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懐かしく優しい人たちとのひと時は、枯渇した感情に清らかな水を灯す。荒地になった心が潤い、時にぼうっとする事があっても、エンフィの口元には小さな笑みが浮かんでいた。
「そんな……いくらなんでも、無一文で女性ひとりを追い出すなんて。そのような人物だなど、信じられん」
父がそう言うと、ほかの家族もうんうんと頷いている。心変わりは腹立たしいが、彼は誠意のある青年だ。そう思ったから、ほかの良縁ではなくエンフィの望む彼のもとに嫁がせたのにと、母がハンカチで目と口元を抑える。
「そうよ、そうだわ……。お父様たちの言う通り、私の知る彼は、心変わりしたのなら、後の憂いを断ち切るために、きちんと別の人と結婚したいと申し出たはずなのよ。そして、私が不自由なく暮らせるように、手はずを整えてくれる、そんな人なのよ……。一度は愛したわたしを、一歩間違えれば命を落としかねない状況に、いくら嫌いになっても、そんな無慈悲なことをする人なんかじゃないわ」
少し冷静になると、彼の言動の何もかもがちぐはぐな事に気づく。一番解せないのは、ビジネスパートナーがたったひとりのロイだけだということだ。今や大規模になった里芋事業。ロイ以外にも有能な部下はたくさんいるはずなのに、ほかの人物の名前を聞いたことがない。
しかも、ルドメテを第二の夫にするにしても、肝心のエンフィの考えや気持ちを聞いていないというのも、イヤルらしくない。
「旦那様、エンフィ様、少々よろしいでしょうか?」
エンフィが細い指先を顎に当てながら考え込んでいると、常なら家族の会話に口を挟むことのないドーハンが声をかけた。珍しい状況だと、皆が彼を見る。
「ドーハン、いきなりどうしたんだ?」
「2年ほど前、王都を騒がせた窃盗詐欺団のことを覚えておいででしょうか?」
「ああ、商人たちや、下級貴族を相手に強盗、結婚詐欺などを繰り返した事件だな。当時は知らないものはいなかった。そういえば、最近はぱたりと話を聞かなくなった」
「はい、ちょうどイヤル様が被害に合われたころから、動きを止めております。どうやら、魔法使いが関係しており、王都の警備団がしっぽをつかむ寸前で犯罪がなくなったために逮捕に至らず、未だに指名手配されております」
「そういえばそうね。はやくつかまらないかと、ご婦人方が震えていたわ。でも、それがどうかしたの?」
母がドーハンに尋ねると、彼は手を胸に当てた。そして、その姿にふさわしい凛とした声で話を続ける。
「被害男性の証言によると、その魔法使いと思われる女性は色香のある妖艶な美女で、女優のようだったと。しかし、誰に聞いても、長時間一緒に暮らしていたのに、彼女の顔貌や髪の色、ほくろの位置など全く覚えていなかったとか。エンフィ様、そのロイエという女性の特徴を教えていただけますか?」
「それは、もちろん。彼女はグラマラスでわたしでもうっとりするほど艶やかで。……あら? 髪は……長かったような、いいえ、ストレートのショートだった、かも。瞳は大きくて、まるで太陽のような金で……ううん、それはルドのことだわ。あら? えーと、どうしたのかしら? ショックが大きかったせいかしら? 思い出せないわ。セバスたちはどうかしら?」
エンフィが、彼女のことを思い出したくもないくらい忘れることのできない女性の、髪型や色合いなどを全く思いだせない。セバスたちも同様で、首をひねるばかり。
「おそらく、認識阻害の魔法をかけられております。これは、今すぐにでも王宮や警備団に報告せねばなりません。窃盗団とは無関係かもしれませんが、余罪があるとみるべきです」
「まさか、そんな……」
「エンフィ様、そもそもがおかしいと思いませんか? 2年前、あれほど用意周到で、新しいことを始めるにあたり、石橋をたたき割るほど慎重に準備するイヤル様が、軽々詐欺師に合われたと聞き、不思議に思っていたのです。魔法で警戒心をなくされるほど精神を操られていたとすれば合点がいきます。現に、それからは、彼の手腕もあり以前にまさるとも劣らない経済力を身に着けられました。単純でだまされやすい男なら、資金があまりあるほどの大貴族でもないかぎり、これほど短期間で持ち直すことなどほぼ不可能でしょう。それに、以前からイヤル様と関係があったのなら、もっと前、そう、経済が困窮していたころにロイエという女性は現れていてもおかしくありません。もしかすると、イヤル様の地位と金目当てでは?」
ドーハンが、背筋を伸ばしてきっぱり言うと、その場にいた誰もが顔を見合わせる。セバスが行き過ぎた彼の言葉を嗜めめようとした。
「ドーハン、決めつけるのはまだ早いわ。でも、そうね。考えれば考えるほど、たしかにおかしなことだらけだわ……」
「とにかく、エンフィがひどい目にあったのは事実。まずは、そこから彼らのことを調査する糸口にしよう」
父がそう言うや否や、男たちは動きだした。エンフィや母と姉は、危険を伴うかもしれないことに足を踏みいれる彼らの背中を、祈るように見続けたのであった。
「そんな……いくらなんでも、無一文で女性ひとりを追い出すなんて。そのような人物だなど、信じられん」
父がそう言うと、ほかの家族もうんうんと頷いている。心変わりは腹立たしいが、彼は誠意のある青年だ。そう思ったから、ほかの良縁ではなくエンフィの望む彼のもとに嫁がせたのにと、母がハンカチで目と口元を抑える。
「そうよ、そうだわ……。お父様たちの言う通り、私の知る彼は、心変わりしたのなら、後の憂いを断ち切るために、きちんと別の人と結婚したいと申し出たはずなのよ。そして、私が不自由なく暮らせるように、手はずを整えてくれる、そんな人なのよ……。一度は愛したわたしを、一歩間違えれば命を落としかねない状況に、いくら嫌いになっても、そんな無慈悲なことをする人なんかじゃないわ」
少し冷静になると、彼の言動の何もかもがちぐはぐな事に気づく。一番解せないのは、ビジネスパートナーがたったひとりのロイだけだということだ。今や大規模になった里芋事業。ロイ以外にも有能な部下はたくさんいるはずなのに、ほかの人物の名前を聞いたことがない。
しかも、ルドメテを第二の夫にするにしても、肝心のエンフィの考えや気持ちを聞いていないというのも、イヤルらしくない。
「旦那様、エンフィ様、少々よろしいでしょうか?」
エンフィが細い指先を顎に当てながら考え込んでいると、常なら家族の会話に口を挟むことのないドーハンが声をかけた。珍しい状況だと、皆が彼を見る。
「ドーハン、いきなりどうしたんだ?」
「2年ほど前、王都を騒がせた窃盗詐欺団のことを覚えておいででしょうか?」
「ああ、商人たちや、下級貴族を相手に強盗、結婚詐欺などを繰り返した事件だな。当時は知らないものはいなかった。そういえば、最近はぱたりと話を聞かなくなった」
「はい、ちょうどイヤル様が被害に合われたころから、動きを止めております。どうやら、魔法使いが関係しており、王都の警備団がしっぽをつかむ寸前で犯罪がなくなったために逮捕に至らず、未だに指名手配されております」
「そういえばそうね。はやくつかまらないかと、ご婦人方が震えていたわ。でも、それがどうかしたの?」
母がドーハンに尋ねると、彼は手を胸に当てた。そして、その姿にふさわしい凛とした声で話を続ける。
「被害男性の証言によると、その魔法使いと思われる女性は色香のある妖艶な美女で、女優のようだったと。しかし、誰に聞いても、長時間一緒に暮らしていたのに、彼女の顔貌や髪の色、ほくろの位置など全く覚えていなかったとか。エンフィ様、そのロイエという女性の特徴を教えていただけますか?」
「それは、もちろん。彼女はグラマラスでわたしでもうっとりするほど艶やかで。……あら? 髪は……長かったような、いいえ、ストレートのショートだった、かも。瞳は大きくて、まるで太陽のような金で……ううん、それはルドのことだわ。あら? えーと、どうしたのかしら? ショックが大きかったせいかしら? 思い出せないわ。セバスたちはどうかしら?」
エンフィが、彼女のことを思い出したくもないくらい忘れることのできない女性の、髪型や色合いなどを全く思いだせない。セバスたちも同様で、首をひねるばかり。
「おそらく、認識阻害の魔法をかけられております。これは、今すぐにでも王宮や警備団に報告せねばなりません。窃盗団とは無関係かもしれませんが、余罪があるとみるべきです」
「まさか、そんな……」
「エンフィ様、そもそもがおかしいと思いませんか? 2年前、あれほど用意周到で、新しいことを始めるにあたり、石橋をたたき割るほど慎重に準備するイヤル様が、軽々詐欺師に合われたと聞き、不思議に思っていたのです。魔法で警戒心をなくされるほど精神を操られていたとすれば合点がいきます。現に、それからは、彼の手腕もあり以前にまさるとも劣らない経済力を身に着けられました。単純でだまされやすい男なら、資金があまりあるほどの大貴族でもないかぎり、これほど短期間で持ち直すことなどほぼ不可能でしょう。それに、以前からイヤル様と関係があったのなら、もっと前、そう、経済が困窮していたころにロイエという女性は現れていてもおかしくありません。もしかすると、イヤル様の地位と金目当てでは?」
ドーハンが、背筋を伸ばしてきっぱり言うと、その場にいた誰もが顔を見合わせる。セバスが行き過ぎた彼の言葉を嗜めめようとした。
「ドーハン、決めつけるのはまだ早いわ。でも、そうね。考えれば考えるほど、たしかにおかしなことだらけだわ……」
「とにかく、エンフィがひどい目にあったのは事実。まずは、そこから彼らのことを調査する糸口にしよう」
父がそう言うや否や、男たちは動きだした。エンフィや母と姉は、危険を伴うかもしれないことに足を踏みいれる彼らの背中を、祈るように見続けたのであった。
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