官能小説家の執筆旅行

市樺チカ

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宿

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最高の三時間を名残惜しく思いながら、赤銅色の汽車を見送る。
連れ立って古びた改札を抜けると、独特の硫黄の香りが鼻を刺激した。

「この匂いを嗅ぐと温泉に来た、という感じがするね」
「そうですね。小さい温泉街だと聞いていたんですが…思ったよりも賑わいがありそうです」

左右に目を向けると、土産物屋や地物を出す食堂等が並んでいる。
また少し先を流れる川からはもくもくと湯気が上がっていて、幾人かの観光客が楽しそうに眺めていた。

「温泉が楽しみだね。あぁ、まずはそこの店に入ろうか」

真田が選んだ店はこぢんまりとした工芸品店だ。
この辺りで有名だという杉木を加工しているらしい。

ふらふらと店内を回り、小さく細長い木箱を手に取った。
蓋に透かし彫りが施されて、とても綺麗だ。
中を覗くと艶のある布の上に万年筆が乗せられていた。
持ち手が滑らかな木で出来ており、指に吸い付くような握り心地だ。

「よし、決まりだね。熊井君は何か欲しいものがあったかい?」
「いえ、大丈夫です」

頭を下げて、一足先に店先へ出ていった。

「それじゃあこれを。後、この辺りでお勧めの宿を教えて貰いたいのだけれど…」

代金に少しばかり心付けをして尋ねると、店主は快く答えてくれた。


「―福寿屋。ここだね」

風情のある玄関を抜けると、人の良さそうな男がいらっしゃいませ、と頭を下げた。

「ふたりなんだけれど、部屋は空いているかな?」
「ええ、空きがございます。二部屋取られますか?」
「いや、小部屋が付いている所があれば、一部屋で構わないんだ」

男は引き出しから年季の入った宿帳を取り出した。

「では、宿帳へ記帳をお願いいたします」

渡されたペンで自分と熊井の名を書き込む。
それを確認した男は、人の良い笑顔を浮かべた。

「失礼ですが、作家先生でいらっしゃいますか?」
「ええ。何故分かったのかな?」
「先生方は皆さん、お弟子さんを連れていらっしゃって、小部屋付きの部屋を取られるんですよ」
「成る程。素晴らしい観察力だね」

物書きの才能があるよ、と言うと男は困ったように笑った。
引き出しから鍵を取り出して小僧を呼ぶ。

「荷物はこちらでお運びします。では、お部屋へ案内いたしますね」
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