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 露天風呂からあがってきたワットくんは、ほっぺどころか、全身が殻を剥いたばかりのゆで卵のようにぴかぴかつるつるぷるるんだった。わたくしは、体が温まってほんのり湯気があがり、頬が桃色になっている少年を見て、新たな扉を開きかけた。

 ファラドとルクスは、準備の最終仕上げのために離れている。部屋にふたりきりは嫌だというから、一番広い玄関ホールで、話すことに決めた。ここなら、何かがあれば、ファラドたちがすぐに来てくれるから、ワットくんにとっても、わたくしにとっても安心スペースというわけだ。

「お待たせしました……」
「あら、わたくしがすすめましたもの。そんな風におっしゃらずとも構いませんよ?」
「僕だって、一応、人を待たせたことに対しての儀礼というか、そのくらいの常識はあるから。あほの子じゃないからな? あー、風呂に入りながら、考えたんだけど」

 目線をうろうろさせてから、ワット君がしゃべり始めた。

 今よりも幼いころに、ヘンリーさんだけから聞いたことを鵜呑みにしていたことは、自分が悪かった。オームさまが、あまりにも落ち込んでいたから、当事者である彼に聞く事ができなかったとはいえ、自分もあまり触れないようにしすぎていたと、自分の過去を振り返った。これについては、もうずいぶんと時が経過しているし、オームさまが帰ったらきちんと話を聞くと言ってくれた。

「まぁ、では、わたくしの悪い噂については、ワットくん自ら調査してくださるのですね。ありがとうございます」

 わたくしは、てっきり頑なにわたくし自身を拒絶されると思っていたので、嬉しくなった。満面の笑みを浮かべているのが自分でもわかる。

「う……、お礼なんかいらない。どうせ、お前が悪いやつだってことは本当なんだろうから。簡単には信じないぞ! ……だけど、兄上が、あの嘘の噂のせいで、辛い思いをしたことがあるから。だから、ちゃんとしないとって思っただけで」
「ふふふ、優しいのですね。そうやって、信じていたものを再び調べる勇気は、なかなか持てない人も多いのに。いずれにせよ、仰る通り、ワットさまにお聞きになられたほうがいいと思いますわ。ワットさまも、ずいぶん心が穏やかにおなりのようですし」

 桃色の頬を、ぷいっと横にしてむくれる彼のなんとかわいいこと。わたくしは、思わず彼のややオレンジがかった金の髪を撫でた。

「や、やめてくれぇ。僕なんか、食べたって美味しくないぞ!」
「ふふふ、食べませんよ? でも、ある意味おいしそうですね。わたくしはオームさまにしか興味はありませんから、ともかくとして、学生から社交界に入ったら、年上の女性にはくれぐれも気を付けてくださいね?」

 絶対、社交界で放っておいてくれなさそうなほど愛らしい彼にそう言うと、彼はわたくしから5歩飛びのいた。

「ぴゃあっ! 寄るな、触るな、こっち来るなー!」

 わたくしの悪評の内、ヘンリーさんがらみのことは、オームさまが帰ってくれば冤罪だとわかってくれるはず。あとは、へびであるわたくしが、彼らの捕食者ではないことを信じてもらうには、少々時間がかかりそうだと思った。

「何をやっているんだ?」

 すると、玄関がゆっくり開いたかと思うと、この家の主であるオームさまが帰ってきた。

「オームさま、お帰りなさいませ。熱は下がりましたでしょうか? 道中何もございませんでしたか? お怪我などは?」

 出かける前のオームさまは、ルーメンは何ともないって言っていたけれど、やはり様子がおかしかった。心配で、矢継ぎ早に質問してしまう。

「ただいま、ジュール。熱……? ああ、体調はなんともない。平和そのものだったから怪我もない。心配かけたな。で、なんでワットがいるんだ?」

「あ、兄上! ああ、本当に生きておられたんですね……。てっきり、へび女に喰われたかと……良かった、良かった……」

 ワットくんが、オームさまに飛びつく。わんわん泣いているから、彼は本当に食べられたと心配していたのだとわかる。素晴らしい兄弟愛に、思わず瞼が熱くなった。

 だというのに、わたくしときたら、まだ14歳の彼のそんな不安や悲しみを考えずに、自分のことばっかりでのほほんとしていた。ちょっと反省。

「ワット? お前、遠くの国に留学に言っているはずじゃ。それに、生きていたとは? 俺は元気でぴんぴんしているぞ?」
「それが、その留学先で、兄上がご結婚したことはお聞きしていたのですが、しばらくしてから妻にしたのがへびで、その女に食べられてしまったって聞いたんです。居ても立っても居られなくて、その足で先生に事情を説明して、ここに帰ってくる許可を得ました。先生がたも、噂にびっくりされていて、学業や奨学金などは心配しなくていいから早く帰りなさいっていってくれたんです」
「なんだそりゃ。ジュールはハムスターどころか、生き物は食べないぞ?」
「本当に? どこも、かじられてませんか?」
「ああ。そんなことよりも、ルクス。へびとか、女とか。言葉が悪いぞ。勘違いしたとはいえ、ジュールに、酷い態度をとったんじゃないだろうな?」
「それは……」

 オームさまの、するどい質問に、ワットくんは口ごもった。その様子は、「イエス」と言っているようなもの。オームさまは少し眉をしかめて、抱き着いているワットくんを、ぺりっと体からはがした。

 オームさまの説教の始まるゴングが鳴り響いたようなほど、彼の表情は硬い。ワットくんだけでなく、わたくしまで肩をすぼめて直立不動になった。
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