13 / 32
6
しおりを挟む
ビシッと、指先から何かが飛んできそうなほどの勢いで、人差し指を向けられた。
うん、かわいい。これがオームさまなら、あまりの迫力で泣くまではいかなくても、かなりビビっちゃう自信がある。
「わたくしは、オームさまを食べませんよ?」
「だって、聞いたんだ。兄上はへび女に食べられたって。それに、お前、ヘンリーさんに意地悪もしてるんだってな?」
「ヘンリーさんとは、どなたですか?」
「しらばっくれるな! 兄上の元の婚約者のヘンリーさんだ」
「あー、ヘンリー・M・インダクタンス・コイル・エイチさん。兄の元婚約者と仲が良かった方ですね」
彼女の名前は、我が国では珍しくとても長い。通常ならエイチだけだ。だけど、家が誕生した時に、他国出身の妻の苗字も残そうということで、繋がってこうなったとかなんとか。
はて、どちらかというと、ヘンリーさんのほうがあることないこと、わたくしの悪い話をしていると聞いたけれど。
わたくしは辺境に行くし、オームさまも気にしないと言ってくれた。兄にも迷惑がかかるレベルではないから放置していたけれど、まさか巡り巡ってこんな罠にかかるとはびっくり。
「泣く泣く兄上と別れたあと、家のために酷い男と結婚させられて、悲しみにくれている女性に、昔婚約者だからってだけで、悪口を噂で広げたり、お茶会で彼女のお茶に虫を仕込んだりしてたそうだな? なんてみみっちいいじめをするんだ」
「わたくしは、いわゆる女性たちの社交界にほとんど出ていなかったので、それは冤罪ですわ? それに、オームさまの過去ではなく、(自分自身の)今と未来を大事にしておりますもの。たとえ、オームさまの女性遍歴がすごいものだとしても、それはそれ。これからはこれから、ですわ。直接、わたくしに何かを仕掛けて来ていたのなら、反撃しますけれども、接触など一切ありませんでしたよ?」
「だって、みんなが言っていたんだ」
「みんな言っていた、ねぇ……」
その言葉が出るということは、要するに、真偽はともかく悪い噂話を持ち出して、ワットくんはわたくしにマウントを取りたいだけのようだ。追い出したいのも本当だろうけど。
「ワット様、あれだけご説明してもお分かりいただけないのですか? なら仕方がないです」
そこで、黙って成り行きを見ていたファラドが、わたくしの援護射撃を始めた。どうやら、ワットさまの誤解を解くために、玄関で話し込んでいたようだ。ちょっと、普段では考えられない迫力があって、わたくしまで背筋が伸びる。
「な、ななな。ファラド、僕は悪くないだろ? 僕は、兄上のためを思って」
「旦那様は、ヘンリー様に裏切られてから女性不振になられたというのに、なぜあの方の都合の良い噂を信じなさるのですか。かの方が、戦争が終わった途端、法外な慰謝料を持ち逃げしたのを忘れたのですか。奥様だけが、旦那様の絡み合ってしまった心の回路を、やっと元に戻してくださったというのに」
「ヘンリーさんは、兄上のために身を引いたと聞いた」
「ずたぼろの、それこそハムスターにかじられてしまった配線のようになっていた旦那様の心に、別れを切り出して切れ味の悪いニッパーで引きちぎりとどめを刺したのは、あの女性です」
「そんな、僕はそんなこと知らなかった。最後、ヘンリーさんに会った時に、彼女は泣いて、僕にまで謝っていたんだ……」
「お伝えしておりませんでしたから。嘘の噂や、彼女の涙でコロっとだまされるとは、なんと情けない。そもそも、キンクマハムスターは警戒心が緩いんです。もっと真実を見極めてください。なんなんですか、誤解したあげく、奥様をへび女呼ばわりするなど。私は、大奥様がたがお亡くなりになられてから、ワット様をそんなあほの子に育てた覚えはないですよ!」
「あほの子……」
その頃のヘンリーくんは、まだ児童。おそらく、オームさまが彼には何も伝えないように言っていたんじゃないかなと、彼の弟を思う純粋な優しさが、いたいけな少年を見て楽しんでいるわたくしのいたずらな心にぐさっと突き刺さった。
それにしても、奨学金や月々の小遣いを支給されるほどの才媛をあほの子呼びをするとは。ルクスったら、もうちょっとオブラートに包んであげないと。
ああ、壊れやすい思春期の少年が、ほら、プルプル震えて涙目じゃない。ちょ、かわいすぎ。
「ファラド、ルクスも、もうその辺で。ワットくんは、いろいろ知らないまま誤解していただけでしょ? きれいなお姉さんにあこがれる時期があるでしょうし。彼だけが悪いわけじゃないわ。それに、わたくしはへびで女ですから、あながち間違いじゃないし」
「奥様、そういうことでは……」
「まあまあ、ファラド。あなただって、最初は似たり寄ったりだったじゃない。オームさまだって、表面上は平気そうだったけど、わたくしと一緒にいると、まだちょっと緊張なさっているし。ワットくん、とりあえず疲れているんじゃないかしら? オームさまが帰ってくるまで、温泉で疲れを癒されてはどうですか?」
わたくしがそう言うと、すっかり意気消沈した反抗期真っ盛りのワットくんは、まだ憎まれ口をたたいてきた。
「く……へび女、わー、ファラド睨むな。もう言わないから! あー、えーと、お前の口車に乗るのは癪だが、誇りまみれの姿で兄上の前に立つわけにはいくまい。いいか、僕が身なりを整えたら、続きをしてやるから逃げるなよ!」
「はい、お待ちしていますわ」
嵐のように騒々しい、かわいいキンクマハムちゃんが行ってしまった。でも、ワットくんはしばらくはここにいるらしいから、その間に少しでも仲良くなれたらいいなと思う。
うん、かわいい。これがオームさまなら、あまりの迫力で泣くまではいかなくても、かなりビビっちゃう自信がある。
「わたくしは、オームさまを食べませんよ?」
「だって、聞いたんだ。兄上はへび女に食べられたって。それに、お前、ヘンリーさんに意地悪もしてるんだってな?」
「ヘンリーさんとは、どなたですか?」
「しらばっくれるな! 兄上の元の婚約者のヘンリーさんだ」
「あー、ヘンリー・M・インダクタンス・コイル・エイチさん。兄の元婚約者と仲が良かった方ですね」
彼女の名前は、我が国では珍しくとても長い。通常ならエイチだけだ。だけど、家が誕生した時に、他国出身の妻の苗字も残そうということで、繋がってこうなったとかなんとか。
はて、どちらかというと、ヘンリーさんのほうがあることないこと、わたくしの悪い話をしていると聞いたけれど。
わたくしは辺境に行くし、オームさまも気にしないと言ってくれた。兄にも迷惑がかかるレベルではないから放置していたけれど、まさか巡り巡ってこんな罠にかかるとはびっくり。
「泣く泣く兄上と別れたあと、家のために酷い男と結婚させられて、悲しみにくれている女性に、昔婚約者だからってだけで、悪口を噂で広げたり、お茶会で彼女のお茶に虫を仕込んだりしてたそうだな? なんてみみっちいいじめをするんだ」
「わたくしは、いわゆる女性たちの社交界にほとんど出ていなかったので、それは冤罪ですわ? それに、オームさまの過去ではなく、(自分自身の)今と未来を大事にしておりますもの。たとえ、オームさまの女性遍歴がすごいものだとしても、それはそれ。これからはこれから、ですわ。直接、わたくしに何かを仕掛けて来ていたのなら、反撃しますけれども、接触など一切ありませんでしたよ?」
「だって、みんなが言っていたんだ」
「みんな言っていた、ねぇ……」
その言葉が出るということは、要するに、真偽はともかく悪い噂話を持ち出して、ワットくんはわたくしにマウントを取りたいだけのようだ。追い出したいのも本当だろうけど。
「ワット様、あれだけご説明してもお分かりいただけないのですか? なら仕方がないです」
そこで、黙って成り行きを見ていたファラドが、わたくしの援護射撃を始めた。どうやら、ワットさまの誤解を解くために、玄関で話し込んでいたようだ。ちょっと、普段では考えられない迫力があって、わたくしまで背筋が伸びる。
「な、ななな。ファラド、僕は悪くないだろ? 僕は、兄上のためを思って」
「旦那様は、ヘンリー様に裏切られてから女性不振になられたというのに、なぜあの方の都合の良い噂を信じなさるのですか。かの方が、戦争が終わった途端、法外な慰謝料を持ち逃げしたのを忘れたのですか。奥様だけが、旦那様の絡み合ってしまった心の回路を、やっと元に戻してくださったというのに」
「ヘンリーさんは、兄上のために身を引いたと聞いた」
「ずたぼろの、それこそハムスターにかじられてしまった配線のようになっていた旦那様の心に、別れを切り出して切れ味の悪いニッパーで引きちぎりとどめを刺したのは、あの女性です」
「そんな、僕はそんなこと知らなかった。最後、ヘンリーさんに会った時に、彼女は泣いて、僕にまで謝っていたんだ……」
「お伝えしておりませんでしたから。嘘の噂や、彼女の涙でコロっとだまされるとは、なんと情けない。そもそも、キンクマハムスターは警戒心が緩いんです。もっと真実を見極めてください。なんなんですか、誤解したあげく、奥様をへび女呼ばわりするなど。私は、大奥様がたがお亡くなりになられてから、ワット様をそんなあほの子に育てた覚えはないですよ!」
「あほの子……」
その頃のヘンリーくんは、まだ児童。おそらく、オームさまが彼には何も伝えないように言っていたんじゃないかなと、彼の弟を思う純粋な優しさが、いたいけな少年を見て楽しんでいるわたくしのいたずらな心にぐさっと突き刺さった。
それにしても、奨学金や月々の小遣いを支給されるほどの才媛をあほの子呼びをするとは。ルクスったら、もうちょっとオブラートに包んであげないと。
ああ、壊れやすい思春期の少年が、ほら、プルプル震えて涙目じゃない。ちょ、かわいすぎ。
「ファラド、ルクスも、もうその辺で。ワットくんは、いろいろ知らないまま誤解していただけでしょ? きれいなお姉さんにあこがれる時期があるでしょうし。彼だけが悪いわけじゃないわ。それに、わたくしはへびで女ですから、あながち間違いじゃないし」
「奥様、そういうことでは……」
「まあまあ、ファラド。あなただって、最初は似たり寄ったりだったじゃない。オームさまだって、表面上は平気そうだったけど、わたくしと一緒にいると、まだちょっと緊張なさっているし。ワットくん、とりあえず疲れているんじゃないかしら? オームさまが帰ってくるまで、温泉で疲れを癒されてはどうですか?」
わたくしがそう言うと、すっかり意気消沈した反抗期真っ盛りのワットくんは、まだ憎まれ口をたたいてきた。
「く……へび女、わー、ファラド睨むな。もう言わないから! あー、えーと、お前の口車に乗るのは癪だが、誇りまみれの姿で兄上の前に立つわけにはいくまい。いいか、僕が身なりを整えたら、続きをしてやるから逃げるなよ!」
「はい、お待ちしていますわ」
嵐のように騒々しい、かわいいキンクマハムちゃんが行ってしまった。でも、ワットくんはしばらくはここにいるらしいから、その間に少しでも仲良くなれたらいいなと思う。
21
お気に入りに追加
92
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
伯爵は年下の妻に振り回される 記憶喪失の奥様は今日も元気に旦那様の心を抉る
新高
恋愛
※第15回恋愛小説大賞で奨励賞をいただきました!ありがとうございます!
※※2023/10/16書籍化しますーー!!!!!応援してくださったみなさま、ありがとうございます!!
契約結婚三年目の若き伯爵夫人であるフェリシアはある日記憶喪失となってしまう。失った記憶はちょうどこの三年分。記憶は失ったものの、性格は逆に明るく快活ーーぶっちゃけ大雑把になり、軽率に契約結婚相手の伯爵の心を抉りつつ、流石に申し訳ないとお詫びの品を探し出せばそれがとんだ騒ぎとなり、結果的に契約が取れて仲睦まじい夫婦となるまでの、そんな二人のドタバタ劇。
※本編完結しました。コネタを随時更新していきます。
※R要素の話には「※」マークを付けています。
※勢いとテンション高めのコメディーなのでふわっとした感じで読んでいただけたら嬉しいです。
※他サイト様でも公開しています
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
婚約破棄された上に魔力が強すぎるからと封印された令嬢は魔界の王とお茶を飲む
阿佐夜つ希
恋愛
伯爵令嬢ラティミーナは、生まれつき魔力量が人並み外れているせいで人々から避けられていた。それは婚約者である王子も同様だった。
卒業記念パーティーで王子から婚約破棄を宣言され、ほっとするラティミーナ。しかし王子は婚約破棄だけでは終わらせてはくれなかった。
「もはや貴様は用済みだ。よって貴様に【封印刑】を科す!」
百年前に禁じられたはずの刑罰が突如として下され、ラティミーナは魔法で作られた牢に閉じ込められてしまうのだった――。
※小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。
獣人公爵のエスコート
ざっく
恋愛
デビューの日、城に着いたが、会場に入れてもらえず、別室に通されたフィディア。エスコート役が来ると言うが、心当たりがない。
将軍閣下は、番を見つけて興奮していた。すぐに他の男からの視線が無い場所へ、移動してもらうべく、副官に命令した。
軽いすれ違いです。
書籍化していただくことになりました!それに伴い、11月10日に削除いたします。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
コワモテ軍人な旦那様は彼女にゾッコンなのです~新婚若奥様はいきなり大ピンチ~
二階堂まや
恋愛
政治家の令嬢イリーナは社交界の《白薔薇》と称される程の美貌を持ち、不自由無く華やかな生活を送っていた。
彼女は王立陸軍大尉ディートハルトに一目惚れするものの、国内で政治家と軍人は長年対立していた。加えて軍人は質実剛健を良しとしており、彼女の趣味嗜好とはまるで正反対であった。
そのためイリーナは華やかな生活を手放すことを決め、ディートハルトと無事に夫婦として結ばれる。
幸せな結婚生活を謳歌していたものの、ある日彼女は兄と弟から夜会に参加して欲しいと頼まれる。
そして夜会終了後、ディートハルトに華美な装いをしているところを見られてしまって……?
人質同然だったのに何故か普通の私が一目惚れされて溺愛されてしまいました
ツヅミツヅ
恋愛
【完結保証】
グリムヒルト王国に人質同然で連れられて来たマグダラス王国第一王女、レイティア姫が冷酷無比とされる国王陛下に溺愛されるお話。
18Rには※がついております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる