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驚きの連続
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雪は幸い降っていない。だが、足元にはくるぶしが埋まるほどの積雪がある。そんな中、目の前を寒さに弱いはずのジュールが、小さな足を一生懸命動かして歩いていた。
今回、俺はあえて準備などの助言をしなかった。もしも、決行の時に普段着に毛が生えたくらいの装備なら、即時に中止を宣告できたからでもある。そのほうが、俺にとってだけでなく、彼女の身の安全のためにもいいと思っていた。
だが、俺の予想とは反して、集合場所にきちんと来ていた彼女は、文句の付け所のない服装だった。荷物も過不足なく、素人にしてはほぼ完璧と言っていい。
ワットたちが助言したのかと、俺達を心配そうに見ているアイツラを見ると、俺と同じように驚いていた。
正直、このあたりのことを何も知りもしない、気軽に視察に連れて行けといっていた彼女を、都会の令嬢ごときが何を言っているのだと侮っていた。
俺は、ジュールは普通の令嬢のように、愚かな存在ではないのだと認識を改めた。対等の立場で見なければ、真剣に取り組む彼女に失礼だろう。
最終チェックだけすませ、俺達は3人に見送られながら裏山に入った。
なんだかんだいって、女性の足だ。体力もあまりない。坂を登り始めて、10分ほどで息があがったようだ。
「疲れただろう? 引き返すか?」
「それは、オームさまのご命令ですか? これまでのわたくしの行動や、山の状態を見て判断されたのでしょうか? ならば、最初の約束通り従いますわ」
「いや、そうじゃない。ただ、辛いかと思っただけだ」
「なら、まだまだ行けます。疲れることなど想定しています。帰る時の体力も考えて、無理だと思ったら正直に言いますから、心配なさらないでください。でも、気遣っていただいてありがとうございます。嬉しいですわ」
「あー、いや、うん……」
彼女がここに来てから、どうも調子が狂う。ちょっとしたなんでもないことでも、口だけの5文字だけでなく、さっきのように心から嬉しそうに、ありがとうと言うのだ。
警戒心の強いファラドたちも、素直な彼女には、すぐに心を開いて打ち解けた。そのことからも、彼女が裏表のない優しい心根の女性だということがわかる。
(ヘンリーと大違いだな……。あいつから、ありがとうなんて片手ほどしか言われたことがない。しかも、嫌々棒読みのように)
思い出したくもない、あの女。人生であの女との関わった時間を切り取れるものなら切り取りたい。
政略で決められて初めて会った時から、俺に対して普段は毛嫌いしているのに、金の無心や社交の場でだけは互いに尊重し合っているふりをしていた。
それはいい。そんなことは、この世界ではよくあることだ。俺の家族や領地に害がなければ、俺個人に対してどう思っていてもかまわなかった。跡継ぎにしても、俺の子がいなければワットがいるし。
ただ、一生ヘンリーと過ごすのかと思うと、胃がキリキリ痛んだ。戦争で、彼女と会えないのは、俺にとっては僥倖ともいえる時だった。
英雄扱いされている間は、俺をアクセサリーのように扱ってはくれていたが、できれば遠く離れて過ごしたかった。
地盤のことなどの問題が発覚し、この領地に未来がないと知るやいなや、一緒にその問題に向かうための相談をする前に、もともといた愛人といっしょになりたいと言われた。
呆れ果て、言われるがままに慰謝料を払ったが、今思えば、払うのではなかった。あの金があれば、俺やこの地方のことを真剣に考えてくれるジュールにもっと良いものが買ってやれたのにと悔やまれる。
結局、俺の悪い噂が流れる前には、あいつとは縁が切れていたが、社交界で彼女の都合の良いように話が盛られたことを聞いた時は、笑い声すら出なかった。
何が、相思相愛のふたりだ。何が、不幸な出来事のせいで引き裂かれた元英雄と、美しく献身的な元婚約者だ。バカバカしい。
ジュールのほうが、比べ物にならないほど美しいし、献身的で素敵な女性だ。
へび獣人であるジュールよりも、陰湿でいやらしいヘビのような女。あの女のせいで、俺は女性全般が嫌になった。母やルクスのように一途な人もいるだろうが、社交界で俺の相手になれるような地位の女性は、どれもこれもヘンリーに見えてしまう。
ジュールだけは、例外だった。
俺にとっては、次代を作るための名目上の妻として、ジュールにとっては、結婚するのなら名ばかりの妻にしてくれる男性として、ふたりの打算が合致したために結んだ縁。だが、俺にとっては、それだけではなくなった。
ジュールが来てくれた今を手放すのが惜しいと思う。
俺のそんな心を聞けば、ジュールはなんと思うのだろう。兄以外の男性が生理的に受け付けないと、ここに来た翌日に打ち明けられている。ならば、俺のことも生理的に無理な存在にちがいない。
自分ひとりで、つらつらとこんなことを思い、勝手に落ちこんだ。
「ジュール、待て!」
「え? あ? きゃあああああああ!」
しまった。俺にとっては散歩道のような裏山だから、完全に油断していた。ジュールの身の安全ではなく、まったく違うことを考えていたせいで、気づくのが遅れた。
普段なら気づけた、雪に小さなひび割れなど、わずかな変化があったというのに。
ジュールは、俺の目の前で、雪に隠れていた地盤の緩みから出来ていた大きな穴に落ちていったのだった。
今回、俺はあえて準備などの助言をしなかった。もしも、決行の時に普段着に毛が生えたくらいの装備なら、即時に中止を宣告できたからでもある。そのほうが、俺にとってだけでなく、彼女の身の安全のためにもいいと思っていた。
だが、俺の予想とは反して、集合場所にきちんと来ていた彼女は、文句の付け所のない服装だった。荷物も過不足なく、素人にしてはほぼ完璧と言っていい。
ワットたちが助言したのかと、俺達を心配そうに見ているアイツラを見ると、俺と同じように驚いていた。
正直、このあたりのことを何も知りもしない、気軽に視察に連れて行けといっていた彼女を、都会の令嬢ごときが何を言っているのだと侮っていた。
俺は、ジュールは普通の令嬢のように、愚かな存在ではないのだと認識を改めた。対等の立場で見なければ、真剣に取り組む彼女に失礼だろう。
最終チェックだけすませ、俺達は3人に見送られながら裏山に入った。
なんだかんだいって、女性の足だ。体力もあまりない。坂を登り始めて、10分ほどで息があがったようだ。
「疲れただろう? 引き返すか?」
「それは、オームさまのご命令ですか? これまでのわたくしの行動や、山の状態を見て判断されたのでしょうか? ならば、最初の約束通り従いますわ」
「いや、そうじゃない。ただ、辛いかと思っただけだ」
「なら、まだまだ行けます。疲れることなど想定しています。帰る時の体力も考えて、無理だと思ったら正直に言いますから、心配なさらないでください。でも、気遣っていただいてありがとうございます。嬉しいですわ」
「あー、いや、うん……」
彼女がここに来てから、どうも調子が狂う。ちょっとしたなんでもないことでも、口だけの5文字だけでなく、さっきのように心から嬉しそうに、ありがとうと言うのだ。
警戒心の強いファラドたちも、素直な彼女には、すぐに心を開いて打ち解けた。そのことからも、彼女が裏表のない優しい心根の女性だということがわかる。
(ヘンリーと大違いだな……。あいつから、ありがとうなんて片手ほどしか言われたことがない。しかも、嫌々棒読みのように)
思い出したくもない、あの女。人生であの女との関わった時間を切り取れるものなら切り取りたい。
政略で決められて初めて会った時から、俺に対して普段は毛嫌いしているのに、金の無心や社交の場でだけは互いに尊重し合っているふりをしていた。
それはいい。そんなことは、この世界ではよくあることだ。俺の家族や領地に害がなければ、俺個人に対してどう思っていてもかまわなかった。跡継ぎにしても、俺の子がいなければワットがいるし。
ただ、一生ヘンリーと過ごすのかと思うと、胃がキリキリ痛んだ。戦争で、彼女と会えないのは、俺にとっては僥倖ともいえる時だった。
英雄扱いされている間は、俺をアクセサリーのように扱ってはくれていたが、できれば遠く離れて過ごしたかった。
地盤のことなどの問題が発覚し、この領地に未来がないと知るやいなや、一緒にその問題に向かうための相談をする前に、もともといた愛人といっしょになりたいと言われた。
呆れ果て、言われるがままに慰謝料を払ったが、今思えば、払うのではなかった。あの金があれば、俺やこの地方のことを真剣に考えてくれるジュールにもっと良いものが買ってやれたのにと悔やまれる。
結局、俺の悪い噂が流れる前には、あいつとは縁が切れていたが、社交界で彼女の都合の良いように話が盛られたことを聞いた時は、笑い声すら出なかった。
何が、相思相愛のふたりだ。何が、不幸な出来事のせいで引き裂かれた元英雄と、美しく献身的な元婚約者だ。バカバカしい。
ジュールのほうが、比べ物にならないほど美しいし、献身的で素敵な女性だ。
へび獣人であるジュールよりも、陰湿でいやらしいヘビのような女。あの女のせいで、俺は女性全般が嫌になった。母やルクスのように一途な人もいるだろうが、社交界で俺の相手になれるような地位の女性は、どれもこれもヘンリーに見えてしまう。
ジュールだけは、例外だった。
俺にとっては、次代を作るための名目上の妻として、ジュールにとっては、結婚するのなら名ばかりの妻にしてくれる男性として、ふたりの打算が合致したために結んだ縁。だが、俺にとっては、それだけではなくなった。
ジュールが来てくれた今を手放すのが惜しいと思う。
俺のそんな心を聞けば、ジュールはなんと思うのだろう。兄以外の男性が生理的に受け付けないと、ここに来た翌日に打ち明けられている。ならば、俺のことも生理的に無理な存在にちがいない。
自分ひとりで、つらつらとこんなことを思い、勝手に落ちこんだ。
「ジュール、待て!」
「え? あ? きゃあああああああ!」
しまった。俺にとっては散歩道のような裏山だから、完全に油断していた。ジュールの身の安全ではなく、まったく違うことを考えていたせいで、気づくのが遅れた。
普段なら気づけた、雪に小さなひび割れなど、わずかな変化があったというのに。
ジュールは、俺の目の前で、雪に隠れていた地盤の緩みから出来ていた大きな穴に落ちていったのだった。
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