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16.5 イヤル
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長い夢を見ていたような気がする。そう思いながら、どこか懐かしい香りに包まれてゆらゆら漂う小舟のようなものに乗っていた。
数瞬前の、体がばらばらになりそうなほどの苦痛は、ウソのように綺麗サッパリなくなっている。
「エンフィ、今のオレには許されることじゃないけど、今、無性に君に会いたい……」
ひと目で心奪われた愛しい乙女。複数の男たちに囲まれる彼女の視界に少しでも入りたい。側に、一秒でもいいからいたい。それだけでいいと思った。
いいや、それだけでは足らない。彼女を乞う心は、時間が経てば経つほど大きくなり、その思いは大きく貪欲になる。
必死に彼女に求婚するために、王都を駆けずりまわった。誰にも真似のできない、たったひとつの物を得ないと、彼女に近づく資格などないと。
よりにもよってそんな時に魔法使いになった。彼女に会う前なら、喜んで魔塔に行っただろう。なんというタイミングの悪さに、我が身を呪った。
ただでさえ、田舎者で顔もなにもかも標準以下の自分。そんな自分を、多少恥とは思ったこともあったが、あれほど運命の神を憎んだことはない。
国に報告しなければ、バレた時に処罰を受ける。だが、今を逃せば、彼女は他の男のものになるだろう。そんなこと、あり得ない。諦めるなんて、できなかった。せめて、彼女に求婚して玉砕するまでは……
魔法を封じ込めるアーティファクトを手に入れるやいなや、戸惑いなくぐさりと耳に突き刺した。
運良く、彼女の側にいるためのアーティファクトを手に入れた。だが、肝心の彼女へのプレゼントがない。
魔法を封じ込めた人物のために作られただろう守護のアーティファクトをまじまじ見る。これをつけなければ、魔法に対する抵抗力が0になる。一般人ですら多少ははねのけるだろう、簡単な魔法にすら負けてしまうに違いない。
だが、これを持っていけば……。古代の強力な守護を持つアーティファクト。これさえあれば、こんなオレでも彼女の家族も首を縦に振ってくれる、はず。
彼女に差し出して、求婚を断られたら着けよう。そう思い、最終日に男たちが作る壁をかき分けて、彼女の前に立った。
心臓が破裂しそうなほど、どくどくと大きく鼓動を打つ。彼女に話しかけるために、たくさん練習した。金を払って、スマートに求婚するための講座にも参加した。準備はばっちりだったはずなのに、頭が真っ白になっていた。
「あの、あの……オレ、イヤルといいます。オレ、あなたをひと目見て好きになりました。どうか、オレと結婚してください!」
…………
失敗した。誰がこんな無様な求婚をするのだろう。彼女の沈黙が恐ろしい。
周囲の男たちどころか、女の子たちまで笑っている。みっともない自分が恥ずかしすぎて、耳がやけどしそうなほど熱くなった。
もうおしまいだ……そう思った時、彼女の小さくて柔らかな手が、オレの差し出した手のひらに重なった。
びくびくしながら前を見ると、そこにはオレを見て頬を染めて、頷く彼女がいたのである。
あの時は、社交界に激震が走った。当然のように、彼女の両親たちからも反対されてしまう。どこの誰が、田舎の貧乏な領地に、望めば高位貴族の夫を持てる女性を嫁がせるというのか。自分がエンフィの父親でも反対するだろう。
だが、守護のアーティファクトを渡して正解だった。それがあったから、渋々彼女の両親たちが頷いてくれたのだから。
だけど、彼女はオレだけがいいと言ってくれた。そこからは必死だった。
オレの妻になった彼女。太陽が出ている時は、まるで日の女神のように輝く笑顔が眩しい。なのに、夜になると全てを魅了する月の女神に様変わりして、オレをますます夢中にさせた。
更に、エンフィは里芋の産業を発展させ、オレが事業を展開するために、十分すぎるほど支えてくれた。だが、事業が大きくなるにつれて、彼女と離れてしまうようになる。
そんなある日、詐欺にあった。そこからは、どん底の不景気に見舞われて、エンフィに苦労をかけっぱなしになった。自分が不甲斐なくて、情けなくて、彼女にも、彼女の実家にも面目がたたないと焦っていたころ、ロイエという女性に会った。
色仕掛で話かけてくる彼女からは、嫌な臭いが充満し、近づいてはダメだと頭が警鐘を鳴らす。
だが、ロイエは魔法を使っていた。守護のアイテムは、一応身につけていたものの、自我を保つのがやっとになる。
あれよあれよという間に、手球にとられた。彼女の言うがまま、横領を許し仕事の邪魔しかしない、やりたい放題の彼女を庇う始末。
挙句の果てに、あの女の情人であるルドメテをエンフィの第二の夫に迎え入れ、エンフィと離婚した。
「違う……、ちがう、ちがうんだ。エンフィ、オレ以外の男なんて、オレは……、離婚なんて、そんなこと、望んだことはない!」
嫌な事や、どう考えてもおかしな事を、さも当然のようにする自分自身が信じられなかった。
頭が冴えて来れば来るほど、今日までの自分が嫌になる。このまま、消えてなくなってしまいたいほどに。
「イヤル、イヤル……」
不思議と、エンフィの声がする。傷つけ追い出した彼女がいるはずなどない。それに、オレには彼女の側にいる資格などない。
なのに、その声にすがりたい。小さな白い手、オレが不甲斐ないばっかりに、あかぎれだらけになった、働き者のとてもキレイな手を取りたい。
彼女を抱きしめて、ありったけの思いの儘キスをしたい。
「オレってやつは……はは、どうしようもないな……」
「ええ、あなたは、どうしようもない男よ。でも、わたしはそんなあなたが大好きだった。今でも愛してる」
自暴自棄に呟けば、エンフィが応えてくれた。それが、いやにリアルに思えた。
「え? エンフィ……、なのか?」
「ええ、あなたの元妻のエンフィよ。おはよう、おねぼうさん。もう、悪い夢から覚める時間よ」
眼の前に、いつもの寝起きのように声をかけてくれる泣きはらした愛する人がいる。到底信じることのできない現実に、夢なら覚めてくれるなと彼女の腫れた目に指を伸ばした。
数瞬前の、体がばらばらになりそうなほどの苦痛は、ウソのように綺麗サッパリなくなっている。
「エンフィ、今のオレには許されることじゃないけど、今、無性に君に会いたい……」
ひと目で心奪われた愛しい乙女。複数の男たちに囲まれる彼女の視界に少しでも入りたい。側に、一秒でもいいからいたい。それだけでいいと思った。
いいや、それだけでは足らない。彼女を乞う心は、時間が経てば経つほど大きくなり、その思いは大きく貪欲になる。
必死に彼女に求婚するために、王都を駆けずりまわった。誰にも真似のできない、たったひとつの物を得ないと、彼女に近づく資格などないと。
よりにもよってそんな時に魔法使いになった。彼女に会う前なら、喜んで魔塔に行っただろう。なんというタイミングの悪さに、我が身を呪った。
ただでさえ、田舎者で顔もなにもかも標準以下の自分。そんな自分を、多少恥とは思ったこともあったが、あれほど運命の神を憎んだことはない。
国に報告しなければ、バレた時に処罰を受ける。だが、今を逃せば、彼女は他の男のものになるだろう。そんなこと、あり得ない。諦めるなんて、できなかった。せめて、彼女に求婚して玉砕するまでは……
魔法を封じ込めるアーティファクトを手に入れるやいなや、戸惑いなくぐさりと耳に突き刺した。
運良く、彼女の側にいるためのアーティファクトを手に入れた。だが、肝心の彼女へのプレゼントがない。
魔法を封じ込めた人物のために作られただろう守護のアーティファクトをまじまじ見る。これをつけなければ、魔法に対する抵抗力が0になる。一般人ですら多少ははねのけるだろう、簡単な魔法にすら負けてしまうに違いない。
だが、これを持っていけば……。古代の強力な守護を持つアーティファクト。これさえあれば、こんなオレでも彼女の家族も首を縦に振ってくれる、はず。
彼女に差し出して、求婚を断られたら着けよう。そう思い、最終日に男たちが作る壁をかき分けて、彼女の前に立った。
心臓が破裂しそうなほど、どくどくと大きく鼓動を打つ。彼女に話しかけるために、たくさん練習した。金を払って、スマートに求婚するための講座にも参加した。準備はばっちりだったはずなのに、頭が真っ白になっていた。
「あの、あの……オレ、イヤルといいます。オレ、あなたをひと目見て好きになりました。どうか、オレと結婚してください!」
…………
失敗した。誰がこんな無様な求婚をするのだろう。彼女の沈黙が恐ろしい。
周囲の男たちどころか、女の子たちまで笑っている。みっともない自分が恥ずかしすぎて、耳がやけどしそうなほど熱くなった。
もうおしまいだ……そう思った時、彼女の小さくて柔らかな手が、オレの差し出した手のひらに重なった。
びくびくしながら前を見ると、そこにはオレを見て頬を染めて、頷く彼女がいたのである。
あの時は、社交界に激震が走った。当然のように、彼女の両親たちからも反対されてしまう。どこの誰が、田舎の貧乏な領地に、望めば高位貴族の夫を持てる女性を嫁がせるというのか。自分がエンフィの父親でも反対するだろう。
だが、守護のアーティファクトを渡して正解だった。それがあったから、渋々彼女の両親たちが頷いてくれたのだから。
だけど、彼女はオレだけがいいと言ってくれた。そこからは必死だった。
オレの妻になった彼女。太陽が出ている時は、まるで日の女神のように輝く笑顔が眩しい。なのに、夜になると全てを魅了する月の女神に様変わりして、オレをますます夢中にさせた。
更に、エンフィは里芋の産業を発展させ、オレが事業を展開するために、十分すぎるほど支えてくれた。だが、事業が大きくなるにつれて、彼女と離れてしまうようになる。
そんなある日、詐欺にあった。そこからは、どん底の不景気に見舞われて、エンフィに苦労をかけっぱなしになった。自分が不甲斐なくて、情けなくて、彼女にも、彼女の実家にも面目がたたないと焦っていたころ、ロイエという女性に会った。
色仕掛で話かけてくる彼女からは、嫌な臭いが充満し、近づいてはダメだと頭が警鐘を鳴らす。
だが、ロイエは魔法を使っていた。守護のアイテムは、一応身につけていたものの、自我を保つのがやっとになる。
あれよあれよという間に、手球にとられた。彼女の言うがまま、横領を許し仕事の邪魔しかしない、やりたい放題の彼女を庇う始末。
挙句の果てに、あの女の情人であるルドメテをエンフィの第二の夫に迎え入れ、エンフィと離婚した。
「違う……、ちがう、ちがうんだ。エンフィ、オレ以外の男なんて、オレは……、離婚なんて、そんなこと、望んだことはない!」
嫌な事や、どう考えてもおかしな事を、さも当然のようにする自分自身が信じられなかった。
頭が冴えて来れば来るほど、今日までの自分が嫌になる。このまま、消えてなくなってしまいたいほどに。
「イヤル、イヤル……」
不思議と、エンフィの声がする。傷つけ追い出した彼女がいるはずなどない。それに、オレには彼女の側にいる資格などない。
なのに、その声にすがりたい。小さな白い手、オレが不甲斐ないばっかりに、あかぎれだらけになった、働き者のとてもキレイな手を取りたい。
彼女を抱きしめて、ありったけの思いの儘キスをしたい。
「オレってやつは……はは、どうしようもないな……」
「ええ、あなたは、どうしようもない男よ。でも、わたしはそんなあなたが大好きだった。今でも愛してる」
自暴自棄に呟けば、エンフィが応えてくれた。それが、いやにリアルに思えた。
「え? エンフィ……、なのか?」
「ええ、あなたの元妻のエンフィよ。おはよう、おねぼうさん。もう、悪い夢から覚める時間よ」
眼の前に、いつもの寝起きのように声をかけてくれる泣きはらした愛する人がいる。到底信じることのできない現実に、夢なら覚めてくれるなと彼女の腫れた目に指を伸ばした。
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