完結 (R18)転生伯爵令嬢は、強面騎士団長に甘えられたい

にじくす まさしよ

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 アイーシャは、男が近づいた一歩分下がろうとした。だが、すぐ後ろにはハーテンベルギアがある。少しでも動けばバランスを崩して、王家の庭を台無しにしてしまうだろう。

「やめてください」

 彼も王妃に招待されている令息に違いない。大きな声をあげて、助けを求めるわけにもいかず途方に暮れる。

「本当に、かわいいな。あいつらが注目するはずだ」
「いやぁ!」

 すると、男はくすりと笑いながらそういうと、右の耳に唇を近づけてきた。何をされるのだろうか。王宮内であまり無体なことはするまいと思っていても、見たこともない男に詰め寄られ怖くなる。

(だ、誰か助けて……)

 前世の友達が言っていた、痴漢撃退法など思い出せない程恐ろしくて体が震える。他人事だった頃なら、「痴漢男なんて股間を蹴り上げたらいいのにね」などとやられっぱなしの女の子に無情なことを言っていたが、いざ当事者になると、何もできないほど怖いものだったなんて思いもよらなかった。

 目をぎゅっと閉じて、必死に誰かが来るのを待つ。

「静かに聞いてください。アイーシャさん、僕は騎士団第三部隊所属のレッサーと申します」
「……え?」

 耳元で男が小さく言った言葉に、アイーシャは目を見張った。騎士団に通い詰めていたが彼など見たことがない。

「あなたは僕を知らないと思います。普段、僕は団長たちの命を受けて別行動をしているので、訓練場にはいませんからね」

 そう言うと、レッサーは騎士である証の虎が身を低くして獲物を狙う姿を模した刻印を見せてくれた。この刻印は、偽造できないよう騎士にしか身に着けられないように魔法を施されている。

 アイーシャは、彼自身の身分がわかりコクリと小さく頷いた。

「よく、お聞きください。僕は今日のお茶会であなたを護衛するよう命じられました。今も、怪しい奴らがこちらを伺っています」
「私を? 怪しいやつって?」

 騎士団は、当然王族や貴賓を護衛している。ただ、何の変哲もない一令嬢に密命を受けた騎士が就くことなどありえるだろうか。

 アイーシャは、どういうことなのかわからず、じっと彼の言うことを聞いていた。

「以前、あなたとトラブルになった令嬢のことを覚えておいででしょうか?」

 もちろん忘れられるはずがない。この国唯一の公女である彼女の恐ろしい姿を思い出して、ふるりと身が震えた。

「その、公女がご執心だったペパレスなんですが……。彼女の告白をお断りしまして」

 そういえば、彼女はペパレスに異常なほどの執着心を持っていた。確かに、あの時に言いがかりをつけられたが、それが今の状況と何の関係があるのかますます首をかしげる。

「その過程で、公女は、その原因があなたであるとコギ伯爵領に暗殺者を向かわせようとしたのです」
「──!」

 ペパレスとは本当に無関係だ。彼は、ほかの令嬢に対してもナンパをしていたではないか。完全なとばっちりだ。しかも、いきなり暗殺者とかわけがわからない。思わず大きな声を出しそうになる口を手で押さえた。

「ご安心ください。暗殺者は王都から出る前に、とある事情でディンギール公爵家を見張っていた僕が捕らえました」
「そ、そうですか。ありがとうございます?」

 自分があずかり知らぬうちに恨みを買っており、しかも暗殺を企てられていたなどあまりにも非現実的で映画を見ているかのようだ。ぽかんと間抜けな顔でお礼を言ったが、自分でも何を言ったのかわかっていなかった。

「これから少々込み入った話になりますので、今から僕と仲良く見合いしているように振舞えますか?」
「頑張ってみます……」

 アイーシャは、彼の疑問形だが断れない提案に頷くしかない。レッサーの差し出した肘に手を置き、唇がひきつりそうなほどの緊張とともに彼に誘われるまま歩いた。

 彼が言うには、たかが令嬢の色恋沙汰で暗殺者が行くなどありえない。おそらく、先ほどのことは表向きの理由で、実際は急速に発展したコギ伯爵の資産が目当てなのだろうということだ。

「そういえば、お父様が、以前、かの方との大取引をお断りなさったと聞いています。大取引といっても、こちらへのリターンはあまりにも少なく、下手をすれば大赤字になりそうなとんでもない内容だったとか」
「それまでは、コギ伯爵は、数年前まで没落寸前でしたし、目をつけられていなかったのでしょう。んんっ失礼しました。とにかく、どの派閥にも入っておられない伯爵を、自らの陣営に引き込めないなら、脅威になる前に潰してしまおうと判断されたのでしょうね。とはいえ、何の罪もない伯爵家を簡単に潰せるわけはありません。そこで、唯一の後継者であるあなたに狙いをつけたのでしょう」
「なんてこと……。うちは田舎で平和に過ごしたいだけなのに……」

 アイーシャは、以前からディンギール公爵に睨まれていたのかとびっくりした。没落を免れ、資産は順調に増えたが、それでも公爵家に比べれば、まだまだ吹けば飛ぶような家柄なのにと。

「それだけではなく、アイーシャさん。あなた自身のことも関係があります」
「私自身の?」

 レッサーは足を止めてアイーシャに向き合い膝をついた。交際を申し込んでいるように見えるだろう。

「コギ伯爵の要望で、あなたのことは世間一般に知らされておりません。現に、王都で開催されるお茶会や夜会にはほとんど出席する機会がなかったでしょう?」
「え、ええ。でも、それは私があまりそういった場所に行きたがらなかったからですけど」
「確かに、あなたのお気持ちも尊重されていたようですが、あなた、神の愛子なのでしょう?」
「はい、そうですけれども。それが何か?」

 レッサーは、何の疑問も持たずに、素直に即答したアイーシャに、一瞬目を見開いたかと思うと笑いだす。それは、アイーシャを馬鹿にしつつも、まるで少年のように心から楽しく笑っているように思えて、整った顔が憎たらしくも、かわいらしくも見えた。


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