完結R18 外れガチャの花嫁 

にじくす まさしよ

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35 Arcanum─アルカヌム

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 あの人がいるだろう執務室は目の前。だけど、今はそれどころではない。いきなり起こった爆音。それを確かめるべく、わたくしたちは来た道を戻った。

「ジョアン、あっちは裏庭のほうよ。おじい様が……!」
「そのようだな。それにしても、これほど大きな音がしているのに、どうして誰も出てこないんだ?」
「そうね……。わたくしがここで暮らしていたころは、この廊下一筋に5、6人の使用人たちが歩いていたのだけれど」
「もしかして、使用人がひとりもいないのか? まあいい。アイリス、急ぐぞ。捕まれ」

 わたくしは、ジョアンにしがみついた。その瞬間、ジョアンが側にある大きな窓ガラスから空に飛ぶ。ひゅうっと風がわたくしに吹きかかり、重力が反発して体の中が浮くかのような感覚が襲ってきた。

「じいさんっ!」

 目の前に、もくもくと立ち上る黒い煙が見えた。まだまだ離れているというのに、ものすごい熱気で肌が焼けるようだ。熱い空気が全身にまとわりつき、焦げ臭いにおいで気持ちが悪くなる。

 やはり、裏庭が燃えているようだ。ここは、雑草が生い茂っていて、放置された枯れた草木が瞬く間に火をごうごうと燃やしていく。このままでは、この辺り一面が焼け野原になるどころか、近くにある屋敷まで焼け落ちるだろう。

「おじい様っ!」

 わたくしは、高い火の壁の向こうにいるだろうコーラボおじい様を呼んだ。

「その声は、アイリスか? わしは大丈夫だから、ここから離れるんだっ!」
「でも……」

 わたくしには魔法で水を作り消火するなんて無理だ。ジョアンも、ここまで燃え広がり大きくなった炎を消すことはできないだろう。

「そうだわ」

 この近くには、小さな頃体を洗ったりしていた井戸があった。オウトレスイリア国に行ってから数年。まだ井戸の中に水があるだろうか。

 わたくしは、少し離れた場所に向かう。はやく、はやくと焦れば焦るほど足がもつれた。転びそうになりつつたどり着いた井戸を覗き込む。

「あった……」
「アイリス、ここは危ない。じいさんの言う通り、ここから離れよう」

 ジョアンが、わたくしを横抱きにしてここから立ち去ろうとしたがそれを止めた。

「ジョアン、ここの水を使って火を消せないかしら?」
「アイリス、火を消したいその気持ちはわかるが、あの火を消すにはこの程度の水量では……それに、どうやってこれをあそこまで? バケツリレーをするにはもっと人数が必要だ。持って行けたとしても、勢いも足らないんじゃ?」

 わたくしは、俯いて唇を噛んだ。ここに、火を消せる水があるというのに。この水で火を消すための魔法の術式はいくつも頭の中にある。なのに、わたくしには何もできない。つくづく、魔法の使えない無力な自分に嫌気がさす。

「いや、そうとも限らないな。この水を使って、私が消火を試みよう」

 すると、誰かに声をかけられた。突然のことにびっくりする。ジョアンすら全く気配を感じなかったようで、反応が数瞬遅れた。

「誰だ、てめぇ!」
「おっと、こうなると思ったから、コーラボ様に、事前に君たちとの顔合わせを頼んでいたのに。君はジョアン君だね? コーラボ様から話は聞いているよ。私は君たちの味方だ。その鋭い爪を引っ込めてくれないか?」

 ジョアンが、わたくしを守るように広い背にかくして前に出てくれた。ところが、突如現れた男性は、恭しく腰を曲げて、のほほんと挨拶を始める。その姿に毒気を抜かれて、すっかり彼のペースに巻き込まれた。

「初めまして。君はアイリスちゃんだね。コーラボ様から聞いていた通り、マインにそっくりだ。懐かしいなぁ。私は、君の母君の兄弟子なんだ。ラドレス様に呼ばれて、外で待機していた。何かあれば、君たちを守ってくれって頼まれてね」
「お母様の?」

 その方は、アルカヌムと名乗った。一瞬、わたくしと同じ髪の色かと思ったけれど、よく見ると白に近い銀色の髪だ。

「とりあえず、先に火を消すかな。まあ、見てなさい」

 彼が井戸に手をかざす。すると、井戸の底から、水の塊が太い螺旋を描いて吹き出してきた。太陽の光が、それを反射して美しい光の彩を作っている。
 それはまるで、地の底で眠っていた、伝説のドラゴンが天に昇っていくかのように、壮大で神秘的な景色だった。   
 その水は、目標に向かって一直線に飛ぶ。冷たい水が、火に近づくと湯気をもうもうと立てた。だが、魔法で操られた水に、燃え盛る火はなす術はなかった。徐々に火の勢いが消えていく。

「すごいです……。アルカヌム様、火を消してくださって、ありがとうございました。この裏庭は、わたくしを守ってくれていた場所なんです……」
「アイリスちゃんが、この井戸の場所に移動してくれたからだよ。水がなければ何もできなかった。私は水を作れないからね」

 悲しいとき、辛いときには、この裏庭の草木に慰めて貰っていた。お腹がすいたときには、美味しい果実をくれた裏庭の一部が燃えた後を見ると心が痛む。

「あ、おじい様!」
「じいさん……心配させやがって」

 幸い、燃えたのは裏庭のごく一部だけだった。中央にそびえ立つ、ユーカリの木の周辺は無傷のようで、おじい様たちはその近くにいた。わたくしたちは、その元気そうな姿にほっとする。

 ただ、おじい様はふたりの人物と対峙していた。その人たちを見ると、心がざわざわと騒ぐ。わたくしは、どこか恐ろしいところに放り込まれそうな気持ちになった。

「小さな火を枯草につけて、お前の小さな風で燃え広がらせてわしを始末し、自分たちは水魔法で助かるつもりだったようだが、見事に失敗に終わったなぁ。傑作だ。ははは」
「や、やかましいっ、死にぞこないの老害が! お前など、あの方に追い出されたあと、野蛮な獣人の国で野たれ死ねばよかったのに。さっさと若者に道を譲って、安らかに眠っていろ!」

「おいおい、このわしが、たかがこの国を追い出されたくらいでくたばるとでも? 自分が追放されたら、すぐにあの世に旅立つか弱い人間だからと言って、同じように考えられたら照れるじゃないか」

 クアドリ様を見ても、心が全く動かない。やっぱり、指輪を介さなければ、かけられた魅了の呪いはどうということはないようだ。
 以前、わたくしと婚約していたころの彼とは別人のよう。まるで、破落戸のように表情をゆがめて、口汚くおじい様を罵っている姿は、とうてい素敵だとは思えなかった。

 クアドリ様とあの人は、おじい様ひとりに完全にのまれているみたい。そもそも、魔法使いとしても人間としての格が違うのだとわかる。

 おじい様が、わたくしたちの姿を見て目配せをしてきた。ジョアンとアルカヌム様が、ふたりに気づかれないように背後から近づいていった。

「わしのことはどうでもいい。ところで、パイ。お前、わしの姪を、マインをどこにやった? ここにマインの魔力を感じるんだが」
「あんな、他の男の子を産んだ裏切り者など知るか!」
「おかしいな。まるで、マインがここにいて、今も魔法を使い続けているほどの強力な魔力の気配がある。だから、あの子たちを先に行かせて、ここを探っていたんだがなぁ。まさか、お前たちが真っ先にわしを狙ってくるとは。ちょっとばかりびっくりしたぞ」

 顎に指を当てて、ゆっくりおじい様が動く。おじい様は隙だらけのように見えるのに、ふたりは、そんなおじい様に何の攻撃もできず立ちすくんでいた。

「そう、ここが一番強い」

 おじい様はそう言うと、ユーカリの木の幹に、優しく手のひらを当てた。すると、ユーカリの木が、それを喜んだみたいに、枝を震わせ葉を鳴らしたのである。







Arcanum─アルカヌム:秘密
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