魔性の男は純愛がしたい

ふじの

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「どうか君に、引き受けて欲しいんだ。魔性の男とされる君なら、流石の彼女も太刀打ち出来ないと思う」
「魔性の男、ねえ……」

 目の前で俺に懇願するのはこの国の第三王子殿下、アレクセイ様である。美しい緩やかな金髪に、王家の証であるアメジストの瞳。優男のような雰囲気がありながら、背は高く鍛えられた体躯を持つ。ついこの間まで学生であったという感じがしない程、大人びて美しい男性だ。
 しかし今は所在なさげに眉を下げ、人気の無い王宮の談話室で俺に跪かんばかりに不安そうな顔をしていた。

 マリーベル・レノワ。国内でも有数の公爵家の次女であるマリーベル嬢は、童話にでも出てきそうな程美しい少女なのは有名だった。ただし中身まで夢見がちで、数年前にアレクセイ殿下を学内で見かけて以降あなたは運命の人だと言って憚らず、殿下にずっと求婚しているらしい。殿下が学校を卒業してからはさらにそれが激しくなり、毎日のように王宮に押しかけ、挙句の果てには警備の人間を買収して殿下の私室に忍び込もうとすらしたらしい。
 本来なら処罰が下る行いだが、そこは名だたる公爵家の娘。まだ犯罪を犯してもいないのだからと特にお咎めもなく、殿下は日々マリーベル嬢に付きまとわれる日々にストレス……どころか畏怖さえ感じているようだ。本気で困っているみたいだが、どうやら女性には強く出れない質らしい。エスカレートする彼女に困りつつも、どうしたらいいのか分からず胃が痛むと先程言っていた。

 それは可哀想だとは思う。俺も似たような経験もあるし。でもなあ……それくらい自分で対処すれば?とも思わなくもないんだが。いくら優しいジェントルマンな王子様だとしても、王族なんだしいくらでも権力あるだろ?
 そのへんの経験値の無さが、まだ十八歳である幼さなのかなあなんて勝手に思った。

 俺はため息をつく。

「魔性の男って言ったって、別に俺自身は普通の人間ですけど」
「知っている。陰ながら調べさせて貰ったが、貴殿はごく真面目な魔術研究者でしかない。非常にモテるようだが、破天荒な付き合いはしていないのも知っている。ただ貴殿のその忌憚ない気質や、容姿を買って出てお願いしているんだ」
「はあ。で?それに加担してあげるとして、俺に何か利益でも?」
「もちろん。貴殿の個人の研究室を用意しよう。自宅と職場それぞれに用意しても構わないし、必要な機材はどんなに高価でも全て揃える。それ以外にも手当も付けるし……」
「その話、乗ったっ!」

 俺が食い気味に言うと、アレクセイ殿下はびっくりしたような顔をした。
 研究室だと!?そんなもの喉から手が出るほど欲しいに決まってるだろ!そのためなら変なお嬢様を追っ払うための偽装恋人なんて、いくらでもやる、喜んで!!!
 俺が握手を求めれば、殿下は苦笑しながら手を差し出した。

「ありがとう、マクシミリアン殿」
「マクシムって呼んで。俺はアレクって呼ぶから」
「は、はあ」
「だって、今から恋人だろ?俺たち」

 俺がにっこりと微笑めば、アレクセイ第三王子殿下……もといアレクは、たじろいだ様子で頷いた。
 これで契約成立。今この時から、俺とアレクは、期間限定の仮初の恋人となったのだった。


​───────


 俺の名はマクシミリアン。二十五歳独身の、しがない魔術研究者だ。生まれは地方の子爵家だったが、当時の家庭教師のツテで王立の学校に通い、その後魔術研究の道に進んだ。しかしそんな肩書きの人間なんてごまんといる凡人と変わらない。しかし俺の名はこの王都では比較的有名だった……魔性の男、マクシミリアンとして。
 俺は子爵家の人間ではあるものの、母親はメイド出身の身分だった。しかしなぜ母親が子爵家の当主に気に入られそういう仲になり、俺を産めたのか。それはひとえに、母親の美貌がずば抜けていたからだ。そしてそれは俺にも見事に遺伝した。

 この国では珍しい黒髪に、灰色だが薄い紫にも青にも見える不思議な目の色。整いすぎるほど整った顔立ちだが、唇はやや厚めである。幼い頃からずば抜けて可愛い子供だった自覚はあるが、成長するにつれそれは色気として開花した。俺も母親と似て「持てるものは何でも使って勝負しろ」精神だったのもあり、見た目には余計に気を使うようになった。ちょっと癖のある髪を中央で分けて綺麗にスタイリングしたり、小さめのピアスを付けたり。そうしたらたちまち俺はオシャレな美貌の男として人気が出てしまった。

 しかし別に、不特定多数の人間と関わりたい訳でもない。そのあたりから異常なほど男女ともにモテたが、きちんと真剣交際しかした事はない。間違っても酒池肉林なんてした事もないし、複数の人間と遊んだことすらない……だというのに、その頃には俺のあだ名は「魔性の男、マクシミリアン」になってしまっていたのだ。
 昔から俺は、どうやら羞恥心が欠落していたのは認める。きっかけは中等部に通っていた頃、横柄そうな先輩に中庭で告白された時だ。

「好きだ、付き合え!」
「無理」
「だったら、せめてキスしてくれ。そしたら諦める」

 知らない先輩に校舎の真ん中の中庭で、腕を掴まれて永遠に好きだ、付き合え!と言われていた俺は、流石に内心イライラしていた。しかもキスしてくれたら諦める、だあ?俺の唇はそんなに安くねえよ。
 俺は腹が立ったので、その先輩のネクタイを掴んで引っ張った。キスが出来そうなほど顔を近づけて、わざと目を少し伏せる。しかしキスはしないまま、少しづつ体を先輩の方に近付けていった。
 あんなにうるさく啖呵を切っていた先輩だが、俺の突然の行動に固まった。そして途端に流れる淫靡な雰囲気に、ゴクリと唾を飲み込んで顔を赤らめた。
 俺はそのまま襟元をむんずと掴み、キスすると見せかけて……そのまま手を捻って先輩を地面に叩き落とした。体制を崩して尻もちをついた先輩を見下ろしながら、俺はにっこりと笑って言った。

「キスしそうってだけでこんなに顔を真っ赤にするくせに、本当に俺の事諦められるわけ?」
「っ……」
「しかも俺の唇、そんなに安くないから。残念だったな」

 そう言ってぽかんと座り込む先輩を尻目に中庭を後にしたのだが、その場所が多分悪かった。中庭なんて人気の多いところでそんな事をしたものだから、次の日には何故か俺は「魔性の男、マクシミリアン」と呼ばれていた。

 その後も色んな事件があった。例えば同級生数人に絡まれて、空き教室で押し倒された事件。ニヤニヤとする男たちに、俺はわざと教壇に座って自分からシャツのボタンを一つ一つ外して見せた。すると同級生たちは興奮しながらもごくりと固唾を呑んで動かなくなり、その隙に逃げるつもり……の所に助けに来た人らがいて、俺の誘い受け作戦を目撃されてしまった。
 女の子に絡まれた事もある。複数の女の子に取り囲まれた時は、さすがに女性には手荒な真似は出来ないなあと思い、全員の額にキスしてまわって、固まる女の子たちを放置して逃げた。

 そう、人間は相手に突拍子もない行動を取られると一瞬動けなくなる。押せ押せ状態だったとしても、逆に押されると人間は引くのだ。しかも俺レベルの容姿ともなれば、威力は絶大すぎる。そこを利用させてもらった。
 俺の母親は、子爵家の当主の気を引くために胸を露出させたドレスで誘惑するような図太い女性だ。母親に内面も見た目もそっくりな俺は、別にシャツを脱ぐように見せかけるストリップショーをしたり、キスするように誘ってみせるなんて事造作もなければ、恥ずかしさもない。

 しかしそんな大胆な俺の対処法のおかげ且つこの俺の美しい容姿とも相まって、気付けば魔性の男マクシミリアンとして学校中どころか周りの地域、ひいては王都中で知られる存在となってしまっていた。
 ただ俺は別にヤリチンでもビッチでもない。対処法としてそれを選んだし出来るだけで、実のところ純愛派なのだ。今まで付き合った人数も二人だけ。浮気もしないし一途だし、別れた時も痴情のもつれでもなく普通の別れだった。
 しかし噂や容姿ばかりが先行した結果、俺は結構な遊び人に間違われる事も多い。めちゃくちゃ心外である。


 それは就職した今でも変わらない。学生時代に興味を持った魔術研究の道に進んだものの、同僚たちは研究者気質な人達が多いせいか、俺のような派手な見た目と噂がある人間をやや遠巻きにした。
 そして何より目下の悩みは……俺専用の研究室が無い事だ。研究者たちはわりと皆裕福な家の出身の者が多く、自宅に研究室を持っている事がほとんどだった。だからわざわざ王宮や研究機関に出勤せずとも自宅で作業できるのだが、生憎俺みたいなほぼ後ろ盾のない私生児には、そんな余裕はない。住んでるのは王都内ではあるものの研究室が設置できる金なんてない。だからと王宮に備え付けの共用研究室に出勤すれば、同僚からは遠巻きにされるわ、知らない貴族の男や女に見つめられて居心地悪いわで、最悪だった。

 そんなこんなで二十五歳となっても研究一筋で貧乏に生きていたある日、王宮付きの騎士から声を掛けられた。

「とある高貴な方が、貴殿をお呼びだ」
「げえ」

 そういう類は経験がある。王族だか貴族だか知らないが、いきなり呼び付けて俺の女になれよ、みたいなのは経験済みだ。嫌だなあなんて思いながら指定の談話室に行けば、そこに居たのは……先日学校を卒業されたばかりのプリンス。若くして物腰柔らかで才もある、我が国自慢の第三王子アレクセイ殿下ではないか。
 まさか俺に告白とはなあ、なんて勝手に思っていたが、どうやら違ったみたいだ。向かいに着席した俺に殿下が悲痛な面持ちで言ったのは、想像とは少し違う話だったからだ。

「マクシミリアン殿、折り入って頼みがあるんだ。どうか……私の期間限定の偽りの恋人になって貰えないだろうか」
「はい?」

 そして話は冒頭に戻る訳だ。


​───────


 アレクは言ったことはきちんと守る男だった。翌日には工事業者が俺のところに来て、自宅と王宮内に専用の研究室を施行してくれる流れとなった。
 マリーベル嬢を騙すという点についてだけは人道に反する気がしなくもないが、しかし相手はアレクに付きまとって王宮の私室に侵入しようとする女だ。それくらい許容範囲だろう。むしろ処罰されるような事を今後エスカレートして行わないためにも、俺の存在で諦めてくれたら御の字だ。
 それに何しろとうとう俺専用の研究室だぞ!何年も欲しくてどうしようもなかったのに、自宅にも王宮内にも作ってもらえるなんて。最高……何でもする……恋人のフリくらい余裕余裕。
 俺はノリノリな気分のまま、王宮内で教えてもらったアレクの部屋へと彼を迎えに行くのだった。


 偽装恋人をするにあたって、決めた事がいくつかある。
 一つは毎日一緒のところを見せつけて、ラブラブを周りにアピールすること。朝の出勤前と夕方の執務が終わる時間、あえて王宮の中や外に出歩いて俺とアレクの仲を見せつける。
 二つ目に、期間は長くても三ヶ月ほどにすること。俺とアレクセイ第三王子殿下の恋愛なんて、絶対に噂の的になってしまう。そこは仕方がないとして、あまり長い期間噂されるとお互い本命ができた時厄介だ。ただしマリーベル嬢の出方によっては、延長する。
 三つ目は、人の目がある時はお互い本当の恋人のように接すること。これが多分一番難しい。俺は恋愛や周りの対処法など経験値があるものの、アレクはあまり無さそうな気がする。そういう色んな演技とか全然できなさそうなので、俺が一肌脱ぐしかない。

 夕方、アレクの私室へと向かう。アレクは忙しいみたいだが、恋人期間は俺を家まで送り届けてもらう予定だ。
 コンコン、とドアをノックする。ここからは誰が見ているかもわからない。偽装恋人である事を悟られないように演技しないと。

「誰だ」
「俺だよ、アレク」

 ややあって、扉が開かれる。俺は目の前に現れた美しい金色の男に、ドアを開けた侍従に見せつけるかのように抱きついた。あえてガバッとは抱きつかない。軽く身体を密着させて、腕に手を絡ませる。

「お疲れ様、会いたかった。アレクも俺に会いたかっただろ?」
「……会いたかった、とても」

 はあ。アレク、超棒読みなんだけど。呆然としてて全然演技できてない。まあ可愛いからいっか。
 俺がそっとアレクの体を抱きしめると、アレクも恐る恐る俺の背中に手をやった。そうそう、そんな調子。
 俺は体を離し、アレクの腕を取った。そして俺の腰の横に手を回させて、並んで歩き出す。
 通り掛かる貴族や使用人たちが、全員ギョッとして俺たちを見ていた。いいぞ、そうやってみんな注目してくれ。ギクシャクしてる様子のアレクには、みんな気付きませんように。
 今日はどうだったか、みたいなたわいも無い会話をしながら、俺とアレクは王宮を出た。マリーベル嬢の姿は無いな……と思いながらちらりと横目で探すと、門の遠くの方に人影を見つけた。どうやら俺と並んで歩いてきたので、離れて隠れているらしい。しかしハッキリとした視線は感じる。
 これは幸い。俺はアレクの肩に手を置いて、小声で言った。

「門のところ出たら、俺にキスして」
「は、え……」
「いや、本気でしなくていい。フリでいいよ」
「キスのフリ、とはどのようにしたらいいんだろう」

 まあ、お手本は必要か。
 門を通り過ぎて、門番の騎士がアレクに頭を垂れる。その瞬間、俺はアレクの首の後ろに手をやってグイッと体を屈ませた。
 もう片方の手は頬に添えて、唇を隠すようにする。そして俺は近づいて来た唇にキスを……せず、ほんの少し横にずらして顔を近付けた。これなら遠くからは口元が手で隠されているし、キスをしているようにしか見えない。

 アレクの口の横に唇を近付けているので、お互いの吐息が顔にかかった。びくり、とアレクの体が反応したが、俺はしばらくその体制を維持する。
 数秒ののち、遠くから感じていた視線が消えた。マリーベル嬢が立ち去ったようだ。バッチリ俺らのキスを目撃したな?果たして、この後どう出るか……。
 俺が体を話すと、アレクは呆然とした様子でこちらを見下ろしていた。うーん、十八歳には刺激が強いか。まあお前が言い出した事だぞ、俺と偽装恋人なんて話。俺がにやりと笑えば、アレクはバツが悪そうに顔を顰めた。

「とりあえず、行こう」

 ほんのり耳を赤くしたアレクは、そのまま歩き出した。一部始終を目撃していた門番の兵士たちは呆然としたまま動かないでいる。後で速攻噂が回るだろうなあ、と俺は一人ほくそ笑んだ。


​───────


「アレク」
「……マクシム」

 わざとチュッと音を立ててキスをする振りをしてやれば、相変わらずアレクはびくりと体を震わせた。
 あれから一ヶ月。瞬く間に俺とアレクの恋は王宮と王都に広まっていた。そりゃそうか。第三王子殿下と魔性の男の恋。貴族の暇つぶしや、平民たちの与太話に持ってこいの話すぎる。そうして一日二回くらい、ラブラブな俺たちを周りに見せつけているのだ。

 相変わらずアレクはぎこちないし、たまに俺の言動に驚いて呆然としてしまう。だから基本的には俺がこの偽装恋人の演技をリードしてやらないといけないのだが、何だか俺の方も気持ちに変化があった。
 可愛いのだ、アレクが。めちゃくちゃ可愛い。
 多分この殿下、色男な見た目と反して中身は純情だ。あまり誰かとの交際経験も少なそうで、俺がちょっとアレクの腕をするりと撫でれば大袈裟なほど体を揺らす。キスのフリも未だに慣れていなくて、よく耳の端を赤くして目を泳がせている。
 それがもうめちゃくちゃ可愛いんだよな。何これ?

 俺はあくまで今までこういう思わせぶりな態度は、自身の防衛術や恋慕で暴走した輩への対処法でしかなった。付き合った人達とは普通の恋愛しかしていないし、こういう駆け引きめいた態度はわざわざ見せたりはしていない。だから正直、俺のこういう言動に驚かれて赤面される場面は、全て基本的に嫌な場面で嫌悪感の記憶しか無かった。
 しかしどうだ。この殿下とは別にそうじゃない。あえてこうして魔性の男っぽい俺を出しつつアレクと戯れると、アレクは毎回ドギマギしてしまう。彼は十八歳とは言え、王族だ。夜伽の指南も受けていただろうし、恋愛経験だって無い訳じゃない気がするんだが。それなのに毎回俺に翻弄されているのを見ると、胸がキュンとする。
 そしてそんな嫌悪感を抱かない自分にも、少しだけ驚く。多分アレクの事……結構気に入っているんだと思う。


 さて、そんなある日。いつものように夕方送ってもらおうと部屋まで行くと、やや引き攣った顔で青ざめた様子のアレクがそこにはいた。そして身体を屈めて、俺に耳打ちする。

「彼女が今、私の王宮の私室に忍び込んだらしい。鍵は金庫から盗んで。掃除を担当する使用人が目撃したみたいだ」
「は?マジかよ」
「私の部下が今、寝室に向かっている。大方私が毎回マクシムを家まで送り届けたあとは、律儀に寝室に帰ってきているのを見ていたんだろうな。そして今度こそ何をするつもりなのか……」
「……」

 まあ、有り体に言えば夜這いだろうな。床入りさえしてしまえばもうこっちのもの、というレディは多い。たとえ手を出されなくても、ベッドに薄着で忍び込めばそれだけで責任を追求出来なくもない。
 恐ろしいなあとは思いつつ、俺はいい機会だとも思った。

「で、部下を向かわせてどうするんだ?取り押さえ?」
「ああ。ただ今回も罪を立証するのは難しい。どうせ鍵はたまたま見つけただとか、偶然私の寝室に迷い込んだだけだとか言うんだろう。本当になんで彼女は有力な家の娘なんだ……」
「ならまあ、今回も見せつけてやろっか?」
「……何?」
「俺たちの愛をさ、嫌ってほど」



 部屋に入ると、人気は無かった。照明もついていないし誰かがいた痕跡もない。
 アレクは執務机横のスタンドライトに明かりを灯した。ちら、と目配せをされたので、俺は上着を脱ぐついでにそちらに目をやる。……なるほどな、クローゼットね。確かにほんの少し扉が開いてる。
 向こうも予想外だろう。いつもアレクは俺を自宅に送ると、俺とは別れてこの部屋に一人で来るはずだ。そこを狙ったのに、まさか俺が一緒だとは思うまい。まあ、そこからたっぷりと俺らのラブラブっぷりを見とけよ。それで意気消沈して諦めてくれたら話は早いんだけどなあ。

 俺は机に持たれるように軽く腰掛けて、アレクの方を見つめた。アレクは自分が何をすべきかは理解している。おずおず、といった風に俺に近付いてきた。
 するり、とアレクの顔のラインを撫でて、そのまま首に触れる。アレクの喉元がごくりと動くをのを見て、俺は気を良くした。……やっぱり嫌悪感がない。それどころか、アレクが俺のする事に反応している様を見ると、陶然とした気持ちすら湧いてくる。
 俺って根本は純愛主義の善人だ、と思ってたんだけど、もしかして違った?魔性の男ってのは言い過ぎだと思うが、少なくともアレクをこうして翻弄するのは楽しくて、胸もドキドキする。

 アレクの腕を取って、俺の腰に回させた。俺はアレクの首に手を回し、耳元に唇を押し当てる。 わざと音を立ててそこにキスをすれば、腰に回された手に少しだけ力が入ったのを感じた。気を良くした俺は、しばらく音をあえて立てながらアレクの耳元にキスを送る。さすがに本当の恋人でもないので舐めはしないが、唇で耳朶を食めば、アレクの身体に緊張が走るのを感じる。

「っ、マクシム」
「ん……」

 あ、やべ。やりすぎたか?いつもは顔を近づけてキスするふりくらいだもんなあ。
 俺は顔を離し、アレクの顔色を伺った。そこにあったのは、いつもの凛としていながらも優しげな雰囲気を持つ王子様ではなった。俺を求めて渇望する、猛獣のような瞳だ。しかしどうにも品がいいその猛獣は、次は何をしたらいいのかと俺を見下ろしながら、お行儀よく待っている。
 ああ、やっぱめちゃくちゃ可愛いな。何故だかキュンとしてしまう胸の内が、自分でもよく分からなかった。

 まあ、いいよな。あの距離のクローゼットから見られてるってことは、あんまり嘘っぽかったらバレるだろ。だからこれは決して、俺の願望じゃない……はず。
 俺はゆっくりと顔を近づける。アレクは驚愕に目を見開くものの、顔を避けたりはしなかった。お互いの鼻先が触れて、やがて唇と唇がほんの少し、軽く、先端だけ触れあう。

 目を閉じていなかったため、至近距離でアレクと目が合った。どうやら俺を責めるつもりは無いようだ。俺は顔を斜めに傾けると、アレクの唇を啄んだ。柔らかくて、肉厚で気持ちがいい。
 俺がもう一度、と思った時、アレクの方から顔を近付けられた。

「っ、ん……アレク……」
「マクシム……」

 気付けば、お互いにゆっくりだが唇を奪い合っていた。激しいディープキスとかじゃないんだが、確実にお互いの熱を感じてしまった。その証拠に、密着している俺たちの腰は……熱くなったペニスが服越しに重なり合っている。一度意識したらもう駄目だ。どこまでしていいのか分からないが、俺は堪らなくなってわざと腰を前に押し付けた。アレクもタガが外れてしまっている様子で、そのまま俺の腰に回した手にぐっと力を入れて、余計にソコが密着してしまった。

 はあ、とアレクの息が荒くなる。いや、ヤバイよな?これ、一応マリーベル嬢に見せつけるためだけに始めた事なんだけど。気付いたらお互い、チュッチュしながら熱くなった腰を押し付けあっている。完全にマズイ。止めたくない、けど止めないと。でも止めたくない……。
 そう考えていたら、バランスを崩した俺は後ろによろけてしまった。後ろには机がある。幸いにも転んだりはしなかったが、その勢いのままアレクは俺に覆い被さるような姿勢になってしまった。

「……」
「……」

 お互い、少しだけ冷静になる。ぶっちゃけこのまま続けたい。擦りあって、出して、なんなら俺の後ろの孔も許してやってもいいくらいだ。
 でもそんなのは駄目だ。あくまで俺たちただの偽装恋人だし。まあこんな部屋で人に見せながらするには、ここまでにしておいた方が良いだろう。
 俺は必死に隠微な笑顔を取り繕った。

「ここだと、使用人とかが来るかもしれないな。やっぱり俺の家でしない?」
「……ああ、……そうしよう」

 アレクの体が俺から離れていった。せっかくこんなに盛り上がったのに。勿体ないなあと感じる。しかしこれでいいんだ。俺とアレクは寄り添いながら部屋を出た。
 その途端、アレクはバッと俺から距離を取った。あ、何それ。悲しいんだけど。

「す、済まなかった!少し我を忘れてしまったみたいだ」
「いや、いいけどさ」
「ありがとう。例の彼女がどうするのか分からないし、私は別邸の方に泊まる。マクシムも気を付けて帰って欲しい……自宅の方に警備もつけておく。では」
「え。あ、ちょっと……」

 そそくさ、という言葉がぴったりな様子で、アレクは俺の方も見ず、ドアの前で待機していた侍従を連れて廊下を歩いていってしまった。ええ?早くない?さっきまであんなに、俺たち盛り上がってラブラブしてたのに。
 しかし、俺も純愛主義だったはずだ。付き合ってもない人間と、キスはおろかあんな勃起したものの押し付け合いなんてエッチな事、したことも無いしする気も起きなかった。
 なのになんでこんなにすんなりと出来てしまったのか。むしろもっとしたいし、最後までしても構わないと思えたのか。
 あまり導き出したくもない答えが頭をよぎったが、それは忘れる事にする。

 とりあえず色々と放置されて肩透かしな俺だが、今日のところは素直に自宅に帰ることにした。
 最初に定めた偽装恋人の残り期間も、段々と迫っている。さっさとマリーベル嬢の事を片付けてしまいたいという気持ちもありつつ、しかしそれだけじゃない気持ちも同時に湧いていた。
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