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ついこの間まで汗ばむほどの気温だったのに、ここ数日気温がぐっと下がり肌寒い。うっかり春の装いをしようものなら、手足が氷のように冷たくなる。
ひとりで眠るベッドの掛布団だけでは、氷のように冷たくなった足がつらくてなかなか眠れない。体を縮こまらせ、少しでも暖を取ろうと、薄い掛け布団の中に潜り込む。
「うー、寒い。先週が掛布団がいらないくらいだったからって、冬用の掛布団を片付けるのを待ってもらえばよかったわ」
アルミフィン伯爵の後継者であるカンソと結婚して3年。次期伯爵夫人である彼女は、侍女に部屋を暖めるための魔法石を用意させることのできる立場ではある。
名目上は……。
実際は、現伯爵夫人である義母が実験を握っているため、夫に結婚初日から放置されている彼女の肩身は狭い。
義母は、もともと彼とパネルの結婚を反対していた。だが、後継者であるカンソが、義母たちの言葉を歯牙にもかけず、貧乏男爵令嬢であったパネルを見初めて、ほぼ強引に結婚の話を進めたのだ。
「平民よりも貧乏で借金まみれで、下働きよりも質素な、流行おくれのぼろ布を着た令嬢なんて、この家にふさわしくない……。か」
伯爵夫妻に顔合わせた瞬間言われた言葉は、もう数えきれないほど何度も彼らの口から放たれ、そのたびに彼女の胸を傷つけた。身分不相応だとののしられ、時に無視され、侍女たちと馬鹿にして笑い合う。
伯爵家の人間に備わっていないマナーが出来ない時には、ピシリと鞭を手のひらに打たれた。その鞭は、先がふわふわの起毛で覆われており、けがをしないように配慮されている。世間体のためか、根が優しいと夫が言っていた性格が本当なのか、伯爵夫人の胸のうちはわからない。そこまで酷い虐待はしたくないのか、痛みはほとんどない。本来なら、先がとがった、硬めの撓る鞭で、作法を失敗したときには手やおしりを叩くのがこの国の貴族の教育方針なのだから感謝しろとでも言いたげに、恩着せがましくパネルに鞭うつごとに説明された。
「わたくしの家からすれば、雲の上のまた向こう側である伯爵家にふさわしくないなんて、わたくしが一番知ってるわ……」
鼻の頭がツンと痛い。熱くなって、ずずっと息を吸うとみっともない音が鳴る。
「カンソさま……。お仕事が大変なのは、わかっています。だけど……」
突然、一目ぼれしたんだと求婚されたのがきっかけだ。最初は身分違いを理由に断りをいれていたが、彼の真剣なまなざしと誠意ある態度に、彼女と家族が最終的にうなづいたのである。
彼との結婚に際して、身分差や様々な事に不安がるパネルに、「私が君を守るから、安心して暮らしてほしい。なぁに、私の家の者はみんな気のいい人たちばかりだから心配なんていらないよ」と言っていた夫は、たまに帰ってきても別室で休むし、彼女をかばったことなど一度もなかった。
「わたくしが、いたらなさすぎるから、お義母さまたちの指導を曲解して卑屈に取っているだけなの……?」
彼の母親の悪口を言いたくはない。嫁いできて1年、自分さえ努力すればいつか認められると我慢していた。だが、何も失敗していないのに難癖のように鞭をふるわれた日、パネルは、勇気をふりしぼって自分がされたことをカンソに冷静に説明した。
すると、「母上が、君を鞭で打って、床に倒れた君をみんなで楽しそうに嘲り笑って見ていただって? 母上は、虫を始末するのも嫌がるんだよ。侍女や下働きの使用人たちにも優しい母上が、君に酷い言動を繰り返すなんて信じられない。何かの行き違いじゃないのか? それに、なんで一年もの間黙っていたんだ」と、まるでパネルが嘘を言っているかのように義母や使用人たちの肩を持つ始末。
そのやり取りが5回目になるころには、カンソはパネルの訴えそのものを嫌がるようになり、彼女が口を開こうとすれば長い溜息を吐いた。パネルは唯一の味方であると信じていた彼にすら、何も相談することができなくなり、伯爵家で完全に孤立したのである。
せめて、優しい言葉や励ましがあれば、ここまで酷く悲しい気持ちにならなかっただろう。だが、ほかならぬ夫のその態度が、彼を信じて妻になった彼女の気持ちを深く傷つけたのである。
ひとりで眠るベッドの掛布団だけでは、氷のように冷たくなった足がつらくてなかなか眠れない。体を縮こまらせ、少しでも暖を取ろうと、薄い掛け布団の中に潜り込む。
「うー、寒い。先週が掛布団がいらないくらいだったからって、冬用の掛布団を片付けるのを待ってもらえばよかったわ」
アルミフィン伯爵の後継者であるカンソと結婚して3年。次期伯爵夫人である彼女は、侍女に部屋を暖めるための魔法石を用意させることのできる立場ではある。
名目上は……。
実際は、現伯爵夫人である義母が実験を握っているため、夫に結婚初日から放置されている彼女の肩身は狭い。
義母は、もともと彼とパネルの結婚を反対していた。だが、後継者であるカンソが、義母たちの言葉を歯牙にもかけず、貧乏男爵令嬢であったパネルを見初めて、ほぼ強引に結婚の話を進めたのだ。
「平民よりも貧乏で借金まみれで、下働きよりも質素な、流行おくれのぼろ布を着た令嬢なんて、この家にふさわしくない……。か」
伯爵夫妻に顔合わせた瞬間言われた言葉は、もう数えきれないほど何度も彼らの口から放たれ、そのたびに彼女の胸を傷つけた。身分不相応だとののしられ、時に無視され、侍女たちと馬鹿にして笑い合う。
伯爵家の人間に備わっていないマナーが出来ない時には、ピシリと鞭を手のひらに打たれた。その鞭は、先がふわふわの起毛で覆われており、けがをしないように配慮されている。世間体のためか、根が優しいと夫が言っていた性格が本当なのか、伯爵夫人の胸のうちはわからない。そこまで酷い虐待はしたくないのか、痛みはほとんどない。本来なら、先がとがった、硬めの撓る鞭で、作法を失敗したときには手やおしりを叩くのがこの国の貴族の教育方針なのだから感謝しろとでも言いたげに、恩着せがましくパネルに鞭うつごとに説明された。
「わたくしの家からすれば、雲の上のまた向こう側である伯爵家にふさわしくないなんて、わたくしが一番知ってるわ……」
鼻の頭がツンと痛い。熱くなって、ずずっと息を吸うとみっともない音が鳴る。
「カンソさま……。お仕事が大変なのは、わかっています。だけど……」
突然、一目ぼれしたんだと求婚されたのがきっかけだ。最初は身分違いを理由に断りをいれていたが、彼の真剣なまなざしと誠意ある態度に、彼女と家族が最終的にうなづいたのである。
彼との結婚に際して、身分差や様々な事に不安がるパネルに、「私が君を守るから、安心して暮らしてほしい。なぁに、私の家の者はみんな気のいい人たちばかりだから心配なんていらないよ」と言っていた夫は、たまに帰ってきても別室で休むし、彼女をかばったことなど一度もなかった。
「わたくしが、いたらなさすぎるから、お義母さまたちの指導を曲解して卑屈に取っているだけなの……?」
彼の母親の悪口を言いたくはない。嫁いできて1年、自分さえ努力すればいつか認められると我慢していた。だが、何も失敗していないのに難癖のように鞭をふるわれた日、パネルは、勇気をふりしぼって自分がされたことをカンソに冷静に説明した。
すると、「母上が、君を鞭で打って、床に倒れた君をみんなで楽しそうに嘲り笑って見ていただって? 母上は、虫を始末するのも嫌がるんだよ。侍女や下働きの使用人たちにも優しい母上が、君に酷い言動を繰り返すなんて信じられない。何かの行き違いじゃないのか? それに、なんで一年もの間黙っていたんだ」と、まるでパネルが嘘を言っているかのように義母や使用人たちの肩を持つ始末。
そのやり取りが5回目になるころには、カンソはパネルの訴えそのものを嫌がるようになり、彼女が口を開こうとすれば長い溜息を吐いた。パネルは唯一の味方であると信じていた彼にすら、何も相談することができなくなり、伯爵家で完全に孤立したのである。
せめて、優しい言葉や励ましがあれば、ここまで酷く悲しい気持ちにならなかっただろう。だが、ほかならぬ夫のその態度が、彼を信じて妻になった彼女の気持ちを深く傷つけたのである。
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