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離婚してから、初夏が過ぎ、短い夏になった。すぐに解決するかと思われたのだが、ロイエたちは用意周到で物的証拠をほとんど残していない。しかも、認識疎外などの魔法を使用しているため、証言もないまま捜査は難航しているようだ。彼女たちが逮捕されたという報告はまだなかった。
王都から派遣された警備団や、被害者たちの会の代表者たちは何をしているのだと、エンフィを除いた人々はやきもきしていた。
当のエンフィといえば、犯罪集団が捕まればいいと思いながらも、周囲の細やかな気配りと、ドーハンの心のこもった対応のおかげで、辛かったあの領地でのことを、気にはなるが思い出すことが少なくなった。今では昔と同じように笑顔を作ることができている。
いや、昔と同じようなではない。年齢と苦労を重ね大人の女性となった、彼女の笑みは人々をはっとさせるほど魅力あるものになっている。
「エンフィ様、イヤル様の領地の長から手紙が届いております……」
「ドーハン、見せて。何か月ぶりかしら……」
そんな彼女に、以前のことをなるべく思い出させないようにするために、かの領地からの手紙は全て彼女に見せないように厳命されていた。しかし、ドーハンだけは辛い状況であっても、彼女はその手紙を読みたいに違いないと、そっと手紙の存在を知らせたのである。
彼にとって、主は彼女の父であり、エンフィではない。そんな彼が、クビになるのを覚悟して差し出した一通の手紙を読むと、めったに怒らない彼女が激怒したのである。
領地の去り際に自分たちで頑張ると誓ってくれていた長たちからの手紙は、良い報せとは正反対だった。手紙によると、ロイエたちはエンフィが見つからないことに腹を立て、全地域の税率をいきなり50%あげたのだ。税金を納め続けた村は困窮し、その命令に逆らった村はいつの間にか領地に入り込んでいた彼女の部下たちによって略奪が繰り返されていたのである。
「そんな……! わたしは大人しく領地から出て行ったのに、どうしてこんなことに」
領地の惨劇を想像するにつれ、エンフィの心は怒りと悲しみが渦巻く。一緒に里芋を育て、それを中心に産業を栄えさせて村を少しずつ整備した。その時に関わった人々の笑顔が、一瞬で悲鳴をあげ苦痛と涙で汚れる。
「こんなこと、許されないわ。ねぇ、ドーハン、王都から警備団が向かったままなのよね? 治安を守る彼らに介入していただくことはできないのかしら?」
「恐れながら、自治領での税率などは領主の独断である程度は決めることができます。たとえ、税率が300%になったとしても、です。また、略奪行為に関しては、領主側は知らぬ存ぜぬの一点張りで、警備団としても踏み込めない状況なのかと……」
「たいへんだわ……すぐに向かわないと」
手紙を手にしたままエンフィが立ち上がる。しかし、ドーハンが彼女を止めた。
「エンフィ様、落ち着いてください。エンフィ様が向かわれても何もできません。それに、もうあなたとは関係のない土地のことです」
「ドーハン、あなたまでお父様たちと同じことを言うのね。あなただけは、わたしの気持ちを汲んでくれると思っていたのに」
エンフィはやり場のないいら立ちをぶつけるように、ドーハンに厳しい視線を投げつけた。いつもなら彼女に甘いドーハンは、その視線を真っ向から受けエンフィを椅子に座らせる。
「エンフィ様、あなたが思っている以上に現地は荒れ果てているでしょう。領地を荒らしている集団が、例のならず者たちの集まりであるのなら、男だけでなく、女性や子供たちも想像以上に恐ろしい目にあっているに違いありません。そんな中、ロイエたちが一番邪魔に思っているであろうあなたが向かえばただではすみません。今すぐに手をさしのべなければならない無関係の領民のことも大切でしょう。ですが、彼ら以上にあなたを愛している私……ゴホン、ご家族のことも考えてください」
ドーハンは、真剣な表情をしながら、座らせたエンフィの顔を直視する。彼の言葉に、エンフィの沸騰していた頭の温度が下がった。
「ドーハン……。あなたが言うことは正論だわ。でも、わたしは彼らと約束したの。何か、手に負えないことがあれば連絡をするようにと伝えたのは、わたし自身なのよ。そのわたしが動かなければ、一体誰が彼らのために動いてくれるというの?」
「エンフィ様、相手は魔法を使うことができます。あいにく、私もあなたも魔法を使うことが出来ません。ロイエたちに対抗するには、王都の警備団すら手を焼く相手ですから、もっと強力な魔法使いが必要なのです。その人物に心当たりでも? 魔法使いたちが集まる魔塔の連中は、大金を積んだとしても、地方の論争ごときではおそらく動かないでしょう」
「……ひとり、知ってるわ。彼なら、一瞬でならず者の10人や20人やっつけてくれる」
「そんな人物と知り合いで? ならば、すぐにその方に依頼すれば。しかし、そのような魔法使いがエンフィ様の身近にいるなど、知りませんでした。ご結婚されてからのお知り合いでしょうか?」
「…………ドーハン、あなたも知っている人よ。この屋敷の人、全員が知っているわ」
「私も知っている男ですか? そのような人物に、心当たりはありませんが……。どなたか名前を伺っても?」
ぼつりと小さな声でエンフィが彼に伝えた名は、ドーハンを驚愕させたのである。
王都から派遣された警備団や、被害者たちの会の代表者たちは何をしているのだと、エンフィを除いた人々はやきもきしていた。
当のエンフィといえば、犯罪集団が捕まればいいと思いながらも、周囲の細やかな気配りと、ドーハンの心のこもった対応のおかげで、辛かったあの領地でのことを、気にはなるが思い出すことが少なくなった。今では昔と同じように笑顔を作ることができている。
いや、昔と同じようなではない。年齢と苦労を重ね大人の女性となった、彼女の笑みは人々をはっとさせるほど魅力あるものになっている。
「エンフィ様、イヤル様の領地の長から手紙が届いております……」
「ドーハン、見せて。何か月ぶりかしら……」
そんな彼女に、以前のことをなるべく思い出させないようにするために、かの領地からの手紙は全て彼女に見せないように厳命されていた。しかし、ドーハンだけは辛い状況であっても、彼女はその手紙を読みたいに違いないと、そっと手紙の存在を知らせたのである。
彼にとって、主は彼女の父であり、エンフィではない。そんな彼が、クビになるのを覚悟して差し出した一通の手紙を読むと、めったに怒らない彼女が激怒したのである。
領地の去り際に自分たちで頑張ると誓ってくれていた長たちからの手紙は、良い報せとは正反対だった。手紙によると、ロイエたちはエンフィが見つからないことに腹を立て、全地域の税率をいきなり50%あげたのだ。税金を納め続けた村は困窮し、その命令に逆らった村はいつの間にか領地に入り込んでいた彼女の部下たちによって略奪が繰り返されていたのである。
「そんな……! わたしは大人しく領地から出て行ったのに、どうしてこんなことに」
領地の惨劇を想像するにつれ、エンフィの心は怒りと悲しみが渦巻く。一緒に里芋を育て、それを中心に産業を栄えさせて村を少しずつ整備した。その時に関わった人々の笑顔が、一瞬で悲鳴をあげ苦痛と涙で汚れる。
「こんなこと、許されないわ。ねぇ、ドーハン、王都から警備団が向かったままなのよね? 治安を守る彼らに介入していただくことはできないのかしら?」
「恐れながら、自治領での税率などは領主の独断である程度は決めることができます。たとえ、税率が300%になったとしても、です。また、略奪行為に関しては、領主側は知らぬ存ぜぬの一点張りで、警備団としても踏み込めない状況なのかと……」
「たいへんだわ……すぐに向かわないと」
手紙を手にしたままエンフィが立ち上がる。しかし、ドーハンが彼女を止めた。
「エンフィ様、落ち着いてください。エンフィ様が向かわれても何もできません。それに、もうあなたとは関係のない土地のことです」
「ドーハン、あなたまでお父様たちと同じことを言うのね。あなただけは、わたしの気持ちを汲んでくれると思っていたのに」
エンフィはやり場のないいら立ちをぶつけるように、ドーハンに厳しい視線を投げつけた。いつもなら彼女に甘いドーハンは、その視線を真っ向から受けエンフィを椅子に座らせる。
「エンフィ様、あなたが思っている以上に現地は荒れ果てているでしょう。領地を荒らしている集団が、例のならず者たちの集まりであるのなら、男だけでなく、女性や子供たちも想像以上に恐ろしい目にあっているに違いありません。そんな中、ロイエたちが一番邪魔に思っているであろうあなたが向かえばただではすみません。今すぐに手をさしのべなければならない無関係の領民のことも大切でしょう。ですが、彼ら以上にあなたを愛している私……ゴホン、ご家族のことも考えてください」
ドーハンは、真剣な表情をしながら、座らせたエンフィの顔を直視する。彼の言葉に、エンフィの沸騰していた頭の温度が下がった。
「ドーハン……。あなたが言うことは正論だわ。でも、わたしは彼らと約束したの。何か、手に負えないことがあれば連絡をするようにと伝えたのは、わたし自身なのよ。そのわたしが動かなければ、一体誰が彼らのために動いてくれるというの?」
「エンフィ様、相手は魔法を使うことができます。あいにく、私もあなたも魔法を使うことが出来ません。ロイエたちに対抗するには、王都の警備団すら手を焼く相手ですから、もっと強力な魔法使いが必要なのです。その人物に心当たりでも? 魔法使いたちが集まる魔塔の連中は、大金を積んだとしても、地方の論争ごときではおそらく動かないでしょう」
「……ひとり、知ってるわ。彼なら、一瞬でならず者の10人や20人やっつけてくれる」
「そんな人物と知り合いで? ならば、すぐにその方に依頼すれば。しかし、そのような魔法使いがエンフィ様の身近にいるなど、知りませんでした。ご結婚されてからのお知り合いでしょうか?」
「…………ドーハン、あなたも知っている人よ。この屋敷の人、全員が知っているわ」
「私も知っている男ですか? そのような人物に、心当たりはありませんが……。どなたか名前を伺っても?」
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