完結R18 外れガチャの花嫁 

にじくす まさしよ

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絶望と切望のコアラ

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「アイリス、アイリス? おいっ、しっかりしろ!」

 ふたりで新年が明ける瞬間を祝っていた。大きな彗星が、まるで俺たちの仲を認めてくれているかのように、大きな尾をひく。これほど見事な天体ショーを見ることなど滅多にない。

 それを楽しんでいるとき、突然アイリスが苦しみだした。体中がけいれんをして突っ張り、全身から滝のような汗が流れだす。
 うまく言葉にならないのか、ひきつっている唇からは、聞いたこともない低い音が漏れた。

 震える指先が、俺に助けを求めているように思えてぎゅっと握りしめる。かろうじて、俺の名を繰り返す音だけが、耳に届いた。
 
 これまでも、人間のアイリスが死んでしまうかと思った時は数知れない。だが、今度こそ本当に、今にも天に召されそうに見えて、体の底からぞっと恐怖が這い上がってきた。

「お願いだから、目を開けてくれっ!」

「ジョアン、どうした!」
「これは、一体どうしたことなの?」

 おやじたちが、俺の叫びを聞いてやってきてくれた。俺の腕の中でぐったりしているアイリスの尋常ではない様子に息を飲む。

「わからない。ただ、ハンモックに寝そべって、空を見ていたんだ。そうしたら、アイリスが左手で彗星を指さしたら、こうなった。いったんは落ち着いたんだ。でも、ほっとする間もなく、どんどん状態が悪くなってしまって。おやじ、おふくろ、アイリスを助けてくれっ!」
「ジョアン、落ち着け。とにかく、呼吸を確保してあげるんだ。力いっぱい抱きかかえたその体勢では、余計に苦しい」

 こんな時に落ち着いてなどいられない。アイリスは人間だが、獣人医師免許を持っているおやじの指示に従った方がいい。アイリスの窮地に何もできない俺は、そっと彼女を冷たい床に横たわらせた。

 おやじが、アイリスの顎を少し上げる。胸の下に手をいれて、少しのけぞらせると、アイリスの唇の色が紫色からほんの少し桃色に戻った。

「ジョア……どこ?」
「ああ、ここだ。俺はここにいる」

 アイリスの、今にも消えそうな小さな声に、力いっぱい返事をした。聞こえているのかどうかはわからないが、手を握りながら、俺の元に戻ってこいと、声をかけ続ける。そうでもしないと、天に向かって行きそうだった。

「これは体よりも精神的なものだろう。ヒステリーのようなものかもしれん。だが、おかしい。落ち着かせるために鎮静剤を投与しても全く効果がないとは」
「ジョアン、アイリスは普段から睡眠薬やアルコールを摂取していたのかしら?」

「アイリスに限って、飲酒なんかするわけがねぇよ。それに、ほぼ徹夜で勉強に励んでいたんだ。眠り薬も飲んでねぇと思う」

「そうか……。アイリス、ちょっと強引な真似をするが、すまないね」

 おやじはそう言うと、アイリスの額に手を置いた。魔法で強制的に眠らせるつもりなんだろう。おやじは、一通り救助のための魔法を心得ているが、人間ほどうまく扱えない。それに、細かな術式なども専門外だからほとんど理解していないと言っていた。

 アイリスの脳に、慣れないおやじが無理やり鎮静の魔法をかければ、起きた時に酷い二日酔いのような症状に苦しむだろう。

「おやじ、それはちょっと」
「今は、意識を断ち切るほうが優先だ。恐らく、彼女の精神になんらかの魔法が働いている。原因は、その指輪だろう。そこから、よくわからない変なパワーを感じるからな」
「ええ。今まで気づかなかったけれど、私も感じるわ」

 俺たちは、人間のように繊細な魔法の痕跡などはわからない。ほとんど野生の勘と本能で危ういものを感じ取っている。俺は、指輪に意識を集中してみた。すると、おやじたちが言うように、指輪から悍ましい力を感じた。

「本当だ……。なんだこれ、気持ち悪い」

 去年、ミストに魔法を習うようになっていなければ、こんな風に気づかなかっただろう。

「これは、まるで呪いね。詳しく調べないとわからないけれど、どう考えても恐ろしいアイテムに違いないわ」
「こんなもの、見たくなかったな……それにしても、お前、ずっとアイリスの側にいたのに、この指輪がおかしいことに気が付かなかったのか?」

 おやじもおふくろも、得体のしれない指輪を見て神妙な面持ちをしている。おやじがこんな風に聞いてくるのも当たり前だろう。

「ああ。だって、それは、アイリスの元婚約者がアイリスに贈ったものだって聞いていたからそんな変なもんだとは思わねぇよ。それに、今までこういうことがなかったんだ。せいぜい、それを見て、その男を懐かしんでいたくらいだったし……」

 俺は、指輪を見て幸せそうに頬を赤らめて微笑むアイリスの姿を思い出して、ずきっと胸が痛んだ。ただ、それと同時に、命にかかわるようなアイテムをアイリスに渡した元婚約者に対して腸が煮えくり返りそうなほどの怒りが沸く。

「とにかく、指輪を外せばいいんだな?」
「ジョアン、待て!」

 苛立ちと怒りのまま、アイリスの指からアクアマリンの指輪もとこんやくしゃのこんせきを引き抜こうとした。だが、おやじから止められる。こういう呪いのような魔法が仕込まれたアイテムは、無理に外せばその人物が死に至るケースもあるという。

「昔、人間の国との戦争中に、人間はそういうアイテムを使って仲間を支配して、屈強な獣人たちと戦わせていたんだ。失敗したり裏切ったら即時に処刑できるようにもなっていたらしい。そういうアイテムは、無理やり外せないようにロックがかかっていてな、運よく死ななかったとしても、精神がずたずたになってしまう」
「ジョアン、私もこんなもの、すぐに外して粉々に握り潰したいわ。この指輪が必ずしもそうとは限らないけれど、魔法に詳しい人物に相談してからのほうがいいわね」
「そんな……」

 元婚約者は、なんだってそんなぶっそうなものをアイリスに渡したのか。それほど離したくない相手だったのだろうか。確かにアイリスは頑張り屋で可愛い。そいつが手放したくないのもわかるが、これはいきすぎた狂愛だろう。

「相手は、アイリスを束縛したいほど愛していたか、もしくは、アイリスの持っている財産かなにかを目当てにしていたか、でしょうね」
「アイリスは、絶縁される前は、侯爵家の後継者だったらしいな。おそらくは、このアイテムでアイリスを意のままに操って、侯爵家を思いのままにするつもりだったというほうがしっくりくる」

 ふたりとも、アイリスが人間の国で忌み嫌われている白い髪のことには触れなかった。意識を失っているとはいえ、そんなバカバカしい低俗な価値観はアイリスの側で話題に出すことではないからだろう。

「アイリス……」

 俺は、おやじの魔法で、やっと安らかな寝息を立て始めたアイリスを抱き上げた。服までびっしょり汗で濡れている。あの数分が、どれほど痛く、辛く、苦しかっただろう。

 代わってやれるものなら、代わってやりたかった。今だって、そんないわくつきの指輪を俺の指でよかったら代わりにつけてやりたい。

「おやじ、おふくろ。アイリスを寝かせてくる」
「ええ、そうしなさい」

 俺は、アイリスをベッドに寝かせた。気持ち悪いだろうから、大量の汗で濡れた服は、なるべく見ないようにして下着以外を脱がせた。

『大好き』

 アイリスが苦しみの中で囁いた、4文字の言葉。その前は、俺の名前を繰り返していたと思う。

(アイリス、目が覚めたら、お前に確かめたいことがあるんだ……)

 俺は、アイリスが大好きな姿になり、眠っている彼女の隣に滑り込む。そして、一晩中彼女が安眠できるように見守った。
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