22 / 43
19
しおりを挟む
アイーシャは、男が近づいた一歩分下がろうとした。だが、すぐ後ろにはハーテンベルギアがある。少しでも動けばバランスを崩して、王家の庭を台無しにしてしまうだろう。
「やめてください」
彼も王妃に招待されている令息に違いない。大きな声をあげて、助けを求めるわけにもいかず途方に暮れる。
「本当に、かわいいな。あいつらが注目するはずだ」
「いやぁ!」
すると、男はくすりと笑いながらそういうと、右の耳に唇を近づけてきた。何をされるのだろうか。王宮内であまり無体なことはするまいと思っていても、見たこともない男に詰め寄られ怖くなる。
(だ、誰か助けて……)
前世の友達が言っていた、痴漢撃退法など思い出せない程恐ろしくて体が震える。他人事だった頃なら、「痴漢男なんて股間を蹴り上げたらいいのにね」などとやられっぱなしの女の子に無情なことを言っていたが、いざ当事者になると、何もできないほど怖いものだったなんて思いもよらなかった。
目をぎゅっと閉じて、必死に誰かが来るのを待つ。
「静かに聞いてください。アイーシャさん、僕は騎士団第三部隊所属のレッサーと申します」
「……え?」
耳元で男が小さく言った言葉に、アイーシャは目を見張った。騎士団に通い詰めていたが彼など見たことがない。
「あなたは僕を知らないと思います。普段、僕は団長たちの命を受けて別行動をしているので、訓練場にはいませんからね」
そう言うと、レッサーは騎士である証の虎が身を低くして獲物を狙う姿を模した刻印を見せてくれた。この刻印は、偽造できないよう騎士にしか身に着けられないように魔法を施されている。
アイーシャは、彼自身の身分がわかりコクリと小さく頷いた。
「よく、お聞きください。僕は今日のお茶会であなたを護衛するよう命じられました。今も、怪しい奴らがこちらを伺っています」
「私を? 怪しいやつって?」
騎士団は、当然王族や貴賓を護衛している。ただ、何の変哲もない一令嬢に密命を受けた騎士が就くことなどありえるだろうか。
アイーシャは、どういうことなのかわからず、じっと彼の言うことを聞いていた。
「以前、あなたとトラブルになった令嬢のことを覚えておいででしょうか?」
もちろん忘れられるはずがない。この国唯一の公女である彼女の恐ろしい姿を思い出して、ふるりと身が震えた。
「その、公女がご執心だったペパレスなんですが……。彼女の告白をお断りしまして」
そういえば、彼女はペパレスに異常なほどの執着心を持っていた。確かに、あの時に言いがかりをつけられたが、それが今の状況と何の関係があるのかますます首をかしげる。
「その過程で、公女は、その原因があなたであるとコギ伯爵領に暗殺者を向かわせようとしたのです」
「──!」
ペパレスとは本当に無関係だ。彼は、ほかの令嬢に対してもナンパをしていたではないか。完全なとばっちりだ。しかも、いきなり暗殺者とかわけがわからない。思わず大きな声を出しそうになる口を手で押さえた。
「ご安心ください。暗殺者は王都から出る前に、とある事情でディンギール公爵家を見張っていた僕が捕らえました」
「そ、そうですか。ありがとうございます?」
自分があずかり知らぬうちに恨みを買っており、しかも暗殺を企てられていたなどあまりにも非現実的で映画を見ているかのようだ。ぽかんと間抜けな顔でお礼を言ったが、自分でも何を言ったのかわかっていなかった。
「これから少々込み入った話になりますので、今から僕と仲良く見合いしているように振舞えますか?」
「頑張ってみます……」
アイーシャは、彼の疑問形だが断れない提案に頷くしかない。レッサーの差し出した肘に手を置き、唇がひきつりそうなほどの緊張とともに彼に誘われるまま歩いた。
彼が言うには、たかが令嬢の色恋沙汰で暗殺者が行くなどありえない。おそらく、先ほどのことは表向きの理由で、実際は急速に発展したコギ伯爵の資産が目当てなのだろうということだ。
「そういえば、お父様が、以前、かの方との大取引をお断りなさったと聞いています。大取引といっても、こちらへのリターンはあまりにも少なく、下手をすれば大赤字になりそうなとんでもない内容だったとか」
「それまでは、コギ伯爵は、数年前まで没落寸前でしたし、目をつけられていなかったのでしょう。んんっ失礼しました。とにかく、どの派閥にも入っておられない伯爵を、自らの陣営に引き込めないなら、脅威になる前に潰してしまおうと判断されたのでしょうね。とはいえ、何の罪もない伯爵家を簡単に潰せるわけはありません。そこで、唯一の後継者であるあなたに狙いをつけたのでしょう」
「なんてこと……。うちは田舎で平和に過ごしたいだけなのに……」
アイーシャは、以前からディンギール公爵に睨まれていたのかとびっくりした。没落を免れ、資産は順調に増えたが、それでも公爵家に比べれば、まだまだ吹けば飛ぶような家柄なのにと。
「それだけではなく、アイーシャさん。あなた自身のことも関係があります」
「私自身の?」
レッサーは足を止めてアイーシャに向き合い膝をついた。交際を申し込んでいるように見えるだろう。
「コギ伯爵の要望で、あなたのことは世間一般に知らされておりません。現に、王都で開催されるお茶会や夜会にはほとんど出席する機会がなかったでしょう?」
「え、ええ。でも、それは私があまりそういった場所に行きたがらなかったからですけど」
「確かに、あなたのお気持ちも尊重されていたようですが、あなた、神の愛子なのでしょう?」
「はい、そうですけれども。それが何か?」
レッサーは、何の疑問も持たずに、素直に即答したアイーシャに、一瞬目を見開いたかと思うと笑いだす。それは、アイーシャを馬鹿にしつつも、まるで少年のように心から楽しく笑っているように思えて、整った顔が憎たらしくも、かわいらしくも見えた。
「やめてください」
彼も王妃に招待されている令息に違いない。大きな声をあげて、助けを求めるわけにもいかず途方に暮れる。
「本当に、かわいいな。あいつらが注目するはずだ」
「いやぁ!」
すると、男はくすりと笑いながらそういうと、右の耳に唇を近づけてきた。何をされるのだろうか。王宮内であまり無体なことはするまいと思っていても、見たこともない男に詰め寄られ怖くなる。
(だ、誰か助けて……)
前世の友達が言っていた、痴漢撃退法など思い出せない程恐ろしくて体が震える。他人事だった頃なら、「痴漢男なんて股間を蹴り上げたらいいのにね」などとやられっぱなしの女の子に無情なことを言っていたが、いざ当事者になると、何もできないほど怖いものだったなんて思いもよらなかった。
目をぎゅっと閉じて、必死に誰かが来るのを待つ。
「静かに聞いてください。アイーシャさん、僕は騎士団第三部隊所属のレッサーと申します」
「……え?」
耳元で男が小さく言った言葉に、アイーシャは目を見張った。騎士団に通い詰めていたが彼など見たことがない。
「あなたは僕を知らないと思います。普段、僕は団長たちの命を受けて別行動をしているので、訓練場にはいませんからね」
そう言うと、レッサーは騎士である証の虎が身を低くして獲物を狙う姿を模した刻印を見せてくれた。この刻印は、偽造できないよう騎士にしか身に着けられないように魔法を施されている。
アイーシャは、彼自身の身分がわかりコクリと小さく頷いた。
「よく、お聞きください。僕は今日のお茶会であなたを護衛するよう命じられました。今も、怪しい奴らがこちらを伺っています」
「私を? 怪しいやつって?」
騎士団は、当然王族や貴賓を護衛している。ただ、何の変哲もない一令嬢に密命を受けた騎士が就くことなどありえるだろうか。
アイーシャは、どういうことなのかわからず、じっと彼の言うことを聞いていた。
「以前、あなたとトラブルになった令嬢のことを覚えておいででしょうか?」
もちろん忘れられるはずがない。この国唯一の公女である彼女の恐ろしい姿を思い出して、ふるりと身が震えた。
「その、公女がご執心だったペパレスなんですが……。彼女の告白をお断りしまして」
そういえば、彼女はペパレスに異常なほどの執着心を持っていた。確かに、あの時に言いがかりをつけられたが、それが今の状況と何の関係があるのかますます首をかしげる。
「その過程で、公女は、その原因があなたであるとコギ伯爵領に暗殺者を向かわせようとしたのです」
「──!」
ペパレスとは本当に無関係だ。彼は、ほかの令嬢に対してもナンパをしていたではないか。完全なとばっちりだ。しかも、いきなり暗殺者とかわけがわからない。思わず大きな声を出しそうになる口を手で押さえた。
「ご安心ください。暗殺者は王都から出る前に、とある事情でディンギール公爵家を見張っていた僕が捕らえました」
「そ、そうですか。ありがとうございます?」
自分があずかり知らぬうちに恨みを買っており、しかも暗殺を企てられていたなどあまりにも非現実的で映画を見ているかのようだ。ぽかんと間抜けな顔でお礼を言ったが、自分でも何を言ったのかわかっていなかった。
「これから少々込み入った話になりますので、今から僕と仲良く見合いしているように振舞えますか?」
「頑張ってみます……」
アイーシャは、彼の疑問形だが断れない提案に頷くしかない。レッサーの差し出した肘に手を置き、唇がひきつりそうなほどの緊張とともに彼に誘われるまま歩いた。
彼が言うには、たかが令嬢の色恋沙汰で暗殺者が行くなどありえない。おそらく、先ほどのことは表向きの理由で、実際は急速に発展したコギ伯爵の資産が目当てなのだろうということだ。
「そういえば、お父様が、以前、かの方との大取引をお断りなさったと聞いています。大取引といっても、こちらへのリターンはあまりにも少なく、下手をすれば大赤字になりそうなとんでもない内容だったとか」
「それまでは、コギ伯爵は、数年前まで没落寸前でしたし、目をつけられていなかったのでしょう。んんっ失礼しました。とにかく、どの派閥にも入っておられない伯爵を、自らの陣営に引き込めないなら、脅威になる前に潰してしまおうと判断されたのでしょうね。とはいえ、何の罪もない伯爵家を簡単に潰せるわけはありません。そこで、唯一の後継者であるあなたに狙いをつけたのでしょう」
「なんてこと……。うちは田舎で平和に過ごしたいだけなのに……」
アイーシャは、以前からディンギール公爵に睨まれていたのかとびっくりした。没落を免れ、資産は順調に増えたが、それでも公爵家に比べれば、まだまだ吹けば飛ぶような家柄なのにと。
「それだけではなく、アイーシャさん。あなた自身のことも関係があります」
「私自身の?」
レッサーは足を止めてアイーシャに向き合い膝をついた。交際を申し込んでいるように見えるだろう。
「コギ伯爵の要望で、あなたのことは世間一般に知らされておりません。現に、王都で開催されるお茶会や夜会にはほとんど出席する機会がなかったでしょう?」
「え、ええ。でも、それは私があまりそういった場所に行きたがらなかったからですけど」
「確かに、あなたのお気持ちも尊重されていたようですが、あなた、神の愛子なのでしょう?」
「はい、そうですけれども。それが何か?」
レッサーは、何の疑問も持たずに、素直に即答したアイーシャに、一瞬目を見開いたかと思うと笑いだす。それは、アイーシャを馬鹿にしつつも、まるで少年のように心から楽しく笑っているように思えて、整った顔が憎たらしくも、かわいらしくも見えた。
55
お気に入りに追加
498
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
こわいかおの獣人騎士が、仕事大好きトリマーに秒で堕とされた結果
てへぺろ
恋愛
仕事大好きトリマーである黒木優子(クロキ)が召喚されたのは、毛並みの手入れが行き届いていない、犬系獣人たちの国だった。
とりあえず、護衛兼監視役として来たのは、ハスキー系獣人であるルーサー。不機嫌そうににらんでくるものの、ハスキー大好きなクロキにはそんなの関係なかった。
「とりあえずブラッシングさせてくれません?」
毎日、獣人たちのお手入れに精を出しては、ルーサーを(犬的に)愛でる日々。
そのうち、ルーサーはクロキを女性として意識するようになるものの、クロキは彼を犬としかみていなくて……。
※獣人のケモ度が高い世界での恋愛話ですが、ケモナー向けではないです。ズーフィリア向けでもないです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

義妹が大事だと優先するので私も義兄を優先する事にしました
さこの
恋愛
婚約者のラウロ様は義妹を優先する。
私との約束なんかなかったかのように…
それをやんわり注意すると、君は家族を大事にしないのか?冷たい女だな。と言われました。
そうですか…あなたの目にはそのように映るのですね…
分かりました。それでは私も義兄を優先する事にしますね!大事な家族なので!

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?
との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」
結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。
夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、
えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。
どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに?
ーーーーーー
完結、予約投稿済みです。
R15は、今回も念の為
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる