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「私に王都から? とても素敵な封筒だけど、一体誰かしら?」

 文香をつけられた手紙から、微かにスイセンのが漂う。さわやかで甘いそれが鼻腔をくすぐり、わずかに心が安らいだ。

 アイーシャは、その封印を見るや否や、目を見開く。仕事中の両親にすぐに知らせるよう指示した。封を切るには、あまりにも高貴な相手からだ。

「たいへん! すぐに戻らないと……。皆、元気な姿を見せてくれてありがとう。用事が出来たから帰るわね」

 もう少し、彼らの元気な姿を見ていたかった。子供たちも同じだったようで、一斉に手を止めてやってくる。雪で濡れたびしょ濡れの髪からは、動いてほかほかの湯気が昇っていた。

「もういっちゃうの?」
「やだー」

 小さな子たちが名残惜しんでわがままを言う。困った年長者も、本心では彼らと同じ気持ちなのだろう。窘めながらも、すがるような瞳を向けてきた。

「また来るわ。また明日ね」

 それは、ディアンヌがペパレスに向かって放った言葉と同じだったが、受け取った相手の気持ちは真逆だった。アイーシャはめったに約束を破らない。彼女を信じて、しばしの別れを告げて雪合戦という実践勉強に戻った。

 やや早足で部屋に戻る。

 良い知らせなのか、悪い知らせなのだろうか。

 内容を確認する勇気が出ない。震える指先で、固まった蝋をなぞる。気持ちが落ち着かなさすぎて、両親が帰宅するまでの小一時間が一晩中待ち続けたかのように憔悴した。

「うう、なんだってこんな田舎の、たかが伯爵家に……」

 相手に商品を届けに行ったり、招待されたパーティに参加している父も、娘に来たあり得ない手紙を色んな角度で見る。母もその横でまるで罠が仕込まれた危険物のように、穴が開きそうなほど片目で凝視していた。

「はぁ、取り敢えず内容を確認しないことには始まらないわ。使者の方に待っていただいていることですし、開けましょう」

 コギ伯爵家で一番度胸があるのは、母である。獣化状態なら尻尾をおまたに挟みたいほどビビっている父の手から手紙を奪うと一気に広げた。

 アイーシャは、一言も喋らずに目を走らせた母が口を開くまで、一滴もないというのに唾を飲み込む。祈るように顔の前で組んだ手には、じっとり湿っていた。

「まぁ……なんて光栄なことなのでしょう。アイーシャ、王妃様からお茶会の招待ですって」
「ええ?」
「え、王妃様から?」

 アイーシャは、タイガー国旗の柄が認められた手紙を貰った。それは、王族からに他ならない。王か、王妃、もしくは王太子しかその紋章を使えないことから、一介の辺境の伯爵令嬢にどのような用事があるのかさっぱりわからなかった。
 もしかしたら、先日の件でディアンヌ公爵令嬢の気分を害したアイーシャに対して、ディンギール公爵家が王家にとりなしをして王都に召喚させ、なんらかの懲罰が与えられるかもしれないと不安で仕方がなかったのである。

「ええ、あなたデビュタント以来王都にはいかず、領地でお手伝いをしてくれていたでしょう? 年頃の独身のご令嬢を集めて行う、気軽なお茶会だと書かれているわ」

 母の言葉を聞き、不安と恐怖と緊張でばくばくしていた胸の不快感が治まった。だが、そのかわりに、驚愕が全身を震わせる。

「気軽って……気軽って……。無理無理無理無理、むーりー。お母様断ってくださいっ! 普通の貴族のお茶会だって、どちゃく、ゴホン、目茶苦茶緊張するのに」
「そうだ、無理に行く必要はない。それは、定期的に開催されている令嬢を集めたお茶会などといいながら、どこからともなくあとから独身の令息も現れて合流する、体のいいお見合いではないか。アイーシャには、私が責任を持っていい男をだな」
「あなたは、黙ってらして」

 アイーシャとほぼ同時に、コギ伯爵が大きな声を出す。それを聞いたハートは、よくも余計なことを言ったわねと、コギ伯爵を睨んだ。

「えええええ? お見合い? ますます行きたくないよ!」

 お茶会の意図を知っていた母は、恋を忘れるには新たな恋がいいと思い、知らなさそうなアイーシャにはお見合いだと内緒で連れて行こうとしていた。ウォーレン以外にも、アイーシャのお眼鏡に叶う誠実な男性は何人もいる。新たな出会いが、アイーシャの心の傷を癒してくれるだろうと考えたのだった。

 だが、その思惑も瞬時に夫に台無しにされてしまい、ふうっとため息を吐く。

「アイーシャ、どちらにしても王妃様の招待はお断りできないわ。それに、招待されるのは良家の大人しく素直なお嬢様ばかり。ディンギール公爵家のご令嬢のような場を壊しかねないトラブルメーカーは来ないの。だから、王宮だとかお見合いだとか、余計なことは考えず、お友達を作りにいくつもりで参加したらどうかしら?」
「お友達を? でも、お見合いなら……」
「ふふふ、もしも殿方に申し込まれたとしても、無礼講で強制力のない場だから、気軽にお断りしていいわ。毎回全員がお見合い相手とうまくいって結婚できるわけではないのよ。新しい出会いは、あなたにもっと広い世界を与えてくれる。きっと、遠く離れていたとしても、悩み事を相談して助け合える、そんなお友達もできるわよ」

 今の母は、慈悲深く微笑む賢母というよりも、鉄の意志を持つ難攻不落の空母のようだ。優しくそんなことを言いながら、アイーシャというカモを、王宮のお見合いの場に放り込む姿が、彼女には見える。
 ウォーレンの面影が忘れられないアイーシャは、彼に近い王都に行くなどもってのほか。二度と王都に行きたくないと思って泣いていた数日はなんだったのか。

 更に、可能性は低いが、もしかしたら、護衛として彼がそこにいるかもしれない、そう思った。それだけで、今すぐ彼に会いに行きたい、ひとめ姿を見たいと思う自分がいる。今まで撮りだめした彼のコレクションすら捨てられず、忘れようとすればするほど、アイーシャはウォーレンの面影を追い求めてしまうのだ。

 今の気持ちを抱えたまま、王都に行けば、ますます諦められなくなってしまうのがわかった。

「お父様ぁ、なんとかならないの?」

 コギ伯爵としては、そもそも娘を嫁がせたくない。しかも、滅多にわがままを言わないかわいい我が子のおねだりは全て聞いてあげたいと思う。かといって、愛する妻の言うことも全部叶えたい。

 少し迷ったものの、背後にゴゴゴゴゴと地の底から何かがはい出てくるような妻の微笑みという迫力の前に、力なく項垂れ屈服してしまったのであった。
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