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36 強面騎士団長は、甘えたい

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 新たにディンギール公爵となったダインは、元公爵に苦しめられた人々から絶大な支持を受けた。

 彼自身、実の父に使用人以下の扱いを受けていながらも、人々の助けを借りて見事悪を討ち滅ぼしたという、まるで英雄のような扱いに戸惑っているようだ。

 しかし、国内の大貴族の不祥事を、長期間噂にするべきではない。国王が、人々の目を反らせるためにも、彼の、少し真実の入った武勇伝を称える劇まで作らせたものだから、主人公である彼に国内外からファンレターが届けられるようになった。

 今日はアイーシャとともに、ロングランが続いている彼の劇を見に来ている。

 事件の後処理もあり、ウォーレンは残業だらけの過労死ラインを超える仕事づくしの日々を送っている。その間、アイーシャはウォンバート家で花嫁修業をしているのだが、ふたりっきりの時間を取れなかった。

 彼らのデートを聞きつけた国王が、婚約式を台無しにしたお詫びとして、国内最大級の劇場のロイヤルボックスに招待してくれたのである。

 ここは、ボックス内の人は、特等席で観覧できるような場所に作られている。だが、周囲の人々からはよほど覗き見をしないかぎり、視界が閉ざされていて、彼らがここにいることは関係者以外誰も知らない。

 劇は、不遇の美少年だったダインが、ボロをまとい掃除をしている最中に、偶然父親の悪行を知るところから始まる。
 時にハラハラするようなサスペンスあり、時に彼を支える年若いメイドとの身分差を超えたドキドキするようなラブロマンスあり、剣を学んだダインが伝説のソードマスターになり強敵を倒すというバトルありの、人気ジャンルの詰め合わせ福袋のような内容だった。

「父上、そこまでです。私は、父上が改心するのを期待していました。無駄だと知りながら、それでも……。それでも、簡単に、父親であるあなたを糾弾するなんて、したくはなかった。今でもしたくはない。でも、私の愛する人を傷つけたことは許せません。父上、お別れです。今日から、冷たい牢で今まで傷つけ苦しめた人々に謝罪しながら、自らの罪を悔いて生きてください」

 ダインを演じる役者が、実の父親に葛藤しながら言葉をつまらせて罪をつきつけるシーンでは、アイーシャも作り話だと知っていても涙ぐんでいた。
 会場内のあちこちからも、すすり泣くような声が聞こえる。

(こんなものの、どこがいいんだ?)

 ウォーレンには、劇の良さがさっぱりわからない。そもそも本当のダインは、劇よりもひどい目似合わされている。役者が言うセリフのように、父親を慕ってはいなかった。それどころか憎んでいたというのに。

 ところどころ、考えれば矛盾だらけの劇は、ウォーレンにとって理解しがたいものであった。

(だが……)

 隣のアイーシャが、劇の役者の言葉と心に共感して、表情をくるくる変える様子が見ることができた。それだけでも、今日のつまらない劇を観覧した甲斐があったというもの。

「グスッ。ウォーレン様、ダインさんが無事で良かったですね」

 彼女の言うは、劇中の役者のことだ。それでも、自分以外の男を気にして涙する彼女を見て、じりっと胸が焦れる。

 ウォーレンは、あの一件以来、彼女がダインに入れ込みすぎな事に、心中穏やかではない。
 ダインも、多忙なのに、命の恩人である彼女と密に連絡をとっているようだ。
 ウォーレンから見ても、ダインはアイーシャを慕っている。単なる好意だけでない瞳の熱が、ほんのわずかだがあるのに気づいていた。

 幸いなことに、アイーシャはなぜか気づいていない。というよりも、自分以外の男は、異性として見ていないことが安心材料ではある。

 だが、それはそれとして、漠然とした不安を抱えるのはどうしようもなかった。

 劇場いっぱいに、歓声と拍手が沸き起こる。

 劇が終わり、役者たちがアンコールに応えていた。アイーシャも、手のひらが痛くなるほど拍手喝采を惜しげもなく送っている。

「アイーシャ、面白かったか?」
「えぇ、とっても。素晴らしい劇だったわ。皆さん素敵で、感動しました。特に、暗殺者に襲われたダインさんと彼女さんが逃げた先の洞窟で、想いを伝え合うシーンは、ドキドキしちゃって。私も、ウォーレン様とあんなふうに、って。やだ、私ったら何を言っているのかしら。恥ずかしい……。わ、忘れてください」

 劇のシーンを思い出した彼女が、役者を自分たちに置き換えて妄想したようだ。どう考えても、自分は役者のように美しくはない。それでも、ふたりの甘い時間に頬を染めてうっとりして、恥ずかしがっている彼女の横顔が、食べてしまいたいほど愛おしくなる。

「いや、覚えておこう。そうだ、結婚式の後の旅行では、洞窟に行こうか」
「本当に恥ずかしいのに。でも、ありがとうございます。ふふふ、これからはふたりの時間がたくさんあるんですものね。ひとりきりじゃなかったけれど、やっぱりウォーレン様と一緒がいいです」

(仕事ばかりだったせいで、寂しい思いをさせていたのか)

 少しでも、アイーシャを喜ばせたい。ウォーレンは、彼女が言ったシーンの再現とまではいかないが、今までの寂しさを忘れるくらいに、彼女が楽しめるよう、ふたりだけの体験をプレゼントしようと思った。

 費用も、面倒なやらなきゃリストも、ほとんど王妃がしてくれた。ダインから真相の全てを聞いた王妃は、彼を助けたアイーシャを気に入ったようだった。そのため、結婚式にかかる予算は、彼女の私財も投入され倍に膨れ上がったのである。

 おそらく、要望を全く言わなかったウォーレンが、アイーシャのためにと望めば、世界一美しいと言われる虹彩が美しい洞窟への旅行も計画にいれてくれるだろう。

 だが、これだけは彼自身が彼女にプレゼントしたい。

「アイーシャ」

 軽い彼女を膝に乗せる。眼の前の、白い首筋に顔を埋めた。

「ウォーレン様、ここは劇場だから、その……」
「誰も見ていない」

 慌てる彼女も可愛くてたまらない。ウォーレンは、首筋から漂う彼女の甘い芳香を楽しんだ。

「アイーシャ、君が足らない。毎日、君と過ごしたくて頑張ったんだ」
「ウォーレン様、よく頑張りました。よしよし」

 彼女は、いつになく甘えた様子のウォーレンの頭を、子供を褒める先生のように撫でた。その優しい手で、もっと触れて欲しい。

 ちゅっと、細い首筋に唇をこすりつけて軽く吸い付く。それだけで、肌が桃色の花を作った。

 ほんの少し、彼女に甘えるように体を預ける。すると、大きなソファに彼女を押し倒したような格好になった。

「アイーシャ、愛している」
「私も、愛してます」

 劇場が閉館する時間まであとわずか。ふたりにとって短すぎる時を、誰にも邪魔されずに過ごしたのであった。

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