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夢見るコアラ
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部屋に入ると、ベッドの上で上半身を起こしているアイリスがいた。目が赤くなっていて、ただでさえ折れそうな体が、今にも粉々にくだけそうな雰囲気を漂わせている。
「先生……。ジョアンさんも来てくださったのですね。ご心配おかけしてすみません……」
「おい、大丈夫なのか? 早く寝るんだっ!」
無理して起きているのだ。慌ててベッドに横になるように、そーっと体を押した。
「ジョアンさん……?」
「瀕死なのに起きてるとか、滅茶苦茶焦ったぞ。いいから寝てろ」
「はい、ありがとうございます。でも、瀕死とかじゃないんですけど……」
「何を言ってるんだ。こんなにも白くなって、腕だって枯れ木のように細いじゃないか。やせがまんせず楽にしてろ!」
そーっとそーっと、幼い弟の昼寝の時にしたよりもソフトタッチを心掛けて掛布団越しにぽんぽん肩を叩く。それだけでも、アイリスの体は大きく波打つように揺れたので、ぱっと手を離した。
「わ、すまん。力加減が……!」
「ジョアンさん、あの、本当に大丈夫ですから」
「ジョアン、お前はアイリスのことを水クラゲか何かと勘違いしていないか? 魔法が使えなくても、多少は大丈夫なように人間はできている。アイリスは、もともと細身だったし、色も白かっただろ。それに、今は夜だから、余計にそう見えるだけだ」
そこで、ミストが呆れたように俺の肩を叩いた。水クラゲのほうが元気じゃないかと思えるほど、今のアイリスは重病人そのもののようだというのに。だが、ミストの言う事にも一理ある。心配だが、側にある椅子に誘導され座った。
「やれやれ。人間嫌いだからって、人間学をさぼるからそんな風にうろたえるんだ。来年度から、人間についてしっかり理解するように。それよりも、女子にむやみやたらに触れるな。まあ、アイリスはかわいいから気持ちはわからんでもないが、立派なセクハラだぞ」
「俺はそんなつもりじゃ!」
「セクハラだなんて。先生、ジョアンさんは本気で心配してくださっただけだってわかっていますから。それに、以前助けていただいた時も、必要以上に触れるような真似はされませんでした。今も肩くらいでしたし、そんな風に思いませんよ?」
「そうかそうか。ジョアン、アイリスが寛大な子で良かったな」
まさか、セクハラや痴漢と勘違いされるのかと肝が冷える。だが、アイリスは気にしていないようだ。ミストは、半分冗談のように言ったつもりだったのだろう。にやにや笑いながら、肘で小突いてきた。
「アイリス、ところでここにいたハリーはどこに行ったんだ?」
「ハリー先生は、女性のほうがいいだろうって、奥様を呼びに行ってくださいました」
「そうかそうか。リーモラ夫人が来てくれるのならありがたい」
ハリーには、理想の奥さんと名高い、美人の妻がいるという噂を聞いたことがある。その人が来るのなら、俺の出番はないんじゃないかと首をかしげたが、ミストは俺を帰すつもりはないようだった。
「アイリス、私は学園長に報告に行かないといけないんだ」
「わたくしのせいで、このような時間にご迷惑ばかりおかけして申し訳ございません」
「いや。生徒は、どんな事情をかかえる子でも学園の子供のようなものだから心配するな。ハリー先生が戻ってくるまで、ジョアンが側にいてくれるそうだから、何かあったら彼に頼むといい」
「ありがとうございます」
確かに、こんな真夜中にトラブルが起こったのだ。学園長にすぐに報告をしなければならない。ミストが出ていくのを見送った。
「……」
「……」
さて、困った。アイリスと俺はほぼ接点がない。何を話していいのかさっぱりわからんと、腕を組んだままじっとしてた。居心地の悪い時間が過ぎていく。
(くそ、何か話を……。いきなり理由を聞くのは野暮だな。そうだ、あれがあった!)
「あの」
「あの」
いい話のネタを思いついたのだが、同時に口を開く。しばらく、どうぞどうぞと譲り合いをした。結局、霧みたいに儚い存在のように見えてアイリスのほうが強情っぽかった。俺のほうから話を始める。
「あー、差し入れ、ありがとう」
「差し入れ?」
「お礼だって言ってくれただろ」
「あ……大したものじゃなくて……」
「いや、うまかった。アンザック・ビスケットなんかはすぐになくなっちまった」
今のアイリスに、ユーカリ毒殺未遂事件について詰問はできない。それは改めて、元気になってからすることにしよう。ココナツジュースなどは本当に美味かったし、素直に礼を伝えた。すると、少し嬉しそうに、また作ってくれると約束してくれた。
「美味しいって言っていただけるなんて、初めてです」
「初めて? 差し入れをするのが初めてということなのか?」
「いえ……今まで、故郷で何を作っても、誰にも食べてもらえなかったんです」
美味い料理を作るのに、食べてもらえないとはどういうことなのか。誰にもということは、両親やきょうだい、それに婚約者もそうなのだろう。思ったよりも複雑そうな家庭事情を抱えてそうだ。
「人間は、他人の料理を食べないのか?」
「そうではなくて、わたくしの髪が白いから、わたくしが触れたものも呪われたり神様の不興を買ったりするなどと思われていて……」
そういえば、人間は白い髪の人間を恐れるんだったか。バカバカしい。獣人には白い髪の種族などごまんとある。サギ獣人やウサギ獣人、たまにトラ獣人にも珍しい白い髪の子が生まれるが、そんな色ごときで差別することはない。すっかり忘れていた。
ただ、アイリスにとっては重要なポイントなのだろう。話題のチョイスをミスったようだ。フォローするにも、なんと言えばいいのかなかなか思いつかなかった。
「あー、俺は、アイリスに触れたがどうもないぞ」
「はい……」
「ウォンたちだって、神様以上に元気だ」
「はい……」
「だから、人間の国でのことは知らんが、ここでは気にするな。な?」
「はい、ありがとうございます」
なんとも変な言葉が出てきた。けれど、アイリスは少し嬉しそうに笑みを浮かべたのである。何があったのかはわからないが、彼女は笑った顔が一番だと思う。
さっきまでの雰囲気ががらりと変わって、なんだか、ふたりの間に優しい空気が漂う。すると、ハリーと夫人がやってきて、選手交代となった。
ユーカリの木の俺の指定席に飛び乗り目を閉じる。まだまだ本調子じゃなさそうだが、少しだけ一安心できた。
(いい夢が見られそうだ……)
その日は、目が覚めるまで、誰かわからない女の子が作る料理を食べたり、本を読んだり、とても楽しい時間を過ごす夢を見た。
「先生……。ジョアンさんも来てくださったのですね。ご心配おかけしてすみません……」
「おい、大丈夫なのか? 早く寝るんだっ!」
無理して起きているのだ。慌ててベッドに横になるように、そーっと体を押した。
「ジョアンさん……?」
「瀕死なのに起きてるとか、滅茶苦茶焦ったぞ。いいから寝てろ」
「はい、ありがとうございます。でも、瀕死とかじゃないんですけど……」
「何を言ってるんだ。こんなにも白くなって、腕だって枯れ木のように細いじゃないか。やせがまんせず楽にしてろ!」
そーっとそーっと、幼い弟の昼寝の時にしたよりもソフトタッチを心掛けて掛布団越しにぽんぽん肩を叩く。それだけでも、アイリスの体は大きく波打つように揺れたので、ぱっと手を離した。
「わ、すまん。力加減が……!」
「ジョアンさん、あの、本当に大丈夫ですから」
「ジョアン、お前はアイリスのことを水クラゲか何かと勘違いしていないか? 魔法が使えなくても、多少は大丈夫なように人間はできている。アイリスは、もともと細身だったし、色も白かっただろ。それに、今は夜だから、余計にそう見えるだけだ」
そこで、ミストが呆れたように俺の肩を叩いた。水クラゲのほうが元気じゃないかと思えるほど、今のアイリスは重病人そのもののようだというのに。だが、ミストの言う事にも一理ある。心配だが、側にある椅子に誘導され座った。
「やれやれ。人間嫌いだからって、人間学をさぼるからそんな風にうろたえるんだ。来年度から、人間についてしっかり理解するように。それよりも、女子にむやみやたらに触れるな。まあ、アイリスはかわいいから気持ちはわからんでもないが、立派なセクハラだぞ」
「俺はそんなつもりじゃ!」
「セクハラだなんて。先生、ジョアンさんは本気で心配してくださっただけだってわかっていますから。それに、以前助けていただいた時も、必要以上に触れるような真似はされませんでした。今も肩くらいでしたし、そんな風に思いませんよ?」
「そうかそうか。ジョアン、アイリスが寛大な子で良かったな」
まさか、セクハラや痴漢と勘違いされるのかと肝が冷える。だが、アイリスは気にしていないようだ。ミストは、半分冗談のように言ったつもりだったのだろう。にやにや笑いながら、肘で小突いてきた。
「アイリス、ところでここにいたハリーはどこに行ったんだ?」
「ハリー先生は、女性のほうがいいだろうって、奥様を呼びに行ってくださいました」
「そうかそうか。リーモラ夫人が来てくれるのならありがたい」
ハリーには、理想の奥さんと名高い、美人の妻がいるという噂を聞いたことがある。その人が来るのなら、俺の出番はないんじゃないかと首をかしげたが、ミストは俺を帰すつもりはないようだった。
「アイリス、私は学園長に報告に行かないといけないんだ」
「わたくしのせいで、このような時間にご迷惑ばかりおかけして申し訳ございません」
「いや。生徒は、どんな事情をかかえる子でも学園の子供のようなものだから心配するな。ハリー先生が戻ってくるまで、ジョアンが側にいてくれるそうだから、何かあったら彼に頼むといい」
「ありがとうございます」
確かに、こんな真夜中にトラブルが起こったのだ。学園長にすぐに報告をしなければならない。ミストが出ていくのを見送った。
「……」
「……」
さて、困った。アイリスと俺はほぼ接点がない。何を話していいのかさっぱりわからんと、腕を組んだままじっとしてた。居心地の悪い時間が過ぎていく。
(くそ、何か話を……。いきなり理由を聞くのは野暮だな。そうだ、あれがあった!)
「あの」
「あの」
いい話のネタを思いついたのだが、同時に口を開く。しばらく、どうぞどうぞと譲り合いをした。結局、霧みたいに儚い存在のように見えてアイリスのほうが強情っぽかった。俺のほうから話を始める。
「あー、差し入れ、ありがとう」
「差し入れ?」
「お礼だって言ってくれただろ」
「あ……大したものじゃなくて……」
「いや、うまかった。アンザック・ビスケットなんかはすぐになくなっちまった」
今のアイリスに、ユーカリ毒殺未遂事件について詰問はできない。それは改めて、元気になってからすることにしよう。ココナツジュースなどは本当に美味かったし、素直に礼を伝えた。すると、少し嬉しそうに、また作ってくれると約束してくれた。
「美味しいって言っていただけるなんて、初めてです」
「初めて? 差し入れをするのが初めてということなのか?」
「いえ……今まで、故郷で何を作っても、誰にも食べてもらえなかったんです」
美味い料理を作るのに、食べてもらえないとはどういうことなのか。誰にもということは、両親やきょうだい、それに婚約者もそうなのだろう。思ったよりも複雑そうな家庭事情を抱えてそうだ。
「人間は、他人の料理を食べないのか?」
「そうではなくて、わたくしの髪が白いから、わたくしが触れたものも呪われたり神様の不興を買ったりするなどと思われていて……」
そういえば、人間は白い髪の人間を恐れるんだったか。バカバカしい。獣人には白い髪の種族などごまんとある。サギ獣人やウサギ獣人、たまにトラ獣人にも珍しい白い髪の子が生まれるが、そんな色ごときで差別することはない。すっかり忘れていた。
ただ、アイリスにとっては重要なポイントなのだろう。話題のチョイスをミスったようだ。フォローするにも、なんと言えばいいのかなかなか思いつかなかった。
「あー、俺は、アイリスに触れたがどうもないぞ」
「はい……」
「ウォンたちだって、神様以上に元気だ」
「はい……」
「だから、人間の国でのことは知らんが、ここでは気にするな。な?」
「はい、ありがとうございます」
なんとも変な言葉が出てきた。けれど、アイリスは少し嬉しそうに笑みを浮かべたのである。何があったのかはわからないが、彼女は笑った顔が一番だと思う。
さっきまでの雰囲気ががらりと変わって、なんだか、ふたりの間に優しい空気が漂う。すると、ハリーと夫人がやってきて、選手交代となった。
ユーカリの木の俺の指定席に飛び乗り目を閉じる。まだまだ本調子じゃなさそうだが、少しだけ一安心できた。
(いい夢が見られそうだ……)
その日は、目が覚めるまで、誰かわからない女の子が作る料理を食べたり、本を読んだり、とても楽しい時間を過ごす夢を見た。
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