4 / 4
Side.S
しおりを挟む
ああ、まただ。
最近非常に頭を悩ませている事柄があり、私は心身ともに疲弊していた。
物陰から、こちらを見つめる視線を感じる。そちらを見なくても分かる。以前から私に懸想している、レノワ公爵家のマリーベル嬢だ。少し前から付きまとい行為は続いていたが、私が学校を卒業してからはどうやら本格的に私の婚約者になろうとしているらしく、最近は部屋に侵入しようとする等かなり目に余る行動が増えていた。
どうにかならないかと父や母に相談した事もある。しかしレノワ家は国内有数の家柄な上に、現当主は父と血縁にすらあたる人物だ。おいそれと彼女を排除するのは難しく、それ相応の理由や大事件がないと難しい、と言われてしまった。
正直、ほとほと困り果てていた。
私はこの国では第三王子という身分なのもあり、昔から様々な教育を受けている。女性には紳士で無くてはならない、という教えも昔から身についているし、何より上の兄二人がかなり奔放で色んな女性たちと付き合っていたものだから、私が可哀想な彼女たちの対応と尻拭いをさせられる事も多々あった。そのせいでどうしても女性は守るべきものであり、害してはならないと感じている。
だからこそ、マリーベル嬢のような一見可憐でか弱い女性に、何かしらの罪を被せて放免するなんて事は出来そうになかった。しかし、日に日に私への態度が大胆になっていく彼女に、恐怖すら覚える事もある。
私は現在恋人もいないし、婚約や結婚すら考えてもいなかった。学生時代はこの見た目や身分で寄ってくる女性も多く、何人かと付き合った事もある。何なら男性との経験もあるくらいだ。しかし学校を卒業した今は、私は任されている国政に関わる仕事に専念したいと考えている。だからこそマリーベル嬢に応える事はおろか、誰かと親密になる事も避けたい気持ちだった。どうするか、悩みに悩んだ。直接彼女に言った事もある。しかし徒労に終わった。彼女が重大な事件を起こすのを待つしかないような気もするが、それまでに私の心が持つ気もしない。
考えあぐねて、一つだけ頭に思い浮かんだ事があった。誰かが私の恋人のふりをしてくれれば、彼女も諦めてくれるのでは無いだろうか、と。とてつもない相手が私と付き合っていたら、彼女も流石に身を引くか行動を起こすのではないかと。
しかしそれは簡単な話ではなかった。
魅力的で外見も整っており、マリーベル嬢よりも上手(うわて)な人。年齢も年上がいいし、色々と冷静に対応できる必要もある。何より私を好きにならなそうで、契約を履行してくれる真面目さも。そして貴族社会に属しておらず、自分の身は自分である程度守れそうな立場または体格の人間がいいだろう。
そんな人間、果たしているだろうか。
そう思い調べた結果、一人だけ候補が上がった。通称「魔性の男」として王都では広く知られている、マクシミリアンという男性だ。
マクシミリアン殿と言えば、地方の子爵家の私生児である。しかし才が認められ、王都で学校に通いその後魔術研究の道に進んでいるのは、王宮で働く人間であれば知っている。なぜ私生児だった彼がこんなにも有名かと言うと、その際立った美貌と……魔性の男と言われる言動のせいだった。
この国では大変珍しい黒髪に、宝石のように美しく怪しい紫色の瞳を持つ彼は、非常に美しい男性だった。背はすらりと高く常に洒落た装いで、並大抵の貴族が着飾ったところで彼の隣に並べば霞んでしまうだろう。そして何より、色んな逸話を持つ男性だった。やれ男を手玉にとって弄んだだとか、女性たちに囲まれてキスをしていただとか。その怪しげな美しさと性格で、王都であれば貴族や平民まで彼の事を知らない人間は居なかった。魔性の男、マクシミリアンと言えば大抵の人間は知っている。それくらい目立っている男性なのである。
そして調べた結果、彼自身は非常に勤勉で仕事は真面目、噂が先行しているが男女関係も乱れた付き合いはしていない潔白な人物だった。
ここまで適任の人間は他には居ない。しかし、何か対価を払ったとしても彼が協力してくれる保証は無い。そもそもマクシミリアン殿とは接点はひとつもなく、実際に会った事すら無いのだ。
ただ、もう背に腹は変えられない。日々追い込まれていく私は、頼みの綱の彼に直談判するしか無かった……どうか、私の偽の恋人になって欲しい、という馬鹿げたお願いを。
「どうか君に、引き受けて欲しいんだ。魔性の男とされる君なら、流石の彼女も太刀打ち出来ないと思う」
「魔性の男、ねえ……」
侍従を使って初めて彼を呼び出した時、そのあまりの美しさに驚いた。そして何よりも、彼の持っている雰囲気に圧倒される。
ただ美しいだけじゃない。見つめられたら、目が離せなくなりそうな危なげな雰囲気だった。もちろん彼の事は調べさせてもらっているので、その見た目に反して意外に品行方正なのも知っている。それでもひとたび彼が首を傾げたり、表情を変えるだけで。捕らわれてしまいそうな感覚すら覚えた。
マクシミリアン殿が自分の研究室を欲しがっている、という話だったのでそちらを用意すると提案すれば、彼は勢い勇んで話に乗ってきた。そして突然、私の名前を呼び捨てに……しかも愛称で呼んできたのだ。
「マクシムって呼んで。俺はアレクって呼ぶから」
「だって、今から恋人だろ?俺たち」
魅惑的に微笑むマクシミリアン殿……もといマクシムに、私は圧倒された。私をいきなり呼び捨てにするなんて、普通の平民……ましてや貴族ですら出来ない。悪びれた様子もなく笑う彼に、私はとんでもない男に依頼をしてしまったのでは無いか、と内心思うのだった。
そして、それは的中した。
確かに偽装の恋人になって欲しい、と頼んだのは私の方だ。しかしそれはあくまで偽装でしかなく、周囲に周知して多少二人で並んでいる姿を現せばいいと軽く考えていたのだが……マクシムはそうでは無かった。二人で初めて並んで帰宅する際、案の定マリーベル嬢が待ち伏せをしている気配がしていた。そこでマクシムから、王宮の外門を出たらキスするふりをするように言われた。外門に来てもどうしたらいいのか分からないでいる私の首の後ろにマクシムの手が回され、引き寄せられて……。手で隠しながら、唇の真横の頬にキスをされた。
マクシムの美しい顔が、月夜に照らされているのが間近で見える。伏せられた目元は髪色と同じく黒いまつ毛で覆われ、影を落としていた。そして頬に感じるマクシムの唇の感触は非常に柔らかく、ものすごく……淫靡だった。実際に唇と唇は触れてはいない。それなのに、どうしてか胸の鼓動が早くなる。頬も耳も熱くなってしまい、顔を離したマクシムに揶揄うように笑われてしまった。
頭の中からは、すっかりマリーベル嬢が物陰から見ていた事等抜け落ちていた。
それからも、そのようなスキンシップは続いた。キスをする振りをして、腰を抱いたり抱きしめたり。これは仕方の無い事であり、恋人らしく振舞っているだけ。しかも案外真面目なマクシムなので、演技をきちんとしてくれているだけ。そう分かっているのに、毎回私の心臓は煩くなった。
マクシムは奔放な男性である。例え演技が混じっていたとしても、魔性の男、という噂が先行してしまうのもわかる程、彼はいつも私を驚かせる行動を取る。
そして思った以上に周りからは色々と揶揄され、兄たちからも詰め寄られた。マリーベル嬢の出方もよく分からないし、解決しなければいけない事は山積みだ。それなのに……いつしか、単純に毎日マクシムと会うこと自体を楽しみにしてしまっている自分に気が付いた。彼といる時間はマリーベル嬢の事は忘れてしまえるほど心強く、また彼の言動には驚かされつつも、一緒に居ればその雰囲気に癒されることすらあった。
仕事中でさえふとした瞬間にマクシムの事が思い出され、早く切り上げなければと考えてしまう。
挙句の果てに……マリーベル嬢が私の部屋にとうとう侵入を果たした際、私はこの気持ちがおかしいと気が付くのだった。
マクシムは彼女が侵入しているその部屋で、私たちの愛を見せつけようと提案した。ただいつもと少し違ったのは、マクシムが私の耳元にキスをした事だ。途端に私の頭の中はマクシムで染まり、目の前の人の事しか考えられなくなった。次第に近付く顔にも、驚くだけで避けようとすら思えない。唇と唇が重なり、多幸感で頭の中が支配された。
「っ、ん……アレク……」
「マクシム……」
マクシムの甘い声が部屋に響く。もはやマリーベル嬢の事などどうでもいい。彼女を傷付けずに遠ざけたい、という当初の思惑など吹き飛んでいた。今はとにかくこの熱をどうにかしたい。マクシムしか目に入らなかった。
気付けば熱くなった股間を彼に押し付けていたが、彼もまた同じ様に兆していたため頭が沸騰しそうだった。慌てて逃げた後も、ずっと彼の事が頭から離れなかった。
その辺りから、私は本格的におかしくなってしまった。
マクシムの言う事成す事、全てに従いたくて仕方がないのだ。彼が私を翻弄するような言動をする度に、心が揺れ動かされる。彼に許しを請い、彼を喜ばせる事をして、彼のために生きていきたい。
いつだって、私は王族は王族らしく生きなければならないと教わった。威厳を持ち、上に立つものとして人々を導く存在でなくてはならない。そのためには己を律し、他者に屈する事もあってはならない。
ずっと幼い頃からそう教わってきた。上に兄たちが居るとはいえ、私も王族だ。ずっとそうやって前だけを向いて勉学に励み、厳しい騎士の修行にも耐え、今は国政に携わる者として仕事にも励んでいる。
それなのに。マクシムを前にすると、私は一人の男に成り下がってしまった。己の立場、志、全てを忘れる訳では無い。しかし出来うる限りを持って、彼に尽くしたいと考えてしまう。
恐ろしかった。マクシムは魔性の男と言われるが、本質は真面目な人間である事も知っている。しかしその言動は間違いなく彼の気質から出てくるもので、私はそれに捕らわれて仕方が無い。むしろそんな魔性の一面と、仕事に対しての思い等の一面の両方を知り、余計に彼に対してのめり込んでいく己すら感じていた。
魅力に溢れ美しく、それでいて奔放で真面目なマクシム。いつまでも彼のそばにいたい。そのためにはどうしたらいいのか、考えるようになっていった。
そうして三ヶ月近くが経つ頃、兄主催の仮面舞踏会でとうとう事件は起きた。
マリーベル嬢がマクシムに直で接触したのだ。何か良くないことを吹き込まれたり、嵌められたりしては一大事である。改めて私がこんな事に彼を巻き込んだ罪悪感にかられていれば……マクシムは、私に向かってすっと地面に指を指した。
一瞬で何か理解した。マクシムは、マリーベル嬢の目の前で私がマクシムに跪くよう指示したのだ。
意図は何となく分かる。彼女は私に完璧な王子という幻想を抱いているのは明らかだったので、それを打ち砕きたいのだろう。
しかし私は王族。第三王子アレクセイ・ロラン・デュフォールである。間違っても地面に膝をつけ、他人に跪く事などあってはならない。それは言わば降伏であり、尊厳を捨てるも同意だ。
ああ。しかし。
私はマクシムのためなら、喜んで尊厳等捨てるのだ。他の人間では絶対にしない。むしろするくらいなら死んだ方が良い。または指示したそいつを殺そう。
でもマクシムになら、良い。彼がそう望むなら、しなくてはならない。
私は彼の足元に跪いた。見上げれば、マクシムは嬉しそうにこちらを見下ろしている。マクシムが喜ぶのなら、いくらでもこんな事はして見せよう。
そしてまるで褒美を与えるかのように、彼は私のタイを引っ張り口付けた。
至上の喜びが、そこにはあった。
もう、ダメだ。彼なしでは今後生きていけない。
いつの間にか囚われて、心を奪われてしまった。
魔性の男に依頼したのは私だ。彼自身がそう言われる程魔性の男では無いことも分かっていた。それでも長年染み付いた王族はこうあるべき、という教えを全てとっぱらってでも、彼に支配されたいとすら思ってしまう自分を止められない。
頭の中がマクシムでいっぱいになりながら、私はその甘い口付けを甘受した。
───────
「マクシム」
「あ、アレク。おかえり」
部屋で本を読んでいたマクシムは、立ち上がり私の方に歩いて来た。本を読むために眼鏡をかけているその姿も素敵だな、と思って見ていれば、マクシムは私の背中にそっと手を回して抱き着いてきた。
本当にいつも羞恥心の無さそうな彼に、融通のきかない私は救われている。私もお返しとばかりにマクシムの背中を抱いた。
「また魔術の本でも読んでいたのか」
「ううん。伝統とマナーの本。結婚式来月だろ?アレクの隣に立つのに、所作とかイマイチだったら何か言われるだろ」
「……貴方に限っては、言われないと思うけど」
マクシムは多分、本人が思っている以上に自分が周りを魅了している事に気付いていない。マクシムが婚姻の礼服で着飾って登場すれば、マナーだとか所作だとかどうでもいいと思えるくらい、周りは釘付けになるはずだ。
しかしそういう風に驕り高ぶらず、自己研鑽に励む彼はとても愛おしいと思う。無理やりに彼と結婚に漕ぎ着けた私だが、すっかり受け入れてくれたマクシムには感謝しかない。
偽装から本物の恋人に昇格させてもらった後も、私は益々彼への愛が溢れていくのを止める事が出来なかった。父や母なんかは私が魔性の男に溺れてしまうことを危惧していたが、その辺りは問題ない。むしろマクシムが隣にいるおかげで、今まで以上に政務にも身が入るというものだ。兄たちは毎回会う度に「魔性の男に骨抜きにされたな?」なんてからかってくるが、あながち間違いでも無いので訂正し辛い。街でもその様にやや噂されているみたいだが、当の本人であるマクシムは気にしていない様子だ。
兄たちが参列してくれるという結婚式も来月に控え、準備も慌ただしい中進んでいる。少し強引に推し進めた自覚がある結婚式だが、マクシムはやると決めたらかなり協力的だった。先日も礼服の採寸に出掛けたのだが、私より遥かにセンスのいい彼はあれやこれやと記事の質感から色味、装飾や細かなラインまで仕立て屋に提案していた。会場として選んだ王家の持ち物である郊外のホールも、装飾やら何やら彼が手配してしまった。
お洒落な彼の事である。きっと素敵な式にしてくれるだろうと今から楽しみで仕方が無い。
最近ではダンスの練習から政治、歴史の勉強。はたまた裁縫まで習っているとの事だ。王家に名を連ねる事は難しくとも、私とともに居るために出来うる限りの事はしようとしてくれているらしい。
これではますますマクシムに溺れてしまう。私こそ、彼に相応しい人間でなくてはならない。
込み上げる愛おしさに、目の前のマクシムをギュッと抱き締めた。
「ありがとう、色々と頑張ってくれていて。私もマクシムの隣に立つ者としてもっと頑張らないと」
「いや、アレクはそのままでいいよ。立派だし。むしろ俺なんかの方が色々ヤバいからね」
「何が?」
「身分もだし、外聞も。あとそもそもの人間力とかな」
「そうかな?マクシムはどれも素晴らしいと思うけど」
「俺じゃ足らないだろ。アレクは品行方正だし、王子様だもんな」
品行方正……ね。
確かに私は常に王族とはこうあるべき、という考えの元生きているし、自分自身を律している。しかし……。
一つだけ、私はマクシムに話していない事があった。
例の彼女、マリーベル・レノワの事である。彼女は私とマクシムのやり取りを見て、私に幻滅し離れていった。そして今度は隣国の王子に懸想して、嫁入りして行った……という風になっている。表向きはそうだし、もちろん間違いでは無い。
ただ、実を言うと私が裏で一枚かんでいる。
あの仮面舞踏会の日。私はマクシムへの愛を自覚するとともに、マリーベル嬢の事は最早排除せねばならないと考えていた。確かにマリーベル嬢はうら若き女性であり、守るべき対象だ。しかし私の愛するマクシムに接触し、嫌がらせをしようとするのなら話は変わってくる。実はあの後マリーベル嬢側の使用人を買収し、詳しく話を聞いたのだ。それによれば、マリーベル嬢は当初マクシムに襲われたという設定で彼を貶めようとしたらしい。密室か物陰に誘い込み、服を脱いで助けを呼び、自分は襲われたのだと自作自演をする作戦を立てていたと。元から急に現れて私の恋人となったマクシムには恨みを抱いていたらしい。ただ、マリーベル嬢は非常に面食いでもある。マクシム本人が魅力的で美しい男性のため、少々手荒な事をするのに戸惑い、決行に時間がかかったとの事だ。
ただどちらにしろ、許されない。
こんな事に巻き込んでしまったのは私の落ち度でもあるので、きっちりとけじめのためにもマリーベル嬢は私の元から物理的に離れて貰わなければ。
そう考えた私は、学生時代の隣国の友人のツテを借りて彼女を隣国に追いやる事にした。隣国の第二王子をこちらの国に呼び寄せ、マリーベル嬢ともお膳立てのように会える機会を与えたのだ。向こうの第二王子は非常に見目の良い男性だ。すっかり一目惚れしたマリーベル嬢は彼に心を移し、とんとん拍子で婚約となって彼女は隣国に嫁いで行った。
しかし、件の第二王子は本来はあまりいい噂は聞かない人物である。放蕩王子であり、隣国の中ではややお荷物的に扱われているのだ。そのおかげで嫁いできてくれる高貴な女性は居らず、苦戦しているとの事だった。そんな彼に、夢見がちなマリーベル状態はぴったりだ。何しろ彼は見目麗しく口も達者で、マリーベル嬢の好みであるのは間違いない。
向こうの国王陛下からも感謝を言われているし、私自身は間違った事はしていない。ただマリーベル嬢は見た目だけで自分の理想を押し付けた結果、どのような現実が見えるかはこれから知る事だろう。
そんな事をした私を、マクシムは知らない。マクシムはいつも私を可愛いと言い、純粋無垢な存在だと思っているようだ。そういう一面が無い訳では無いし、殊更マクシムの前ではそうなってしまう場面も多い。
ただ私も王族だ。時には冷酷な決断をしなければいけない事は、教育の中で散々叩き込まれている。無論、きっとマクシムと出会う前の私であれば、女性にこんな裏で画策をするだなんて事は出来なかった筈だ。しかし愛する人を得た今、その人を守るためならある程度の他者への冷酷さは持ち合わせていないといけないと感じる。
こういった私の一面を隠す事は、罪悪感を感じる事もある。私はマクシムの頬を撫でながら、口を開いた。
「私は品行方正なんかじゃないよ。マクシムが思う以上に、穢れている」
「アレクが穢れてたら、俺なんかどうなるんだよ」
マクシムは呆れたように笑った。そんなニヒルな微笑みすら美しいので、見蕩れてしまう。
マクシムはそっと私の手を取り、そこにキスをした。手のひら、指先、と唇が移動していって、突然の事に私は頭が真っ白になった。
いつもこうだ。彼はこうやって私を驚かせて、喜ばせてくれる。そして目と目が合うと、マクシムは怪しげに微笑んだ。
「まあ?俺もアレクが品行方正じゃないところがあるのは知ってるけどな」
「……知っていたのか」
「知ってるさ。いつだって暴走して、俺が止めてって言ってもずっと奥を虐めてくるだろ」
「な……」
「もう出ないって俺が言っても、まだだとか言ってわざと先っぽをグリグリされたこともあったなあ」
何の話をしているんだ!?
あまりにも突拍子のない褥での話に、私は顔がカッと熱くなるのを感じた。そんな私を見てマクシムは満足そうに声を上げて笑った。その笑顔の眩しさに、私は心の中で白旗を上げる。
ああ、もう。本当に叶わない。
このときめきや愛おしさは、きっと彼が彼である限り潰える事は無いだろう。こうしていつまでも私を翻弄して虜にさせ続ける彼に、死ぬまで囚われ続けるのだ。
そっと顔を近付けた私に、マクシムは嫌がる事もなく首元に腕を回してくれた。重なる唇の柔らかな感触に、途端に陶然とした気持ちになる。
密着したお互いの身体が熱を持ち始めるのを感じながら、私はこの愛しい魔性の彼への口付けを深めるのだった。
最近非常に頭を悩ませている事柄があり、私は心身ともに疲弊していた。
物陰から、こちらを見つめる視線を感じる。そちらを見なくても分かる。以前から私に懸想している、レノワ公爵家のマリーベル嬢だ。少し前から付きまとい行為は続いていたが、私が学校を卒業してからはどうやら本格的に私の婚約者になろうとしているらしく、最近は部屋に侵入しようとする等かなり目に余る行動が増えていた。
どうにかならないかと父や母に相談した事もある。しかしレノワ家は国内有数の家柄な上に、現当主は父と血縁にすらあたる人物だ。おいそれと彼女を排除するのは難しく、それ相応の理由や大事件がないと難しい、と言われてしまった。
正直、ほとほと困り果てていた。
私はこの国では第三王子という身分なのもあり、昔から様々な教育を受けている。女性には紳士で無くてはならない、という教えも昔から身についているし、何より上の兄二人がかなり奔放で色んな女性たちと付き合っていたものだから、私が可哀想な彼女たちの対応と尻拭いをさせられる事も多々あった。そのせいでどうしても女性は守るべきものであり、害してはならないと感じている。
だからこそ、マリーベル嬢のような一見可憐でか弱い女性に、何かしらの罪を被せて放免するなんて事は出来そうになかった。しかし、日に日に私への態度が大胆になっていく彼女に、恐怖すら覚える事もある。
私は現在恋人もいないし、婚約や結婚すら考えてもいなかった。学生時代はこの見た目や身分で寄ってくる女性も多く、何人かと付き合った事もある。何なら男性との経験もあるくらいだ。しかし学校を卒業した今は、私は任されている国政に関わる仕事に専念したいと考えている。だからこそマリーベル嬢に応える事はおろか、誰かと親密になる事も避けたい気持ちだった。どうするか、悩みに悩んだ。直接彼女に言った事もある。しかし徒労に終わった。彼女が重大な事件を起こすのを待つしかないような気もするが、それまでに私の心が持つ気もしない。
考えあぐねて、一つだけ頭に思い浮かんだ事があった。誰かが私の恋人のふりをしてくれれば、彼女も諦めてくれるのでは無いだろうか、と。とてつもない相手が私と付き合っていたら、彼女も流石に身を引くか行動を起こすのではないかと。
しかしそれは簡単な話ではなかった。
魅力的で外見も整っており、マリーベル嬢よりも上手(うわて)な人。年齢も年上がいいし、色々と冷静に対応できる必要もある。何より私を好きにならなそうで、契約を履行してくれる真面目さも。そして貴族社会に属しておらず、自分の身は自分である程度守れそうな立場または体格の人間がいいだろう。
そんな人間、果たしているだろうか。
そう思い調べた結果、一人だけ候補が上がった。通称「魔性の男」として王都では広く知られている、マクシミリアンという男性だ。
マクシミリアン殿と言えば、地方の子爵家の私生児である。しかし才が認められ、王都で学校に通いその後魔術研究の道に進んでいるのは、王宮で働く人間であれば知っている。なぜ私生児だった彼がこんなにも有名かと言うと、その際立った美貌と……魔性の男と言われる言動のせいだった。
この国では大変珍しい黒髪に、宝石のように美しく怪しい紫色の瞳を持つ彼は、非常に美しい男性だった。背はすらりと高く常に洒落た装いで、並大抵の貴族が着飾ったところで彼の隣に並べば霞んでしまうだろう。そして何より、色んな逸話を持つ男性だった。やれ男を手玉にとって弄んだだとか、女性たちに囲まれてキスをしていただとか。その怪しげな美しさと性格で、王都であれば貴族や平民まで彼の事を知らない人間は居なかった。魔性の男、マクシミリアンと言えば大抵の人間は知っている。それくらい目立っている男性なのである。
そして調べた結果、彼自身は非常に勤勉で仕事は真面目、噂が先行しているが男女関係も乱れた付き合いはしていない潔白な人物だった。
ここまで適任の人間は他には居ない。しかし、何か対価を払ったとしても彼が協力してくれる保証は無い。そもそもマクシミリアン殿とは接点はひとつもなく、実際に会った事すら無いのだ。
ただ、もう背に腹は変えられない。日々追い込まれていく私は、頼みの綱の彼に直談判するしか無かった……どうか、私の偽の恋人になって欲しい、という馬鹿げたお願いを。
「どうか君に、引き受けて欲しいんだ。魔性の男とされる君なら、流石の彼女も太刀打ち出来ないと思う」
「魔性の男、ねえ……」
侍従を使って初めて彼を呼び出した時、そのあまりの美しさに驚いた。そして何よりも、彼の持っている雰囲気に圧倒される。
ただ美しいだけじゃない。見つめられたら、目が離せなくなりそうな危なげな雰囲気だった。もちろん彼の事は調べさせてもらっているので、その見た目に反して意外に品行方正なのも知っている。それでもひとたび彼が首を傾げたり、表情を変えるだけで。捕らわれてしまいそうな感覚すら覚えた。
マクシミリアン殿が自分の研究室を欲しがっている、という話だったのでそちらを用意すると提案すれば、彼は勢い勇んで話に乗ってきた。そして突然、私の名前を呼び捨てに……しかも愛称で呼んできたのだ。
「マクシムって呼んで。俺はアレクって呼ぶから」
「だって、今から恋人だろ?俺たち」
魅惑的に微笑むマクシミリアン殿……もといマクシムに、私は圧倒された。私をいきなり呼び捨てにするなんて、普通の平民……ましてや貴族ですら出来ない。悪びれた様子もなく笑う彼に、私はとんでもない男に依頼をしてしまったのでは無いか、と内心思うのだった。
そして、それは的中した。
確かに偽装の恋人になって欲しい、と頼んだのは私の方だ。しかしそれはあくまで偽装でしかなく、周囲に周知して多少二人で並んでいる姿を現せばいいと軽く考えていたのだが……マクシムはそうでは無かった。二人で初めて並んで帰宅する際、案の定マリーベル嬢が待ち伏せをしている気配がしていた。そこでマクシムから、王宮の外門を出たらキスするふりをするように言われた。外門に来てもどうしたらいいのか分からないでいる私の首の後ろにマクシムの手が回され、引き寄せられて……。手で隠しながら、唇の真横の頬にキスをされた。
マクシムの美しい顔が、月夜に照らされているのが間近で見える。伏せられた目元は髪色と同じく黒いまつ毛で覆われ、影を落としていた。そして頬に感じるマクシムの唇の感触は非常に柔らかく、ものすごく……淫靡だった。実際に唇と唇は触れてはいない。それなのに、どうしてか胸の鼓動が早くなる。頬も耳も熱くなってしまい、顔を離したマクシムに揶揄うように笑われてしまった。
頭の中からは、すっかりマリーベル嬢が物陰から見ていた事等抜け落ちていた。
それからも、そのようなスキンシップは続いた。キスをする振りをして、腰を抱いたり抱きしめたり。これは仕方の無い事であり、恋人らしく振舞っているだけ。しかも案外真面目なマクシムなので、演技をきちんとしてくれているだけ。そう分かっているのに、毎回私の心臓は煩くなった。
マクシムは奔放な男性である。例え演技が混じっていたとしても、魔性の男、という噂が先行してしまうのもわかる程、彼はいつも私を驚かせる行動を取る。
そして思った以上に周りからは色々と揶揄され、兄たちからも詰め寄られた。マリーベル嬢の出方もよく分からないし、解決しなければいけない事は山積みだ。それなのに……いつしか、単純に毎日マクシムと会うこと自体を楽しみにしてしまっている自分に気が付いた。彼といる時間はマリーベル嬢の事は忘れてしまえるほど心強く、また彼の言動には驚かされつつも、一緒に居ればその雰囲気に癒されることすらあった。
仕事中でさえふとした瞬間にマクシムの事が思い出され、早く切り上げなければと考えてしまう。
挙句の果てに……マリーベル嬢が私の部屋にとうとう侵入を果たした際、私はこの気持ちがおかしいと気が付くのだった。
マクシムは彼女が侵入しているその部屋で、私たちの愛を見せつけようと提案した。ただいつもと少し違ったのは、マクシムが私の耳元にキスをした事だ。途端に私の頭の中はマクシムで染まり、目の前の人の事しか考えられなくなった。次第に近付く顔にも、驚くだけで避けようとすら思えない。唇と唇が重なり、多幸感で頭の中が支配された。
「っ、ん……アレク……」
「マクシム……」
マクシムの甘い声が部屋に響く。もはやマリーベル嬢の事などどうでもいい。彼女を傷付けずに遠ざけたい、という当初の思惑など吹き飛んでいた。今はとにかくこの熱をどうにかしたい。マクシムしか目に入らなかった。
気付けば熱くなった股間を彼に押し付けていたが、彼もまた同じ様に兆していたため頭が沸騰しそうだった。慌てて逃げた後も、ずっと彼の事が頭から離れなかった。
その辺りから、私は本格的におかしくなってしまった。
マクシムの言う事成す事、全てに従いたくて仕方がないのだ。彼が私を翻弄するような言動をする度に、心が揺れ動かされる。彼に許しを請い、彼を喜ばせる事をして、彼のために生きていきたい。
いつだって、私は王族は王族らしく生きなければならないと教わった。威厳を持ち、上に立つものとして人々を導く存在でなくてはならない。そのためには己を律し、他者に屈する事もあってはならない。
ずっと幼い頃からそう教わってきた。上に兄たちが居るとはいえ、私も王族だ。ずっとそうやって前だけを向いて勉学に励み、厳しい騎士の修行にも耐え、今は国政に携わる者として仕事にも励んでいる。
それなのに。マクシムを前にすると、私は一人の男に成り下がってしまった。己の立場、志、全てを忘れる訳では無い。しかし出来うる限りを持って、彼に尽くしたいと考えてしまう。
恐ろしかった。マクシムは魔性の男と言われるが、本質は真面目な人間である事も知っている。しかしその言動は間違いなく彼の気質から出てくるもので、私はそれに捕らわれて仕方が無い。むしろそんな魔性の一面と、仕事に対しての思い等の一面の両方を知り、余計に彼に対してのめり込んでいく己すら感じていた。
魅力に溢れ美しく、それでいて奔放で真面目なマクシム。いつまでも彼のそばにいたい。そのためにはどうしたらいいのか、考えるようになっていった。
そうして三ヶ月近くが経つ頃、兄主催の仮面舞踏会でとうとう事件は起きた。
マリーベル嬢がマクシムに直で接触したのだ。何か良くないことを吹き込まれたり、嵌められたりしては一大事である。改めて私がこんな事に彼を巻き込んだ罪悪感にかられていれば……マクシムは、私に向かってすっと地面に指を指した。
一瞬で何か理解した。マクシムは、マリーベル嬢の目の前で私がマクシムに跪くよう指示したのだ。
意図は何となく分かる。彼女は私に完璧な王子という幻想を抱いているのは明らかだったので、それを打ち砕きたいのだろう。
しかし私は王族。第三王子アレクセイ・ロラン・デュフォールである。間違っても地面に膝をつけ、他人に跪く事などあってはならない。それは言わば降伏であり、尊厳を捨てるも同意だ。
ああ。しかし。
私はマクシムのためなら、喜んで尊厳等捨てるのだ。他の人間では絶対にしない。むしろするくらいなら死んだ方が良い。または指示したそいつを殺そう。
でもマクシムになら、良い。彼がそう望むなら、しなくてはならない。
私は彼の足元に跪いた。見上げれば、マクシムは嬉しそうにこちらを見下ろしている。マクシムが喜ぶのなら、いくらでもこんな事はして見せよう。
そしてまるで褒美を与えるかのように、彼は私のタイを引っ張り口付けた。
至上の喜びが、そこにはあった。
もう、ダメだ。彼なしでは今後生きていけない。
いつの間にか囚われて、心を奪われてしまった。
魔性の男に依頼したのは私だ。彼自身がそう言われる程魔性の男では無いことも分かっていた。それでも長年染み付いた王族はこうあるべき、という教えを全てとっぱらってでも、彼に支配されたいとすら思ってしまう自分を止められない。
頭の中がマクシムでいっぱいになりながら、私はその甘い口付けを甘受した。
───────
「マクシム」
「あ、アレク。おかえり」
部屋で本を読んでいたマクシムは、立ち上がり私の方に歩いて来た。本を読むために眼鏡をかけているその姿も素敵だな、と思って見ていれば、マクシムは私の背中にそっと手を回して抱き着いてきた。
本当にいつも羞恥心の無さそうな彼に、融通のきかない私は救われている。私もお返しとばかりにマクシムの背中を抱いた。
「また魔術の本でも読んでいたのか」
「ううん。伝統とマナーの本。結婚式来月だろ?アレクの隣に立つのに、所作とかイマイチだったら何か言われるだろ」
「……貴方に限っては、言われないと思うけど」
マクシムは多分、本人が思っている以上に自分が周りを魅了している事に気付いていない。マクシムが婚姻の礼服で着飾って登場すれば、マナーだとか所作だとかどうでもいいと思えるくらい、周りは釘付けになるはずだ。
しかしそういう風に驕り高ぶらず、自己研鑽に励む彼はとても愛おしいと思う。無理やりに彼と結婚に漕ぎ着けた私だが、すっかり受け入れてくれたマクシムには感謝しかない。
偽装から本物の恋人に昇格させてもらった後も、私は益々彼への愛が溢れていくのを止める事が出来なかった。父や母なんかは私が魔性の男に溺れてしまうことを危惧していたが、その辺りは問題ない。むしろマクシムが隣にいるおかげで、今まで以上に政務にも身が入るというものだ。兄たちは毎回会う度に「魔性の男に骨抜きにされたな?」なんてからかってくるが、あながち間違いでも無いので訂正し辛い。街でもその様にやや噂されているみたいだが、当の本人であるマクシムは気にしていない様子だ。
兄たちが参列してくれるという結婚式も来月に控え、準備も慌ただしい中進んでいる。少し強引に推し進めた自覚がある結婚式だが、マクシムはやると決めたらかなり協力的だった。先日も礼服の採寸に出掛けたのだが、私より遥かにセンスのいい彼はあれやこれやと記事の質感から色味、装飾や細かなラインまで仕立て屋に提案していた。会場として選んだ王家の持ち物である郊外のホールも、装飾やら何やら彼が手配してしまった。
お洒落な彼の事である。きっと素敵な式にしてくれるだろうと今から楽しみで仕方が無い。
最近ではダンスの練習から政治、歴史の勉強。はたまた裁縫まで習っているとの事だ。王家に名を連ねる事は難しくとも、私とともに居るために出来うる限りの事はしようとしてくれているらしい。
これではますますマクシムに溺れてしまう。私こそ、彼に相応しい人間でなくてはならない。
込み上げる愛おしさに、目の前のマクシムをギュッと抱き締めた。
「ありがとう、色々と頑張ってくれていて。私もマクシムの隣に立つ者としてもっと頑張らないと」
「いや、アレクはそのままでいいよ。立派だし。むしろ俺なんかの方が色々ヤバいからね」
「何が?」
「身分もだし、外聞も。あとそもそもの人間力とかな」
「そうかな?マクシムはどれも素晴らしいと思うけど」
「俺じゃ足らないだろ。アレクは品行方正だし、王子様だもんな」
品行方正……ね。
確かに私は常に王族とはこうあるべき、という考えの元生きているし、自分自身を律している。しかし……。
一つだけ、私はマクシムに話していない事があった。
例の彼女、マリーベル・レノワの事である。彼女は私とマクシムのやり取りを見て、私に幻滅し離れていった。そして今度は隣国の王子に懸想して、嫁入りして行った……という風になっている。表向きはそうだし、もちろん間違いでは無い。
ただ、実を言うと私が裏で一枚かんでいる。
あの仮面舞踏会の日。私はマクシムへの愛を自覚するとともに、マリーベル嬢の事は最早排除せねばならないと考えていた。確かにマリーベル嬢はうら若き女性であり、守るべき対象だ。しかし私の愛するマクシムに接触し、嫌がらせをしようとするのなら話は変わってくる。実はあの後マリーベル嬢側の使用人を買収し、詳しく話を聞いたのだ。それによれば、マリーベル嬢は当初マクシムに襲われたという設定で彼を貶めようとしたらしい。密室か物陰に誘い込み、服を脱いで助けを呼び、自分は襲われたのだと自作自演をする作戦を立てていたと。元から急に現れて私の恋人となったマクシムには恨みを抱いていたらしい。ただ、マリーベル嬢は非常に面食いでもある。マクシム本人が魅力的で美しい男性のため、少々手荒な事をするのに戸惑い、決行に時間がかかったとの事だ。
ただどちらにしろ、許されない。
こんな事に巻き込んでしまったのは私の落ち度でもあるので、きっちりとけじめのためにもマリーベル嬢は私の元から物理的に離れて貰わなければ。
そう考えた私は、学生時代の隣国の友人のツテを借りて彼女を隣国に追いやる事にした。隣国の第二王子をこちらの国に呼び寄せ、マリーベル嬢ともお膳立てのように会える機会を与えたのだ。向こうの第二王子は非常に見目の良い男性だ。すっかり一目惚れしたマリーベル嬢は彼に心を移し、とんとん拍子で婚約となって彼女は隣国に嫁いで行った。
しかし、件の第二王子は本来はあまりいい噂は聞かない人物である。放蕩王子であり、隣国の中ではややお荷物的に扱われているのだ。そのおかげで嫁いできてくれる高貴な女性は居らず、苦戦しているとの事だった。そんな彼に、夢見がちなマリーベル状態はぴったりだ。何しろ彼は見目麗しく口も達者で、マリーベル嬢の好みであるのは間違いない。
向こうの国王陛下からも感謝を言われているし、私自身は間違った事はしていない。ただマリーベル嬢は見た目だけで自分の理想を押し付けた結果、どのような現実が見えるかはこれから知る事だろう。
そんな事をした私を、マクシムは知らない。マクシムはいつも私を可愛いと言い、純粋無垢な存在だと思っているようだ。そういう一面が無い訳では無いし、殊更マクシムの前ではそうなってしまう場面も多い。
ただ私も王族だ。時には冷酷な決断をしなければいけない事は、教育の中で散々叩き込まれている。無論、きっとマクシムと出会う前の私であれば、女性にこんな裏で画策をするだなんて事は出来なかった筈だ。しかし愛する人を得た今、その人を守るためならある程度の他者への冷酷さは持ち合わせていないといけないと感じる。
こういった私の一面を隠す事は、罪悪感を感じる事もある。私はマクシムの頬を撫でながら、口を開いた。
「私は品行方正なんかじゃないよ。マクシムが思う以上に、穢れている」
「アレクが穢れてたら、俺なんかどうなるんだよ」
マクシムは呆れたように笑った。そんなニヒルな微笑みすら美しいので、見蕩れてしまう。
マクシムはそっと私の手を取り、そこにキスをした。手のひら、指先、と唇が移動していって、突然の事に私は頭が真っ白になった。
いつもこうだ。彼はこうやって私を驚かせて、喜ばせてくれる。そして目と目が合うと、マクシムは怪しげに微笑んだ。
「まあ?俺もアレクが品行方正じゃないところがあるのは知ってるけどな」
「……知っていたのか」
「知ってるさ。いつだって暴走して、俺が止めてって言ってもずっと奥を虐めてくるだろ」
「な……」
「もう出ないって俺が言っても、まだだとか言ってわざと先っぽをグリグリされたこともあったなあ」
何の話をしているんだ!?
あまりにも突拍子のない褥での話に、私は顔がカッと熱くなるのを感じた。そんな私を見てマクシムは満足そうに声を上げて笑った。その笑顔の眩しさに、私は心の中で白旗を上げる。
ああ、もう。本当に叶わない。
このときめきや愛おしさは、きっと彼が彼である限り潰える事は無いだろう。こうしていつまでも私を翻弄して虜にさせ続ける彼に、死ぬまで囚われ続けるのだ。
そっと顔を近付けた私に、マクシムは嫌がる事もなく首元に腕を回してくれた。重なる唇の柔らかな感触に、途端に陶然とした気持ちになる。
密着したお互いの身体が熱を持ち始めるのを感じながら、私はこの愛しい魔性の彼への口付けを深めるのだった。
568
お気に入りに追加
592
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(2件)
あなたにおすすめの小説

子を成せ
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
ミーシェは兄から告げられた言葉に思わず耳を疑った。
「リストにある全員と子を成すか、二年以内にリーファスの子を産むか選べ」
リストに並ぶ番号は全部で十八もあり、その下には追加される可能性がある名前が続いている。これは孕み腹として生きろという命令を下されたに等しかった。もう一つの話だって、譲歩しているわけではない。

ミルクの出ない牛獣人
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
「はぁ……」
リュートスは胸に手をおきながら溜息を吐く。服装を変えてなんとか隠してきたものの、五年も片思いを続けていれば膨らみも隠せぬほどになってきた。
最近では同僚に「牛獣人ってベータでもこんなに胸でかいのか?」と聞かれてしまうほど。周りに比較対象がいないのをいいことに「ああ大変なんだ」と流したが、年中胸が張っている牛獣人などほとんどいないだろう。そもそもリュートスのように成体になってもベータでいる者自体が稀だ。
通常、牛獣人は群れで生活するため、単独で王都に出てくることはほぼない。あっても買い出し程度で棲み着くことはない。そんな種族である牛獣人のリュートスが王都にいる理由はベータであることと関係していた。

狼王の夜、ウサギの涙
月歌(ツキウタ)
BL
ウサギ族の侍従・サファリは、仕える狼族の王・アスランに密かに想いを寄せていた。ある満月の夜、アスランが突然甘く囁き、サファリを愛しげに抱きしめる。夢のような一夜を過ごし、恋人になれたと喜ぶサファリ。
しかし、翌朝のアスランは昨夜のことを覚えていなかった。

愛を称えて
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
シリウスは地味で平凡なオメガである。人に胸を張れることといえば、家族仲がいいことくらい。それでも優秀な婚約者と肩を並べても恥ずかしくない何かを手に入れたくて、得意の薬学を極めることにした。学園に認められゼミ入りをし、今度は国に認められた。嬉しくて、早くこのことを伝えたくて、婚約者の元へと駆けた。けれど聞こえてきた声は冷たいものであった。




親友と同時に死んで異世界転生したけど立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話
gina
BL
親友と同時に死んで異世界転生したけど、
立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話です。
タイトルそのままですみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
はあぁあ💕
なにこれぇ❤
好みのど真ん中で面白くて美味しくて大好き過ぎて悶えてしまった🎶
結婚式の様子をのぞきたかったなぁ(⑉⌯∀⌯⑉)初夜なんかもぉ
素敵な物語をありがとうございました!!
ありがとうございます!!
勢いで書きなぐったのですが、そう言って頂けてうれしいです✨
また機会がありましたらもう少し掘り下げて書かせていただきます。
こちらこそコメントありがとうございました!
めちゃめちゃ好みのお話をありがとうございます。
マクシムが翻弄しているようで、アレクの掌の上で転がされているようにも見えるのですが、もしかして最初から狙っていたのでしょうか?
私が穿ち過ぎなのでしょうか?
なんか、単なる甘々王子には思えなくて...。
可能なら、アレク視点も見てみたいです。
感想ありがとうございます!また誤字報告の方もありがとうございます、後ほど修正致しますね。
アレクは一応純粋ではあるんですが、お察しのとおり、それだけでは無いです。。
アレク視点もすぐに上げる予定で、それにて完結です。
引き続きよろしくお願いします!