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ウェルは、大切な主をデートに誘うたびに変にさせるウォーレンに不満が溜まっていた。呪術を使いそうなほど、剣呑な雰囲気と低い声音が暗い部屋に響く。もはや、呆れすぎて笑い声しか出なかった。
「ふ、ふふふ、ふふふふふ……」
「ウェル? 落ち着いて、ね?」
「お嬢様、ウェルがこうなってしまうのも、全てあの男のせいです。しばらくすれば、いつものように落ち着きますから放っておきましょう」
「ルーシェったら。あのね、ウォーレン様と私は、もうすぐ結婚するの。前世では、結婚前に子供だって生まれるなんてめずらしくなかったのよ。私も、その、彼との……が、嬉しいし。あ、でも、そういうのまでは、まだだから大丈夫よ。だから、彼のことを怒らないで」
ほぼ錯乱状態のように怒り心頭のガソリンに、アイーシャはたっぷりのオイルという燃料を投下した。アイーシャを、かくんと首を傾けてみたウェルに、彼女の首筋に桃色の花がいくつか咲いているのが見えた。
ぷっつん──
ウォーレンとアイーシャが会うたびに切れたウェルの糸が、一際大きくはじけ飛んだ音がしたような気がする。
「毎回、毎回毎回、毎回毎回毎回、あの男には、節度というものがないんですかああああ!」
「ウェル落ち着いて。このくらいは化粧でいくらでも誤魔化せるから」
ウェルの手に持つオイルの瓶が、ぱきぱき音を立ててひびが入る。アイーシャは、なんとかなだめようとするが、ルーシェの言う通り、自然と鎮火するのを待つ以外に方法はなさそうだ。
「私だって、男女のアレコレに文句は言いたくはないですって。やつに好き放題させているお嬢様もお嬢様です。結婚式まで日がないのですよ? それなのに、前のあざが消えかかったらまた増やして。どうしてくれようか。ウォンバットの尖った上下の歯が見える、少し開けっぱなしのちっこい口が悪いんですかね? なら、あの口にファスナーを取り付けましょうか? いっそ、ウォンバットの丸焼きなんてどうですかね? 美味しいかもしれません。知りませんけど」
「ウェル、それは絶対にダメ。そもそも、ウェルじゃあウォーレン様に敵いっこないから返り討ちよ。それに、ウォンバットは固太りだから、美味しくないと思うわ。たぶんだけど」
「お嬢様、そういう問題では……。確かに美味しくはなさそうですけど」
ウォーレンの仕事が落ち着き、これまでの埋め合わせをするようにふたりはデートした。もうすぐ行われる結婚式の準備といえば、ふたりの肌や体調、それに体型維持のメンテナンスくらいである。毎夜、アイーシャの全身マッサージを入念に行うたびに繰り広げられていた。
いくつかの夜を越え、欠けた月が完全な円を描く。その姿は、暗闇を照らす月の女神が、まるで太陽のように明るく地上を照らしているかのようなほど美しい。それは、周囲の星々を隠すほどの見事な空の鏡そのもの。
貴族だけでなく、王族や他国の貴賓が集まるため、日中ではなく夜に開始することになったふたり式を、天が祝福しているかのようだった。
アイーシャは、前世では縁のなかった純白のドレスに身を包んでいた。王族たちが使う、大聖堂の大きな扉はの前まで歩くと、愛しい人が同じ色の騎士服を纏っているのが見えた。
前世でよく知っていた結婚式とは様式が違い、父はすでに中の最前列の席で彼女を待っている。
「アイーシャ、きれいだ……」
いつもアイーシャが撫でる少し硬めの髪は、オールバックにしている。寡黙な彼にしてみれば、最大限努力した賛辞の言葉を受け、アイーシャはどくんと胸が高鳴る。
大きな手が、彼女だけに差し出された。
これから、ふたり一緒に大聖堂に入る。今になって緊張が体を支配して、うまく足を動かせなくなった。
「アイーシャ、来い」
「はい」
彼は自分を傷つけない。世界中の何者からも、全てをかけて守ってくれる。誰よりも愛しい人に、一歩、また一歩と近づいた。
ウォーレンの手に漸くたどり着いた。後方に控えるウェルたちが、うやうやしく頭を下げて、アイーシャをウォーレンに託す。
ウォーレンが、ともすればふらつきそうになるアイーシャを、その腕一本でしっかり支えてくれる。しっかり前を向き、静かに開いていく扉の奥を見つめた。
ふたりの登場に、参列者たちの視線が一斉に集まる。王族も参加しているので、仕事中の騎士たちは彼らに拍手ができないが、その表情は祝福を述べているのがわかった。
アイーシャが、歩くために、ふんわりしたドレスの裾を軽くつま先で踊らせると、きらきらと星屑のような光がうまれた。幻想的で美しいそれらは、王妃が特別にあつらえてくれたドレスの仕掛けだった。小さいが本物のダイヤが、おしげもなく張り付けられており、そのダイヤが落ちていくのだ。
参列者は、床に転がった星々のかけらが、ダイヤだと知ると驚愕した。この結婚式は、この国の両陛下が全てプロデュースしたのは知らない者がいないほど有名な話だ。
今日は、国民にも酒や料理が振舞われ、祭りが開催されている。月の明かりに負けないほどの大輪の花火も上がっていた。
数時間のために、どれほどの財が使われているのか計り知れず、それが生み出す経済効果は、小さな国がひとつ買えるほどだろう。
大聖堂の中央で、一介の貴族の結婚式には出ない大司教が待っていた。彼の長い祝福とふたりの誓いの言葉が終わると、夕食時の国中に鐘の音が鳴り響く。参列していない人々の中には、今日の結婚式が誰の者かわかっていない者もいるが、エールやジュースの入ったジョッキやグラスを高く上げて祝福の言葉を口々に叫んだ。
ウォーレンが、アイーシャを横抱きにした。そして、誰も見たことがないような優しい笑みを浮かべて彼女を見つめる。アイーシャの瞳には、ウォーレンだけが映っていた。大勢いるのに、世界にぽつんとふたりきりのように感じる。
「義父上、義母上。以前申し上げたように、アイーシャを、この世界だけでなく元の世界の誰よりも幸せにしてみせることを、改めて誓います」
その言葉に、アイーシャは彼に抱き着いた。太く逞しい首にしがみつき、涙ぐむ両親に向かって、瞳を潤ませながらも満面の笑顔で彼の言葉に続く。
「お父様、お母様、そして、今日を祝福してくださる皆様、私、ウォーレン様の妻として、精一杯ふたり一緒に幸せになると誓います!」
彼女のその言葉は、妻はただ夫に仕えて守られることが当然であり、妻が主導的に夫を幸せにするなど考えられなかったこの世界で、女性たちの心に大きな衝撃を生んだ。
数年後、神の愛子が現れる時代には、世界にとって大きな変化をもたらしたことを記した歴史書に、アイーシャの言葉という新たなページを作ったのであった。
「ふ、ふふふ、ふふふふふ……」
「ウェル? 落ち着いて、ね?」
「お嬢様、ウェルがこうなってしまうのも、全てあの男のせいです。しばらくすれば、いつものように落ち着きますから放っておきましょう」
「ルーシェったら。あのね、ウォーレン様と私は、もうすぐ結婚するの。前世では、結婚前に子供だって生まれるなんてめずらしくなかったのよ。私も、その、彼との……が、嬉しいし。あ、でも、そういうのまでは、まだだから大丈夫よ。だから、彼のことを怒らないで」
ほぼ錯乱状態のように怒り心頭のガソリンに、アイーシャはたっぷりのオイルという燃料を投下した。アイーシャを、かくんと首を傾けてみたウェルに、彼女の首筋に桃色の花がいくつか咲いているのが見えた。
ぷっつん──
ウォーレンとアイーシャが会うたびに切れたウェルの糸が、一際大きくはじけ飛んだ音がしたような気がする。
「毎回、毎回毎回、毎回毎回毎回、あの男には、節度というものがないんですかああああ!」
「ウェル落ち着いて。このくらいは化粧でいくらでも誤魔化せるから」
ウェルの手に持つオイルの瓶が、ぱきぱき音を立ててひびが入る。アイーシャは、なんとかなだめようとするが、ルーシェの言う通り、自然と鎮火するのを待つ以外に方法はなさそうだ。
「私だって、男女のアレコレに文句は言いたくはないですって。やつに好き放題させているお嬢様もお嬢様です。結婚式まで日がないのですよ? それなのに、前のあざが消えかかったらまた増やして。どうしてくれようか。ウォンバットの尖った上下の歯が見える、少し開けっぱなしのちっこい口が悪いんですかね? なら、あの口にファスナーを取り付けましょうか? いっそ、ウォンバットの丸焼きなんてどうですかね? 美味しいかもしれません。知りませんけど」
「ウェル、それは絶対にダメ。そもそも、ウェルじゃあウォーレン様に敵いっこないから返り討ちよ。それに、ウォンバットは固太りだから、美味しくないと思うわ。たぶんだけど」
「お嬢様、そういう問題では……。確かに美味しくはなさそうですけど」
ウォーレンの仕事が落ち着き、これまでの埋め合わせをするようにふたりはデートした。もうすぐ行われる結婚式の準備といえば、ふたりの肌や体調、それに体型維持のメンテナンスくらいである。毎夜、アイーシャの全身マッサージを入念に行うたびに繰り広げられていた。
いくつかの夜を越え、欠けた月が完全な円を描く。その姿は、暗闇を照らす月の女神が、まるで太陽のように明るく地上を照らしているかのようなほど美しい。それは、周囲の星々を隠すほどの見事な空の鏡そのもの。
貴族だけでなく、王族や他国の貴賓が集まるため、日中ではなく夜に開始することになったふたり式を、天が祝福しているかのようだった。
アイーシャは、前世では縁のなかった純白のドレスに身を包んでいた。王族たちが使う、大聖堂の大きな扉はの前まで歩くと、愛しい人が同じ色の騎士服を纏っているのが見えた。
前世でよく知っていた結婚式とは様式が違い、父はすでに中の最前列の席で彼女を待っている。
「アイーシャ、きれいだ……」
いつもアイーシャが撫でる少し硬めの髪は、オールバックにしている。寡黙な彼にしてみれば、最大限努力した賛辞の言葉を受け、アイーシャはどくんと胸が高鳴る。
大きな手が、彼女だけに差し出された。
これから、ふたり一緒に大聖堂に入る。今になって緊張が体を支配して、うまく足を動かせなくなった。
「アイーシャ、来い」
「はい」
彼は自分を傷つけない。世界中の何者からも、全てをかけて守ってくれる。誰よりも愛しい人に、一歩、また一歩と近づいた。
ウォーレンの手に漸くたどり着いた。後方に控えるウェルたちが、うやうやしく頭を下げて、アイーシャをウォーレンに託す。
ウォーレンが、ともすればふらつきそうになるアイーシャを、その腕一本でしっかり支えてくれる。しっかり前を向き、静かに開いていく扉の奥を見つめた。
ふたりの登場に、参列者たちの視線が一斉に集まる。王族も参加しているので、仕事中の騎士たちは彼らに拍手ができないが、その表情は祝福を述べているのがわかった。
アイーシャが、歩くために、ふんわりしたドレスの裾を軽くつま先で踊らせると、きらきらと星屑のような光がうまれた。幻想的で美しいそれらは、王妃が特別にあつらえてくれたドレスの仕掛けだった。小さいが本物のダイヤが、おしげもなく張り付けられており、そのダイヤが落ちていくのだ。
参列者は、床に転がった星々のかけらが、ダイヤだと知ると驚愕した。この結婚式は、この国の両陛下が全てプロデュースしたのは知らない者がいないほど有名な話だ。
今日は、国民にも酒や料理が振舞われ、祭りが開催されている。月の明かりに負けないほどの大輪の花火も上がっていた。
数時間のために、どれほどの財が使われているのか計り知れず、それが生み出す経済効果は、小さな国がひとつ買えるほどだろう。
大聖堂の中央で、一介の貴族の結婚式には出ない大司教が待っていた。彼の長い祝福とふたりの誓いの言葉が終わると、夕食時の国中に鐘の音が鳴り響く。参列していない人々の中には、今日の結婚式が誰の者かわかっていない者もいるが、エールやジュースの入ったジョッキやグラスを高く上げて祝福の言葉を口々に叫んだ。
ウォーレンが、アイーシャを横抱きにした。そして、誰も見たことがないような優しい笑みを浮かべて彼女を見つめる。アイーシャの瞳には、ウォーレンだけが映っていた。大勢いるのに、世界にぽつんとふたりきりのように感じる。
「義父上、義母上。以前申し上げたように、アイーシャを、この世界だけでなく元の世界の誰よりも幸せにしてみせることを、改めて誓います」
その言葉に、アイーシャは彼に抱き着いた。太く逞しい首にしがみつき、涙ぐむ両親に向かって、瞳を潤ませながらも満面の笑顔で彼の言葉に続く。
「お父様、お母様、そして、今日を祝福してくださる皆様、私、ウォーレン様の妻として、精一杯ふたり一緒に幸せになると誓います!」
彼女のその言葉は、妻はただ夫に仕えて守られることが当然であり、妻が主導的に夫を幸せにするなど考えられなかったこの世界で、女性たちの心に大きな衝撃を生んだ。
数年後、神の愛子が現れる時代には、世界にとって大きな変化をもたらしたことを記した歴史書に、アイーシャの言葉という新たなページを作ったのであった。
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