くのが通例だ。そこは完全防音防フェロモンで番を持たないオメガが一時的に利用できる施設だが、勿論番の居るオメガで事情がある者も多く利用している。定期的に食事が届けられる以外はベッドしかない部屋が並ぶ施設だが、基本的に俺は毎回そこで二日間程篭って自身を慰めるのが常だ。
 しかし今回もそこを使うしか無いだろう。五日間も篭っているなんて想像も付かない上に、いつもなら自身への慰め程度で済む物が済ませられないくらいの症状が出てしまったらどうしよう。
 だからと言ってフェリックスには頼めない。医師は「番に手伝って貰え」と簡単に言うが、普通の夫婦なら容易い事でも俺達にとっては難しい。俺達は世間的に言えば「セックスレス五年」の状態なのだ。お互い合意の上でのセックスレスだけれども。

 とりあえず俺は一抹の不安を抱きながらも、発情期間に合わせてその施設の予約を取るのだった。




 一週間程が経った頃、俺は若干の熱っぽさを感じていた。これは発情期の前触れだろう。もしかすると予定よりも少し早く来るかもしれない。
 参ったなと思いながら、仕事が終わるや否や俺はフェリックスに通信を飛ばした。ややあってからフェリックスが応答する。

『ガブリエル、どうした』
「ああ…あのさ、俺発情期来そうでさあ」
『そんな時期か』
「うん、で…俺ちょっと予定より早く来るかもしれないなって感じで、今日から施設の方に泊まるわ」
『承知した。終わるのは三日後くらいだったな。その日に合わせて家に食事も用意させるから、終わる頃連絡を寄越す様に』
「……」
『…ガブリエル?』
「あ、それなんだけどさ。俺ちょっと…今回は強い発情抑制薬は駄目だって医者から言われてさ。五日はかかるっぽい。だからその辺で帰るわ」
『何だと?』

 一瞬にして冷酷な気配を纏わせる夫の声が聞こえた。いや…やっぱりもう少し早く言うべきだったか。言い辛くて先延ばしにしていたツケが回ってきたかもしれない。如何せんこの夫は俺の健康と体調管理には煩いのだ。冷や汗を掻きながらどう答えようかと逡巡していると、フェリックスが続ける。

『今日は一度家に帰ってくるように』
「え」
『いいな?』
「あ、はい…」

 そして一方的に切れた通信に俺は益々不安を抱くのだった。




 のろのろと歩きながら帰宅すると、既にフェリックスが先に帰っている様だった。リビングの扉を開けるとフェリックスがソファに腰掛けていた。腕組みをしている様子を見る限り、やっぱり怒っている様に見える。

「ただいま」
「おかえり。荷物を置いたらそこに座れ」

 フェリックスが自身の隣を指差す。俺は荷物を椅子に置き、言われるがままにフェリックスの隣に座った。
 怒られるのか俺は…。本当に何だか最近のフェリックスはまるで俺の旦那と言うよりは父親の様だなと思う。どこかそんな事を考えて気を紛らわせていたが、フェリックスが口を開く。

「何故黙っていた」
「……発情期の事?」
「そうだ。強い発情抑制薬は飲めないと」
「うーん、まあ…だとしても変わらないじゃんやる事は。期間が長くなるだけで…」
「期間が長くなる上に、いつもより強く発情するのでは無いか?調べた所その様に文献には載っていた」

 博識な旦那様は凄い。分からない事は何でもすぐに調べてしまう。だがこればっかりは放って置いて欲しい。

「多分そうだと思うけど、やる事は同じだから」
「ガブリエル、お前は強い抑制薬を常に服用していたな?初めてなんじゃないのか、そんなに期間も長く、強く発情するのは」
「……そうだけど、でもフェリックスには関係無いじゃん。俺が頑張って耐えたら良いだけの話だから」
「……」

 そう、フェリックスには関係の無い話だ。これ以上は流石に迷惑を掛けたくない。その思いでそう言ったものの、フェリックスは黙ってしまった。
 暫く考え込む様な仕草を見せていたが、漸くフェリックスが口を開く。

「分かった。俺も五日間休みを取ろう」
「はい?」
「夜の営みも積極的に行う様にと最初に医師に言われていた。それもあるし、発情期は共に過ごす」
「え!?」
「ガブリエルは甘く見ている。俺は昔から発情期に態と当てられてオメガに近付かれたり襲われる事は良くあったが、彼等は大体理性を失っていた。ガブリエルが一人で耐えられるかどうか」
「……」
「そんな事でまた一人で抱え込んで泣いて体調諸共悪くなればここ最近の向上が台無しだ」
「…でも、いいのか?フェリックスは。俺と…その、発情期を過ごして」
「…………構わない」

 いや今の間はなんだよ。絶対構うだろ。
 そう思うのに、あのフェリックスが…義務感だろうがそれでも発情期を過ごしてくれるなんて驚きだ。夫の筋金入りの人間不信の事は理解しているつもりだが、本当に良いんだろうか。
 しかし理性を失う程の発情期を経験した事が無いのも事実で、少しばかりの恐怖がある事も否めない。
 俺はゆっくりと頷き「じゃあ頼む」とだけ言った。
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