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 あの事件のあと、ロイエ筆頭に王都で詐欺などを繰り返していた犯罪集団は逮捕された。彼らは、イヤルの領地や王都だけでなく、蜘蛛の巣のように国全体に蔓延っていたため、まだ逃亡している者も少なくないが、魔法使いはロイエだけのようなので捕まるのも時間の問題だろう。

 大規模犯罪集団のトップであるロイエを、逮捕できた功績は大きい。イヤルは、魔法使いであることを隠し規則を破った罪は、その功績があるため相殺とまではいかないが、かなりの減刑処分となった。

 ロイエが起こした事件の被害者たちは多数に及び、徴収した金銭のほとんどは残っていない。しかも、もとは被害者たちの財産である。使用した分はもちろんのこと、ここ数年はイヤルの財産であるため少々揉めた。
 ただ、魔法使いであるロイエがこつ然と姿を消したこは、国の責任も追求されたことにより、国庫から幾ばくかの保証金が彼らに支払われたのである。

 ソファで、ゆったりと事件のあらましが書かれた新聞のコラムを読み、エンフィはふぅっと短いため息をついた。
 イヤルの離婚と再婚に関しては無効が妥当だと判決がくだり、エンフィはイヤルの妻としてかの領地で今日も働いている。セバスたちも、エンフィとともに領地に戻っており、ロイエという邪魔者がいなくなったとはいえ、大きな傷を負った領地の再建に、毎日東奔西走していた。

「エンフィ様、ラベンダーティと里芋チップスをどうぞ」
「ありがとう、ドーハン」

 以前と違うことと言えば、ドーハンが領地に来ておりエンフィを支えている。彼が来たことで、以前よりもぐっと楽になった彼女は、あかぎれのなくなった指で、両方の耳に光るピアスを触った。

「あれから、もう2年になるのね……」
「そうですね。それにしても、どの新聞記事にもイヤル様の逮捕劇やその後の活躍を大きく報じていますね」
「罰則を設けられるどころか、一躍英雄扱いになったものね。国としても、不祥事から目をそらすために、イヤルを英雄にしたてあげたのでしょうけれど。国の思惑とはいえ、10年のところを5年に減らしていただいたことは、本当に良かったわ」

 エンフィは、彼にはもう必要のない魔法を封じるアーティファクトと守護のアーティファクトを指先で遊びながら、南方で起こった災害の救助に駆り出されている彼を想う。
 現在の彼が領地に帰還できるのは、年に1度の年末年始の特別休暇のときだけ。あと3年がすぎても、今は会社の部下たちにまかせている里芋事業を取り仕切らなければならないため、ふたりが共に過ごせる日々は年に三分の二ほどである。

「ねぇ、ドーハン。こんな田舎についてきて本当によかったの? あなたなら、王都でお父様方に仕えていたら、良縁に恵まれるでしょうに」
「はぁ……。またその話ですか?」

 真正面のソファに座りながら、ゆったりお茶を嗜んでいるドーハンにそういうと、彼は深くながーいため息をついた。

「一体、いつになったらこの鈍い衣を100枚被っている人は気づいてくれるんだ……」
「え? 何か言った?」
「いーえ。何も言ってません」

 ドーハンは平然としつつも、少しばかりすねたようなトゲのある言葉を伝える。すると、エンフィは「変なドーハン」とだけつぶやき、微笑んでお茶を一口飲んだ。 
 
「そんなことよりも、また来ましたね。封も切っていない手紙の山がこどもの背丈ほどになっておりますが」
「ええ、皆さんご丁寧に何度も送られてくるわ。わたしと結婚して、英雄と繋がりたいみたいね。2年前、わたしが離婚されたときには、実家に、傷のついた離婚された女になんか、一通もきていなかったのに」
「日和見な奴らの求婚の申し込みなど、暖炉の火の足しにもなりませんね。領民の子どもたちのノートの紙や、小っ恥ずかしいキザな言葉を晒して……ごほん、文字の練習に再利用しましょう」
「ちょっと、子どもたちの目と心が穢れちゃうわ。紙の再利用はともかく、文字の練習はやめてあげて」
「そうですか? エンフィ様がそう仰るのなら、そうしましょう。しかし、いつまでもイヤル様おひとりしか夫がいない以上、永遠にその申込書は積み重なるでしょうね。この間なんかは、強引にここに乗り込んできた男もいたじゃないですか。今のままでは危険なのは事実ですよ」
「はぁ。たしかに、このままだと防犯上良くないわね。どこかに働き者で気の利く良い人がいて、契約婚でいいのなら考えるけどねぇ」
「その条件に合う男がいたら、どうします?」
「働き者で気の利く良い人なんて、心当たりはないわ。それに、契約婚なんて、馬鹿にしたようなものを承諾する人がいるとは思えないけれど。いたら、イヤルと話し合って、こちらからお願いしたいくらいよ」

 エンフィが、投げやりのように発した言葉に、側のソファに座っていたセバスとマイヤは満面の笑顔になった。

「そうじゃー。仕事が残っとったんじゃったー」
「あら、わたしも。ほほほ、奥様、折角誘っていただいたお茶ですが、これで失礼しますね」

 棒読みでそう言うと、ふたりは部屋から急いで立ち去った。

 ドアが静かに閉まると、ドーハンはいつになく真剣な瞳でエンフィを見つめた。

「ドーハン、どうしたの?」

 どことなく、おしりがもぞもぞするような居心地の悪さを感じる。エンフィは、無言のまま何かを訴えている彼の瞳から、そっと視線をそらして逃げた。

 とくとくと、普段よりもやや早い鼓動が大きく聞こえる。シーンと静まり返ったこの空間からも出ていきたくなった。

 数秒の静寂は、ドーハンが立ち上がりエンフィに近づく足音によって破られる。

「エンフィ様……。私では、その条件に合いませんか?」
「え? ドーハン、一体何を……」

 片膝をつき、いつもは見上げる彼の瞳が、今は自分を見上げている。ゆらゆらと揺れている彼の瞳が、なぜか熱くやけどしそうなほどの熱を感じた。

「エンフィ様、何度も言うように、私は結婚する気などありません。なぜなら、初めてお会いしていからというもの、あなたしか私の心にいませんでしたから。名ばかりの男爵である私は、あなたにとって身分不相応なことは重々承知しております。ですから、イヤル様とのご結婚をされたあなたの幸せを遠くから願うだけで良かったのです」
「ドーハン……」

 知らなかった。ドーハンが、自分にそのような想いを抱いていたなど、全く気づかなかった。エンフィは、突然の彼の告白に対してイエスともノーとも言えないまま、その日の仕事は彼に任せ、夕食も食べすにベッドに入ったのである。
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