官能小説家の執筆旅行

市樺チカ

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喫茶店の座席に向かい合って座り、林田に原稿を差し出した。
普段なら緊張で息が詰まる思いをする所だが、真田は堂々と林田を見つめていた。

「…成る程。―おぉ、いいっすねー」

独り言を呟きながら物凄い速度で紙が捲られていく。

半分程まで来たところで、ばっ、と顔を上げた。


「真田先生、素晴らしい出来ですねー!特に冒頭の、女やくざの刺青の描写が実に艶かしくて…。これは売れますよー」

輝く瞳で真田の手を握り、ぶんぶん振り回す。

「有難うございます。いやぁ、自信作だったものだから、安心しました」
「余程良い旅路だったみたいですねー。これなら次回作も期待できそうだ」

林田は銀縁の眼鏡を外し、ミルクがどっぷり入ったコーヒーを一息に飲み干した。

「林田君、これからの事なんだけれども―」
「はい、どうしました?」

原稿を仕舞い込もうとしていた手が止まる。

「また旅に出ようと思っているんです。そこで書いた物を、こうして林田君の所に持ってくる、という形にしたいかな…と」

例えば半年毎とか、と言いながら林田に目をやると、握っていた原稿をばさりと落として固まっている。

「―っ、また!なんで僕の担当は皆そうなるんすか!確かに勧めたのは僕だけど、引き籠りがちな先生なら大丈夫だと思ったのに―」

頭を抱えて机に突っ伏す林田。
子供の様な姿に、思わず吹き出した。

「家に籠っていては、こんな良い物は書けなかっただろうと思います。―勿論、定期的に連絡するようにするし、居場所は常に知らせますよ」

ね、と首を傾げて林田を見ると、嘆息して顔を上げた。

「分かりました…。真田先生の事だから、姿を眩ますなんて事にはならないでしょうしねー」

絶対定期連絡を忘れないでくださいよ、と言い原稿をかき集めて去って行く。
背中を丸めて歩く林田を見送り、腰を上げた。



「熊井君、お待たせ」

店前で待っていた熊井に声を掛ける。

「お疲れ様です。早かったですね」
「いや、これでも時間が掛かった方だよ。また旅に出るって言ったらとても驚かれてしまってね」

連れ立って駅の方へと歩を進める。

「次はね、今回の話の続編を書くことにしたんだ」
「続編、ですか…」

真田がぴたりと足を止め、熊井の耳元に唇を寄せる。

「だからこれからも、どんどん新しい熊井君を見せてね」

真田はにこりと笑って前を向き、再び歩き出した。
暫く固まっていた熊井も慌てて後を追う。


二人の進む先を祝福するように、ふわりと暖かい風が吹いた。
春の訪れは、もう直ぐだ。
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