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37 ケープペンギンは天に向かってなく ②

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 ゼファーが神殿で倒れてしまった。

「いやあ、ゼファー、ゼファー!」

 あれほど苦しそうにしていたのに、今は、床に寝そべり微動だにしない。目を瞑っている顔は、穏やかに寝ている人のものではなく、どことなく生命力を感じないほど青白い。
 いくら名前を呼んでも、いつものように優しく私に微笑んで「カレン」と呼んではくれないのだ。


 愛しい人の鼓動はきちんと伝わって来る。呼吸も、手の平を当てれば感じる。きっと大丈夫だ。

 だけど、


どくん、どくん、どくん、どくん


 と、やけにゆっくり鼓動を刻むゼファーの心臓の音が、私の心をあざ笑うかのように小さくなっていく。このまま彼がどうにかなるだなんて考えたくない。

「ゼファー、目をあけて、お願いよ……。うう、どうしたというの?」

 私が泣きながら、ゼファーの胸に耳を当てて心臓の音を聞くように縋り付いていると、パーシィ様が私の肩にそっと手を当てた。

「カレン、落ち着け。ゼファー殿は今、身の内にある魔力の変換が行われているため身体機能が落ちているだけだ。それが落ち着けば目を開けるだろう」

「どういう事なんですか? パーシィ様、ゼファーは大丈夫なんですか?」

「ああ。ゼファー殿の体の中にある、異分子の存在のせいでせき止められていた魔力が、さきほど神の祝福により開放されたのだ。ただ……」

「ただ……?」

「ゼファー殿の魔力はけた違いだ。このまま放置すれば、魔力の濁流に体が持たない。カレン、私も神官たちもゼファー殿を守りたい。私たちを信じて、彼の身柄を預けてはくれないか?」

 その時、知らせを聞いたゼクスとシビルが神殿に来てくれた。ふたりは意識のないゼファーを見て愕然としたようだ。

「……カレン、僕は治療系の魔法が苦手なんだ。この国随一の実力を誇る彼らに任せよう。大丈夫、きっとゼファーはカレンや僕たちの所に帰って来てくれる」

「ゼファー、お前の、俺たちのカレンをこんなに泣かせた責任は元気になったら取ってもらうからな。すぐに戻ってこい」

 ゼファーが神官たちにつれられて治療の部屋に移動させられた。私はゼファーの側で彼の手を握っていたいけれど、そうするとゼファーの魔力を鎮めるための治療が出来ないらしい。

 私は少し離れた所で、パーシィ様たちが不眠不休で3日間ゼファーに何かの魔法をかけ続けるのを祈るように見ている事しかできなかった。


 4日目の朝、朝日が昇り始め、部屋の窓から眩い朝焼けの光が差し込んできた。

「う……、カレン……」

 それまで、何の反応も見せなかったゼファーが私の名前を呼んでくれた。見れば、パーシィ様たちが安堵の表情で笑っている。

「カレン、もう大丈夫だ。ゼファーの側に行っておあげ」

 パーシィ様が、微笑みながら私にそう言ってくれた瞬間、彼が倒れてから私の心を穴だらけにしようとする得体のしれない不安が、さあっと少しずつ消えていくのを感じた。

「ゼファー、ゼ、ファぁ……私はここだよ。グス」

 この世界に来てから、やっぱり泣き虫になった私は、さっきまでとは違う温もりを持つそれを流す。体中が震えていて、足がもつれた。すぐに彼の元に行きたいのに行けない。
 ゼクスとシビルがそっと私を立たせて、私を呼び続けるゼファーの側に連れて来てくれた。

「ぜ、ふぁ。ぜふぁああああ!」

「カレン、どうしました? 泣いているのですか?」

 私は大声で彼の名を呼びながら、仰向けで寝そべったままの彼の胸に縋った。すると、ゼファーが私の頭を撫でながら呑気にそんな風に言った。

「ゼファー、泣かせたのはあなただよ。おかえり」

「やっと戻って来たか。心配したぞ」

 ゼクスとシビルも私の肩や背中をなぐさめるように擦りながら、ゼファーに声をかける。

 周囲にもたくさんの神官たちがいるから、ゼファーは何が起こったのかわけがわからないといった感じで戸惑っていたのである。


※※※※


 騒動が収まった後、パーシィ様から今回の事を詳しく聞いた。

 すでに私も落ち着いていて、さっきまで倒れていたというのに元気にピンピンしているゼファーの膝の上に抱っこされている。恥ずかしいから降りるって言っても、こういう時の夫たちは誰も私を降ろしてくれない。

 そんなゼファーの左右に、ゼクスとシビルが並んで座っている。

 駆けつけてくれた先輩たちや、ゼファーの家族も揃っていて、先ずは、全員が衝撃を受けた真実を語ってくれた。

「ゼファー殿、身の内の魔力の質が変わったのを感じているだろう? 本性になれるから、変身してみないか?」

 その言葉に一番驚いていたのはゼファーだ。目を大きく見開き、口を軽く開けて息も忘れているかのように止まっていた。

 私と先輩はこの世界の存在じゃないから、説明されていても本性になれない彼や義両親の苦しみや悲しみがぴんとこない部分もある。
 彼が本性になれない事で、どれほどの苦難があったなんて、具体的には誰も言ってくれなかったし、痛ましく悲しい過去を背負ってきていたんだろうなと、そんな風に思っていた。

 普段微笑んであまり感情を露わにしないゼファーが泣きそうな顔で、不安そうに私をぎゅっと抱きしめたまま微動だにしないから、私が思うよりももっと辛かったのかと改めて感じた。

「ゼファー、パーシィ様のお言葉通りだと思う。確かに、まるで別人というか、生まれ変わったかのような力を僕も感じる。本性への変身を試みるといいと思うよ」

 私には、ゼファーにかける言葉が見つからなかった。だから、ぎゅって抱き着いてゼファーをじーっと見つめた。

 すると、暫くの間逡巡していた彼が、決意したかのように私にキスをすると、私を第一夫であるゼクスにそっと移動させた。

 ゆっくり立ち上がり、全員が固唾を飲んで見守る中、ゼファーが目を閉じた瞬間、彼の身長が縮んでいった。体全体が縮小し、手足が短くなっていく。

 そして、人化状態で着ていた洋服を煩わしそうに、小さな羽で取り除こうとする黒と白の小さなペンギンがそこにいたのであった。

「ゼファー……!」

 義母が、口に手を当てて涙を流している。

 長年、ゼファーの次に辛い思いを抱えていたのは彼を産んで慈しみ育てて来た彼女だろう。
 本性になれない事は、「欠陥品」「出来損ない」も同然なのだという。本人にはどうする事も出来ないというのに。それでも、異質なものを排除しようとする人は後を絶たなかったらしい。
 だから、ゼファーには私と会うまで女の子がいなかったし、親戚の中にも微妙な視線で見て来る人だっていた。
 近しい人たちはそんな事はないけれど、もっとあからさまに色々な言動を投げつける人もいただろう。

 でも、彼はそんな事私には一言も言わなかったし、ほんの少しの欠片も見せなかった。そんな彼の今の気持ちが、私にわかるはずがないのだ。

「ぴ……ぴぃ……ぴぴぃ!」

 ゼファーが、小さな羽をパタパタさせて、自分の体を見下ろす。小さく、戸惑うかのような鳴き声が、ゆっくり大きくなっていった。

「ゼファー……」

 私は、おめでとうとも、良かったねとも言えなかった。思いつく安易な言葉は、今の彼にどれも相応しいものでも、私が言うべきものでもないと思ったから。


 全員が見守る部屋の中を、ふらふらあっち行き、こっち行きしながら彼がよちよち歩く。

 義母が、そんなゼファーの側に駆け寄り思いきり抱き締めると、彼は彼女にすがるようにぴぃぴぃ鳴いていた。


 ゼファーはその後一目散に私の所に来て、足元から見上げた。私は、ゼクスの膝から降りて、彼と視線を合わせるようにしゃがむ。

 暫く言葉もなく見つめ合うと、ゼファーが両方の羽を広げて抱っこをせがんで来ているかのようなポーズをする。私は、膝を床につけて彼を包み込むように抱きしめた。

 小さな鳴き声が私の耳に沢山届く。なんて言っているのか私にはわからない。でも、彼の今の気持ちの半分もその声では表されていないんだろうなと思った。

 通訳なんていらない。今、こうして彼が無事でいて、しかも本性を取り戻す事が出来た事が全てだ。


 ゼファーが身じろぎをしたから立ち上がった。中腰のまま彼の小さな羽にそっと手を当てて、彼が行きたがるほうに一緒に移動する。


 彼は、大きな窓の近くで立ち止まった。私がテラスに続くその窓を大きく開くと、彼が急いでヨチヨチお尻を振りながらテラスに出た。


「ぴぃー! ぴぃー! ぷわああああ!」


 そして、彼は天に昇った太陽に向かって、まるでそこまで届けと言わんばかりに甲高く鳴いたのであった。




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