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いつものように、伯爵夫人と一緒に昼食をとる。カトラリーの使い方から、食べる順番、指先の角度にいたるまで、すべてを監視されているため緊張して手が震える。
伯爵家自慢の、とてもおいしそうな料理が並んでいるというのに、みぞおちのあたりがシクシク痛んで、まったく食欲などわかなかった。
ぐるりと彼女を囲む侍女たちの視線は冷たく、身分が低く実家の力もお金もないパネルを、あからさまに馬鹿にしていた。
給仕するにも、本来であれば右からサーブするものを、わざと左からして、パネルが何も言わないのをいいことにやりたい放題。それを見た伯爵夫人は、サーブの方法が間違っているにも関わらず、それに対して侍女に何も言わないパネルに対してわざとらしくため息をつき、食事の手を止めて例の鞭をひとふり。
「はぁ、あなたときたら、三年も我が家にいるというのに、食事の基本すら覚えないんだから。こういう時は、給仕係が間違えそうになっている時点で、視線や小さな仕草でやんわりたしなめ、指導しなくてはならないというのに。いっこうにに孫もできそうにないし。まったく、最近じゃあカンソもあなたを妻にしたことを後悔しているのでは? だからあれほど、せめて子爵家のご令嬢じゃないとと言ったのに。あのね、普通はあなたからそっと身を引くものよ? 優しい息子の善意に甘えて。まったく、これだから、身分の低い者は。ずうずうしいったらないわね」
「も、申し訳ございません」
もしも、指摘通りに侍女をたしなめたらたしなめたで、難癖つけて鞭と小言がパネルに降りかかる。パネルが理解を求めて口を開こうが、マナーを守るために何をどうしようとしても、結果は変わらない。
一番、苦痛しかない時間とダメージが少ないのは、何もせず、謝罪することだと俯く。
そんなパネルの姿を見て、背後に控えている侍女たちがクスクス笑い出した。
その様子こそ、たしなめるべきなのだが、パキンは一切咎めようとしない。それどころか、彼女たちを焚き付けるように、同じ様に笑う。
「奥様が、あの鞭を使ってらっしゃるのは、変に傷でもついて、カンソ様に気づかれるのを防いでいるだけなのに、あの男爵令嬢ったら、まったく気づいてないんだから。クスクス」
「あーぁ、わたくしのほうが彼女よりも身分が上なのに、平民以下の名ばかり男爵令嬢が伯爵夫人になれるなんて、世の中まちがっているわ」
「それより、カンソ様ったら、全然あの男爵令嬢のところにいかないじゃない。ふふふ、そろそろ追い出されるんじゃない?」
侍女たちのそんなささやき声が、やけに大きく鮮明に耳に入る。
伯爵夫人にも聞こえているだろうに、パキンは侍女たちの言葉を聞こえていないふりをして、謝罪してうつむくパネルの様子に満足げに唇で弧の字を描く。
すでにカンソはパネルと顔を合わせるのも嫌がるほど彼女を嫌っている。彼女たちが言うまでもなく、そろそろ本当に離婚されるのかもしれないと、パネルは悲しくなり、痛む胃のあたりを手でさすった。
「あらあら、我がアルミフィン家のコックが心を込めて作った料理が気に入らないようね。そんなに食べたくなければ食べなくてもよろしくてよ。こんなにも美味しいのに、まるで生ごみを食べているかのように眉をしかめたりするなど、見ていて不愉快だわ。部屋に帰って休んでいたらどうかしら?」
パネルの料理は、一見、伯爵夫人と同じものが並んでいる。
だが、味がかなり変わっており、一口食べようとスプーンを近づけるだけで、鼻が曲がりそうなほどの生臭さがある。さらに、目が染みるほどの香辛料がふんだんに利用されていた。
その事実を、パキンが知っているのか知らないのか。おそらくは後者だろう。
「料理はどれも素晴らしいものです。けれど、少々体調が思わしくないようですので、お言葉に甘えて失礼いたします……」
涙が出そうになるのをなんとか堪える。最後のほうは震えており、ほとんど言葉になっていなかった。
ともすれば、もつれそうになる足を動かし部屋から出た瞬間、ダイニングの中で大きな歓声が沸き起こる。重く大きな扉越しにも、はっきりとパネルを悪しざまに言い合う声が届いた。
昼だというのに、外は厚く暗い雲に覆われて空の青と金色の輝きを隠している。次期伯爵夫人である彼女に付き従う者など誰もいない薄暗い廊下で、小さな嗚咽を漏らしながら、その場所から離れたのであった。
伯爵家自慢の、とてもおいしそうな料理が並んでいるというのに、みぞおちのあたりがシクシク痛んで、まったく食欲などわかなかった。
ぐるりと彼女を囲む侍女たちの視線は冷たく、身分が低く実家の力もお金もないパネルを、あからさまに馬鹿にしていた。
給仕するにも、本来であれば右からサーブするものを、わざと左からして、パネルが何も言わないのをいいことにやりたい放題。それを見た伯爵夫人は、サーブの方法が間違っているにも関わらず、それに対して侍女に何も言わないパネルに対してわざとらしくため息をつき、食事の手を止めて例の鞭をひとふり。
「はぁ、あなたときたら、三年も我が家にいるというのに、食事の基本すら覚えないんだから。こういう時は、給仕係が間違えそうになっている時点で、視線や小さな仕草でやんわりたしなめ、指導しなくてはならないというのに。いっこうにに孫もできそうにないし。まったく、最近じゃあカンソもあなたを妻にしたことを後悔しているのでは? だからあれほど、せめて子爵家のご令嬢じゃないとと言ったのに。あのね、普通はあなたからそっと身を引くものよ? 優しい息子の善意に甘えて。まったく、これだから、身分の低い者は。ずうずうしいったらないわね」
「も、申し訳ございません」
もしも、指摘通りに侍女をたしなめたらたしなめたで、難癖つけて鞭と小言がパネルに降りかかる。パネルが理解を求めて口を開こうが、マナーを守るために何をどうしようとしても、結果は変わらない。
一番、苦痛しかない時間とダメージが少ないのは、何もせず、謝罪することだと俯く。
そんなパネルの姿を見て、背後に控えている侍女たちがクスクス笑い出した。
その様子こそ、たしなめるべきなのだが、パキンは一切咎めようとしない。それどころか、彼女たちを焚き付けるように、同じ様に笑う。
「奥様が、あの鞭を使ってらっしゃるのは、変に傷でもついて、カンソ様に気づかれるのを防いでいるだけなのに、あの男爵令嬢ったら、まったく気づいてないんだから。クスクス」
「あーぁ、わたくしのほうが彼女よりも身分が上なのに、平民以下の名ばかり男爵令嬢が伯爵夫人になれるなんて、世の中まちがっているわ」
「それより、カンソ様ったら、全然あの男爵令嬢のところにいかないじゃない。ふふふ、そろそろ追い出されるんじゃない?」
侍女たちのそんなささやき声が、やけに大きく鮮明に耳に入る。
伯爵夫人にも聞こえているだろうに、パキンは侍女たちの言葉を聞こえていないふりをして、謝罪してうつむくパネルの様子に満足げに唇で弧の字を描く。
すでにカンソはパネルと顔を合わせるのも嫌がるほど彼女を嫌っている。彼女たちが言うまでもなく、そろそろ本当に離婚されるのかもしれないと、パネルは悲しくなり、痛む胃のあたりを手でさすった。
「あらあら、我がアルミフィン家のコックが心を込めて作った料理が気に入らないようね。そんなに食べたくなければ食べなくてもよろしくてよ。こんなにも美味しいのに、まるで生ごみを食べているかのように眉をしかめたりするなど、見ていて不愉快だわ。部屋に帰って休んでいたらどうかしら?」
パネルの料理は、一見、伯爵夫人と同じものが並んでいる。
だが、味がかなり変わっており、一口食べようとスプーンを近づけるだけで、鼻が曲がりそうなほどの生臭さがある。さらに、目が染みるほどの香辛料がふんだんに利用されていた。
その事実を、パキンが知っているのか知らないのか。おそらくは後者だろう。
「料理はどれも素晴らしいものです。けれど、少々体調が思わしくないようですので、お言葉に甘えて失礼いたします……」
涙が出そうになるのをなんとか堪える。最後のほうは震えており、ほとんど言葉になっていなかった。
ともすれば、もつれそうになる足を動かし部屋から出た瞬間、ダイニングの中で大きな歓声が沸き起こる。重く大きな扉越しにも、はっきりとパネルを悪しざまに言い合う声が届いた。
昼だというのに、外は厚く暗い雲に覆われて空の青と金色の輝きを隠している。次期伯爵夫人である彼女に付き従う者など誰もいない薄暗い廊下で、小さな嗚咽を漏らしながら、その場所から離れたのであった。
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